江端さんの忘備録

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2012年 05月 31日
乗客には日本人は含まれていないようです
ネット上の投稿で、海外の事故ニュースに対して、

「なお乗客には日本人は含まれていないようです」

というコメントが「欺瞞」だという内容の書込がありました。

『日本人が犠牲者じゃなければ良いのか?』という論旨でした。

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馬鹿か、こいつは。

と思いました。

海外で働いている人を家族に持っている人にとって、海外のどんな事故情報だって、心配で堪らないものです。

日本語のニュースを見ている人の大部分が日本人であるのだから、まず日本人に向けて、

「現段階では、あなたの家族が被害者になっている可能性はないよ」

というメッセージを送ることが、とても意義があることだとは思えないのでしょうか。

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米国同時多発テロ、いわゆる「9・11」の時には、私は考え得るすべての通信手段を用いて

『江端家は全員無事だ。私達は事件の場所から、真東に2880キロメートル、日本列島が一つ入るくらいに遠いところで、全員が安全に過している』

というメッセージを投げました。

それでも日本からの問い合わせは、結構な数ありました。

心配だからです。日本にいる人にとっては、海外の国はどこであれ、一つの「点」に過ぎないからです。

『お前の「安全宣言」と、お前の「声を直接聞く」という内容には差があるのだ。それに、ニューヨークのテロが、コロラドに波及しないと、誰が保障し得る?』

という内容のことも言われました。

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ともあれ、「なお乗客には日本人は含まれていないようです」に「欺瞞」を感じる人というのは ―― その程度の想像力も持っていないのでしょう。
2012年 05月 30日
講師のレベル
15年以上もの話になります。

上長:「江端君。『現代制御理論』って知っている?」

私:「読んだくらいです。実装を試みたのは、PIDとファジィくらいです」

上長:「そうか。困ったな」

私:「どうしたのですか」

上長:「明日、『制御理論』の枠で講義をするのだけど、内容が分からなくてね。今、慌てて勉強しているところ」

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皆さんが何かの講座を受けるときは、「講師のレベル」を一度疑ってみるのも良いかと思います。
2012年 05月 29日
私が見たアメリカ合衆国の階級社会構造
私がコロラド州にあるコンピュータ通信メーカの会社に赴任していた時、徒歩通勤をしていました(リンク御参照)。

その途中で、道路工事や建築作業をしている人達は、いわゆる、ヒスパニック系のアメリカ人と言われる人達でした。

いわゆるホワイトカラーでなく、ブルーカラーの作業を行なっている人の多くが、中南米のスペイン語圏諸国からアメリカ合衆国に渡って来た移民の子孫―― と見うけられました。

徒歩1時間以上の道程を、草原を歩いて通勤する私のことを、きっと彼等は、

『自動車を所持することもできない、貧乏な日系アメリカ人』

であると勘違いしていたのでしょう。

炎天下の草原を歩いている私に、愛想よく手を振ってくれて、私も彼等に手を振っていました。

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合衆国がそれなりの繁栄を維持しているのは、豊富な現場のインフラを構築する人員を維持する体制と、彼等をそこに留まらせる

―― つまり、上位の階位に登ってこれないような仕組み ――

ができているのだな、と漠然と理解しました。

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日本が、21世紀に現状のレベルの生活を維持しながら生き残る戦略も、これしか無いのではないか、と考えるに至っています。

日本への移民の積極的な勧誘と、日本人と日本人以外の人種を、陽に区別(差別)する仕組みの導入です。

勿論、これは、我々日本人だけが幸せを享受するだけで、露骨な人種差別を前提とする、道義的に反する、外道(げどう)な制度になるでしょう。

移民2億人を含めて、日本の総人口を3億人程度まで増加させる、という程度の施策くらい考えないと、もうダメじゃないかな、と思っています。
http://www.kobore.net/walk.txt
2012年 05月 28日
タバコを吸っている未成年の諸君へ
私は、君達が喫煙することを悪いと思っていません。それどころか、小学生でさえ、喫煙しても構わんとまで思っています。

どだい、子供に害のあるものであれば、大人でも害があるのだし、それを年齢で切り分けるのことには、嘘があると思います。

もっとも、体躯を形成する一番大事な時期に、わざわざ有害物質を取り込む行為は、なんとも愚かな行為で、自虐行為の極み、自殺の予備的行為だとも思います。

ちょっとばかりネットで調べてみれば分かることですが、まあ、君達の人生で、君達の体のことです。私には、全くどうでも良いことです。

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ただ、私は、喫煙による、「ウンチ」や「ゲロ」に相当する、あの臭い匂いを撒き散らかされることに、納得ができないだけです。

私は、君達の「ウンチ」や「ゲロ」の匂いをかがされる程、君達に悪いことをした記憶がありません。

ですから、このような、嫌がらせは「一方的な暴力」と認定します。

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君達は、自室か、喫煙室で、好きなように、こずかいが破綻するまで、存分に吸って下さい。

また、友達とつるんで吸うなら、歩きながらではなく、立ち止まって吸って下さい。それなら、「ウンチ」や「ゲロ」の悪臭の被害は、私が通り過ぎる時間だけで済みます。

それくらいなら、私も、若い君達の為に譲歩してあげましょう。

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ところで、君達が、かっこうをつけてタバコを取りだし、火を付けているシーンは、

「大爆笑」

ものです。

いつの時代であっても、既成の社会に対して「傾く」ことは、若者の特権であり、属性でもあります。

しかし、この時代にあって「喫煙」などという古典的手段で、それを実施しているのであれば、はっきりいって「バカ」。

私達の時代ですら、喫煙していた友人は、他の友人にナイショで吸っていたものです。友人に嘲笑されたくなかったからです。

「バカ丸出し」という言葉は滅多に使う場面がありませんが、このような機会を与えてくれる、一部の阿呆なティーンには、ちょっと感謝の気持ちもあります。

『私の青春時代も「バカ」だったが、これほどの「滑稽なバカ」ではなかった』

と安心できるからです。

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最後に、男子ティーンエイジャのみへの警告になりますが、もう一つだけ。

今、タバコ吸っていると、いざと言うときに、

「勃たないよ」

初めての時に、初めての女性の前で、酷い恥をかきます。

持続力にも欠けることになるし、その後の不安材料になり、それがループバックして、君の初体験の思い出は、ズタボロになると思います。

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纏めます。

私は、「ウンチ」や「ゲロ」に相当する、あの臭い匂いを撒き散らすことを、認容するつもりはありません。

しかし、君達の喫煙を止めるつもりは全くありません。

君達が格好をつけて喫煙している様が「大爆笑」されていることや、「インポ」になって恥をかく等の報いは、自分自身で受ければ良いだけのことです。
2012年 05月 27日
「必ずできる!」の卑怯
世の中には、「必ずできる!」と言い切る人がいて、そういう題名の本で溢れかえっています。

Amazonで調べたら、現在、1442もの本があるようです。

そして、「できなかったよ」という人に対して、「努力が足りないからだ」「熱意が足りないからだ」と言いますが、これって変ですよね。

「必ずできる」ということに対して、そこに後発的な「努力」やら「熱意」やらの条件を付けたすのは、いわば後出しジャンケンみたいなもので、こういうことを、世の中では「卑怯」といいます。

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そこで、卑怯でない言い方を考えてみました。

私は、その「努力」とか「熱意」というのは、広義の「才能」に含まれると思っていますので、「必ずできる!」という言葉を、正確に言うのであれば、

「才能があれば、必ずできる!」

となるハズです。

これなら、誰もが納得し、誰もが文句を言えません。

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実際の本の題名を、問題がない表現に置き変えてみました。

(ケース1)
× 「必ずできる!iPadプレゼンテーション」
         ↓
○ 「才能があれば、必ずできる!iPadプレゼンテーション」

(ケース2)
×「必ず結婚できる45のルール」
         ↓
○ 「才能があれば、必ず結婚できる45のルール」

(ケース3)
× 「あなたも必ず実現できる!目標設定の鉄則」
         ↓
○「才能があれば、あなたも必ず実現できる!目標設定の鉄則」


うん。これなら、本を買った後に、腹を立てることはない。
2012年 05月 26日
成功体験
以前、私を含む検討チームが、会社のある選考会で選出されることが決まり、協力頂いた方を慰労する会が開かれました。

その時、そこにいた偉い方に『このような成功体験を経ることで・・・』と言われて、思考が停止したのを覚えています。

「成功体験」ってこういうこと言うんだっけ?

私の思っていたのと違う。

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「成功体験」とは、目も眩むような幸せな気持ちになることだと思っていました。

だからこそ、私の未来には、私が未だ見たこともないような輝かしい「成功体験」があり、いつかはそれに巡り会うことができるのだ、と信じてきました。

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もし、これが「成功体験」であるなら、私は、すでに、結構な数の成功を体験してしまったのだとろうかと ―― 結構、落ちこみました。
2012年 05月 25日
逃げる娘と追う父親
最近、私が帰宅すると娘が隠れるようになりました。

イラスト用ソフトの勉強が芳しくなく、アイコンの作成が進んでいない為です。

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『だって、もうすぐ、定期考査(テスト)だし〜』

という娘に、

「何を甘えたことを言っている。対価を貰っている以上はプロだ。プロの納期は絶対だ。定期考査ごときが言い訳になるか」

と言って、追い込みをかけております。

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先日、我が家の親子関係を「良好な業務委託関係」と模して例えましたが、

今や

「遅筆な漫画家と、締切を守らせる編集者」

という関係にまで堕ちております。
http://www.kobore.net/flowers-mao.JPG
2012年 05月 24日
TPPに関する2つの大きな声
私は今、必要に迫られて「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)」について勉強しています。

その中でも特に、農作物、特に「米」に関する事項は、とても難しくて、今の私には是非を判断できる段階にまで至っていません。

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米国の内陸部の街、コロラド州で、家族で赴任して仕事をしていた時のことです。

毎週とは言わないまでも、少なくとも隔週には、100km先にある州都に、

『日本米の買い出し』

に、出かけていました

日本米を担いで車に運ぶことができた時は、本当に嬉しかった。

「『日本米』なくして、あの赴任は維持できなかった」と思います。

しかも、コロラドは高度が高く(デンバー国際空港の標高は、1655.4メートル)、沸点が低く、普通に米を炊くと、パサパサした不味い御飯ができあがります。

ですから、圧力なべを使わない米の炊き出しは、実にナンセンスなのです。

「もしかしたら、世界の多くの人は、日本米の真の美味さを、理解していないのでは」という思いがあります。

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で、何が言いたいかというと、

『だから日本米を、国策として絶対的に保護しなければならないのだ』

という声と、

『だから日本米は、国際競争力がバッチリで、海外市場に打って出れるのだ』

という声が、

私の中でひしめいていて ―― 実に、やかましいのです。
2012年 05月 23日
「愛されない人」がいっぱい
「江端さん。僕、どうしてもダイエットに成功しないんですよ」

「それはね、ダイエットに愛されていないからだよ」

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「片思い」では足りない。

ダイエットできるようにるためには、「ダイエット」から愛してもらわなければならない。

そして、いかに残酷な結論であろうとも、「『ダイエット』に愛されない私」は何をどうしようともダイエットできない人間なのだ、と。

(http://eetimes.jp/ee/articles/1205/09/news001_2.html)の一部変更

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と、まあ、ここまでは、お約束のボケとツッコミ。

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最近、私の回りで、このフレーズの変な使い方が広まっているようです。

「どうも、私は『納期』に愛されていないようだ」

「どうも、私は『早起き』に愛されていないようだ」

「どうも、私は『洗い片付け』に愛されていないようだ」

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私は、このフレーズを、「濫用」目的で思いついた訳ではないのですけど。
http://eetimes.jp/ee/articles/1205/09/news001_2.html
2012年 05月 22日
5ページの教本
最近、ツイッターやfacebookを始めました。

という話を、大学の後輩に話したら

『見損ないましたよ、江端さん』

と吐き捨てるように言われました。

どういうことか、よく分かりませんが。

それはさておき。

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私も、ツイッターを使いこなせている訳ではありませんし、今後もその予定はないのですが、分ってしまえば、大して難しいシステムではありません。

# というか、「難しい」という表現自体が間違っているというか。

ところが、本屋で、積み上げられている、ツイッターの教本を読んでみると、どーでも良いシステムの5%の特殊な使い方に、全ページの95%が使われています。

本当に、5ページくらいの図入りの丁寧な説明書があれば足りるようなものです。

今、私が困っているドローソフトである"Pixia"についても、教本を読むと、必須でない詳細な説明が多すぎる。

今のところ、私は、取り敢えず、線図に色が付けれれば、それで足るのです。

ぼかしも、陰影も、特殊な画像効果も、今のところ、なーーーーんにも必要ないのです。

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より多くの機能を、沢山説明したい、という教本の著者の気持ちは分からなくもないのです。

しかし、まず、あきれるほど単純な例題を、本の最初の5ページに記載して貰えませんでしょうか。

そこで、引っ掛からなければ、永久にそのソフトとは「さようなら」です。

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私は、解説書(特許明細書の書き方等)を書くとき、下記のフレーズをよく使います。

『何も考えずに、先ずは、私の言う通りにやれ』
2012年 05月 21日
結婚の拒絶査定
先日、「結婚とは法律上の手続にすぎない」というお話をしました。

法律上の手続というものであれば、特許出願などもそうです。

特許出願は、特許要件(産業上の利用性、新規性、進歩性)などが厳しく審査され、それらの要件を突破した発明だけが、「特許権」に変身することができます。

比して、結婚が「手続だけ」というのはバランスが悪いのではないか、と。

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では、結婚を「出願、審査制度」にしたら、どうなるだろうか。

結婚を、一定の要件を突破できる、ごく一部のパートナーだけが辿りつくことのできる、国家による保護を受けられる「特権」とする。

この特権を手にしないと、夫婦を形成できず、家族を持てない。

さらには、就職や自動車免許取得や、水道、電気、ガス等のインフラ契約の際の、必須要件となる。

うん、こうなれば、「結婚」は「命がけの挑戦」となる。

中学、高校、大学等の入学試験、各種の資格試験などは、ものの数ではない。

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書店には「婚活」などという甘ったれた単語を含む書籍は消え、よりダイレクトに、

「結婚出願と審査 ― その傾向と対策 ――」

「2年完成、パートナー取得必須講座」

「行政庁が考える『愛』に関する正答例 演習30日完成」

という、結婚に関する、実用的かつ実践的なハウツー本で溢れ返る、と。

高学歴層の非婚率に対しては、相当効果的に機能すると思うのです。

彼らは「資格がない」という言葉に、ビックリする程弱いから。

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と、ここまでは良かったのですが、結婚審査の「拒絶理由」を作るのが難しかった。

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結婚法49条

審査官は、結婚出願が次のいずれかに該当する時は、結婚出願について拒絶をすべき旨の査定をしなければならない。

1 結婚出願の願書に添付したパートナーが、後発的に変更となっている場合

2 その結婚出願に関わる結婚が、第25条、29条 ・・の規定により、結婚するこができないものである時。

3 その結婚出願に関わる結婚が、条約の規定により結婚することができないものであるとき。

4 ・・・

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だめだ。実体的な内容に踏み込めない。

形式的なものは何とでも書けるけど、

「愛」を定義し、それを「結婚」という制度に当てはめて、明文化することは、

―― とても難しい。
2012年 05月 20日
私達は間違っている
昨日、私は、今の若者の特性を、

「ネットユーザ」
「リア充」
「自宅警備員」
「非婚率」
「自家用車所持率の低下」

というタームで紹介しましたが、多分、これ、間違っています。

このようなタームはニュースソースになりやすいです。

そして、若い世代と直接接することのできない我々、所謂中年以上の世代は、そのニュースのタームをもって、

『若者の世代の全員のことを、分ったような気になる』

のです。

というか、それしか方法がないのです。

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例えば、若者全員が「ネットユーザ」でないことは、娘達を見ていれば分かります。

そもそも娘達は、パソコンや携帯を使いこなせていない。私がYoutubeの使い方を教えている位です。

そして、姉の娘達の一人は、元気に馬の飼育と乗馬に情熱をかけているようですし、別の一人は、海外の大学に在学中です。

どう見たって「自宅警備員」などというものからは隨分遠いところにいます。

多くの若い方々は、勝手なターム(レッテル)を張られて、腹を立てているかもしれません。

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しかし、言い訳にもなりませんが、私も同じ様な目にあってきたのです。

私は、「しらけ世代」「無気力世代」「新人類」のいずれの定義においても、当て嵌ることができず、それに合わせた行動ができませんでした。

○同世代とは、空気に合わせることができず、

○異世代からは、上記の「ターム」による偏見にさらされ、

10代後半から20代前半を、相当に息苦しい思いで生きてきたのです。

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あの時代は、何に「熱中」して「一生懸命」になることが、「ダサイ」と言われる、誠に嫌な時代でした。

私は、「クール」に「カッコをつけて」生きることはできなかったし、または、やってみても、まったく「様」になりませんでした。

ですから、多くの人間の中にいても、いつでも孤独を感じて、寂しかったという記憶があります。

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しかし、そのような人間ばかりではなかったもの事実です。

例えば、ある事に「熱中」して「一生懸命」でいながら、飄々(ひょうひょう)としていた、そういう友人もいました。

彼は、研究や実験が好きで、アルバイトで稼いだお金を自宅の実験設備や部品や道具に費し、また徹夜でパソコンを使ってシミュレーションを続けるような友人でした。

彼は、その自分だけの研究の結果を、学会や研究会に発表するでもなく、そのプロセスと結果にのみ満足していました。

今になって思うと、彼は、意識して「しらけ世代」「無気力世代」の一人のように見せかけいたようにも思えます。

しかし、その実体は、未知なる事象への探求に対する情熱・執念と、それに対して、何の対価も求めないというスタンスが同居している、そういう、不可思議な人物でした。

彼は、私に「研究の本来あるべき姿」を教えてくれたと思うのです。

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「ネットユーザ」「リア充」「自宅警備員」というタームごときに、安易に騙される、頭の悪い、我々「おっさん達」を許してやって下さい。

しかし、少なくとも、この私は、

―― あなた達が、私達からは見えにくい「何か」を持って、日々をしっかりと生きていることを ――

ちゃんと知っています。
2012年 05月 19日
GWと離職率
4月の入社の1ヶ月後に、一週間以上もの休暇となるGWが来ることは、我が国の構造的な欠陥ではないかと思っています。

勤続20年以上の私ですら、GW明けには会社行きたくないので、GWが終わる2日前位から出社して、リハビリしているくらいです。

ましてや新人が、会社を辞めたくなるのは、至極当然だと思います。

『最近の若い奴は・・・』とかご意見宣われるのは勝手ですが、現実問題として働き手がいない会社は潰れます。

そもそも、連休明けに、ウキウキしながら楽しく出社できるような奴は、どこか「壊れている」のだと思います。

頼まれたって、こんな人とは友人になりたくありません。

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「連休による観光地等の経済効果」などとよく言われていますが、私の場合、連休なんて本当にいらないんですよ。

週休3日制にしてくれた方が、どれだけ嬉しいか分からない。

月火出社で、水曜休み。
木金出社で、土日休み。

水曜日に体を休ませることができるなら、土日、きっちり遊んで、金を落して、国内需要に貢献してみせる自信があります。

政府は、アンケートなども取って、週休3日制を一度試算してた方が良いと思う。

『欧州の労働と休暇への考え方が今のユーロ危機を招いている』と考えるのは、もちろん暴論であることは分っていますが、なんでも欧米のマネをすれば良い訳ではないでしょう。

日本には日本に適したライフバランスがあり、欧米とは異なる方法で、国内活力を目指せると思うのです。

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でも、それよりもっと真剣に考えなければならない問題は、

「ネットユーザ」
「リア充」
「自宅警備員」
「非婚率」
「自家用車所持率の低下」

という特性を有する、次の日本を担う世代の特性を読み違うことです。

何度も繰返していますが、今の若者は、

「50kmの高速道路の渋滞に突入し」
「不味いだけのインターチェンジのレストランに、1時間も列に並び」
「見るものが人間しかいないような観光地を巡る」

という我々の先祖から脈々と培ってきた、我が国日本の「由緒正しいGWの過し方」に対して、

『なんで、わざわざ、そんなことする訳?』

と、自然に疑問を呈することができる世代なのです。

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と、まあ、色々と言っていますが、実際のところ、あまり心配しなくて良いのかもしれません。

我々の世代も、「しらけ世代」だの「無気力世代」だの「新人類」だのと、色々言われておりました。

しかし、結局、我々も特徴のない中年世代に成り下がっております。

今の若い世代も、特徴のない中年世代に成り下がる可能性は、相当に高いと思います。
2012年 05月 18日
「パソコンに愛されるエンジニア」の終焉
私は、19歳からパソコンのキーボードを叩き続けてきました。

パソコンの付き合いは、多分、人生のどの人物よりも長いと思います。

大抵のアプリケーションやプログラム言語は、その場で使いこなせるという自信があります。

また、そうでない場合も、教本と一定の時間さえあれば、必ず使えるレベルに至ることができる、と思っています。

私は、「パソコンに愛されるエンジニア」であるという自信があります。

いえ、訂正します。

自信はありました。ついこの間までは。

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最近、エッセイの連載のご依頼を頂いております。

また、お願いして挿絵(アイコン)も作成をさせて頂いておりますが、私は「絵画に愛されるエンジニア」ではありません。

そこで、自分の娘(中学生)に、アイコンの作成を再委託しております(きちんと報酬も支払っております)。

我が家の親子関係は、今や、子会社と孫会社のような業務委託の関係となっており、コミュニケーションは「仕事上の付き合い」という関係において、極めて良好です。

娘には、Windowsのペイントツールを使って絵を描いて貰っていたのですが、操作性が悪く生産性が良くありませんでした。

そこで、フリーのドローソフトを検討して、"Pixia"というソフトの採用を決定し、娘と二人でそのソフトの操作方法の講習を開始しました。

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わからん。

教本と、操作方法一致しない。理解できない現象が生じる。

実際に絵を書いて練習しようにも、そもそも絵心がない私には、絵を描き切る能力がない。

娘と二人で唸りながら、操作を覚えているのですが、一向に進まずアイコンが完成に近付きません。

「パソコンに愛されるエンジニア」の神話は、今や崩壊の危機に瀕しています。

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いえ、大丈夫です。

ご心配には及びません。

現在、線図まで完成しております。後は色付けだけです。

必ず、納期には間に合わせます。

ですからアイコンの納品は、もう暫く時間を下さい > 編集担当者様

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P.S.

"Pixia"の家庭教師をやってくれる人、いませんか? 報酬はご相談ということで。
2012年 05月 17日
同性婚(続き)
昨日の日記で、ツイッターでフォローされている方から、「同性婚の存在意義」について問題提起を頂きました。

そこで、昨日、常磐線「スーパー日立」の中でずっと考えていました。

# 私は、度々このような形で頂いたメッセージにお返事させて頂きますが、悪しからずご了承下さい。

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先ず、

『結婚は、所定の要件を備えた当事者間の合意で成立する。YesかNoか』

答えは、Noです。

婚姻届けを提出するという手続を行い、登録されないと結婚は成立しません。

結婚とは、法律行為で、かつ、第三者対抗要件(同時に二人の配偶者を持てないこと)だからです。

ちなみに、「結婚」とは実体としての「愛情」やら「経済力」やらを全く規定しておらず、単なる手続としての法律行為のみです。

今更ですが、ご存知の通り「愛」がなくても結婚は可能です。

しかし、そもそも「愛」というのが、個人の利益(私益)に基づく幸福と定義するのであれば、『国家ふぜいが、人の恋路に割り込んでくるな。鬱陶しい』で済むはずです。

では、視点を換えて、今度は、国家の思惑からアプローチしてみたいと思います。

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(1)国家の存在意義は、「『今日』と『それほどには変化しない悪くない明日』を維持して欲しい」という国民の総意に基づくとする(仮説)。

(2)『それほどには変化しない悪くない明日』を維持する為には、少なくとも『金』は必要だ。

(3)『金』を保持する為には、一定数の国民、つまり『納税者』を確保する仕組みが必要だ。

(4)人間は必ず死ぬので、死亡者に相当する人間を新規に「製造する仕組み」が必要だ。

(5)その『製造手段』と『その製造手段を保護』する機能が

結婚制度

だ。

と考えれば、国家が結婚を認定する理屈に、一応筋が通ります。

同性婚は、原則として、人間を製造できまません。

とすれば、同性婚は、国家の存在意義である『それほどには変化しない明日』を維持するという目的に資することができません。

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では、国家は正直に、

(A)結婚とは、「人間を製造するシステム構築である」と言い切り、

(B)国家による結婚に基づく保護は、「子供を製造した時点で開始する」と規定すれば、

とても簡単であったハズです。

ところが、このような定義は別の問題を生じさせます。

末期ガンの人は結婚できないのか。

子供を作る年齢を超えた人には結婚の適格がなく、国家の保護を受けられないのか、

等です。

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その理論の不備を貫けば、そもそも「結婚」という「国家による承認制度」なんぞやめてしまって、「個人と国家の私的契約」だけで運用すれば良いという結論に帰納しそうです。

しかし、これも国家としては困る訳です。

納税者の育成(育児、教育、病気、その他)までをも、国家に押しつけられては、かなわないからです。

国家は、上記(A)(B)に加えて、

(C)納税者を育成するプロセス

も、結婚という制度の中の実施で押し通したい、と思っているハズです。

遵法精神や常識(と呼ばれる何か)が欠如した人間が大量に存在する社会は、国家の存続を危うくする為です。

同性婚が「納税者を育てるプロセス」に資するようにできれば、結婚システムの半分の目的は達成できることになる。

また、二人以上集まれた一つの集団になる訳で、国家としては管理単位が少なくて、管理しやすくなる。

・・・とまあ、上野駅から水戸駅までの間の時間で、上記のような結論に至りました。

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纏めます。

(1)国家は『それほどには変化しない悪くない明日』を希望する国民の総意の具現化である、と仮定する。

(2)国家は、その社会を維持する「金」を生成する為に「結婚」という制度を導入した。

(3)結婚というシステムの目的は、(A)(B)納税者の製造と(C)納税者の育成である。

(4)同性婚は少なくとも上記(C)に資する可能性があるので、国家も同性婚を容認しても良いと考え始めている。

(5)また、一人より二人以上の集団の方が、国家としては管理しやすいというメリットもある。

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さて、これで、ご回答になっていますでしょうか。
2012年 05月 16日
同性婚
20世紀の終わり頃、別姓婚(婚姻時に両者の氏(姓)を統一しないこと)が社会的な議論となっておりました。

私は、今では当然のように別姓婚を認容しているのですが、この過程には結構な時間がかかったものです。

今思えば、個人的にも幸運だったのだと思います。

(1)別姓婚を論理的に説明できる友人(女性)がいて、
(2)私がその女性に、異性としての「思慕の情」を持っていた

という極めて個人的な環境が、私に別姓婚に関する色々な調査や勉強(背景、歴史、意義、その他)をさせたという事実があります。

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米国大統領が、同性婚(男性同士、または女性同士の結婚) ―― (注)「同姓」婚ではない ―― を認容し、立法化を目指すという声明を発表しました。

残念なことに、今の私は、同性婚の認容には至っておりません。

この認容に至るには、前述の事例をベースに考えると、

(1)同性婚を論理的に説明できる友人(男性)がいて、
(2)私がその男性に、同性としての「思慕の情」を持っている

という条件が―――

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私が、私の寿命の果てる前に、「同性婚の認容」に至れるかどうかは、かなり厳しい状況にあるという気がします。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120510-OYT1T00602.htm
2012年 05月 15日
川の流れのように
先日、家族でYoutubeで音楽を聴いていました。

久々に、サザンのバラード「TSUNAMI」に聞き入っていました。
歌には何の責任もないけど、今の日本では、この歌を公共の場で歌うことには難しいでしょう。

それはさておき。

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中学生の娘に、何か聞きたい曲があるか、と尋ねたら、

「川の流れのように」(美空ひばり)

をリクエストされました。

『本当に、いい歌だよね・・・』と、しみじみと呟く娘。

確かに、この歌は、「21世紀に残したい曲」のトップにエントリされている名曲ではあるのですが、

―― 何かあったのか?

お父さんは、お前のことが、とても心配だ。

(21世紀に残したくない曲 100選 ↓)
http://www.kobore.net/not21.txt
2012年 05月 14日
全力で自転車をかける少女
昨日の「走る」のネタで思い出したことがありました。

先日、電車から外を見ていると、自転車に乗った少女が全力疾走で駅の方に向っていました。

走行中の電車と併走しているくらいなので、結構なスピードだったと思います。

美しい少女が、真剣な表情で、長い髪をなびかせながら、晴天の5月の空気の中を疾走している風景は、 ―― 美しかった。

朝から良いものを見た、という感じでした。

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比して、

これを私がやると、なんとも情けない、というか、多分多くの人が目をそらすような光景になるんだろうな ―― と。

自分で、勝手に思い込み、勝手に一人で落ち込みました。
2012年 05月 13日
ある夜のできごと
先日、通勤の帰りの駅でのできごと。

私が降りる方の改札は、無人の自動改札口になっています。

改札口のところで、「お客さん! お客さん!」というスピーカーからの声が聞こえてきているのを後ろにして、そそくさと立ち去ろうとする、中年男性の背中が見えました。

『ははん、無賃乗車か』

と、即座に場面を理解した私は、改札を抜けたところで、その男性の背中に向けて走り始めました。

その男性にも聞こえるように、バタバタという大きな足音で追いかけたら、その男性は後ろを振り向かずに、全力疾走で逃げ始めました。

深夜の住宅街を、全力で走る男二人に、回りの降車客は驚いたようにこちらを見てました。

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いや、別にその男性を掴まえようなどという殊勝な気持ちはなく、単に「面白そう」だったので、追いかけてみただけです。

もし、その男性が立ち止り振り返って反撃しようとしたら、その横を全力で駆け抜けるつもりでした。

仮にその男性に掴まったら『ジョギングしていただけですが、それが何か?』と惚けるという準備もできていました。

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暫く追跡を続けたのですが、ある路地を曲ったところで、男性は忽然と消えました。

とても、隠れるような場所がないような場所だったので、相当無理な逃げ方をしたのだと思います(人の家の庭に潜む、とかいったような)。

『なかなか、やるなぁ』と思いながら、私は走るのを止めて、そのまま帰宅の途につきました。
2012年 05月 12日
旗幟(きし)を鮮明にする時
「北朝鮮の所作が疑われる民航機のGPS攪乱(かくらん)」

というニュースが、また出ています。

これについて、私はGPSの研究者として、すでに何回も警告を発してきました。

ですから、繰返すのは止めます(リンクを参照して下さい)。

http://www.kobore.net/cgi-bin/diary/read.cgi?date=20110930
http://www.kobore.net/cgi-bin/diary/read.cgi?date=20110119
http://www.kobore.net/cgi-bin/diary/read.cgi?date=20110120
http://www.kobore.net/cgi-bin/diary/read.cgi?date=20110121
http://www.kobore.net/cgi-bin/diary/read.cgi?date=20110122
http://www.kobore.net/cgi-bin/diary/read.cgi?date=20110123

私が、この様にしつこくリンクを記載しているのは、はっきり言って「腹を立てて」いるのです。

腹を立てているのは<北>ではなく、「GPSシステムが懦弱であり、かつ、他国の善意で成立しているシステムである」という事実を、我が国が真面目に考えていないように見える、ということです。

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ところで、GPSに限らず、「システム」と名の付くものはなんであれ「攻撃」をされたら、必ず陥落します。

サイバー世界では、攻撃する側は、いつでもどこからでも攻撃可能であるのに対して、受け側であるシステム側は「防御」しか取る手段がありません。

その「防御」のラインが破られたら、もう成す術はないのです。

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だから、私は10年も前に、「DOS攻撃サーバ特定手段」に

『迎撃』

という新概念を加えた、ネットワークシステムを、社内で提案したのです。

○「やられたらやりかえせ」というコンセプトの元、

○国内数百台の迎撃サーバが、DOS攻撃サーバに向けて、一秒に100億を超えるパケットで報復を開始

○3秒以内にDOS攻撃サーバを完全沈黙

隠語も暗喩もなく「報復」を正面から言い切った、社内発のネットワークシステム提案だったと思います。

(確か、その時は併わせて「妨害電波発信源特定システム」も具体的手段も提示して、提案しました)

しかし、その提案は、「全自動育児機」の提案の時と同様の途、つまり「苦笑→失笑→話題の転換→黙殺」を歩むことになりましたが。

# 『あっはっはっ。あいかわらず、江端君は面白いなぁ〜〜。じゃあ、次。○○君、発表して』って。

## まあ、我が社はこれで良いのですが。

それはさておき。

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全ての国家は、

「GPSに代わる手段の位置測位手段の研究開発」か、

「GPS妨害電波をミリ単位で検知する手段の研究開発」

のいずれを選ぶかのか、旗幟(きし)を鮮明にする時に至っている、と思うのです。

(全自動育児機はこちら↓)
http://www.kobore.net/re-children.txt
2012年 05月 11日
必要なものは「名前」
今、ミャンマーの民主化が大きな話題となっております。

今や世界は、民主化そのものもあるのですが、民主化によって開放されるアジアの市場に注力しています。

欧米の「正義」としての「民主化要求」を実施中に、日本国政府は細々とミャンマーとのチャネルを維持しつづけてきました。

今や、日本は豊富な労働力、魅力的な市場であるミャンマーに対して、非常に優位な立場にあります。

『正義の問題もあるが、それはさておき』として現実的な対応を続けていた、日本国政府や企業の地道な努力の成果として、褒めて良いと思います。

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それにしても、ミャンマーの民主化問題というのは、我が国ではあまり高い関心が寄せられてこなかったように思います。

私にはこの原因が分っています。

「軍政」とかいう、主体がはっきりしないものが悪役であるからです。

この悪役が、「中毒物質を混入させた某食品メーカの取締役」とか、「テロリストの親玉であるオサマなんとか」、という人間として特定できれば、我々は、その対象を認識して、「憎む」ことができる。

「軍政」というのはダメです。てんでなっていません。

「日本国政府」では弱いまま論調が、「○○首相」といった瞬間、我々は怒りのターゲットをロックオンできるのです。

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という訳で、ミャンマーの民主化を、日本国で根付かせる方法は、簡単です。

先ず、「軍政の親玉」を名前として特定すること、そして、その人のプライベートを調べて開示することです。

その人のプライベートが、どのように潔白清廉で、清貧であろうとも、開示されたら、こっちのものです。

あとはマスコミが勝手に創作するでしょう。

私だって作れる。

○「教育熱心であること」→『我が子の教育だけに偏愛する身勝手な性格』

○「平均的な家屋に住んでいる」→『亡命に備えて生活費さえ貯蓄に回す吝嗇家』

○「日本国の企業の誘致に積極的」→『海外大量生産技術を積極導入して母国伝来の素朴な製法を破壊』

何とだって言えます。

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だから、ミャンマーの民主化運動支援を、我が国に根付ける為には「悪役」を特定し「名前」を付ければ良いのです。

私の方でも調べておきます。
2012年 05月 10日
主役
この度、娘が演劇部で主役を勝ちとったそうです(暫定主役のようですが)。

「それは良かったね」と祝福したのですが、

『喜び方が少ない』

と、叱られました。

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いや、実際の所、心の底から立派なことだと思っています。

私は、「演劇」とは、「英語」なんぞを遥かに凌駕する、万能コミュニケーション手段であり、義務教育過程に取り入れるべき重要な教科であると信じています。

多分、この婚活時代にあって、「演劇」は、リーサルウエポン(最終兵器)となる、とまで考えています。

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事実、私は、学生時代、『好青年』を演じながら、世界中で、ただ飯、ただ宿を確保してきたバックパッカーでした。

「演劇」は文字通り生きる為の手段で、「芸は身を助く」は、私にとって、単なることわざではなく、絶対の真実でした。

父親として、娘にも、是非「芝居」で人生乗り切って貰いたいと願っています。

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ただ、私の場合、演劇では概ね「主役」だったので、ちょっと感度が落ちていたのかもしれません。

娘と私の違う点は、娘が、学校の演劇部という組織の中で、堂々と主役を勝ち得たのに対して、

私の場合、脚本、演出、音楽、出演、予算、セットの設営、その他、

「全て、私自身」

という点において、異なります。

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娘の方が、100倍以上、私よりエライと思います。
http://www.kobore.net/topic.txt
2012年 05月 09日
実写版 宇宙戦艦ヤマト
地上波の録画を、先日見ました。

面白かった。

ただ、面白かったのは、私の「世代」に因るものかもしれない、と思えてしまうところが、少し寂しかったりするのですが。

原作、アニメ、それらを完璧に熟知していて、その「ギャップ」を楽しむという、変な視聴をしていたような気がするのです。

なんか、木村拓也さんをはじめ、多くの俳優の皆さんに申し訳ないような気がします。

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今から思うと、宇宙戦艦ヤマトは、もの凄く完成度の高いアニメだったと思います。
(但し、続編の映画等は全部除く→本件については本日は論じない)

今回の映画では出てこなかったのですが、

「硫酸の海に潜行して、波動砲を発射する」

などという、常軌を逸した無茶苦茶な作戦を、例えフィクションと言えども、よく思いついたものだ、と思います。

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それにしても、「宇宙戦艦ヤマト」という一つの世界観は、

「デスラー総統 = 伊武雅刀さん」

でさえあれば、あとは何とでもなると思うのです。

極論を言えば、この私が「古代進」を演じたって、伊武雅刀さんの「デスラー」さえいれば、物語は成立する、という位のリスペクト度です。

多分、このブログの向こうで、深く頷いている人が100人はいるかと思います。
2012年 05月 08日
お寺のお家の事情
先日、珍しく夕方に帰宅した時のことです。

○自宅の近くにある葬儀場も兼ねているお寺の裏口から、

○品の良いお母さんと、綺麗な服を着た息子さんと娘さんが、

○バイオリンを抱えて、

○駐車場にあるベンツに乗り込むところ

を見ました。

ちょうど葬儀の真っ最中だったようです。

別に、お寺のお家にも、毎日の生活があるのだから、こそこそする必要はないのでしょうが ―― 葬儀の最中に、バイオリンを持って堂々と出ていくのは無理か ―― と。

『お寺の家族も、大変だよなー』

と考えながら、その光景を眺めていました。
2012年 05月 07日
絶対に成功する雨ごい
今日、本屋で、「日本人が知らない日本語3」をちょっと立ち読みしたのですが、実に心に染み入る言葉がありました。

『あとは「絶対に成功する雨ごい」と同じこと。 −−雨が降るまで踊り続ける』

なるほど。

絶対に試験に合格する方法は、合格するまで受験する。

絶対に仕事で成功する方法は、成功するまで仕事を続ける。

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しかし、雨が降り出す前に、疲労で死んじゃうこともあると思いますし、「合格」「成功」に関しては、「そもそも降らない雨だった」というオチの可能性もあります。

ならば、踊っていること自体を「楽しく」できれば、雨が降ろうが降るまいが、どちらも、「私の勝ち」に持ち込めます。
http://www.amazon.co.jp/日本人の知らない日本語3%20祝!%20卒業編%20[単行本]%20/dp/4840143544
2012年 05月 06日
商品券のバリエーション
「図書券」というものがありますよね。

あれを「贈り物」にするということに「礼を失する」と感じる人はいないのでしょうか。

入学祝に「図書券」を贈るということは、

『私は、お前が、この入学祝の債権を「友人との飲み会」で使われることは希望しない。書籍以外の目的で使うことを禁じる』

と言っているということですよね。

500円で購入した図書券に、500円以上の価値はない訳ですし。

加えて、「私はお前が何に興味があるかは知らんので、お前が欲している本は分からん」と宣言しているとも見えます。

が、まだ図書券を贈ってくる人はマシです。

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進学が決まると、色々な人から贈り物を頂くのですが、これが結構困りものなのです。

特に、困りものの代表格が「筆記具」です。

高級な万年筆やボールペンなどを貰うと、カーリングのストーンを貰ったくらい残念な気持ちになったものです。

筆記具というのは、文字通り「高ければ良いものではない」→「高価な物が優れたものではない」のです。

ちょっと話は逸れますが、最近の筆記具は、安いものの方が性能が優れていて、とても使い勝手が良いのです。趣味の問題もあると思いますが。

高い万年筆やボールペンを貰うと、『ああ、この金で、普段使っているペンを50本でも贈って貰いたかった』と思うと、残念でしかたなかったものです。

大抵、そのような高級な筆記具は使われないまま、埃を被ったまま放置され、紛失されることは、貰った時からすでに分かっているのです。

「ああ、この人、筆記具の性能や特性を、何にも分っていないのだなぁ」と、贈り物を頂いておいて、隨分失礼なことを考えたものです。

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「筆記具のみ通用する商品券」とかがあれば良いのでしょうか。「定規のみ通用する商品券」、「工具のみ通用する商品券」とか。

いや、違うな。

究極の商品券の形態は、

『買った物品と値段が贈り主に通知される』

というものでしょう。

贈り主は、贈った物を認定できるので、贈られた人は、贈った人を気分よくさせる買い物をさせなければならない。

図書券で、コミックマンガを購入することは、事実上不可能になります。

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これを逆の立場から見れば、図書券の額面を超えるような書籍を購入することは、

「あんたの贈ってきた図書券の金額は少なすぎるんだよ」

という無言のプレッシャーになるので、あんまり安い金額となる図書券は贈れなくなる。

書籍業界は、図書券で、一つビジネスモデル作れるかもしれません。

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そんなことを考えているのですが、そもそも図書券(というか商品券の全て)というものは、それ自体が何か胡散くさい、と思う。
2012年 05月 05日
迷彩服
本日、家族で横浜のデパートに出掛けてきました。

文房具コーナーのところで、筆記具を見ていたところ、店内放送が流れました。

『お客様にお知らせ致します。只今、ダークグリーンのズボンと迷彩色のジャケットを着た・・・』

このアナンスの部分で、一瞬で「テロ」という結論に辿りついた私は、すぐに犯人の銃の乱射から身を守るために、体を屈めました。

(電源を潰されて照明が落ちたら、動きが取れなくなる)と思い、家族の身柄を確保する為に、頭を低くしたまま、素早く商品の棚の間の移動を開始しました。

そして、走りながら、アナウンスに耳を傾けていました。

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『・・・7歳くらいのお子様が、迷子になっております。保護者の方は・・・』

そのまま、のけぞって床の上に倒れ込みそうになりました。

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おい、その子供の保護者。

迷彩服を着せた子供を、デパートに連れてくんじゃない。
2012年 05月 04日
離職率30%
新入社員の3年間以内の離職率だそうです。

この値を聞いた時は驚いたのですが、ちょっと調べてみると、30年以上も前から同じ傾向のようです。大卒30%、高卒50%、中卒70%で、安定しています。

まあ、私自身が、大学時代の友人の多くから、私が入社3年後も離職していなかったことを意外に思われていたようでした。

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こう見えても、私は下町工場の社長の子息。

下請け会社の悲惨な苦労を、目の当たりにしてきた当事者の家族です。

新入社員の頃には、勿論たくさんの嫌なことはありましたが、零細企業の地獄に比べれば、大手電機メーカ会社は天国みたいな所だと思います。

今でもそう思っています。

少なくとも、不法な暴力行為で問題解決図ることを生業とする、反社会組織の構成員が、工場に詰めかけたり来たりしませんからね。

私が末期のガンになったら、『ダイナマイトかかえて事務所に飛び込んで爆死しても構わん』と思うくらいの憎悪と怨念は、今でも残っています。

私のガンが確定したらご連絡致しますので、その折には、爆破ご希望の事務所を私にお報せ下さい。

閑話休題。

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さて、離職には色々理由はあると思います。やむなく逃げ出す必要もあるでしょう。逃げ出さないと、心や体が壊される場合もあります。こういう場合は一刻も早く逃げだした方が良い。

そのことについて、私はとやかく言う立場にはありません。

ただ、私としては、『会社に不満があって離職するのであれば、きちっと復讐してこい』とはアドバイスしたいです。

「殴る、蹴る」などの暴力による個人的制裁なんぞは、ナンセンスです。

それが反社会的行為であるとか、自分が刑罰の対象になるということではなく、それでは、酷く手緩い(てぬるい)からです。

どうせ、やるなら、その会社を倒産に追い込むようなネタを掴んで、そして、確実に完璧に会社を「潰し」てこい。

この程度のことができないなら、まだ離職するには早い、ということです。

―― というマインドで、20年以上、離職せずに仕事を続けている人間が、少なくとも、ここに一人います。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3170.html
2012年 05月 03日
素敵な楽しい思い出
昨日、大学のゼミの恩師の退官記念祝賀会に出席した時の話です。

この祝賀会は大盛況で、現役のゼミの学生を含み200人以上が参加していました。

私は、現役ゼミ生達が集っているテーブルを眺めながら、ぼんやりと呟きました。

「社会人になっても、ずっと学生時代のように生きられると思っていたんだ・・」

隣の席の、当時の後輩が、深く理解したように応えました。

「江端さん、私もです」

「学生の時のように、毎日が楽しくて、幸せで、生き生きとして・・・」

「分かりますよ。江端さん」

私は暗い口調で、その会話を引き取りました。

「でもさ、彼らも、もうすぐ分かるんだよね。学生時代のような時間は、『ひとときの夢のようなもの』だって・・・」

私は、彼らの方に視線を向けながら、『クックックッ・・・』と小さく嗤っていました。

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さあ、卒論や修論をひかえた現役ゼミ生の諸君。

これから始まるぞ。

論文を作成するなどという苦労などが「素敵な楽しい思い出」に変わるくらい、長く、曲りくねった、面倒くさい人生が。
2012年 05月 02日
マイナンバー制度
現在、国会で審議されているマイナンバー制度は、私達が学生の頃に提出された「国民総背番号制度」のことです。

あれから、20年以上も経過しています。

国民一人一人にユニークな番号を付与して、省庁がバラバラに管理されているシステム(コンピュータシステムを含む)を一元化することが狙いです。

この狙いは明快です。

(1)「安い」

1億人以上を管理する、複数(多分10以上はあるだろう)のデータベースシステムが一つになるのですから、単純計算でもコンピュータシステムのコストは単純計算で、1/10以下になる、と。

また、官公庁でコンピュータシステムへデータを入力するオペレータをバッサリ切り捨てる(解雇)ことができ、人件費削減にも資することになります。

(2)「早い」

本人の収入、納税、職業、病気、全部記録されていますので、システムを横断して処理が簡単になり、その処理は非常に早くなります。

簡単な例では、役所の行列がなくなるとか、インターネットで大部分の行政手続が行なえるようになるとか、病院では本人の病歴などが全部分かり、適切な処理が行えるようになる、等です。

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これに反対する意見は明快です。「プライバシー丸裸」問題です。

収入や病歴が、全部ダダ漏れ。本人の性癖や「恥しい病気」などもすくなくともお医者さんには、全部バレます。

ブラック企業に努めていたこと、昔、「やんちゃ」して留置場にお世話になったことも全部バレます。

ITシステムの専門家として、マーフィーの法則風に言わせて貰えば、

『情報が流出する余地があるシステムであれば、かならず情報は流出する』

そもそも外部からシステムを攻撃しなくても、システム運用者に悪意があれば、どんなシステムだって「必ず」破ることができるのです。

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20年前、私は、凄い形相をして「国民総背番号制度」に反対していましたが、私は2つの理由で、この「マイナンバー制度」に賛同の立場を取ります。

(1)「マイナンバー」の有無は、システム間を自動にするか手動のままにしておくかの違いでしかないから。

もっとも、本人の履歴を調べる処理に「3秒」かかるのと「3ヶ月」かかるのは、大きな違いではあるのは理解できます。

また、「一人」でできてしまうことに対して、、「多くの人」の多段階の稟議を経て、恐しく面倒な手続を行わなければならない、ということは、ある種のプライバシー侵害に対する、「防波堤」の役割を果しているとも言えます。

しかし、そのようなことは、今でもやろうと思えばできることがあり、今のシステム運用コストを1/10にできるのが、「マイナンバーにすること」くらいであるのであれば、「プライバシー丸裸」とのトレードオフにはなるか、と。

(2)私の昔の「やんちゃ」は記録されないから。

今から「マイナンバー」が導入されるのであれば、私の昔の「やんちゃ」は記録されないことになります。

すでに完全な「守り」に入っている私にとっては、「マイナンバー」のデメリットはあまりありません。

という訳で、「マイナンバー」大賛成です。

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但し、私の過去の「やんちゃ」の履歴が、遡及してデータベースに加えられるというのであれば、

暴動を起してでも、マイナンバー制度を「粉砕」し、この闘いに「勝利」します。
2012年 05月 01日
インターネット葬儀
一昨日、

====== ここから =====

私は今、誇張、反語、いかなる逆説的な意味なく、心の底からお願いしたいのです。

『私の葬式には、絶対に来ないでくれ』

私の人生の最後の最後くらいは、

「私の尊厳と名誉を破壊するような行為に及ばないで欲しい」

と、今、土下座の気持ちで、お願い(懇願)に至っております。

====== ここまで =====

と書いてから、「インターネット葬儀」もあるんだろうな、と思って、ちょっと調べてみましたところ、やっぱりありました。

遠くからくるのは、時間もかかるし、金もかかる。

親族とのコネクション強化や、古い友人と再開の場を提供することができますが、別に故人が生き返るという訳でもないし。

故人の生前の評価が明かになるというメリットはあるが、「私」にはデメリットに傾きそうです。

だから、故人の思い出を、ツイッターのタイムラインの表示を、葬儀会場の壁にプロジェクトで流しておけば、足りるでしょう。

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いや、駄目だ。

やつらが、一体、何をツイートしようとするだろうか。

その「つぶやき」の内容を想像するだけで、怖い。