江端さんの忘備録
2010年04月分を表示
- ■2010年
04月 30日
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- ・ちょっと気持ちの良い話
- 今日、通勤電車で、車両の連結部に入って両側のドアを閉めて携帯電話で話をしている女性を見ました。
安全の観点から問題はあるかもしれませんが、携帯電話の緊急性と、車内モラルを両立させようとする、その真摯な姿に打たれました。
『今度結婚するなら、こういう女性を選ぶ』と思いつつ、感嘆の目で彼女を見ていました。
しかし、電話が終った彼女は、座席に戻ると、隣の男性と楽しげに会話を始めました。
- ■2010年
04月 29日
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- ・偏差値至上主義者
- 小学生の3年の頃だったと思います。
私が国語で66点の点数を取って帰って来た時、母親に凄まじい勢いで叱られ、玄関の外に引きずり出されたことがあります。
平均点という観念がなかった私の母親は、『テストというものは、大体80点位で、よく勉強すれば100点を取れるもの』という前提(というか思い込み)があったのだと思います。
66点は、クラスの最高点でした。
子供心に「無知は迷惑」と思ったものです。
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私達が、義務教育課程にあったころ(多分今でもそうだと思うが)偏差値教育批判がありました。
私は、一貫して、
『何をバカなことを言っていやがる』
と思ってきましたし、これからもこの考えは変えないと思います。
偏差値くらい物事の正確に把握させてくれる道具はありませんし、これほどに公平な指標はないのではないかと思います。
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「偏差値」を非難する人は、人生で一度も偏差値を理解しようとしたことがなく、たった一度の計算もやったことがないのではないかと疑っています。
偏差値を非難する人は、クラス40人のなかで100点が35人いる場合の95点を取ることと、50点が35人いる場合の95点の優劣も区別できていないのではないかと邪推しています。
なるほど平均点が違うので、後者の95点の方が価値があるとは判ります。
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では、一つの例を。
クラス10人で2つのテストを行いました。
これをテストAとテストBといいます。
テストAの結果は、52、44、65、86、19、39、89、79、36、91点となり、
テストBの結果は、51、43、65、76、53、59、65、59、58、71点となりました。
テストAで65点とった人と、テストBで65点を取った人は、どっちが優秀でしょうか。
ちなみにどちらも平均点は60点になります。
これを、『平均値が同じだから両方の65点は同じ価値だ』とか言う阿呆がいるから、偏差値が必要なんです。
詳しいことは割愛しますが、テストAの偏差(ばらつき)は約25点で、テストBは9点です。
テストBの方の65点が圧倒的に優秀であることは・・
え?・・、分からない?
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じゃあ、
57、58、59、60、61、62、63、64、65、66点の中の65点と
10、20、30、40、50、60、70、80、90、100点中の65点
なら判りますか。
上の列の65点はトップクラスになりますが、下の列の65点は、平均よりちょっと良いくらいの成績です。
偏差値とは、母集団の性質を反映した上で正しい結果を教えてくれる、人類が生み出した至宝の計算方式です。
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偏差値の凄い所は、時間的にも普遍性を持っている点です。
「偏差値60の学校」という言い方は、その入学の難しさ語るにおいて100年後であっても同じように使えるという点にあります。
その時代の教育水準や環境によって、母集団の傾向が変動したとしても、その母集団の一人にとって、その学校に入学することの難しさは、絶対的かつ普遍的に「偏差値60の難しさ」なのです。
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「個性」だの「感性」だのという指標は、個人の主観に基づく不確かな基準であり、嘘のまじる余地が満載であると思います。
しかし、偏差値の持つ「冷酷なまでの公平性」は、このような「あいまいさ」を排して、評価するという点で圧倒的に優れています。
「個性や人柄や将来可能性などの主観的な要因を徹底的に排して、ただ『学力』だけを基準とする」という潔さがあり、そこには審美性すら感じます。
偏差値が良くないというのであれば、代替の手段を提示して貰えれば良いのですが、そういうものもなく、ただ反対という点に、偏差値反対を叫ぶ人の『無知性』を感じてしまうのです。
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私は大学生時代に、PC-8001Mk2というパソコンを使って、自分でプログラミングして、学習塾の生徒の成績を管理していました。
たった5人の学習塾のクラスでも、偏差値を算出していました。
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エクセルとかのスプレッドシートは、まだ存在しない時代の話です。
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まだ「ロータス1-2-3」もなかった。
稚拙とはいえ、統計計算パッケージとデータベースを自作していたのです。
あの、滅茶苦茶に記述しにくいBASIC言語で。
統計とプログラミングに興味があり、それなりに時間を自由にできた時代の話とはいえ、よくやっていたものだと思います。
- ■2010年
04月 28日
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- ・「1968」返却命令
- 「1968」を毎日少しずつ楽しみながら読んでいたら、町田図書館から返却命令喰らいました。
『だれかこの本、買ってくれないかなぁ〜〜(上下巻会わせて1万4千円)』と涙ながらに、とぼとぼと図書館に出向こうとしていた私の背中に、小学6年の娘が購入を申し出てくれました。
『え!本当』と喜ぶ私に、娘は条件を提示してきました。
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向こう3年間、自由研究のレポートを作成すること
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ふふふ。軽い。
こんなことは屁でもない。
プロの研究員に対して、無礼な程、低レベルな要求。
小中学生の自由研究ごとき、1日あれば3件分全部作成してみせる自信があります。
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早速、契約成立を宣言して、娘のお年玉の預金解約の話に至ったら、娘は慌てて、この契約を一方的に破棄してしまいました。
我が娘は、未だ、『自分の娘とさえ金銭債券契約を本気で締結しまおうとする、自分の父親の「大人気なさ」』を理解していないようです。
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江端さんにあこがれて「一夜だけでも・・・」という方、「1968」上下巻を交渉条件に前向きに検討します。
一夜といわず、一週間くらいぶっつづけでも結構です。
激しく熱い夜を過しましょう。
70年安保闘争に始まる、全共闘の総括を!
議論の初端は『もし日本赤軍のあさま山荘事件に至るまでの、凄惨な同志殺しが発覚しなかったら、左翼運動の帰趨はどうなっていたか』というあたりでいかがでしょうか。
- ■2010年
04月 27日
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- ・虚数の考え方に関する一考察
- 「いやでも楽しめる算数」を読んでいて思い出したことです。
アナログ電子回路で、「虚数」なしで回路計算を行うことは、不可能に近いことなのですが、この虚数の意味を理解せずに(あるいは、当時は理解していたのかもしれませんが)、卒業してしまいました。
ネットで調べてみたところ、同じような疑問をもっている人が沢山いたので、少し考えてみました。
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『ある数にマイナスを乗算すると、その数がマイナスになり、さらにマイナスを乗算するとプラスになる』という事実は、日本のみならず、おそらく世界中で、
憎まれている
と思います。
マイナスを乗算するという概念も不明なら、マイナスをマイナスで乗算するという事象が、世間一般では観測できないことだからだと思います。
虚数に至っては、さらに凄い。
2回乗算したら、マイナスになる数。
観念的には滅茶苦茶です。そんな数は存在できる訳がないからです。
虚数というのは、『宇宙空間の中に存在する虚数空間にある世界でのみ観測される数』とかいう、デタラメな説明をまことしやかにささやく、阿呆な超科学主義者や、オカルト主義者は、ここでは無視します。
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コンデンサやコイルの抵抗値は、虚数で記述可能であるからです。
虚数は、「虚数」と言われながら、実際に存在する数という意味では、実数なのです。
つまるところ『虚数というのは一種の道具である』と言い切って良いかと思います。
で、私の理解ですが、こんな感じです。
虚数の単位を"i"とした場合、5i
とは、5に対して、マイナス1を、半分だけかけ算したもの。
だから2回かけ算すると、半分のかけ算を2回して、マイナス1のかけ算になるもの。
5にマイナス1の半分のかけ算とは、乱暴にいうと、プラスからマイナスへ行く途中の半分のかけ算なので、「5かける0」のかけ算と思ってしまいましょう。私達が理解している世界では、ゼロです。これで良いと思います。
ところが、そのゼロは、実際は、5の大きさを隠し持ったゼロなのです。
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判らないですよね。
では、鉛筆を目の前でグルグル回して見て下さい。鉛筆が目に対して一直線になっている場合、長さが分からなくなりますよね(鉛筆の太さは判るけど)。鉛筆の長さは5、だけど目に見える鉛筆の長さはゼロ。
これが虚数です。
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それが何と言われるかもしれませんが、これが便利なんです。
例えば、皆さんが御自宅で使っている電気ですが、これは一秒間に50回または60回、点いたり消えたりしています。正確には電気がプラスになって、消えて、マイナスになって、また消えて、またプラスになって、を繰替えしています。
大変せわしないことです。
蛍光灯で明るくなっている部屋は、一秒に50または60回完全に真っ暗になっています。
私達は、1秒間に50〜60回も、完全な闇の中で手探りしている状態なのです。
なんで、その闇を認識できないかというと、人間の脳がバカなので、その消えている間が速すぎて認識できないのです。
コンデンサやコイルは、この50回の点滅の間で、電気を流したり、止めたりすることができます。つまり、電気が明るいところから暗くなる途中に、ちょっとだけ遅れて/進んで、動くわけです。
電気と同時にではなく、ちょっとだけ遅れる/進んで、というのを表現するのは、結構面倒です。
時間にして、0.02秒の時間の話のさらに1/4の時間、0.005秒だけ遅れる/進むという表現をする場合に、この虚数が役にたってくれるのです。
ある時刻のすべての状態を記述することなく、変化の状態のずれを一発で表現できるからです。
完璧に明るくなる前、または完璧に暗くなる前に、コンデンサやコイルは、抵抗値が最大になることになります。
ですから、ある時間の電力を知りたければ、電圧と抵抗値のかけ算をする必要があるのですが、一般には、ある時刻において、三角関数(sin,cos)を使う必要があります。
電圧の変化と抵抗の変化が、丁度、波の1/4だけずれてやってくるからです。
ところが、虚数を使うと、「単なるかけ算」だけで片がつく。
これは結構すごいことです。
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まあ、かつては、
x + 1 = 0
となるxの解が、「虚数」であった訳です。
そんな数は存在しないと言われてきたのが、今や、中学生があたりまえに使い、世の中になくてはならない数になりました。
赤字決算でも会社が潰れないようになったのは、このマイナスの概念のお陰です。
世の中の経営者は、もっと「マイナス」に感謝しても良いと思います。
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x^2
+ 1 = 0
となるxの解が、"i"として、いずれは、中学生が普通に使うようになり、経済予測指標に使われ、いずれ八百屋でも使われるようになる、と思うのです。
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『肉の特価セール!牛の値段の
2 + 2i !! 、な、なんと、 f = 13日!!
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『まあ、連動周期が、こんなに短いなんて、!!
これは、再来週、また来なくちゃ!!』
と、主婦や主夫の皆さんが、喜びの声を上げるという、未来は・・・、
ま、多分、相当に遠いでしょうが。
- ■2010年
04月 26日
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- ・言語能力が低いということ
- 清水義範さんの「はじめてわかる国語」の一部を引用させて頂きます。
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「君があんな乱暴なことをしたのは、なぜなんだね」
ときかれて、言語能力が低いと何も説明できないのである。
「てゆうか、おれ、マジでむかついていたしィ」
「何にむかついていたんだい」
「なんかうぜえんだよ、なんもかもが。逆ギレもしていたし」
「何かに不当な扱いを受けているような気がするのかな」
「わかんねえけど、超やべえ感じじゃん」
その人の思考には深い霧がかかっているんだろうなあ、という気がする。
人間は言語によって思考するのだ。(中略)人間の知的活動は、言語なしでは成り立たない。
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私は、上記のしゃべり方をする人が、一種のファッションでしゃべっているかと思っていたのですが、これは大いなる誤解だったようです。
要するに、表現能力がない。
私が外国語を上手く取り扱えないように、彼らは日本語を上手く取り扱えない、ということが、やっと理解できました。
日本にいながら、言葉の通じない外国にいるような日常生活は、さぞ辛いだろうと思います。
米国のDIYショップで、ある形状のクギを手に入れるのに、30分間英語で説明した挙げく、ついに購入できなかった時、(逆ギレはしなかったが)、これからの外国での日常生活が『超やべい感じじゃん』と思ったのは事実です。
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我々は、言葉を尽して相手を理解するしかないのです。
『拳で理解しあえる』とかいう馬鹿げた話を掲載している低能コミックマンガが、勉強嫌いなティーンに誤解を与えていることが心配です。
暴力は、誰かを気傷付け、社会に害を与える許されざる犯罪です。
暴力から友情が生れるとかいう、トンチンカンで、馬鹿げた観念は捨てましょう。
少年、少女コミックで、よく描かれていますが、『殴りあった後、互いに笑いながら、その後親友になる』というような人間は存在しません。
そんな人間がいるとすれば、それは、多分『人類』ではなく、脳の回路が誤結合した、人の形をした、単なる『馬鹿』です。
- ■2010年
04月 25日
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- ・ネパールの定食屋での一次方程式
- 清水義範さんの「いやでも楽しめる数学」を読んでいるうちに思いだしたことがあります。
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学生の頃、インドに一人旅をている途中、ネパールのカトマンズに立ち寄った時のことです。
日没後、怪しげな暗い定食屋で、一人で食事をとっていたところ、別の席に座っていた日本人の旅行者が、私の席に同席してきて、そこから、一緒に食事をすることになりました。
食後、割り勘で支払いすることになったのですが、私もその人も、別のメニューの食事をそれぞれ食べていましたので、単なる割り勘では、公平ではありません。
私は、レシピの裏に、簡単な一次方程式を書いて、割り勘金額を算出しました。
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「人生で、方程式で割り勘を出した人を初めて見た」と、同席の日本人の方は、酷く驚いていました。
- ■2010年
04月 24日
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- ・嫁さんとの会話
- 私と嫁さんとの出会いは、大学のキャンパス・・・、というようなオシャレなシチュエーションではなく、京都から電車で1時間ちょっとの、地方のパソコンショップでした。
私は、パソコンショップの売り子と、レジ係と、パソコンスクールの講師をやっていて、嫁さんはレジ係だけやっていました。
#『なんで、この内容でギャラが一緒なんだ』と、今からでも、あのパソコンショップのオーナーに文句を言いたい。
それはさておき
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最近の「1968」がらみの話を嫁さんにしました。
確かに、大学のキャンパスや駅、繁華街には、宗教関連のオルグ要員がゴロゴロしていたのです(最近は知らんが)。
嫁さん:「いた、いた。なんで京都って、あの手の人達多かったんだろう」
私:「一種の学園都市のようなものだからね。学生は良いカモだろうし」
嫁さん:「私、『あなたの幸せの為に3分間、お祈りさせて頂けませんか?』とか、よく言われた」
私:「私は、『まず、先に、アンタが自分の幸せの為に祈ったら?』と言い返したことがある」
- ■2010年
04月 23日
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- ・一秒で、怒りが飽和点
- 先日、「組織の幹部として招きたい」といって、私をオルグしていた「なんとか労働党(忘れた)」の話を書きました。
1968を読んでいて思い出したのですが、この『労働党』の先輩、私が絶対に許せない一言を言ってしまい、完全に絶縁状態となりました。
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「革命前夜の騒乱状態になったとき、大衆を指導して正しい革命に導くのが使命だ」
わずか1秒で、私の怒りは最高点に達しました。
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「ほう、・・・『大衆』を、『指導』するのですか。あなたがたは、大した方たちなのですね」
「申し訳ありませんが、私は、今から100年間、革命理論を学んでも『大衆を指導』することなんぞはできませんし、そんな器ではありません」
と、台詞を捨てて、席を立ちました。
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『大衆を指導』するくらいなら、愚劣な大衆の一人として、右往左往しながら、騒動に巻き込まれて、虫ケラのように死んでやるわ!、と、呟きながら、寮に帰宅しました。
- ■2010年
04月 22日
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- ・人生最初の特許明細書
- おおお、なつかしいーーー。
最近は、特許庁以外でも掲載されるようになっているんですね。
当時、何を書かされているか分からなかったけど、今ならよく分かるなぁ。
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でも、特許請求の範囲が狭すぎるぞ、おい
> 新人の自分
http://www.j-tokkyo.com/1994/G06F/JP06161980.shtml
- ■2010年
04月 21日
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- ・初めての計算結果
- 相当にしつこいのですが「1968」ネタです。
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私が始めてコンピュータを使ったのは、大学の計算機センターでした。
当時、パソコンというものはキットでしか発売されておらず、パソコンは誕生前だったのです。
学生にはコンピュータを占有する時間が、月単位で与えられており、一回の計算にも制限時間がありました。
一回の占有時間は40秒。
これを越えると計算が打ち切られました。
#
今から考えると、何かの罰ゲームの様です。
特に教授から指示されていた訳でもなかったのですが、ある物性の温度飽和曲線を算出するのに、計算機を使って積分計算をしてみました。
その時、実験結果のプロットと、計算結果のプロットの美しい一致を見た時から、その後の私の人生は始まったと思えるのです。
(当然レポートは「優」で戻されました)
その計算機センターのコンピュータが、日立製作所製であったことに、一種の運命、というか、因果というか、くされ縁のようなものを感じたりしています。
- ■2010年
04月 20日
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- ・計算機センタの転向者
- さらにしつこいのですが「1968」ネタです。
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学寮で、大学自治会の幹部をやって、運動のフロントでアジっていた先輩が決めてきた就職先は、
日本屈指の進学予備校(○×塾)
でした。
先輩にも色々言い分はあるのだろうけど、
「けっ!」
と思った自分がいます。
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早々に日和って(転向して)、退寮して、計算機センタのCPU時間に血道を上げて、シミュレーション結果に一喜一憂していた私の方が、よっぽど「嘘がない人生だ」と思いました。
- ■2010年
04月 19日
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- ・工学専攻
- しつこいのですが、「1968」ネタです。
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今はもう無くなっているのかもしれませんが、学生時代、右翼、左翼の区別なく、よくオルグされていました(判らない人は「オルグ」で調べよう)。
組織の幹部として招きたい」とか言っていた「なんとか労働党(忘れた)」とか言う人もおりました。
『この組織、人材不足の極みなんだなぁ』と呆れながらも、しっかりと、酒と食事はご馳走になりました。
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これも使い回しているネタですが、京都四条河原町では、「原理」の人が沢山いて(判らない人は「統一教会」で調べよう)、大丸百貨店の前で、よく、声をかけられたものです。
原理の人:「ちょっとすみません。あなたは今幸せですか」
私
:「勿論ですよ。あなたは違うのですか?」
と問い返すと、絶句していました。
#
楽しいデート直後で、気分は最高、という私に、声をかけたアンタが悪い。
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結局のところ、私は、「観念的な何か(無体物)をお互いに共有する組織」全般がダメだったようです。
プロセスも努力も関係なく、結果のみが問われる「工学」は、優劣を争う必要が少ない学問だと思います。優れた技術のみが、絶対の正義であるからです。
私が工学を専攻したのは、多分、私の性格に合っていたのだと思います。
- ■2010年
04月 18日
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- ・犯人に告ぐ(その後)
- 映画500作を違法ネット配信4年間、「P2P観測システム」で初摘発
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20100401_358331.html
http://www.kobore.net/cgi-bin/diary/read.cgi?date=20091217#1261018914
- ■2010年
04月 17日
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- ・イーサネットの分岐
- 家を立てる時に、あちこちに張り巡らせた、イーサネットのケーブルのモジュール取付が概ね完了し、パソコン、録画デッキ、監視カメラが、通信をしまくっています。
このように家中にLANを引きまくりますと、装置の消費電力が気になってきます。
動いているイーサネットのハブだけでも結構な台数になり、電気代金がバカにならないからです。
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で、今、イーサネットの直接分岐ができないかな、と考えています。二又くらいの拡張で、ハブを用意するのは、何とも勿体ないからです。
かつて、イーサネットといえば、CSMA/CA(*1)しかなかったので、分岐なんぞも結構気楽にできましたし、そういう製品もありました。
スイッチングハブが当たり前の昨今でも、そういう使いかたができるのかが良く分かりません。
ご存知の方は教えて下さい。
(*1)CDMA/CDは誤記との指摘を受けました。調べて納得はしたのですが、CDMA/CDという規格は存在しないのでしょうか。
(私は、今の今迄、CSMA/CDは、CDMA/CDと思っていました)
- ■2010年
04月 16日
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- ・人は私の言うことを聞かない
- 中学校時代、生徒会長をやっていました。
そこで学び、かつ、その後の人生に絶対的な影響を与えたことは、
『人は私の言うことを聞かない』
という真理です。
私にはカリスマがない、ということや、リーダシップを張る器がない、ということに過ぎませんが。
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私は、グループのメンバが、私思う通りに動かなくても、あんまり腹が立ちません。
だって、『人は私の言うことを聞かない』のですから。
でも、ニコニコ顔で、バッサリ切り捨てる、ということにも躊躇がありません。
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私の大学時代の渾名の一つに、
『氷の江端』
というのがありました。
一人を切る為に、その一人の属する組織単位を丸ごと切り捨てることを、躊躇なくやるということで、恐れられていたようです。
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しかし、私ごとき小人に切り捨てられたところで、どうってことないでしょう。
切り捨てられているのは、どう見たって、私の方です。
- ■2010年
04月 15日
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- ・届かないメッセージ
- 「1986」を乱読しないように大切に読んでいます。
そういえば、私の時代でも「マルクスの資本論を、数ページで挫折した」という若者は多かったです。
私はと言えば、最初の一行で「止めました」。
書物が『不特定多数の者に、知識を知らしめる情報伝達媒体』であると定義するのであれば、「資本論」は書物ではないからです。
私は、暗号解読なんぞに、青春を費す時間はなかったのです。
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比して技術書は、どんなに訳が分からなくとも、いかなる手段を取ろうとも、読み下さなければなりませんでした。
「読まなければ、出れん」
読んで、理解して、構築して、実験して、検証して、論文書かないと、大学から出して貰えなかったからです。
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そういえば、バイト先に努めていた女の子が、「卒業論文を書く為に、2日も徹夜したのよ」と聞いた時、私は当時の彼女の発言の意図が分かりませんでした。
彼女は、
『凄いね。よくがんばったね』
と言って欲しかったのだと、随分後に気がつきました。
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毎週2日、研究室で徹夜で実験している理系学生には、到底届かないメッセージでした。
- ■2010年
04月 14日
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- ・コモディ化という名の窒息感
- 何度も書いていますが、21世紀は技術者には生き難い時代です。
19世紀から20世紀の技術者は、基本的には技術にのみ注力していればよかったのです。
技術という観念がなかった当時の世界においては、技術はそのものが財産でした。
確実にとまでは言えないまでも、技術者を喰わせるだけの経済的価値はあったのです。
発明とは、偉大な功績であり、特許権とは莫大な富への道を確かなものとする権利書だったのです。
#
少くとも『半年に一本は書け』というような『ノルマ』ではなかった。
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21世紀の今、技術者は、その技術の売り込み先や、金を生み出す利益の仕組み(ビジネスモデル)までも、提示できなければなりません。
昔は、ビジネスモデルは、どこかの商売人が好きなように作ってくれました。
もっとも、そのような他人任せの商売では、儲かるはずはありません。
しかし、技術者達は『研究開発を続けられれば、それだけで幸せ』というような、『あなたと子犬がいる、私達の小さな家での結婚生活』という、70年代の「4畳半ソング」の様な生き方で満足していたのです。
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技術の行き尽く果てにある、「コモディ化」という地獄の穴は、19世紀にもあったと思います。
しかし、その穴に行き尽くまでは、それなりの時間が必要で、技術者は、人生おいて3回程度テーマを変えれば、ヌクヌクとした小さな研究室で、こじんまりと人生を終えることができていたのです。
現在は、新しい技術を始める前から、「コモディ化」が目の前に立ち塞がり、それが絶対の正義であるかのように論じる風潮が出きています。
「技術の着手前に否定される」
ろくな検証もせず、予想されたテンプレートのビジネスモデルを持ち込んで、否定をする。
技術のプロセスの課程で発生するであろう、現段階では予想もできない価値をも、否定する。
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もう、この地球上には、技術者が幸せになれる土地は残っていないのではないかと思います。
私は、この閉鎖されたループで循環するこの地球という一つの有機体に、息苦しさを感じています。
例えば、「エコ」と言う名の技術開発には、興味が出てこないのです。
単なるエントロピー増大の速度を減少させ、宇宙の熱量死の速度を遅らせるに過ぎない技術なんぞに闘いを挑む気力はおこらないのです。
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挑戦が無条件に許され、新しいことがそれ自体で価値がある世界は、もはや「宇宙」にしかないのかもしれません。
200年程前の欧州人達が、新しいフロンティアを求めて新大陸に渡ったように。
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宇宙開発がこんなにも進まないのは、国家の支援が必要だからです。
国家は国益の為に行動しますので、宇宙開発に利益が見い出せない以上、投資しません。
もし、土地付き一軒家くらいの金額で、ロケット開発ができたら、きっと私は地球にはいないと思います。
- ■2010年
04月 13日
-
- ・テニス肘
- 3週間前から左腕の肘(ひじ)が痛くて、疲れが溜っているのかとも思いましたが、いくばくか休息を取っても、痛みが取れないので、週末に病院に行ってきました。
診断は、上腕骨外側上顆炎。いわゆる「テニス肘」という炎症でした。
レントゲン撮影後、肘に直接薬を注入するという治療をして貰って、相当楽になりました。
私は昔テニスをやっていたのですが、ここ何年かは年に数回子供にテニスの練習をつける位で、まともなプレーをしていません。
診察して頂いた先生と、原因について話あったところ、思いつくことがありました。
-----
荷物です。
私は、出張の旅に、パソコン2台、プロジェクター、延長ケーブル、その他の大量の資料をリュックサックで持ち歩いています。
その重さは、多分、野営を伴う登山くらいの装備に相当するものです。
どうやら、この荷物の持ち運び、特に、荷物を持ち上げる場合に腕にかかる負荷が原因だろうという意見で、先生と意見の一致を得ました。
40歳を越えると、このような患者が多く発生するとのことでした。
『経年劣化ですね』というと、先生は笑われていました。
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御老人の行動がゆっくりされているのは、反射神経の劣化ではなく、急激な行動による過剰な加速度が、体を痛めることを回避されているんだ、と、ようやく気が付くに至りました。
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私の敬老の精神の活動は、これから始まります。
- ■2010年
04月 11日
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- ・実績の伴わない語り部
- 私は、他の人が共同発明者に入れてくれた発明や、分割した発明や、外国出願を入れると、100件を越えるの出願の実績を持っています。
しかし、その内で成立させた特許権では、一円も会社に利益を与えていません。
出願手続にかかる経費で、損害を与えているようにも思えます
#
間違いなく与えているだろう。
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私は特許法の解釈や、明細書の書き方について、あれほど多くの人に偉そうに論じているのにも係わらず、実は「儲ける特許」は一本も書いていないのです。
『海外で特許権を行使できるかも』という案件では、当該外国には出願していなかったという、ツキの無さを露呈しています。
未知の技術分野への発明を果敢にも続けている、と言えば聴こえは良くとも、気分は『いつまでたっても売れない、場末にある小劇場の役者』です。
『実績を共なわない発明者』として、大いに馬鹿にして貰えれば良いと思います。
-----
私の勤務している会社には、別に事業的に一度も当てたことがない人でも、偉い役職に付いています。
その上、ビジネス書から抜き出した内容(だけ)を使って、大いにビジネスを語られています。
まあ、『類友』ということで、私の行為も許されるのではないかと思っています。
- ■2010年
04月 10日
-
- ・発明の制約条件
- 今の私の夢は、技術的に悩んでいる父親が、子供の一言から、発明を着想し、課題を尽く解決するという、サクセスストーリです。
今のところ、そういうケースはありません。
というか、そういう話は、本当は存在しないのではないかと、疑っています。
大抵の場合、発明には凄い量の制約条件が課せられるからです。
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○安くなければならない。
○量産できなければならない。
○既存システムの効力を維持しなければならない。
というのは、子供にも理解できるでしょう。
しかし、
○安く作れてはならない(他社参入を回避する為)
○量産できてはならない(コストダウンによる、コモディ化を避ける為)
○既存システムを廃棄できなければならない(既存システムの保守メンテを止める為)
そういうことは、子供の発想からは出てくる筈がないし、
もし出てきたら、怖い。
- ■2010年
04月 09日
-
- ・「1968」、図書館に到着
- 「1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景」
が、14人の順番待ちを経て、先日図書館に到着しました。
厚さ6cm、迫力あります。
序章を読んだだけで、引き込まれています。
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○現代から客観的に考えるならば、「あの時代」に叛乱がおきたことは、不可思議な現象である。
○時代は高度成長の最盛期であり、貧困は解決されつつあり、学生も完全雇用状態だった。
○そのような時代に、大量の若者がマルクス主義を掲げて叛乱をおこすという現象が、なぜ生じたのだろうか。
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そう、これだ。
私が長い間、ずっと理解し得ず、ついぞ理解し得ないまま、追い出されるように学寮を去った後も、どうしても辿りつけなかった「叛乱の理由」。
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小さな町工場の息子の私は、どのように自分を客観的に観察しても「ブルジョア」とは認定できませんでした。
何百回の自己批判を繰り返しても、学費を稼ぐ為に、睡眠と大学の間の全部の時間、週7日でアルバイトする「ブルジョア」って存在するか?と思っていました。
そして、『労働者を搾取する資本家』なるものは、私が視認できる範囲で全く存在し得ず、『観念』としてさえも、構築し得ることができませんでした。
寮生達の一部は、三里塚にデモに行き、釜ケ崎の越冬闘争に参加し、その一部で、タダ同然の寮費の支払いを拒否し、食費すらも踏み倒し、その一部の者はソープランドに通いながら、その口で「女性解放」を唱えていたという事実があります。
無論、それは1968年から20年近くも後の、学寮の学生運動もどきの話であり、1968年の若者と単純に同視することはできないでしょうが。
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この本の中に、答えがある(のかもしれない)。
ドキドキしています。
http://www.shin-yo-sha.co.jp/essay/1968_jobun.htm
- ■2010年
04月 08日
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- ・エロティズム博物館
- 出張でパリに行った時に、ネタになるかと行ってきました。
でも、行かなれければ、よかったです。
6階立ての全館、世界中の男性器と女性器を表した置物やら人形やらの陳列、その数軽く1000点を越えているのではないかと思います。
これだけの数の性器を見せつけられると、だんだんと、腹が立ってきます。
やはり、性というものは、淫靡で、情念的で、暗く、不道徳で、閉鎖的で、なにより愉悦でなければならない、と、改めて実感しました。
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早々に退館して、ホテルへ歩き出したのですが、その博物館周辺の通りは、いわゆる『歓楽街』でして、呼び込みのネーチャンたちが、本当にしつこいくて、げんなりしました。
太陽の光が、真上近くから射し込んでくるこんな時間に、呼び込みをする商魂は大したものなのですが、何が腹が立つって、声をかけられているのが「私だけ」という事実です。
その歓楽街の道には、ちょっとした行列になる程の人が往来していたのですが、その中で、この「私だけ」に声をかけるとは、どういうことか。
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日本人男性だからです。
日本人男性はカモなのです。
日本人男性はスケベで、すぐやりたがると思われているのです。
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「オニイサンーー」と声をかけてきたネーチャンが、私の歩いている方向にに立ち塞がった時、
『やかましい!
どけぃ!!』
と、歓楽街に響き渡るような大声の日本語で怒鳴りつけました。
オネーチャンは、驚いたように「ウララー」(本当にこう言った)といって、道をあけました。
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ネーチャンが悪い訳ではありません。
悪いのは、わざわざ「性」を外国に買いに行く、日本のヒヒ親父の野郎どもです。
女を買いに行くという行為ですら、一人ではできず、グループでないと動けんという、こんな情けない「人類」がいるでしょうか。
こんなにチンケで下品な奴等の所為のお陰で、日本人が斯様にも国際的に見下げ果てられています。
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外国に行くなら「性を買う」のではなく「愛を得る」為に行動しやがれ、馬鹿野郎が。
拙くても良いから、その国の言語で、夢を語り、愛を告げ、真正面から女を口説いてみせろ、ど阿呆どもが。
それができない程度の器量なら、国内でじっと大人しくしていろ。
- ■2010年
04月 07日
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- ・新しい制服
- 出勤途中、二回り大きい新品の制服に包まれながら、生徒達が登校しているを見ました。
私は、入学時とは別に、中学三年生の春という中途半端な時期に、もう一度、新しい制服を与えられたことがあります。
母親が、私の表彰式の出席の為に、無理矢理購入を決めたからです。
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地元の新聞社から「優良児」として表彰されことがあります。
中学生の頃、生徒会長をやっていたことから、先生が機械的に推薦して、機械的に受理されたのだと思います。
文面は忘れたのですが『他の生徒の模範であるとして・・・』という一文だけ覚えています。
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当時ですら「苦笑」していましたが、今となっては「爆笑」ものです。
- ■2010年
04月 06日
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- ・私の好みの女性のタイプ
- クレヨンしんちゃんの父親である「ひろし」は、若い女性が好きです。
しんちゃんも、同様です。
私は、若い女性が嫌いではないのですが、「ひろし」ほどの熱意をもって好きになることは、難しいです。
「若い女性」ですらこんな風なので、その時間軸を外れた女性群は全滅です。男なんぞは、論外です。
なるほど。
私は、『人類』と、上手にお付き合いができる性格ではない、のかもしれません。
こんな私ですが、それでも、思わず胸が締め付けられるように、峻烈な思いで好意を持ってしまうタイプの女性がいます。
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『大阪のおばちゃんは凄い』とおっしゃる方は多いです。
正確には「凄い大阪のおばちゃんがいる」が正しいのです。
しかし、私も、色々と日本中を流れてきて、「凄い」の形容詞がつく「おばちゃん」は、確かに大阪にしかいませんでした。
忘れもしない20年前、阪急電鉄、梅田駅にあと5分で到着する位の時、電車の中で騒いでいた小学生3年生くらいの女児を、ずっーーーと放置して、他のおばちゃんとずーーーーっと、これまた、小学生の女児よりも、叫ぶ様な声でしゃべっていたおばちゃん。
一瞬会話が止ったかと思うと、振り向きざまに、子供にグーのパンチを繰り出し、『やかましい!』と一喝して、またおばちゃんと会話を始めました。
2〜3秒後の沈黙の後、子供が火が付いたように、泣き出し始めました。
私は、その車内の騒乱を見ながら、『この目の前で展開されている非日常は、一体何だ?』と、気分は異次元ワールドの旅人ででした。
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大阪弁を愛らしい声で上品にしゃべられるお嬢さん。
もう私は、それだけでメロメロ(死語)でございます。
そして、そのお嬢さんを、氷付けにして保存したいという衝動に駆られます。
『どうか、そのまま変わらないでいてね』と、
どんな宗教よりも深く熱い想いで、願わずにはいれれないのです。
- ■2010年
04月 04日
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- ・選挙権に関する一考察(後半)
- 金があるから口を出す。
当たり前じゃないか。
と、社内の研究費を捻出している事業部を探し回る、中間管理職としては納得してしまう訳です。
『金を出さないなら、研究に口出しするな』は、研究所の不文律です。
これとは逆に『金を出している以上は、好き勝手に研究できると思うなよ』は、依頼元事業部の不文律です。
この理論は、もちろん、基本的人権に即して行われる、現在の普通選挙制度で使える訳はないのですが、そのように考えると、一つの疑問が生じてきます。
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なんで、未成年者に選挙権がないのか?
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『納税していないから』の理屈が通らないのは上記の通り。
では、この理由では?
『子供は大人よりも体力や知力が劣る』
『子供の利益は、大人(両親)の利益に含まれるから、子供に参政権は不要である』
『子供は勉学に励むもので、政治に口を出すべきではない』
なんか、正当な理由のような気もします。
でも、この理由、さっきの「女性参政権不要論」の、「女性」を「子供」に変えただけです。
女性参政権を認めなかった時代も、皆(女性も含めて)、『女/子供に政治ができるか』と思っていたと思うのです。
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私は、選挙に歩いて行ける全ての国民が、選挙権を持つべきだと思います。
特に、子供の参政権は絶対的に必要だと思います。
今の子供達には
『オメーら大人が作った下らない政策で、なんでオレ達が、信じられない金額借金を負う必要があるんだ!
そんなこと、知ったことか』
『医療費だあ、甘えたこというんじゃねえ。大人は風の子の成人だろう。校庭走れば、病気なんか直る』
と、大人に啖呵を切る権利があると、私には思えるのです。
- ■2010年
04月 03日
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- ・選挙権に関する一考察(前半)
- 『「選挙行くのがダルい」といったら、お婆ちゃんに殴られた』という話が好きです。
清水義範氏著の「どうころんでも社会科」に書いてあった事項で、女性に参政権がなかった理由が書かれていて、(著書もそう書いているが)爆笑ものだったので、紹介します。
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○女性は男性よりも体力や知力が劣る
○妻が参政権をもち、夫と政治的意見が異なれば、家庭は混乱する。
○女性の利益は、男性(父親や夫)の利益に含まれるから、女性に参政権は不要である。
○女性は家庭を守るもので、政治に口を出すべきではない。
○神は女性を男性に服従するものとしてつくった。
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価値観は時代と共に推移するので、現代の社会常識や通年で論じることはできません。
が、それにしても、理屈抜きに『凄い』と思いました。
日本の女性参政権は、びっくりするぐらい最近(60年ちょい前、開始が1946年)なのですが、しかし、男性の参政権も、最近(80年ちょい前、但し25歳以上)でした。
それまでは、納税金額で選挙権の有無が決っていたわけです。
納税者が、国の運営に口を出せる、という理論だった訳です。
- ■2010年
04月 02日
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- ・客をなめとんのか、お前ら
- 今朝、春一番の強風の為、電車のダイヤが乱れに乱れていました。
こういう場合、行き先を示す電光掲示板も、「調整中」とか、時刻を確定しない表示を行います。
以前、急行電車を待っていて、普通電車が出発した直後に、急行電車が事故停車しているという連絡を受けて、激怒したことがあります。
なんで、その事実を、普通列車が発車する前に公報できないのか。
事故の発生は、それよりもずっと早く分っていた筈なのに。
日本道路公団については、事故発生を全く伝えずに、そのまま現場に車両を突っ込ませて、8時間におよぶ渋滞を作り出したという、信じられない低能・無能ぶりを露呈しています。
2年前の真夏日のこと、バッテリーが上がり、クーラが停止し、飲料水も入手できず、家族全員で「死の危険」を感じたことを思い出すと、今でも怒りで指が震えます。
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客をなめとんのか、お前ら。
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完璧な情報を報知しなくても良いのです。
また、なにもダイヤを、道路情報が確定してから、報知することも求めていません。
「いつ、どこで、どんな事故が、どの程度の規模で、発生したか」だけを伝えて欲しいといっているのです。
後は、我々は我々自身の判断で勝手に動けます。
もし不利益があったおしても、それは自分で負います。
あたりまえのことです。
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例示しておきます。
<鉄道会社の場合>
事故発生時刻:07:43、発生場所:○○学園前、事故内容:飛び込み自殺(推定)、復旧見込時間:不明、
(以下、可能なら)1時間以内の回復確率:35%
3時間以内
95%
<道路交通情報の場合>
事故発生:13:34、発生場所:36キロポスト付近、事故内容:3台玉突き、死亡事故、最終脱出インターチェンジ:○○IC、事故渋滞解消予測時刻、不明。
事故発生入手直後から、これだけの、一行メッセージを電子掲示板、携帯電話Web、メールに、数分から10分単位で投げ続ければ良いのです。
解消時刻の予測アルゴリズムとか、渋滞発生メカニズムの探求などの、浮世離れした阿呆な大学教授が提案する下らない研究に投資する金を、こういう生の情報を開示する簡易・単純なシステムを構築に投入しろ、と言っているのです。
- ■2010年
04月 01日
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- ・研究員は買い
- 昨日の歓送会、ビールを片手に、「研究員は、そもそも結婚に向いていないのではないか」というテーゼを立てて飲んでいました。
女性と話をしている時に、『私を責めているの?』と言われた、あるいはそれに類似する反応をされたという経験を、全員が持っていました。
『質問の内容を正しく理解する為に、質問しているだけなんだけどなあ』という意見に、一同深々と頷いていました。
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しかし、逆の発想をすれば、研究員は『買い』です。
○「金」に関しては、研究の原資の維持だけを心配し、自分のこずかいには無頓着です。
○融通がつきませんが、スケジューリングに厳しいので、原則として約束は守ります。
○なにしろ、インターフェースが良くないので、結婚後の浮気の心配は、かなり低いです。
○頭の中で、常に、数式やアルゴリズムが走っているので、「退屈」という観念がありません。従って、放っておいても、一人でご機嫌よく遊んでいます。
基本的に、
○歩行中、突然、立ち止まって考え出す。
○食事中に「あ!」とか言う。
○コンピュータと会話をする。
○ケーブルの束の中にいて、幸せそうな顔をする。
○専門書については、価格を見ない。
ということを、日常生活でスルーして貰えれば、妻に優しく、子供を慈しみ、家庭を大切にし、酒、タバコなどは不合理と排してしまうような、良き家庭人となるはずです。