前々から一度やってみたかった「過去の予想を、今、検証する」をやっています。
使っている資料は 「ITロードマップ2007年版 情報通信技術は5年後こう変わる! (野村総合研究所)」です。
あらかじめ、お断りしておきますが、これは、本の著者を貶めるという意図はありません。
というか、我々も、このような本をベースに、色々な検討をしてきたのですから、そのような意図が入る訳がありません。
「未来予測というのがいかに難しいか」ということを、私が実感したかったのです。
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(1)NGN → ○
「NTTの光フレッツ」が「それだ」と言われれば、当っているのでしょうが、この著書に記載されているような華やかなアプリケーションは、今に見あたりませんですね。
(2)スマホ → ◎
これは当っていますね。業務端末化やGPS利用などは、ドンピシャでしょう。
(3)自律運用技術 → ×
SDN(Software Defined Network)とか出てきているけど、自律運用には遠く及ばないような気がします。
(4)BI(ビジネスインテリジェンス) → ○
ビックデータに関する言及があり当っているようにも思えますが、「ビックデータ」自体がどうなるか分からないので、私的には、判断留保ですね。
(5)マーケティングプラットフォーム → ◎
プラットフォームではないかもしれませんが、AmazonやらYahooやらが、デマンド広告を普通にやっていますから、当ったと言えると思います。
(6)リッチクライアント → ◎
最初「クライド」の逆の予想と思ったのですが、記事をよく読んでみると、「Webの表現力」の話だったので、これも当りですね。スマホに乗っているクライアントと考えると、よく理解できます。
(7)SOX法対応 → ?
どうなっているのか、全然知りません。「リーマンショックで日本版SOX法立ち消え」という記事があったけど、本当になんのことやら。
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当初、半分も当たっていないだろうと思ったのですが、全体として「悪くない的中率」と感じました。
競馬新聞よりも良いかもしれません(一度も読んだことがないので分かりませんが)。
少くとも、位置情報サービスの隆盛予想時を「10年」外した私と比べれば、凄くエライと思います。
そうですねえ、2002年くらいから「来年はGPSによる位置情報サービスがブレークですよ」と10年間も言い続ければ、
―― 「江端 = 狼少年」 と思われても、まあ、仕方ないです。
しかし、「狼少年」も疲れたのですよ、10年も叫び続けることには。
年も取りましたし。
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Google社のように、日本人の気持ちを考えずに、例えば『街中の写真を取り捲る』という傍若無人の振舞いをする、ほんの少しの勇気があれば、と思わずにはいられません。
「まずやってみる」→「問題があれば、その時に考える」という思考形態は、我々には、ありません。
「まず提案する」→「法律はどうだ、世論はどうだ、運用はどうだ、売り上げはどうだ」→「もう、疲れたよ。やめよう」と、いう流れで、
一体これまで、幾つの「若いやる気」と「野心」が潰されてきたことか。
もちろん、スピンアウトの覚悟がない我々の側にも責任があります(これについては、きちんと纏めますので、今日はここまでで)。
昨日、長女の大きな演劇大会が終ったとのことです。
昨夜は疲れ果てていたようで、私が帰宅した頃には、フラフラな状態でソファーの上に転がっていました。
今朝、部屋の中に干してあった洗濯物を見たら、
アニメの「魔法少女」(ほどハデではないが)が着るような衣装が、4着吊されていました。
舞台を鑑賞していた嫁さんによれば、早変わりの演出の為に必要だったとか。
―― 変身シーンでも演ったのだろうか?
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娘が何の役を演じたのかは、私は知らないのですが、
「仮想(アニメ)の世界でも、現実の世界でも、いろいろなモノを守る為に、(魔法)少女達は、酷く忙しく大変なのだ」
ということを、その「吊されている衣装」が語っていました。
女性役員、女性管理者を増やすという、国策(?)について色々読んでいるのですが、「現時点で、私は、理解できていないな」と思っています。
夫婦別姓問題は、ほぼ100%、腹にストンと落ちたという実感があり、同性婚については、理論面からの理解が50%程度という感じです。
特に、夫婦別姓問題にについては、「賛成側」「反対側」どちらからでも論じることができて、かつ、ディベートに持ちこめば、どっちの側に立っても「勝てる」というレベルにあると思っています。
「同性婚」については、まだ、このレベルに至っておらず、「女性役員、女性管理者 増強計画」に関しては、まったく何も論じられないと思っています。
字面(じずら)としては分かるし、別段反対する理由もなく、メリットも理解できる。
しかし、仮に、自分がリーダーとなって、この計画を積極的に進めれるか、というと自信がありません。
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この根底にあるものは、私の意識です。
女性であろうが男性であろうが
『「役員」やら「管理者」なんぞに、本当に成りたい人がいるのか』
という、私の個人的かつ本質的な疑問です。
私は、ティーンの時に、身の丈に合わない責任のある立場(学級委員とか、生徒会長とか)をやらされて(もっぱら、大人たちの陰謀で)、
「リーダーは、全く割に合わない」
ということを、身に染みて感じているからです。
「リーダーを行うことで、人間として成長するのだ」
と言われれば、
「なんで、成長する必要があるの?」
と、つぶらな瞳で質問し返してしまうくらい、本当によく分からんのです。
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私には、「女性役員、女性管理者 増強計画」というのは、
「不幸な人間を量産するプロセスを、女性のエリアまで拡大する」
という風に読めてしまうのですよ。
ですから、「不幸な女性を量産」しても、得るべき利益がどっかに(国家か、組織か、企業か、なんだかか知らんが)あるのだろうなー、というくらいの意識しかないのです。
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分かっています。
今回も、間違っているのは私です。
そこで、ご相談です。
誰か(特に女性でキャリア指向の方)、私の誤った認識の修正を施してくれませんでしょうか?
私は、「上」を目指したいという人がいれば、それが女性であれ、男性であれ、「助けたい」という気持はあります。
少くとも、私は、あなたたちの「邪魔」にはならない程度の、理論武装はしておきたいのです。
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で、昨夜、この話を嫁さんと長女に話したら、面白いレスポンスを貰いました。後日続けます。
今上映している、スタジオジブリの映画「風立ちぬ」の予告編で、飛行機エンジニア達が、「計算尺」を使っているシーンがありました。
「計算尺」とは、稼動式の2つの定規を組み合わせて、目盛りを合わすことで、計算を行うものです。
なぜ、そんなことを知っているかというと、私は、高校生の頃の選択教科の「計算尺クラブ」に入っていたからです。
しかし、なんで、私がそのようなクラブに入っていたか、不思議なのですが、 ―― それ以上に、なんで、そんなクラブが存在していたか、の方が、とても気になっています。
ちょっと調べてみたのですが、その当時、電卓はもう、それほど高価なものではなく、普通に使われていました。私が大学に入学することには、BASIC言語が使える関数電卓がありましたから。
―― そんな時代に、なぜ「計算尺」なんだっけ?
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計算尺も、ソロバンと同様に、練習問題というのがありましてですね、それが、なんというか、誤差付きなんですよ。
思い出しているのですけど、たしか、「解答欄」の記載はこんな感じだったかと。
"4.67〜4.84 x 10^8"
この範囲の答であれば、「正解」ということです。
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このような誤差を認容する計算手段(計算尺)で、当時は、航空力学の最先端技術である、戦闘機を作っていたということは、本当に驚くべきことです。
あの東京タワーも、数十人のチームが何ヶ月もかけて、計算尺で構造の力学の計算していたそうです。
ですが、その計算は、今なら(ソフトウェアの作成時間を除けば)、パソコンで1秒も必要なく完了できるものなのだそうです。
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コンピュータの影も形もなかった時代と、コンピュータが社会インフラの全てを制御するこの時代とを比較して、何か劇的に変化したことって、何かありますかね?
私には思いつかないのです。
例えば、ボーカロイドの映像や音声を作り出すコンピュータリソースの消費量は、私の在学中の当時の大学の大型計算機センターの全能力をはるかに越えると思います。
今や、そのコンピュータリソースは個人で所有できるレベルに至っているのですが、その潤沢な処理能力の行きついた先が、"YouTube" や "初音ミク" ?
―― なんか、違う。
そもそも、私達は、そんな脅威の計算能力を手に入れたのに、「幸せ」になっているような気がしないのですよね。
一方、SFの描くコンピュータ社会の最終形は、コンピュータが政府を乗っとり、外交を行い、勝手に戦争を始め、人類を滅亡させてしまうものですが、―― 現在のコンピュータシステムでは、この境地には遠く及ばん。
はっきりいって、「不幸」にもなっていない。
そのくせ、コンピュータシステムは、いまだに、全米の1/3の地区を大停電させたり、航空機の墜落事故や、鉄道の停止ミスや、ATMを使用不能状態にし続けています。
―― もう、そろそろ、「自分で自分を直せ」と言いたいです。
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「計算尺」の時代に生きた人は、ノイマン型コンピュータが実現することで、素晴しい未来がくると信じていたと思うのです。
その人達に、『潤沢なコンピュータリソースの未来の成果物は、これです!」といって、「初音ミク」を紹介したら ――
まあ、私なら、間違いなく「怒る」と思う。
先日、 「役員」やら「管理者」なんぞに、本当に成りたい人がいるのかという日記を書きました。
本日はその続編です。
先日、本件に関して記事を読んでいたら、「女性役員、女性管理者を増やすという、国策(?)」について、ある女性の方が、ブログで、
―― いらんことするな
という主張をしていました。
「これまで、男性上司に対して有効であった、『ヤバい時の泣きマネ』が通用しなくなる世界は、脅威であり」
「女性役員、女性管理者が、マイノリティ(少数派)であるうちは良いが、そのような上司が増えれば、旧来の『女の武器』を使う機会が脅かされる」
のであると。
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まあ、男の上司は、女性の部下を叱責している時に、いきなり「泣かれ」たら、うろたえてしまうことは、想像に難くありません。
回りから見ても非常に印象が悪く、マネージメント能力に、×印をつけられて、下手をすれば降格の理由にもなりかねません。
そう考えると、これは、確かに「強力な武器」であることは否定できません。使い方によっては「暴力」にもなると思う。
比して、ここに女性の上司が表われて、『ヤバい時の泣きマネ』を発動したら、どうなるか。
―― そりゃ、「スルー」されるだろう
と思えます。
女性管理者は、その武器を使わないで修羅場をくぐってきたのであれば、そんなものによる反撃は、怖くも何ともないでしょうし、回りの目だって、全然印象は違うでしょう。
確かに、これは、多くの働く女性にとって、半端でない「脅威」と「機会損失」となるのかもしれません。
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とは言え、私もこのブログを本気で読んいた訳ではありません。
筆者が本気でこんな意見を言っている訳ではないことは、文体から読み取れましたし、基本的にはブラックユーモアの類であることは、よく分かっています。
しかし、そんなことはどーでも良いのです。
私が私自身に、かなり絶望したことは、
―― 一瞬でも、私がこの意見(女性上司マジョリティ脅威論)の可能性に達することができなかった
という事実です。
つまり、「マジョリティとしての女性役員、女性管理者」の意味(というか効果)に、全く至れなかったということです。
私は、自分では性差を気にしていない人間と信じていたのですが、実際のところ、こういう「思い込みをしている奴」ほど、たちが悪い上に、業が深い。
私を含めて、こういう奴等は、「リベラルな主張を理解していれば足りる」と信じている分だけ、物事の見方に多様性がなく、詰るところ
―― 何も分かっちゃいない
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嫁さんに、こういう「女の武器(『ヤバい時の泣きマネ』等)」を行使したことがあるか、と尋ねたところ、不快そうな顔で
『そんなこと、考えたこともない』
と、断言されました。
一方、長女(中学生)に、こういう「女の武器」を行使する予定があるか、と、尋ねたところ、真剣そうな顔で、
『そういう効果が見込めるのであれば、行使を躊躇(ためら)わない』
と、断言されました。
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たった2件のインタビュー結果ですが、こんな身近に、これだけの真逆の意見が存在しているのです。
このような意見を「一元化」して把握するのは、無理なのかもしれない、と思います。
この問題を、全体感をもって把握する為には、
「一度、女性として生まれ変わる」
しか方法がないのかもしれません ―― と、諦めかけています。
先週の日曜日に、長女に、
「今日は、終日、クーラつけて、部屋に閉じ籠って仕事をするが、こっちの部屋で勉強するか?」と尋ねたところ、
「今日は、友達と湘南の海に遊びにいく」
と言われました。
間髪入れず、私は「でかした!」と叫んでいました。
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この私の血脈を継ぐ者の中から、
■あのサザンオールスターズがむやみに連呼する、
■「湘南」とか「江ノ島」なる名称の土地に、
■出向する者が登場した
ということは、
「我が家の誉れ」「鳶(とんび)が、鷹(たか)を生んだ」
―― といっても過言ではない、と。
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「それは『湘南海岸で海水浴』ということだな」と確認したら、
「うんにゃ、『湘南のプール』」
と返されて、ちょっと戸惑ってしまいました。
しかし、これは「賢い選択である」と、感心してしまいました。
まあ、知っている人は知っていると思いますが、「湘南」とか「江ノ島」の海というのは、ヘドロやゴミが浮遊し、はっきりいって「処理前の汚水の蓄積プール」のような様相を呈しています。
この海を見てしまった人のサザンの歌のイメージは、まず、この段階で大きく崩壊します。
そして、次のステップとして、彼等の頭の中では、「『仮想』海岸」が再構築されることになります。
(私も含めて)サザンの歌が、なぜ、あれほどの人に愛され続けるのか。
それは、この「『バーチャル』江ノ島海岸」が支えているのだ、と思っています。
ま、それはさておき。
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一応、娘には言っておきました。
「いいか、海岸で声をかけてくる男の脳の構造は『ミジンコ』以下だ。上手くあしらい、必要なら逃げろ」
「私なんかが、声かけられる訳ないじゃん」という娘に対して、
「関係ない」と私は決めつけました。
「奴等は『容姿』など見ない。対象を『性差』でしか判断できない。それくらい、絶望的に低能な生き物だ。『ミジンコ』だって、パートナーを選択する時に、ここまで乱暴な判断はしない」
―― とまあ、「ミジンコ男」だけでなく、娘の容姿までも、貶してしめてしまったかもしれない、と、ちょっと後悔しましたが。
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娘はすでに出かけてしまったようですが、もう少しアドバイスしたかったです。
万一、海岸で声をかけてくる男がいたら、この4つくらいの質問をしてみろ、と。
(1)「ねえ、『シーベルト』の単位の意味と致死量を教えてくれない?」
(2)「『マグニチュード』と『震度』の違いって何?」
(3)「今回の選挙ではどの政党を支持した? 論点は何? 原発存続? 消費税? 憲法改正? 経済政策?」
(4)「GPSの航行メッセージに含まれる、アルマナックとエフェメリスの違いを教えてくれない?」
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まあ、このうち2つ以上答えられる男であれば、
そんなに「構えなくてもいい」と、アドバイスしておきたかったです。
「宇宙戦艦ヤマト」は、私に
■科学技術の夢とロマンと、
■商業主義の汚さを、
これでもか、これでもか」いうくらい教えてくれた、「大人の階段」を、完璧に具現化してくれた作品です。
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まあ、「夢とロマン」の方はさておき、「商業主義」の方は、こんな感じです。
■死んだはずのキャラクターを、「実は死んでいなかった」ことにして、続編を作る
■都合の悪いストーリーは「なかったもの」としてスキップして、続編を作る
こういう、「とにかくヤマトで儲けろ」というスタンスは、「ヤマト」を深く愛していたティーンの心を酷く傷付けたものです。
私の中では、
「宇宙戦艦ヤマト」= 「詐欺」
という構図が完成してしまいました。
この影響(か、どうかは分かりませんが)もあって、私はその後、このような宇宙戦争を扱ったアニメに興味が持てなくなりました。
例えば、「ガンダム」なる超著名ロングランアニメについて、私は何も語るものを持っていません。
これは、このような、ティーン時代の「負の記憶」に因るところが大きいと思っています。
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ですから、今、放送中の「宇宙戦艦ヤマト2199」も、
『まだ飽き足らず、詐欺の続きをやっていやがるのか』と、腹だしい思いで、まあ、それでも初回だけでも見てやろうか、と、思ったのですよ。
・・・
・・・
■うん、まあ、あのやたら暑苦しくて、鬱陶しい「古代進」が、まあ、ちょっと言い感じになったかもしれないな?
■「森雪」の設定がなかなか意味深になっていて、悪くない。
■ワープの論理(フィクション)が、なんとなく複雑になって、しかも、ちょっと腹に落ちるようにはなっているな。
■ガミラス帝国が、単なる悪の帝国としてではなく、ちゃんとしたヒューマンドラマとして描かれているのは、まあ、評価できるかな。
■都合の悪い、難しい話を、全部「コンピュータ」に押しつけるというスタンスが、改善されているなぁ。
■波動砲の使用に関して、倫理的観点からの批判が採用されている点は、とても良い。
■初戦において、「地球側から戦端を開いた」という、驚愕の設定を導入した点は、高く評価できる。
■なんか、やたら「ドメル」が、かっこよくないか!!
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まあ、そんなこんなで、私は、日曜日午後5時から、私の部屋を完全に立ち入り禁止にして、テレビを見ています。
宇宙戦艦ヤマト2199公式設定資料集
広島原爆投下の日時 8月6日 08:15分には、私は、NHKのテレビの前で1分間の黙祷をすることにしています。
正確に言うとですね、08:09分くらいから、椅子の上に座って、目をつむって、イメージを始めます。
原爆を投下した、B-29 エノラ・ゲイ号が、広島市街を目視で確認したのが、その時間。
そこから、高度1万メートルで広島市内に入ってくるイメージをして、同12分、B-29が自動操縦に切り替えて、目標を補足後、8時15分17秒に自動投下されます。
43秒間の自由落下後、地上600メートルに達したところで、原子爆弾リトルボーイが炸裂。
摂氏3000度。
福島原発の5重の壁をやすやすと破った、地球上で再現できる最高レベルの灼熱温度。
太陽から地球までは、149,600,000km。それでも真夏の太陽の光は、人間の皮膚を簡単に焼く。
その太陽と同じものを、たった600メートル(1000分の1の1000分の1の1000分の1の距離)程度しかない、人間(しかも非戦闘員)の頭の上で、爆発させた奴がいた。
―― いた。
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どんなに痛かっただろう。
どんなに熱かっただろう。
どんなに苦しかっただろう。
そして、その後も、生まれてきたことを憎悪するくらいの、地獄を生きなければならなかったのだろう。
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私の黙祷は「穏やかなる原爆犠牲者の鎮魂」ではありません。
私の持ちえる限りのあらゆる情報を最大限総動員した「原爆投下時の地獄の再現」です。
そして、目をつぶりながら、あらんかぎりの憎悪と憤怒と理不尽に拳を握りしめる ―― これが、私の8月6日の「黙祷」です。
「結婚」を「数値だけ」から把握する為に、色々調べています。
結婚に関する、意義、モラル、倫理、道徳、社会通念等は「全部無視」して、数値のみで結婚を論じる、という試みです。
それで、今基礎データを、一生懸命、コンピュータに打ち込んでいるところです。
何の為?
100%自分の興味の為です。
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それで、昨日エクセルで日本の人口推移を計算してみたのですが、面倒になって、20ステップくらいの、超簡易プログラムを作りました。
それで、ちょっとシミュレーションしてみたのですが、
―― 正直、ドン引きした。
2012年現在の日本の人口比率と、特殊出生率(1.39)だけを使って計算したのですが、
■50年後の人口は、8300万人
■100年後の人口は、4600万人
になりました。
わずか100年で、日本の人口は半分以下になります。
『100年後は、帰省時の高速道路の渋滞がなくなり、ガラガラになって、いいなぁ』、などと考えておりました。
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西暦3000年には、どうなっているのかな、と計算を続けてみたところ、我が国の人口は、
「1611人」
になりました。
その年の新生児は、男の子が6人、女の子が5人です。
10世紀後の日本は、小学校の校舎2つもあれば収まる、コンパクトな国家になりそうです。
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そして、ついに、西暦3637年に、最後の日本人が一人だけ残ります。
―― という訳で、
皆さん、朗報です!
放射能廃棄物の保存期間(10万年)を心配する理由は、これで、キレイさっぱりなくなりました!!
10万年を、1.7% も経過しないうちに、我が国は消えて無くなります。
今、読んでいる小説に、こんなシーンがありました。
『見ろ、海外から取り寄せた装飾品がやっと届いたんだ。白い肌のお前に似合うパーディのドレスだ。この靴も、ワルツを踊るときに映えるだろう』
『・・・結構よ。私、こんなもの・・』
『いったいどうして? 何が気に入らないんだ。お前は宝石も帽子も、何も欲しがらない。何を与えれば、お前は喜ぶんだ』
まあ、ステレオタイプの、いわゆる「分っていない」金持ちの夫と、若い妻の会話、といったところでしょう。
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『見ろ、現時点で最速のグリッドコアを搭載したパソコンだ。お前の計算しているGPSの測位をリアルタイムにするものだ。このGPSのフロントエンドもサンプリングの実時間捕捉を可能とするだろう』
『・・・結構です。私、こんなもの・・』
『いったいどうして? 何が気に入らないんだ。お前は最速のコンピュータも、テラバイトのハードデスクも欲しがらない。何を与えれば、お前は喜ぶんだ』
まあ、プロトタイプを作成することが技術者の喜びであると信じている主任研究員と、新人の研修員の会話、といったところしょう。
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で、私くらいの年齢の技術者になってくると、もう、欲しいものは、「有体物」ですらなくなってきます。
『いったいどうして? 何が気に入らないんだ。何を与えれば、お前は喜ぶんだ』
―― 課題よ。解決すべき課題よ。まだ世の中の人が気がついていないような技術的な課題よ。
―― 課題さえあれば、そして、それが、現存の技術を用いて解決可能な課題でさえあれば、
――『特許発明』は完成したも同然なのよ。
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『課題さえ見つかれば、発明は完成したも同然』とは、私の尊敬する知財部のNさんの言葉なのですが、
『至言』だと思います。
先日、出勤時に、地下鉄の駅で駅の出口の方向を向いて、両手をあるパターンを繰り返して動かしている、初老の御婦人を見ました。
私が知っている限り、その動きは「手旗信号」。
背筋を伸ばしつつ、動作はキビキビとしており、一つ一つの姿勢が堂に入って おり、この御婦人は、退役した自衛隊員に違いないと確信しました。
この携帯電話の普及しつくした時代にあって、このような通信手段を見せて貰 えるとは、なかなか稀な機会だ、と思いました。
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しかし、その御婦人の正面の方向には、私がどんなに目をこらしても、手旗信 号の通信相手どころか、誰もいなかったのです。
その視線の先には、地下鉄駅の出口があるだけでした。
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ふうん、なるほど。
「認識の客観性を担保する手段」などというのは、青くさいティーンが好きそうな話題ではあります。
しかし、そもそも、そのような手段はなく、そのような議論をすること事態が不毛です。
「世界は人間の数だけある」が正解です。
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その御婦人の目には、私には見えない何かが見えていたのだろうな ―― と思うと、『自分の目に見えるものだけが、全てではない』ことを痛感します。
遠からず未来に、私も、誰とも共有できない世界に生きるのだ、ということを、今のうちから自覚しておかなければ、とも思っています。
私がジブリ映画で一番好きな作品は「紅の豚」で、二番目が「天空の城ラピュタ」です。
他の作品も好きですが、この2つは飛び抜けて好きです。
それはさておき。
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「天空の城ラピュタ」では、クライマックスに主人公が「滅びの呪文」―― バルス! ―― と唱えるシーンが登場します。
地上波でこの映画が上映されている時、主人公の「バスル!」の言葉に合わせて、ネット上のサーバに「バルス!」と書き込むというイベントがあるそうです。
サーバに対して一斉に書き込みが行われると、サーバがその負荷に耐え切れず、ダウンしてしまうことより「バルス祭り」と呼ばれているそうです。
元旦の零時に、「あけましておめでとう」のメールが集中し、中継装置がダウンしてしまうことと、理屈としては同じなのですが、
―― 「サーバと落すことが目的のイベント」という点で、決定的に異なります。
まあ、私は、こういうイベントを否定する訳ではないのです。
今後もメディアの融合が図られれば、このようなイベントは避けて通れないでしょう。
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しかし、ネットワークエンジニアの立場から言われて頂ければ、
■アクセス制限をしていないサーバは、攻撃すれば必ず落ちる。
■落ちないようにするには、アクセスを制限を実施すれば足る。
というように、サーバには非常に簡単なダウンの回避方法があります。
そんなサーバを攻撃して愉しむというのは、はっきり言って「幼稚」に感じますし、
サーバ管理者が、サーバダウンを看過しているとすれば、「業務を舐めている」という風にしか思えません。
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という訳で。
実験室で、数千から数万のトラフィックでサーバの耐久性を調べていた研究員としては、
正直、「愉快」とも、「参加したい」とも、思えないイベントです。
私の著書に関して、ツイッターで批評をしてくる人に関して、一種の法則性があることを見つけました。
[第一の法則] 凄く早い段階でツイートする
大体Webで公開されてから3時間以内。しかも、サラリーマンであれば就業時間と思われる時間帯にツイートしている。しかも、一日中、ツイートを続けている(例えば平均数分程度で)。
[第二の法則] 「誤読」や「検討違い」なツイートをする
とにかく急いで自分のツイートを付けたい気持先行して、多くの場合、論理破綻している。
[第三の法則] 自分では創作しない
そのような人の過去ツイートを見てみると、ニュースや人の意見に関する批判や、あるいは半分以上がリツイートばかりで、ゼロから立ち上げた「自分の意見」や「自分の創作」が絶無。
[第四の法則] 論理展開できない
まず、ツイートの内容が乱暴な言葉のみから構成されており、基本的に無知性かつ幼稚。きちんとした理由の開示を求めると、沈黙する。
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これらを纒めてみると、この法則に当てはまるツイートをしてきた人の属性が見えてきます。
■原則、潤沢な自由時間がある→ヒマである
■自分が批判の初端であることを示したい→目立ちたい
■しかし、自分自身で論理展開できない→力量がない
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これは、これで、結構幸せな生き方だと思います。
ロジック不要で、感性だけで人を貶(けな)せる。
しかも、自分では何も創作しない以上、誰からも批判されることはない訳で、一方的に、批判だけして生きていれば良い。
しかし、この程度の属性の人間に、私や私の著書を批判されるのは、私の嫁さんや娘たちと同様に、私のとても大切なものを汚されたような気持になります。
凄い嫌悪感を感じます。
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先日、漫画家の赤松先生にインタビューに参上した時、
「ロジックのない批判をしてくるツイッターに腹が立ちます、先生はどう対応されていますか?」
と、相談させて頂きました。
赤松先生:「そのツイッターの相手と議論して『勝てる』と思いますか?」
江端:「確信を持って『勝てる』と思います。私は、一本のコラムを書くのに、積み上げれば30cm以上にもなる書籍や資料を読み込んでいます。あの程度のツイートごときに負ける訳がありません」
赤松先生:「じゃあ、もし、腹が立ってしかたがないのなら『ニコニコ動画の生放送』に生出演を要求してみればどうですか。そのような人は、絶対に出てきませんから」
江端:「・・・(凄いこと思いつく人だなぁ)」
赤松先生:「それに、意味のある意見であれば、黙って、その意見を自分の創作に採り込んでしまえば良いですよね」
江端:「・・・(しかも、器も大きい)」
赤松先生:「どちらにしても、何もしなくても、あなたは『もう、既に勝っている』のですよ」
―― と、赤松先生は、おっしゃられました。
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―― 創作者は、どう転んでも『勝ち組』
第一線で活躍するマンガ家の「凄み」を見せつけられて、圧倒された瞬間でした。
私の嫁さんは、どういう訳か、腕や脚を柱や壁にぶつけて、アザを作ることが多いようです。
空間把握力(?)が弱いようで、自動車でも車幅を把握するのが難しいようです(私も得意な方ではありませんが)。
私を駅でピックアップする際には、2車両ギリギリの車幅しかない山道を通過できず、一般道路まで大回りして、駅まで迎えに来てくれます。
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「それにしても『アザ』は見栄えが悪いだろう」と尋ねたところ、
嫁さんは、
「アザを手で隠して『違うの! これは、私が自分でぶつけたものなの!!夫とは、本当に仲が良いのよ! 嘘じゃないわ!』と言っているから大丈夫よ」
と応えました。
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嫁さんは事実しか話していないのに、私が冤罪を被っている気がするのは、何故でしょう。
家族で帰省する時、私は、映画をインストールしたパソコンを家族全員分に渡しておきます。
長時間の自動車の移動や渋滞の対策の為です。
子ども達はヘッドホーンで映画を楽しみ、私と嫁さんは、もっぱら、カーステレオでCDを聞いています。
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これをやると、車内が結構なカオス状態になります。
嫁さんが、さだまさしの「親父の一番長い日」を聞きながら涙ぐんでいる最中に、
次女が、三宅裕司と伊東四朗のコントを見て大爆笑している、という状態が普通に発生します。
それはさておき。
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今回の帰省では、さだまさしのCDを聞きながら、嫁さんと色々話をしてきました。
江端:「うーん、久々に聞くと、これまた味わいがあるなぁ」
嫁さん:「お盆と正月だけにしか聞かないから、逆に良いのかもしれないね」
その後、さだまさしの曲を聞きながら、その歌の「趣旨」について嫁さんと議論をしていました。
例えば、以前にも、名曲「檸檬(れもん)」については、
―― ♪ 食べかけのレモン、聖橋(ひじりばし)から放る〜 ♪
の一節に関して、『これはJRへの業務妨害にならないか』『河川への不法投棄にならないか』とか書いたことがあります。
嫁さん:「しかし、この歌を聞いて、聖橋からレモンを投げた人は、絶対いるよね」
江端:「うん。少くとも私は、聖橋には何度も足を運んでいるし」
単に、秋葉原にある事業部から近いだけですが。
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さて、今回、話題となったのは、同じく名曲「胡桃の日」を聞いていた時のことです。
この曲は、テレビの放送では、よく使われています。特に、宅間久善さんのマリンバ演奏が凄くて、ライブでの売りの一つになっているようです。
江端:「ただなー、この曲の趣旨が良く分からないんだよね」
と言いながら、曲に聞き入っていました。
―― ♪ 振りあげた右手のこぶしで一体 ♪
―― ♪ 僕は何をしようとしていた ♪
―― ♪ まるで胡桃を既で割ろうとしている様で ♪
―― ♪ 驚いて振り向いた君の目が哀しい ♪
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江端:「・・・うーむ、これは・・・この歌の趣旨は、もしや、DV (ドメスティックバイオレンス) ?」
嫁さん:「いやいやいやいや、それ、ないから、絶対」
今、私はツイッターのフォローを停止しています。
というか、私のツイッターは、殆ど「日記更新」を伝える手段としか使っていないですし、
それと、 以前に書きましたが、気分が悪くなるツイートで、実際に気分が悪くなっていることにも因ります。
現在、後発的にフォローを解除することがあり、それも「申し訳ないなぁ」という気持にもなるからです。
別に「私の気にいるツイート」をしなければならない義理がある訳でもないのに、と。
ただし、数ヶ月に一度くらいの割合で、突然、「フォローしまくる衝動が発生する」時期が来ますので、その時まで待って頂ければ幸いです。
それはさておき。
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なんか、ツイッターとかFacebookとかのソーシャルメディアに関しては、フォロワーの数の様な、「つながっている数」に価値があるらしいですね。
私は、そのような「つながっている数」に、どのような価値があるのか、全然分かりません。
それは、もう、未開の原住民の通貨の概念より、理解できていないと思います。
―― 「つながる」ということは「不自由になる」ということではないのか?
と考えてしまう私は、そもそもソーシャルメディアを使う資質がない、と断言しても良いと思います。
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震災の時に、色々な人が使い、そして今も使っている「絆(きずな)」という言葉も、私には、ちょっと、しっくり来ていないのです。
「困っていれば、助ける」ことが、「絆」なんぞというプラットフォームを前提とする行為なのであれば、
―― 私は「絆」を否定する。
私は「助ける」だけでいい。
「絆」なんかなくったって「助けたい」と思って、「助けに行く」ことができれば、それでいい。助けられなくたっていい。
一方的な偽善で十分です。私は「偽善者」なのですから。
ま、それはさておき。
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「私をフォローしないと、お前(江端)の人生の損失だぞ」と自信をもって主張される方は、是非メールでご連絡下さい。
そういう方、私は嫌いではありません。
是非メール下さい。
スタジオジブリの最新作品「風立ちぬ」で、頻繁に登場する喫煙シーン描写に対して、日本禁煙学会が苦言を呈した、という事件があったそうです。
もちろん、今、めちゃくちゃな炎上事件になっているようです。
例えば、
「その時代考証に即した描写に対して、何を言っているのだ!」
「創作物の描写が批判されるのであれば、銃を乱射するドラマや、時代劇の刀を振り回すシーンも、批判されるべきなのか!」
とか。
ところが、私はこの事件に関して、自分でも驚く程、何の感情も起ってこないのです。
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現時点において、日本禁煙学会以外に、このような苦言を行うに相応わしい組織はないでしょう。
そして、スタジオジブリの作品に対して、このような苦言を行えば、どーなるかは、当然、日本禁煙学会だって十分に理解してやっているハズ ―― と、思えるのです。
「やりたくねーな」
「嫌な思い出の夏になりそうだなぁ」
「でも、そういうイヤな役目を敢えてやることが、我々の存在意義だろうしなぁ」
「まあ、10年後にどう評価されているかを待つとして、しゃーねーなー。この夏は、痛い目に合ってくるかぁ」
というような会話が、あっただろうと(勝手に)思っています。
この映画だけに関しては、「黙っている」という選択肢だってあった筈だし、「日和った」方がはるかに楽だったでしょう。
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違法な二次創作に関して、どんなに丁寧にロジックを詰み上げて、その違法性を説明しても、剥き出しの感情だけの汚い酷い言葉で傷付けられる「物書きエンジニア」としては、
私は、日本禁煙学会の「やりたくなかっただろう(と思う)苦言」という(私の勝手な)仮説を信じたいのです。
―― とまあ、ここまで、全部、私の善意の解釈です。
案外、もっと単純な話かもしれません。
日本禁煙学会は、そのようなことを、全く何も考えていなかったかもしれないし、
または、炎上による知名度向上まで考えていたのであれば、それはそれで、感心できます。
また、この映画が「風立ちぬ」でなく、別の映画であったとした場合、今回の事件の風景は全然変わっていただろう、と思えるのです。
例えば、架空の映画である「火立ちぬ」という映画を想定してみて、「火立ちぬ」が、全く有名でなく、児童向けの映画であった場合にも、同じ評価ができるだろうか、と。
もっとも、「そのような仮説には意味がない」と意見も、私は受け入れられます。
それでも、コンテンツの著名度によって、評価や立場を変えるような学会であれば、私はその学会を信用しません。
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今回の事件で、私が注目しているのは、その「反応」の方です。
この事件が炎上するのは、まあ、当然であろうとは思うのですが、
バラエティ番組に登場する著名な脳科学の先生が、酷く汚ない言葉で「日本禁煙学会」を批難しているのを見て、「ドン引き」しました。
『この人、こんな、直線的で単純な思考をする人だったんだ』と気づかされて、とてもガッカリした気持になりました。
今回の帰省では、高速道路を使ったのですが、私の平均巡航速度は、
時速70km
です。
理由は「ラク」だから。
体が疲れずに運転できるからです。
それと、以前、ちょっとした試算して見たのですが、時速100km出そうが、70km出そうが、到着時刻が大して変わらんのです。
例えば、300kmを走行するとしますね。そうすると、単純計算で、走行時間は3時間と、4時間16分という、1時間以上もの違いがあるように思えます。
ところが、渋滞に突っ込めば、この100kmと70kmは、同じく40km程度に押さえられますし、時速70kmの負荷は、100kmの負荷の半分程度と感じます。
実際に運動エネルギー(速度の二乗に比例)や、視野角度などを考えると、疲れ方が小さく、休憩の時間や回数を少なくできることも分かっています。
なにより、高速でない運転は「安全」です。
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「『高速道路、平均時速70km』 のポリシーを持っている男を連れてきたら、お前たちの結婚を許してやるぞ」
と、高速道路で運転しながら、娘たちに宣言したところ、
嫁さんに「私は、そんな男は嫌だ」と突っ込まれてしまいました。
「そんなねー、若い内から、爺さんみたいなポリシーを持っている男に、娘は渡せないよ」
のだそうです。
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嫁さん:「大体、自分だって、若い内から、そんな考え方をしていた訳ではないでしょう?」
江端:「ちゃうちゃう、それ逆。若いから、このポリシーが完成したんだよ」
嫁さん:「?」
江端:「生まれて始めて、高速道路をバイクに乗った時に、その『怖さ』を思い知ったんだよ。
高速道路をバイクで走行するっていうのは、それ自体が、もう自殺行為みたいなもんだけどね、
これが『夜間』で『豪雨』という悪条件が重なった時というのは、もうなんというか、
―― 目の前に、三途の河の中の魚影まで見えるというくらい―― リアルな「死」が見える訳」
嫁さん:「・・・」
江端:「運送トラックが、バイクの横をすり抜けていく時、ジェットストリームが発生して、バイクが操縦不能になって、トラックの車台の下に吸い込まれていくんだよ。
もうね、『恐怖』なんて言葉では表現できないよ、あれは」
嫁さん:「それで?」
江端:「そして、発見したんだよ。低速で運転すればする程、『死』から遠ざかるという事実を。低速運転では、バイクを安定してコントロールできるんだ」
嫁さん:「・・・」
江端:「それに、運動エネルギーって、速度の二乗に比例するじゃない。70kmの運動エネルギーは、100kmのそれの半分以下なんだよ。『物理I』で習ったよね。運動エネルギーの公式」
嫁さん:「運動エネルギーを計算しながら、高速道路を走っている『バイク乗り』って、あんまり聞いたことがないし・・・最初から『バイク乗り』としての素質が全然なかったんじゃないかなぁ」
江端:「?」
嫁さん:「そもそも、なんで『バイク』なんかやっていたの?」
江端:「ん? そんなの、決まっているじゃん。『燃費』『機動性』『車庫不要』『安価な保険料』『単独行動』」
嫁さん:「・・・違う。何か間違っている」
以前にもお話しましたが、我が家で家族全員でアニメを見る為には、
「嫁さんの承認」
が必要です。
嫁さんは、アニメが好きではないからです。
で、私が今期、推したのが 「銀の匙」と「サーバントxサービス」の2本です。
推薦理由は、前者のコミックが凄く評判が良かったこと、後者が「Working!!」と同じ原作者だったからです。
取り敢えず、両方とも嫁さんに初回を見て貰い、正式に承認して貰いました。
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「サーバントxサービス」は、舞台が区役所という、従来のアニメの常識では考えられないような設定を持ち込んでいます。
ところで、私、盲点だったのですが、「役所」って、悩み相談を聞いてくれところだったんですね。
♪ なんか困っちゃっているなら、Welcome〜 ♪
というオープニングのフレーズで、気がついたんですよ。
「公僕」と言われると分からなかったのですが、「サーバント」と言えば、確かに「使用人」「家来」「召使い」「奉仕者」という意味があります。
「サーバントxサービス」とは、「召し使いのご奉仕」のことですよね。
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私、「なんか困っちゃっている」んですよ。
――違法な二次創作に関して、どんなに丁寧にロジックを詰み上げて、その違法性を説明しても、剥き出しの感情だけの汚い酷い言葉で傷付けられる ――
という悩みで、困っています。
区役所で、相談に乗って貰えるでしょうか?
それはさておき、
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「区役所」を舞台にできるなら、是非「IT研究所」のアニメ化も検討して頂きたいです。
へへへ・・ネタは、結構提供できますぜ、ダンナ。
こちらたぁ、金融、交通、流通から、国防システムに関するまで、望みのままですぜ。
あ、いや、嘘です。しゃべりません。お客様の秘密は絶対です。
なにしろ、私の口の硬さは絶対です。デューク東郷か、江端智一か、と言われるくらい、守秘義務に関しては、定評があります(日記公開していますが)。
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ところで。
『システムに関わったエンジニアを拉致して、システムの内容をしゃべらせる』という内容の、映画やマンガって結構な数ありますよね。
このような映画やマンガを見ながら「ふん、何、考えているだか」って、いつも思っています。
そもそも、「しゃべらせた」としても、誰も理解できないですよ!(キレぎみで)
我々が、数ヶ月から一年以上もかけて、必死こいて、ようやく理解に至れるようなシステムの全体像を、
「拷問による自白」程度の内容で理解できるほど、社会インフラシステムという奴は、甘いものではないんだ!(キレている) 。
エンジニアを舐めるんじゃねーぞ! ゴルゴ13!!(もう、誰に何を怒っているのかも分からない)
「優秀でない人」が「優秀なように振る舞う」というのは、これ以上もなく醜悪な風景であり、見苦しいこと、この上もありません。
しかし、「優秀な人」が、「自分の優秀さを理解していない」というのも、
―― まあ一般的には、「美談」として語られることが多いのですが ――
酷く「困る」こともあるのです。
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エンジニアの世界の中でも、特に研究員に強く求められているのは、「発明」です。
「発明」というと、エジソンが発明して、具体化したような「電球」などを考えてしまいがちです。
しかし、実は「発明」だけであれば、エジソンは「電球のプロトタイプ」まで作る必要はなかったのです。電球の仕組みを「思いつく」だけでも発明としては十分なのです。
発明とは、「技術的思想の創作」(特許法第2条1項)であり、それを有体物として具体化することまでは要求されていないからです。
しかし、それが単なる「アイデア(=技術的思想の創作)」で完了するか、「実際に電球を作っちゃう」の間では、
―― その「凄さ」については、そりゃもう、天と地ほどの差があります。
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私の勤務している会社には、それほど数は多くありませんが、「作っちゃう」という人間がいます。
私が、「そのアイデアは、こういう風に使えると、素敵だよね〜〜」というと、本当にそのものを現実に作り上げて来てしまう、技術者がいるのです。
―― お前は魔法使いか!?
と、腰が抜けるほど、驚かされます。
私の勤務している組織には、英語だけでなく、このような技術力に関しても、「神に愛されている」エンジニアがいるのです。
そして、困ったことに、このようなエンジニアは「神に愛されていること」に全然気がついていないのです。
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『えー、こんなの簡単ですよ。誰でもできますよー』
―― できないってば! 少くとも私に関しては、次の人生でも、その可能性は絶無だってば!!
『えー、特許明細書ですかぁ。こんなの特許されませんよぉ。公知技術の単なる寄せ集めですよー』
―― 百歩譲ってその着想は「寄せ集め」かもしれないけど、それを、具体化するまでのプロセスには、山程の、新規な発明が含まれているんだってば!!
『えー? 書くんですか。面倒くさいなぁ。江端さんの発明にして貰っていいですよ』
―― 出願人は譲渡できるけど、発明者の地位は譲渡できないんだってば! そんな出願してしまったら、特許が無効にされるんだよ!!
という訳で、このような「優秀な人」が、「自分の優秀さを理解していない」ので、私は、その人の代わりに、特許明細書を執筆して、日本や欧米の特許庁と、特許査定を巡るバトルを展開しています。
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「自分の発明しか愛せない」が、私のモットーなのですが、このモットーに反しても、守りたい、という発明もあるのです。
もっとも、私がそのような殊勝な気持になるのは、その「優秀な人」の、ダークマターのような「無欲さ」に、私が、とても好感を持っているからなのですが。
まあ、そう考えると、
という、私のポリシーからは、それほど、ズレてはいないのかもしれません。
先週の日曜日、私を除く家族は嫁さんの実家に帰省中でした。
―― チャンス到来
私は、料理を作ることが好きなのですが、それを家族が食べてくれないのです。
「不味い」という訳ではなく(多分)、私の選んだ食材を、家族が受けいれてくれないのです。
レバー、タン(舌)、ハツ、モツ(臓物)を使った料理は、誰も食べてくれません。
栄養価の高い、美味しい食材なのですが、家族には、そういう理屈は通りません。
私だって、どんなに美味しいからと勧められても、昆虫(ゴキブリ等を含む)などの料理を食べることは躊躇します。
料理というのは、先ず第一に「快楽」でなければならないです。心が拒むものを、美味しく味わうのは無理です。
もっとも、外国において、このような料理を喰うことで、色々なメリット(タダ飯、タダ宿等)を得られることがあるときなら、私は、昆虫でもゴキブリでも食べれるだけの精神力は鍛えているつもりです。
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で、先日、温度計で37度のキッチンで、激辛のカレーを作りました。
CoCo壱番屋で「5辛」を躊躇なく注文できる、この私が作るカレーです。
これを、クーラーをつけずに扇風機を全力で回して、カレーをかきこみながら、それを、ビールで流し込む。
クゥゥゥ! これぞ「男の夏」!!
と、自己陶酔しながら、食べていたのですが、
なんか、視線がぶれるような感じがして、視界にモヤがかかったような感じがしてきました。ちょっとフワフワとして気持ちいい感じ、というか。
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ヤベッ! これって、熱中症の初期症状か!!
私は、慌てて窓を閉じて、クーラを全開にして、暫く安静にしました。
程なく、頭はハッキリとしてきて、症状を脱したことを確認しました。
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新聞の見出しや、ニュースのヘッドラインが、
「中年男性、猛暑の中で激辛カレーの食事中、熱中死」
というのは、マスコミに、楽しいネタを提供するだけのことでしょう。
私、これまでも 自分の過失で何度か死にそうになってきたのですが、
私が「激辛カレー」で死んだら、残された家族は「色々な意味」で相当辛い思いをすることになるでしょう。
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この話を、昨日次女にしたところ、
『パパ! 変な死に方「だけ」はしないでよね!!』
と、かなり怒られました。
昨日、
『料理というのは、先ず第一に「快楽」でなければならないです。心が拒むものを、美味しく味わうのは無理です』
と記載致しました。
私達が、小学生の頃、給食が食べられない子供を、昼休みの間も残して、強制的に食べさせるという、
―― 残酷な私刑(リンチ)
がありました。
なぜ、クラスメイトに対する、あのような教師による(というか、多分、教育に関する組織的な)暴力を止められなかったのか ―― と、今でも、私は後悔しています。
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「小食」や「偏食」って、本当にそれほど身体に影響があるのでしょうか。
「偏食で死んだ」という子供を、私は知らないんですよ、一人も。
身体の成長が思わしくなくなり、不健康になり、知能の発達が阻害され、大人になって病気がちになる ―― と、高々、その程度のことなのでしょう?
仮にそのような影響があるとして、それは上記の「リンチ」を行使してまで、強制するほど、深刻なものなのでしょうか。
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我が家では、「食べたくないものは、一口も食べないでよい。食べれないことに対して、誰も責めてはならず、負い目を感じる必要もない」というルールを適用しています。
(ついでに言うと、『無理して食べるな。こっちに寄越せ』といって、(大抵の場合) 嫁さんと私で食べてしまいます)
―― お前たちが、食事を食べないのは、全く自由である。
―― 間食しようが、偏食しようが、食事を抜こうが、全くの勝手である。
―― しかし、それによって、将来に起るかもしれない、色々なトラブルを自分でちゃんと調べた上で、その責任は全て自分で負え。
と、ことあるごとに繰り返しています。
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すべての家庭がで、このように運営ができる訳ではないでしょうが、
我が家の場合、「父親に食べ物を奪われる」という警戒心から、娘達は自分達の食事を確保するようになりました。
初音ミクは、人の声を生成する楽器ですので、どのような歌でも歌わせることができます。
いかなる、思想、歴史、政治、体制、まったく制約はありません。
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今朝、久々に、「初音ミク」のことを思い出して、日記のネタを考えていました。
―― 「初音ミクの『君が代』」は当然にあるだろう。なにしろ、祝詞(のりと)まであったくらいなんだから。
―― しかし、「初音ミクの『インターナショナル』」はないだろう。
―― よし! 今日は、このネタで書こう。
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「インターナショナル」とは、
■社会主義者の歌の一つで、基本的には共産主義革命を目指す運動家によって良く歌われた歌です。
■労働組合運動の団結意識を高める際にも歌われました。
■1960年、70年安保闘争、学生運動でもよく歌われました。
■1917年から1944年の間、ソビエト連邦の国歌でもありました。
それは、まさに「革命歌」
―― 起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し ♪
―― 醒めよ我が同胞(はらから) 暁(あかつき)は来ぬ ♪
―― 暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて ♪
―― 海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく ♪
―― いざ闘わん いざ 奮い立て いざ ♪
―― あぁ インターナショナル 我等がもの ♪
旋律も本当に美しく、多くの革命を目指す人達に愛されてきたというのも理解できます。
実は、私、一番だけなら「歌えます」
当時、もう学生運動の残滓だけが残っていた大学の自治寮で、先輩に教えて貰いました(つまり口伝です)
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「これを、初音ミクに歌わせてみよう! かなり評判になるにに違いない!!」
「今の日本の左翼勢力が、私にテロをかけるだけの力量は残っていないだろう」
てなことを考えながら、それでも、念の為、ネットで調べてました。
初音ミクの「インターナショナル」を見つけて、がっかりでしたが、一応、 聞いてみました。
それで ―― 「自我崩壊」を起こしそうになりました。
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私のもっていた「インターナショナル」のイメージはこちら
「初音ミク『インターナショナル』」はこちら
・・・もう、本当に、何がなんだか・・
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ちなみに、私、赤松健先生の「世界平和戦略」を本気で信じている一人です。
購入した、あるいは譲って貰ったパソコンに、ウイルスセキュリティツールを入れる為には、インターネットに繋がなければなりません。
でも、このインターネットに繋がった瞬間に、ウイルスに感染する可能性はゼロではありません。
セキュリティツールのインストールが完了するに、感染した場合、そのセキュリティツールそのものが、逆に、自分のパソコンや他人のパソコンを攻撃するツールになる、ということは、十分にありえます。
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「心配しすぎだ」という人は多いかもしれません。
しかし、私なら、こういう研究テーマを貰ったら、嬉々として、そういう攻撃ツールを作りたいと、心底から思う。
―― 多分、2日や3日の徹夜なんぞ全然平気で、コーディングしてしまうだろうな ―― と思える。(まあ、それに見あった技量があるかどうかは、別論ですが)。
そういう人間を「自分の中」に見い出せるからこそ、そういう想定ができるのです。
この話を、もう少し大きく捉えてみれば、「戦争」を具体的にイメージできる人間がいるからこそ、先手を打とうとして、「開戦してしまう」という、開戦のジレンマがあるのだと思います。
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「はだしのゲン」の、原爆投下シーンの地獄は、個体差はあるとはいえ、子どもに、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を与える可能性があります。
今回の閲覧制限問題は、政治的はものではなく、本当に医学的観点からの要請であったと、私は信じることができます。
事実、私は、今でも(40年経過していますが)、あのシーンを原爆投下の地獄のシーンを鮮烈に思い出すことができるくらいです。
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これは、大変難しい問題だと思います。
我が家でも、娘たちに、映画「シンドラーのリスト」を見せる時期を、見計らっています(主に、嫁さんが心配している)。
また、あの名著「バナナフィッシュ」を、どういうタイミングで、我が家の共有図書館に陳列するか、を、悩んでいます(主に、嫁さんが心配している)。
(ちなみに「我が家の共有図書館」とは、二階のトイレのことです。私が、日曜大工で、トイレの空間を、書架に改造してしまいました。嫁さんが、予算を認可してくれたので、それなりに美しい書架になったと自負しております)
その一方で、私は、こういう問題を「放任」しても良いのではないかと思うのです。
例えば、"How to SEX"については、男の子であれば下品なエロ本が、女の子であればふつーの(本当に普通の)マンガコミックが教えてくれます(最近の小学生向きのコミック、凄いですねえ)。
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私は、「はだしのゲン」も、『無造作に書架に放置する』という取り扱いが、最終的には一番良いのではないか、と、思うのです。
保護者が、そのような「きっかけ」をコントロールするのは止めませんか。自分の子供が、PTSDになるかどうかは「運」に任せてみませんか。
これは、リスクに見合うメリットがある、と思うのです。
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私は、「はだしのゲン」を、当時の連載で読んで、本当に怖くて寝れない日がありました。
それでも、原爆や戦争を、それを実体験することなく、「憎悪と憤怒と理不尽に拳を握りしめる」人間として完成したことを、
―― 本当によかった
と、心の底から思えるのです。
私が、横断歩道のない、交通量の多い多車線の車道を横切ろうとする時に、
(極めて稀なのですが)「止まってしまう車」がいて、大変危険な思いをすることがあります。
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信号や横断歩道のない車道を横切るのは危険な行為なので、私は、自動車の動き、特に運転手の視線を追うことにしています。
運転手が、今どこに視線を向けているかを見て取り、どのように自動車を走らせているかを推測することは、安全な横断をする上で、とても重要であるからです。
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ところが、そのような私の目線に気がついた女性(ほぼ100%が中年以上の女性)の場合、車道のど真ん中で、いきなり自動車を止めてしまうのですよ。
これは、後続車との間で追突事故を発生させる、大変危険な行為です。
理由は大体分っているのです。
彼女達は「怯えている」のです。
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―― あれ? 横断しようとしているあの歩行者、凄い形相して私を見ている
―― なんか、分からないけど「怖い」!
―― ええっと、どうすればいいんだろう? 止まっちゃた方がいいのかな?
―― いいや!止まっちゃえ!!
と、朝の交通量の多い道路で、いきなり自動車を止めるものですから、道路はちょっとしたパニック状態になります。
そして、私は頭の中で組みたてていた横断のタイミングを失い、今度は(本当に)怒りの表情で、その運転者を睨めつけることになる、と。
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制御システムにおいては、「原因不明の事象が発生したら、問答無用で停止させる」というのが、基本的な考え方(フェールセーフ)です。
しかし、その場合でも、系(システム)全体の安全を担保することが条件です。
「なんか分からないけど、止まっちゃえ」という弱気な運転ポリシー、本当に止めて貰えませんでしょうか。
「弱気に対応しておけば安全」というのは、ご近所のコミュニケーションでは通用する運用なのかもしれませんが、
自動車運転の場合は、大惨事になることだってあるのです。
ハンドルを握る以上、社会インフラシステムを安全に運用する義務が課せられている、一員なのです。
交通法規に基づき、もっと「信念」をもって運転して下さい。
新聞の編集部が舞台となっている、ある本を読んでいたのですが、
新人の買いた取材ルポを、上司が一読すると、その用紙をくしゃくしゃにして、ポイと投げるシーンが出てきます。
「ボツ! やりなおし!!」という上司に対して、
「あ、・・あの・・・どこが悪いんでしょうか」と尋ねる新人に、
「自分で考えろ。誰も教えてくれないぞ」といって、新人に大量の資料を手渡す上司が出てくる場面があります。
今の日本では、こういう「バカげた指導」を行っている職場は、残念ながら存在しているようです。
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こういうシーンが結構な数、見られるのですよ。特に、テレビ番組の、「寿司職人」「大工職人」などの、職人シリーズに多い。
「バカヤロー、お前は俺の仕事の何を見てきたんだ!」
と怒鳴る先輩職人のシーンを見ると、私なんぞは、
―― バカはお前だ。なぜ、大切な仕事の内容ならば、それを体系だてて、順序よく、理解しやすいように説明してやらないんだ。
―― お前にプレゼン能力(説明能力)がないばかりに、新人が効率よく仕事の内容を取得できずにいるんだろうが、阿呆が。
―― 自分が、「寿司握っているだけ」「工具を使っているだけ」で、新人が育つなどという、そんな都合のいい話があるか、馬鹿野郎めが。
と思ってしまうのですよ。
「仕事は盗むものだ」と信じているこういう先輩や上司は、コスト意識がない上に、自分達の持っている技術を「上限」と信じている傲慢さが見て取れて、気分が悪いです。
自分の持っている技術を踏み台として、新人を、更なる高みを目指させるのが、メンター(指導者)というものではないでしょうか。
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ところが、こういうテレビ番組などで、こういう場面が頻出するところを見ると、我々日本人は、「仕事は盗むものだ」というストーリーが大好きなようです。
先輩に責められ、上司に叱責され、何度もやりなおしをさせられ、それでも、最後に成功して、「やればできるじゃないか」という先輩に「ありがとうございました!」と、涙ながら語る新人の台詞で終わる、というストーリーです。
―― 正直、うんざりです。こういう番組。
一人ならチャンネル替えてしまうのですが、食事の時に、家族全員で見ている時などは、つき合わなければならない時もあるのです(また、こういうことを指摘すると、家族の批判の目にも晒されますので、ガマンしています)
でも、どう考えたって、正解はこうでしょう?
(Step.1)先輩が後輩の良くない部分を指摘し、正しいやり方を口頭だけでなく図解や実際のやり方を示して、短時間で所定の技術を取得させる。
(Step.2)そんでもって、同じミスを2回した場合は、それを指摘し、改善がなければ、叱責する。それでも駄目なら辞めて貰う。技術を継承できない者は、不要であるから。
それだけのことですよね。
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ただ、このような構成の番組としたら、到底、視聴率は取れないだろうな、ということは、私にも分かります。
私は、ITの研究員ではあるのですが、「スマホ」という名前の電話機能付きの小型情報端末が、好きではありません。
私は、これまでありとあらゆる情報端末を使ってきましたが、その中でも、突出して使いたくないデバイスが「スマホ」です。
殆どなにも生産しないのに、電気喰うは、時間喰うは、デバイス熱いは、そもそもサイズがデカイく、持ち難い上ので、電話として使うには、最低最悪。
最近、会社でも、管理職から「スマホ」の配給が始まったのですが、当然、そんなもの貰っても困るので、断わっています。
私がどこまで「ガラケー」を持ち続けられているのかは、電話機メーカの努力にかかっています。
しかし、もうどのメーカーも、「ガラケー」にやる気がないのはミエミエでして、私は、今の携帯電話を非常に大切に取り扱っています。多分、この携帯が壊れた後、私は、「スマホ」に追いやられることになるからです。
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私は、マニュアルを一度も読みもしないで、「使えない」と言い張る見苦しい中高年から老人の一群とは違い、きっちり検証した上で、「これはダメだ」と認定したのです。
ですから、私のような「スマホ忌避組」というのは、結構な人口があると思っています。
今、メインフレームビジネスが復権していますし、記録テープが海外でバカ売れしているようです。
「ガラケー」の復権は、必ずある。電話機メーカは、私を信じて下さい。
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と、実はここまでは、単に前フリで、ここから本論。
現在、「スマホ」を手に入れたい長女と私の間で、静かな戦争が展開されています。
名付けて「コールド・スマホ・ワー」
ちなみに、私は、小学生低学年の長女に、無理矢理携帯電話を持たせた保護者です。
学校が所持を認めていなくても、ランドセルの奥に押し込むように、持たせていました。
学校が禁止を強要してきたら、行政訴訟の裁判を起こすくらいの覚悟がありました。
私は、子供に電話を持たせることを、積極的に推奨している保護者なのです。
しかし、それは「ガラケー」で十分であり、「スマホ」である必要はありません。ですので、長女からの「スマホ購入」の要求にはガンとして応じていません。
『「スマホ」を買って欲しいなら、私を論破してみろ!』と言い続けています。
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最近、長女が、反撃に転じてきました。論旨は以下の通り。
■リアルタイム天気予報というアプリがある。
■これは、リアルタイムで雨雲の動きを把握するアプリであり、雨の降っている場所を、1km単位で把握できるものである。
■このアプリがあれば、自転車で、図書館から自宅に帰る時に、「雨の降っていないルート」を選んで、帰ってくることができる。
―― え? 本当にそんなことできるの?
―― そんなことが、本当にできるなら、確かに「スマホ」を所持する価値がある。
―― でも、本当か、それ?
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という話を、先日、職場で話したら、同僚たちが、その「天気予報アプリ」に関する情報を ―― 頼みもしないのに、送ってくるようになりました。
今、私の周りの同僚は、私の長女の弁護団となって、私の「スマホ不要論」のロジックを、脅かしています。
本日は、ちょっとした実験をしてみたいと思います。
お手数ですが、まず、こちらの文章をご一読下さい。
御一読頂いたら、下記の文章に進んで下さい
----- ここから -----
新聞の編集部が舞台となっている、ある本を読んでいたのですが、
新人の買いた取材ルポを、上司が一読すると、その用紙をくしゃくしゃにして、ポイと投げるシーンが出てきます。
「ボツ! やりなおし!!」という上司に対して、
「あ、・・あの・・・どこが悪いんでしょうか」と尋ねる新人に、
「自分で考えろ。誰も教えてくれないぞ」といって、新人に大量の資料を手渡す上司が出てくる場面があります。
今の日本では、こういう「本質的な指導」を行っている職場が、どんどん減っているらしいです。
-----
しかし、こういう貴重な教育を行っている現場も、少ないながら残っているようです。特に、テレビ番組の、「寿司職人」「大工職人」などの、職人シリーズに多い。
「バカヤロー、お前は俺の仕事の何を見てきたんだ!」
と怒鳴る先輩職人のシーンを見ると、私は、
―― 本当に大変だろう。大切な仕事の内容であればあるほど、それは言語化しにくい。このような業務がマニュアル化できないことは、現場の人間であれば、とても良く理解できる。
―― 新人が、数少ない情報から自分の業務に関する仕事を取得することは、業務を行う上で、避けて通れない重要なことである。
―― 「寿司握っているだけ」「工具を使っているだけ」で、新人を育てるということは、本当に至難の技であろうが、それを、書面化したり、口頭で述べることでなく、「背中で語る」という姿には、頭が下がる。
と思ってしまうのですよ。
「仕事は盗むものだ」と信じているこういう先輩や上司は、効率の悪さを理解した上で、自分達の持っている技術の「全て」を伝えたいという誠実さと、優しさを見て取れて、本当に気分が良いです。
自分の持っている技術を踏み台として、新人を、更なる高みを目指させることを実践しているメンター(指導者)が、「ここにいる」という確かな確信を得ました。
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こういうテレビ番組などで、こういう場面が頻出するところを見ると、我々日本人は、「仕事は盗むものだ」というストーリーが大好きなようです。
先輩に責められ、上司に叱責され、何度もやりなおしをさせられ、それでも、最後に成功して、「やればできるじゃないか」という先輩に「ありがとうございました!」と、涙ながら語る新人の台詞で終わる、というストーリーです。
―― 本当に、素晴しい番組構成。日本も捨てたものではない。
こういう番組を見ていると、思わず貰い泣きしてしまいそうで、一人ならチャンネル替えてしまうのですが、食事の時に、家族全員で見ている時などは、平気な顔をして、見つづけなればならないのが辛いです。
これからの新人教育は、こうなるべきでしょう。
(Step.1)先輩が後輩の良くない部分を、わざと看過して、正しいやり方を口頭や図解や実際のやり方を示すことなく、時間をかけても技術を取得させる。
(Step.2)そんでもって、同じミスを何回やっても、それを指摘し、改善がなければ、叱責する。新人を決して諦めない。
やっぱり、これだけのことをしなければなりませんよね。
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このような構成の番組に、人気があることは、大変喜ばしいことだ、ということは、私にも分かります。
----- ここまで -----
さて、と。
私が、わざわざ、このような文章を作ってみた理由については、明日の日記に続けます。
2013-08-26の日記と、2013-08-28の日記を見比べて頂くと分かりますが、私は、全く同じ題材を使って、真逆の結論を導いています。
こういう文章ができてしまうと、「正しさ」というものは、あまり実体として意味がないような気がしてきます。
例えば、中国の学生達の「反日デモ」を見ていて、嫁さんや娘も憤慨していたりするのですが、私は家族に聞いてきました。
―― ねえ、仮にね、中国に生まれていて、中国で教育をされていて、あの若者と同じ年齢くらいだったとしたら、
―― 「自分があのデモ隊の中にはいなかった」、と言い切れる?
と、問うたことがあります。
嫁さんや娘達は『それは意味のない仮説だ』と、私の問いを即座に切り捨てました。
「だって、私達は日本人であり、今まさに、この時代に生きているのだから」と。
うん。私も、それでいいと思う。
そのような、無限の成立しうる仮説を前提に、自分の考え方を、いちいち検証していたら、何もできないし、何も主張できなくなります。
それは、分かってはいるのです。
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ちょっと話は、逸れるのですが、1960年、70年の安保闘争や学生運動の時代、「反米デモ」は、今の「反日デモ」の比ではなかったように思うのです。
しかも、日米安全保障条約は、「日本を守る」ことが表向きの目的だったのです(勿論、冷戦を背景として、米国の利益も非常に大きかったのですが)から。
あの時の、アメリカの人たちは、あの「反米デモ」をどのように見ていたんだろうなぁ、と最近、気になっています。
これを調べたら、「一本」書けないかなぁとも考えています。
それはさておき。
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私は、たまたま生まれた場所や、たまたま生まれた時代によって、左右される価値観で、本気で怒ったりすることを、「本気」ではできないのです。
それは、これまで、色々な本を それこそ ―― 左であれ右であれ、唯物論であれ唯心論であれ、宗教であれ哲学であれ、―― 読んできた結果、
つまるところ、私にとって「普遍的」「絶対的」なものを、私は見つけることができなかったからだ、と思っています。
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比して、「技術」というのは、絶対です。
動作が早いもの、価格が安いもの、多機能なもの、高性能なものが、
―― 絶対の正義です。
前提も、考察も、理念も、背景も、思いも、正義も、悪も、なにもかも無関係にすっとばして、必ず「正解」に辿りつくことができる、私が見る限り、現世における、絶対の真理です。
私がエンジニア(技術者)であり続けていることの理由の一つには、哲学的アポリアに心を砕くこともなく、世の中の矛盾と直面することもなく、世論に煩わされることもなく、日々を生きていけることにあります。
つまり、
「エンジニアは、生きていくのがラクチンな職業だ」
という面は、確かにあると思っています。
ちょっと、古い記事になるのですが、初音ミクを生んだ“革命的”技術を徹底解剖!ミクミクダンス、音声、作曲…というコラムを寄稿したことがあります。
これは、私が、ボーカロイドの仕組みが分かなかった時に、特許明細書、アルゴリズムそして、ソフトウェアの構成に至るまで、「初音ミク」の技術的調査を行った時の解説記事です。
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最近、読者からのツイートにこんなものがありました。
『この著者はミクを単なるプログラムだとしながら、それに対しての愛を否定していない。本当はどう思ってるか知らないが、その配慮が好きだ』
私は、最初、このフレーズの内容を理解できなかったのですが、暫く考えて、ようやく、分かりました。
―― あ! そうか!そういうことか!!
このツイートは、私の「愛」に対する疑義です。つまり、プログラムの一形態にすぎない「初音ミク」を、江端は本当に愛しているのかと問うているのであると、ようやく理解しました。
この読者の、疑義は妥当だと思います。
コンピュータのアプトプットを、普通の人間が普通に愛すことは、かなり難しいだろうと ―― 私でも思えるからです。
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しかし、私は、普通の人間ではないのです。
エンジニアなのです。
エンジニアは、無体物への愛を否定しません。いや、むしろ積極的に肯定します。
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例えばですね、私は、自分の開発したソフトウェア(仕事で開発したものと、プライベートで開発したものの区別なく)が、大好きです。
そのソフトウェア達が、私の思った通りに動いてくれた時には、コンピュータの前で、「よくやった! 偉いぞ!!」とソフトウェアを褒めながら、ビールを喰らったことは、数知れず、です。
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また、別の話になりますが、
何年か前に、ある移動体の通信方式の研究をしていたことがあり、その仕事の内容が、ある会社の交通機関で採用して頂いたことがありました。
それから数年後、たまたま乗り合わせた、その交通機関で、偶然パソコンを開いた時に、インターネットが繋がってしまった時、
私は、―― 嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらなくて(滂沱といやつ)、終点の駅まで、その感動を、嫁さんにメールしながら、一人泣き続けていました。
周りの人には迷惑をかけたと思います。
相当、気持悪かっただろうなーと。
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まだあります。
ある日本最大手の電話会社の交換機(ルータではない)のソフトウェアの開発を手伝っていたことの時です。
その交換機装置の再起動が上手くいなないので、困っていたことがありました。
その交換機の開発主任に相談したところ、
「お前は、その再起動時に『愛を込めて』リブートボタンを押したか」と言われました(本当の話)。
「いいか、こうやって、左上方から、ゆっくりと右下方に向けて、腕を内側に曲げるようにしてだな、そうして『立ち上がって下さい』と心の中で念じながら、ボタンを押せば」(本当に、このセリフの通り)
「ほーら。な。」
主任がリブートボタンを押せば、いつでも、その交換機は再起動に成功したのです。
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私の中では「『技術』は『愛』というプラットフォームの上でしか機能しない」は、信念でも観念でも思い込みでもなく、
―― 「事実」です。
まして、ですよ。
「初音ミク」は、可愛らしい外観と、素晴しい歌唱力、そして、驚異的なダンスパフォーマンスを提供する、現時点における最高水準の技術の粋なのですよ。
そのような「技術」に「愛」が宿らない訳がない。
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皆さんの多くは、我々エンジニアを見損なっています。
我々は、交換機にさえ「愛」が求められるのです。
そのような我々が、ボーカロイドへの愛を、理解できない訳がないのです。
TOEICを受験してきた、その翌日に、TOEICのコラムが掲載されていることに気がつきました。
因果を感じますが、気のせいでしょう。
もう、世の中、もう、「TOEIC花ざかり」ですから。
今回のコラムでは、私は私なりのTOEICの意義とその行動方針(「だらだらと受験を続ける」)を明示してしまいました。
ですから、自分で、それに逆らうことができないのです。
―― つまらないことを書いてしまった
後の祭でした。
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最近、いわゆる「TOEIC攻略法」と言われる本を、かなり読み込んだのですが(もちろん、立ち読みで)
―― 所詮は、英語に愛されている者たちの「戯言(ざれごと)」だ
と、切って捨てています。
彼らは、まだまだ甘い。
TOEICを、本質的に破壊させ、事実上の解体に導くには、この程度の攻略法では、全然足りない。
しかし、私がこのようなTOEIC(の殲滅戦)の研究を始めたとしても、すでに「後発参入」ですので、何か「売り」を出さなければなりません。
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今、私は、TOEICの勉強を1秒もすることなく、TOEICのスコアを上げる方法を、「本気」で考えています。
何かあるのではないか、と、思うのです。
例えば、
『「レストラン」という単語が聞こえたら「店の改装」という解答を選べ』
『「ホテル」という単語が見えたら「空調装置の故障」という解答を選べ』
というような、英語と全く無関係な、そういう法則性だけで勝負できないか、と。
あるいは、ETS(Educational Testing Service)組織の徹底調査、スーパーコンピュータを用いた出題予測推論、あるいは、解答(A,B,C,D)のマークシートパターン推測、等々。
不正行為(問題作成者の拉致・監禁・拷問、問題配布ルートの襲撃、あるいは試験会場の爆破テロ)以外であれば、どのような手段も「正義」であると位置づけた、徹底的なTOEIC壊滅作戦の立案。
これは、研究員たる私が、その人生を賭けるに足る一大研究、ライフワークである、と思えるのです。
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ところで、
一昨日、TOEICを受験してきた後輩が、
「勉強はしませんでしたが、直前に江端さんの全てのコラムを読み直しました」
と言っているのが聞こえました。
―― 何、考えているんだろう?
「彼は、私のコラムの趣旨を理解していないのか?」と、私は、首をかしげていました。
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私のコラムで、TOEICのスコアが上がるのであれば、
著者である私のスコアが、あのように「悲劇的」で「壊滅的」である訳がありません。