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2013-08-08 あなたは「黙祷」で何を考えていますか

広島原爆投下の日時 8月6日 08:15分には、私は、NHKのテレビの前で1分間の黙祷をすることにしています。

正確に言うとですね、08:09分くらいから、椅子の上に座って、目をつむって、イメージを始めます。

原爆を投下した、B-29 エノラ・ゲイ号が、広島市街を目視で確認したのが、その時間。

そこから、高度1万メートルで広島市内に入ってくるイメージをして、同12分、B-29が自動操縦に切り替えて、目標を補足後、8時15分17秒に自動投下されます。

43秒間の自由落下後、地上600メートルに達したところで、原子爆弾リトルボーイが炸裂。

摂氏3000度。

福島原発の5重の壁をやすやすと破った、地球上で再現できる最高レベルの灼熱温度。

太陽から地球までは、149,600,000km。それでも真夏の太陽の光は、人間の皮膚を簡単に焼く。

その太陽と同じものを、たった600メートル(1000分の1の1000分の1の1000分の1の距離)程度しかない、人間(しかも非戦闘員)の頭の上で、爆発させた奴がいた。

―― いた。

-----

どんなに痛かっただろう。

どんなに熱かっただろう。

どんなに苦しかっただろう。

そして、その後も、生まれてきたことを憎悪するくらいの、地獄を生きなければならなかったのだろう。

-----

私の黙祷は「穏やかなる原爆犠牲者の鎮魂」ではありません。

私の持ちえる限りのあらゆる情報を最大限総動員した「原爆投下時の地獄の再現」です。

そして、目をつぶりながら、あらんかぎりの憎悪と憤怒と理不尽に拳を握りしめる ―― これが、私の8月6日の「黙祷」です。


2014-08-08 私、新人教育のころ、「報告書を4コマ漫画で提出できますか」という質問を真面目にしたことがあります。

(昨日の続きです)

現在執筆中の報告書の話に戻ります。

I want to go back to the report that I am writing now.

現在の研究では、各種の解析手法を試みており、その概要説明の章を設ける予定です。

I am trying several analysis methods in the study at present, so I am going to make one chapter for the introduction.

その一つとして、ある推論手法があるのですが、その説明に、 この図を使って良いものか否かについて迷っています。

According to one of the methods, I wonder if I use this picture for the introduction.

これを使えば、一発で、その手法を理解して貰えるとは思うのですが、今度は部長がふっ飛んでくるだけではすまないかもしれないです。

Though everybody can understand the method easily only to watch this picture, I am afraid that I will never get away with being scolded by my manager,

まあ、サラリーマンですから、ここは「冒険しない」が正解でしょう。

I am just a business person, so I should not run a risk.

-----

Apart from the above,

しかし、報告書というものは、読み手に理解させてナンボだと思うのです。

the significance of reports is to make readers understand well.

そこに、モラルやら品位やらが入り込み、表現の制約が入ると、いきなり読み難くなるような気がするんです。

In my opinion, it becomes to be hard to read reports that include moral, dignity, and quality.

私、新人教育のころ、「報告書を4コマ漫画で提出できますか」という質問を真面目にしたことがあります。

When I was a new face, I asked an adviser whether I can submit a report as four-frame cartoon seriously.

あの「困惑した講師の顔」は、今でも良く覚えています。

I remember the puzzled adviser’s face very well.


2015-08-08 ですから、―― 「鼻栓」というのが、あっても良いと思うんですよね。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

電車の中で、電話でしゃべる人は最近減ってきました。

In a train, people who talk on the telephone decreased recently.

10年くらいの月日を経て、「マナー違反」であるとの認識が浸透してきたようです。

After the time of around ten years, a recognition that the call in the train "was manner violation" seemed to penetrate.

また、Podの低価格化によって、そのような不快な会話(あれは、会話の一方しか聞こえない為、不快になるそうです)を聞こえなくできるようになりました。

In addition, the price reduction of music pod gives up an environment to prevent you from hearing such an unpleasant conversation (It is said that it is for the sounds like only one side of the conversation)

つまり、「耳栓」が完成した訳です。

In other words "ear plugs" has been completed.

-----

ですから、―― 「鼻栓」というのが、あっても良いと思うんですよね。

Therefore I think that "nasal plug" should be needed.

水泳選手の付けているようなものを、オシャレでポップな感じにして ―― という方向ではなくて、エンジニアリング視点で、

That is not fashionable pop-type a swimmer usually uses, but from the view of engineering.

―― 鼻呼吸が可能で、しかも、外部から視認できないよな「鼻栓」

"The "nasal plug" which nose breathing is possible and cannot confirm from the outside".

です。

潜在市場は物凄いと思いますよ。

I think that the potential market is frightful.

日常生活だけでなく、医療や介護現場の必須アイテムですから。

Because it is medical care and a required item of the care spot as well as everyday life.

-----

それでは、私は明日から、夏休みの全日、実家の家事の為に帰省してきます。

Then I am going to go my parents home to do housework from tomorrow to the end of this summer holidays.

仕事も、3本持っていきます。

with three works I will have to finished.

今回は、次女がついて行くというので、アクションリストも増えました。

In addition, the counts of action list is increasing, because my junior daughter want to go with me.

-----

今の、私の願いは一つ。

My hope is simple.

『早く終われ。夏休み』

"Finish the summer holiday as soon as possible"


2016-08-08 "「とても良い」★★★★★"

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

どうせ「安かろう、悪かろう」だろうと思って、洒落で「夏用スラックス」を1着、購入してみたのですが ――

Anyway, "cheap and nasty" I thought, and I tried to get "summer slacks" from Amazon with just joking , however,

これがビックリするほど、サイズもピッタリで、着心地が良く、(私が見る限り)デザインも無難で、つまり、私にとっては、

the slacks were surprisingly good for me, about the size, pleasant texture and normal design (for me).

For me, the value of the slacks are

"「とても良い」★★★★★"

"Very Good ★★★★★"

なのです。

まぐれ当たりの可能性もあるかと思って、今度は、色ちがい(紺)も購入してみたのですが、

I might have won by a fluke, so I re-tried to get the same slacks in other color(dark blue).

―― 一見、学生服のようにも見えますが ―― 私には、全く文句はなく、毎日、快適にスラックスを履いて、通勤しています。

Even having the appearance of school uniform, I have no complaint to wear it and to go to office everyday.

-----

「大量生産の時代は終った」と言われて久しいですが、敢えて逆張りをする、このビジネスモデルに心から感心しています。

Some people say that "mass consumer society" had finished " for quite a long time, though, I am impressed by this reversed business model at the bottom of my heart.

これは、『ほとんどの場合、返品が無条件で認められる』というAmazonのビジネスモデルともマッチしており、

This model goes well with Amazon's return policy, that permits good returns without conditions in many cases.

そして、

Moreover, I think that this business model is revolutionary, because

『衣服に対して、機能のみを求め、娯楽の要素を、1mmも感じない』

というユーザ層を発掘し、そのハートを見事に射貫いた、という点において、革命的とも言えるビジネスと思います。

they find a consumer layer, who are not interested in clothes design and entertainment at all, but pursuit the function only.

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ただ、このサービスの享受を受けるには、自分の体を、一定のパラメータの中に収める必要があります。

However, in order to derive advantage from this service, we should keep our body specifications into the standard.

過度に大きい、小さい、肥満、痩身の人は、このサービスから弾かれる訳ですが ―― よく考えれば、それは、普通の服屋でも同じことですね。

The people who are too big, too small, too fat, and too slim are excluded from this service.

On second thought, however, it is same as the ordinal clothing department.


2017-08-08 江端:「あなたの母国語の語彙が、英語の1/10しかないというのは ―― 大変失礼な質問とは存じますが

以前、浜松で開催された国際学会に参加した時、アフリカ出身の研究者の発表を聴講しました。

Previously, I attended a lecture whose speaker came from a small country in Africa.

確か、母国にあるマイノリティな言語を、英語などの他の言語に翻訳するエンジンを作成する、という内容の発表だったと思います。

As I recall, he was trying to make an translation software between their mother mother tongue and English, e.t.c.

一番の問題は、「語彙数の非対称性」なのだそうです。

He said that the most important problem is the asymmetry postulate of amount of vocabulary.

要するに、そのマイノリティの言語の辞書は、英語の辞書の1/10しか言語が記載されていない、とのことでした。

In short, the vocabularies of the minority language dictionary is just one tenth of those of English

発表後に、質問してみました。

I asked him a question after the lecture.

江端:「あなたの母国語の語彙が、英語の1/10しかないというのは ―― 大変失礼な質問とは存じますが

Ebata:"I am interested to hear about the less numbers of vocabulary in your country. I don't mean to be rude, but I want know the reason. Now I have two ideas.

(1)あなたの国の言語表現力が低い、

(1)Representational power of your native language

あるいは、

or

(2)あなたの国の言語は、組み合わせることによって、バラエティのある言語を表現できる

(2)Your native language can express a variety of meaning using complex combination of the vocabulary.

のいずれか、ということでしょうか?」

研究者の方:「いえ、そういうことではなく『単に、電子辞書の整備が遅れている』ということです」

Speaker:"Both are incorrect. The reason is simple, "a development of electronic dictionary is delayed"

-----

『そりゃそうだよなー』と思いました。

"Quite so", I think.

人間が生きているところであれば、当然、そこに発生する概念は、概ね同じになるはずです。

Wherever human beings live, I think, the concept coming into being, should be almost same naturally.

極端な例ですが、喜怒哀楽の、「怒」だけがすっぽり抜けている、という言語というものは、ちょっと想起するのが難しいです。

For an extreme example, I cannot bring a language without a concept of "anger" to mind.

しかし、「怒」だけがすっぽり抜けている国があったら、そこで生まれ育った人は、結構幸せなのではないかな ―― などと考えていました。

On the other hand, I also think that people might be happy in the country where they live.

特に、私のように「アンガーコントロール」が苦手な人間にとっては。

Especially, for a person like me who is not good at "anger control"


2018-08-08 『これを読んだら、とっとと失せろ』

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

ネットで調べると「直葬」の情報については沢山でてきます。

When I look it up on the net, I will have plenty of information about "direct burial".

直葬を選ぶ人の理由は、

The reason why people can choose "direct burial",

(1)経済的事情(お金がない)

(1) Economic circumstances (there is no money)

(2)宗教観の変化(特に信仰がないからお坊さん呼ばなくていい)

(2) Changes in the view of religion (I do not have to call a monk as there is no faith in particular)

(3)人間関係の希薄化(参列者がいないからお葬式やらなくてもいい)

(3) Dilution of human relations (Since there is no participant, it is not necessary to do a funeral)

で、それぞれ、もっともな理由です。

And, each is a good reason.

私の場合は、(2)(3)ですね。

In my case, it is (2) (3).

(1)のようにお金がなくなるかもしれませんが、金があるなら「普通の葬儀をやったと思って、その金で、海外旅行でもして、現地の言葉や文化を学んでこい」と勧めます。

As in (1), money may be gone, even if I have money, I will recommend going an overseas trip and learning a language and culture of the country with the money for my family

都心部に「直葬」を選ぶ人が多いようです。都市部は、そういう「しがらみ」を避ける傾向がありますから。

Many people in the city center seems to choose "direct burial". Because urban areas tend to avoid such "disturbance".

逆に言えば、地方では「直葬」をやりにくいということでしょう。親類縁者は勿論、近所の人からのクレームもあるそうです。

Conversely, in rural areas it will be hard to do "direct burial". There are complaints from neighbors as well as relatives.

「何かをやらない」ということが、「何かをやる」のと同程度、あるいはそれ以上のエネルギーが必要なこともあります。

"Do not something" may require the same or even more energy than "doing something".

『私一人なら、トコトン世間と闘ってやるわい!』と思うのですが、闘うのは、「私」ではなくて、「遺族」になる、というのが、最大の難点です。

Even if I am alone, I will accept a challenge to a quarrel. However in this case, the target will not be me but my "survivor".

-----

これらの話は、全て家族の了承済みです ―― 条件付きですが。

All these stories are acknowledged by family members - although conditional.

家族からは、『直筆で本人の意志であることを明確にしておけ』と、散々言われています(面倒なので、ここ数日間のブログを電子署名にすれば足るという方向で家族には納得して貰うつもりです。

My family has ordered me that "Make it clear by handwriting for our safety" (Because it will annoy me, I will tell them that digitally sign for blogs in the last few days, is enough.

で、その文面の最期には、文面の最期には、

In the end of the sentence, I will add the following sentences.

『私が葬式をやらないのは、私の死後に、私の家族を困らせるような、あんたみたいなヤツに、来て貰いたくないからだ』

"The reason I decided not to do my a funeral, is YOU, who annoys my family. I don't want you to come to me"

『これを読んだら、とっとと失せろ』

"After reading this, go away"

と、付け加えておきます。

(続く)

(To be continued)


2019-08-08 ―― お前ら、土下座して、私に謝れ

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

私が、人生において、パソコンの創成期に立ち会えたことは幸せなことだとも思えます。

Well, it seems happy that I was able to witness in the early days of PC in my life.

しかし、同時に、私はパソコンを取り扱えるが故に、常に、敬意と迫害の両方を受けてきました。

But at the same time, I have always been both respected and persecuted because I could handle PCs.

当時、『オタク』とは、PCを扱える全ての者を示す蔑称でした。

At that time, "otaku" was a generic name for everyone who handles PCs.

アニメの愛好者は『オタク』とは言われていませんでした ―― というか、そもそも、アニメのコンテンツが、今のように溢れていませんでした。

Anime lovers weren't called "otaku". In the first place, the content of anime was not as full as it is now.

『いい大人が、いつまでも漫画(×アニメ)なんか見ていて、みっともない』という考え方が、当時の社会常識だったと記憶しています。

I remember that the idea that "it is shameful that good adults were still watching manga (x anime)" was common sense at the time.

―― PCと会話をするような人間は、人間とはまとにも会話できない

"A person who has a conversation with a PC, can't really talk to humans"

という、恐るべき偏見が蔓延(はびこ)る社会、それが「パソコンの創成期」という時代でした。

A society with tremendous prejudice, that was the era of "PC creation".

-----

そこから40年、今や、パソコンは、「第2の頭脳」として機能する携帯型デバイスになるまでに発展しました。

In the 40 years since then, PCs have been developed to work as portable devices that function as "the second brain".

これは、40年前には予想のできなかった未来です。

This is a future that was unforeseen 40 years ago.

今や、国民のほぼ全員が、この40年間の技術を享受し、その恩恵を受けています。

Now almost Japanese enjoys and benefits from the technology of the last 40 years.

だから、私は、今、上から目線で、言い放ちます。

So I'm gonna tell you from the top right now

―― お前ら、土下座して、私に謝れ

"Prostrate and apologize to me"

と。

(続く)

(To be continued)


2020-08-08 『(無自覚感染の)子どもや自分が老親の実家に帰省する』→『老親が感染、発病、入院する』 → 『高い確率で病院で帰らぬ人となる』

Most of the numbers I have in my head regarding COVID-19 are in this column.

According to data from the Diamond Princess,

■感染の可能性:20%

- Chance of infection: 20%

■感染者が死亡する確率:2%

- Chance of death of an infected person: 2%

ですので、

So,

通常の生活の範囲での、COVID-19による「私」の死亡率は、

I think that my mortality rate from COVID-19, in the normal range of life, is

「0.4%(1000人に4人) + α(年齢を考慮)」

"0.4% (4 in 1,000) + alpha (taking into account age)

と思っています。

一方、

On the other hand,

- the mortality rate for those infected with influenza is (in my age group) 0.01% (*)

ですので、

So,

「インフルエンザで1人死亡するベースで、COVID-19では20人が死ぬ」

On the basis of one flu death, COVID-19 will kill 20 people.

と、考えても、大きくは外れていないと思います。

And it's not off the mark to think

しかも、急激に容態が激変し、人間に相当に酷い苦痛を与えるという、最低なウイルスです。

Moreover, it is a disgusting virus that can rapidly and drastically change human condition and cause considerable and terrible suffering to humans.

ウイルスは(どんなウイルスであれ)、できるだけ、長期間、人間に酷い苦痛を与えて、可能な限り人(医師、看護師)を集めて治療させることで、感染の拡大を狙うという生存戦略を取るからです。

This is because the virus (any virus) has a survival strategy of trying to spread the infection by inflicting terrible suffering on humans for as long as possible, and by gathering people (doctors, nurses) to treat them as much as possible.

今更ながら「新型コロナウイスル = 殺人ウイルス」であることを、再認識しています。

After all this time, I am reminded that "new corona virus = killer virus".

-----

「新型コロナウイルス疾患(COVID-19)による死亡率 7.5%」 ――

"The mortality rate from novel coronavirus disease (COVID-19) is 7.5%"

このフレーズを新聞で見たときには、真っ青になりました。

When I saw this phrase in the newspaper, I was pale.

■"0.4%(日常生活でも死亡率)"とか"2%(感染後の死亡率)"ではなく、"7.5%"?

- "7.5%" instead of "0.4% (mortality in daily life)" or "2% (mortality after infection)"?

■それって、どういうこと?

- What does that mean?

■母数は何だ? 母数は?

- What's the population size?

■欧米より低いとか、そんな話はどーでもいいよ!

- I don't care if it is lower than the West!

と、正直、狼狽(うろた)えました。

To tell you the truth, I was upset.

■感染して病床についたら、10回のうち1回は、生きて外に出られないの?

- If you're infected and hospitalized, one out of ten times I won't make it out alive?

と。

===== ニュースの記事 ======

===== News article from here =====

国立国際医療研究センターが2020年3月から7月上旬までの入院患者2,638人の経過などを解析したところ、入院時、68.1%にあたる1,796人が軽症や中等症で、31.9%にあたる840人が重症だった。

The National Center for Global Health and Medicine analyzed the course of 2,638 hospitalized patients from March to early July 2020. At the time of admission, 68.1%, or 1,796 people were in mild or moderate condition. 840 people, or 31.9%, were seriously ill.

死亡した入院患者は全体の7.5%となる197人で、死亡率が20%を超えるイギリスやアメリカよりも大幅に少なくなっている。

There were 197 hospital admissions, or 7.5% of all deaths, which is significantly less than in the UK and the US, where the mortality rate is over 20%.

===== ニュースの記事(ここまで) ======

===== News article (to here) =====

197人 ÷ 0.075 = 2626.66 となっていることから、このデータの母数が"入院患者2,638人"を示していることは明らかです。

197 patients ÷ 0.075 = 2,626.66, which clearly indicates that the population of this data represents "2,638 inpatients".

ということは、COVID-19で、「軽症者等に係る宿泊療養」ではなく、「入院患者」となってしまった場合、

So, if the COVID-19 makes you an "inpatient" instead of an "overnight care for minor illnesses",

―― "10人(正確には13人)のうち1人"は、生還できない

"One out of ten (13 to be exact) won't make it out alive."

というのは、事実のようです。

seems to be a fact.

そして、欧米の場合

And in the West.

―― "5人のうち1人"は、生還できない

"One out of five may not make it out alive"

ということです。

「COVID-19は、極めて死亡率の高い病気である」

"COVID-19 is a disease with an extremely high mortality rate"

という事実を、再度認識し、改めて青冷めています。

I reaffirm the fact that, and I am pale once again.

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という訳で、僭越ながら、以下、私の私見です。

Here's my personal opinion.

『(無自覚感染の)子どもや自分が老親の実家に帰省する』→『老親が感染、発病、入院する』 → 『高い確率で病院で帰らぬ人となる』

If your child and you with an unconscious infected, are going home to your parents, your old parents infected, sick, hospitalized, and your old parents won't return to the hospital.

という"流れ"が見えます。

I can see the "flow" of this.

"7.5%"

"7.5%"

という数字を見て、このフローチャートが、強く現実味を帯びて感じられるようになってきています。

This number give me a strong sense of that reality.

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I was the one who killed my own parents with my own hands, however,

こんな思いと共に生きなければならない人は、少ない方がいいと思います。

The fewer people who have to live with these sense, the better it is, I think.


2021-08-08 あの時の私は、父を『エアコンで"虐待"していたのではないか』とさえ思うのです。

今日は、怖い話を一つご披露したいと思います。

Today, I would like to share one of my scary stories with you.

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先日、母の退院支援の日帰り帰省をする為に、新幹線に載りました。

The other day, I got on the Shinkansen to go home for a day trip to support my mother's discharge from the hospital.

―― 寒くて凍えそうになりました

"It was so cold and I almost froze"

昔の乗り物、映画館は、本当に凍えそうになるくらいの温度に設定されていて ―― というか、空気循環システムの機能が十分ではなくて ―― 場所によっては、「暑くて仕方がない」というところもあれば「寒くて凍えそう」と場所が、併存していたのです。

In the old days, rides and movie theaters were set to freezing temperatures -- or rather, the air circulation system was not fully functioning -- and some places were "too hot" while others were "too cold".

しかし、近年は、3次元シミュレーションの計算などによって、空気循環方法がかなり発達して、これらの問題はかなり解決されている、と思います。

However, in recent years, with the development of air circulation methods through 3D simulation calculations, I believe that these problems have been solved to a large extent.

なので、この異様な寒さに、私は「???」という気持ちでした。

So, when I felt the unusually cold, I thought to myself with many questions

実際に回りの人達は、寒くて困っているという風ではなかったからです。

In fact, the people around me didn't seem to have any trouble with the cold.

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その日、帰りの新幹線に載った時です。

That day, I was on the Shinkansen on my way home.

私は、実家から父の遺品である作業服を引っ張りだして、ナップザックの中に詰め込んでおいたのですが、今度は、

I pulled out my father's work clothes, his belongings, from my parents' house and stuffed them inside my knapsack, however, at thit time,

―― 暑くて、汗が吹き出してきました

"It was so hot, and I was sweating"

で、回りをみると、やはり、そういう風な光景は見られませんでした。

When I looked around, I couldn't see anything like that.

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原因は明快。

The cause was clear.

―― 「江端智一」の寒暖調整機能の劣化、または故障

"Deterioration or malfunction of the cold temperature control function of "Tomoichi Ebata""

です。

一昨年くらいから、出社すると、オフィスの空調で、凍えそうになったり、発汗したりと、メチャクチャな反応をするようになってきました。

Since about the year before last, my body has been reacting to the air conditioning in the office in a messed up way, freezing and sweating when I come to work.

また、就寝時のエアコンの設定温度の29度と30度の間に、翌日の体調を支配するような、大きなギャップがあることも分かってきました。

I have also found that there is a huge gap between the 29 and 30 degrees Celsius temperature setting of the air conditioner at bedtime, which dominates our physical condition the next day.

熱帯夜の日に、エアコンなしの方が『暖かくて気持ちがいい』とリラックスして体を休める日もあれば、雨天時の夜に、エアコンありでも、『暑くて目が覚める』という日もあり、

There are days when I can relax and rest without air conditioning on a tropical night, feeling, "It's nice and warm," and there are days when I can wake up with air conditioning on a rainy night, feeling , "It's too hot".

This situation was that,

―― 「江端智一」という被制御対象の取り扱いを、「江端智一」自身が制御できなくなりつつある

"Tomoichi Ebata" himself is losing control over the handling of the subject he controls"

という状況です。

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今は亡き父が、熱帯夜に、エアコンを付けないで就寝するのことを、姉と私は本当に心配していました。

My sister and I were really worried about our late father going to bed without air conditioning on tropical nights.

晩年の父には、『とにかく夜にはエアコンを付けるように』と、可能な限り努めていました。

We tried as much as we could to tell my father in his later years to 'turn on the air conditioner at night anyway'.

しかし、あれ、もしかしたら、

However, I come to think that

―― 父を、凍えさせていたのかもしれない

"The air conditioner may have been freezing my father out"

と思い始めています。

あの時の私は、父を『エアコンで"虐待"していたのではないか』とさえ思うのです。

At that time, I even think that my father was being "abused" by the air conditioner.

今回の『新幹線の中の寒さ』を思い出すにつれて。

As I remembered the "cold in the Shinkansen" this time.

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この問題、ぶっちゃけ、滅茶苦茶に難しいです。

This problem is, frankly, insanely difficult.

確かに、エアコンを適正に使うことができなかった父に対して、"熱中症"を心配していた、姉と私の振舞いが間違っていたとは思ってはいません。

I certainly don't think that my sister and I were wrong to be worried about "heat stroke" when my father couldn't use the air conditioner properly.

しかし、エアコンの設定温度"31度"(いいですか。"31度"ですよ)を、その日によって"寒すぎる"とも"暑すぎる"とも、両方を感じるようになった私は、なにが『正解』が分からなくなってきています。

However, I have come to feel that the air conditioner setting of 31 degrees Celsius (Listen to me! , it is "31" degrees Celsius) is either too cold or too hot, depending on the day, and I don't know what the "right" answer is anymore.

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以前にもお話しましたが、人間の死に方には2種類しかありません。

As I have told you before, there are only two ways for a human being to die.

(1)認知症を発症する前に死ぬか、(2)認知症を発症した後に死ぬか、です。

(1) you can die before you develop dementia or (2) you can die after you develop dementia.

そして、多くの人が(2)になります。

And many people will be (2).

(2)の人は、エアコンの操作ができなくなり、他の人にエアコンの操作を任せなければならなくなります。

The person in (2) will not be able to operate the air conditioner, and they will not be able to operate the air conditioner and will have to leave it to someone else to operate.

とすれば、近い未来、私には、『寒さに凍える夏』を、それを誰にも語れないままに、過さなければならない人生が待っていることになります。

This means that in the near future, I will have to spend my life in a "freezing summer" without being able to tell anyone about it.

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どうです、この恐怖。

What do you think, this horror?

そこらの怪談より、よっぽど怖いでしょう。

It's a lot scarier than those ghost stories.

でもですね、こちらは、フィクションではなくて、現実の話なんです。

However, listen to me. This is not a fictional story, but a real one.


2022-08-08 75kg超えのテレビを、普通の夫婦二人で、2階に運び、さらにタンスの上に上げる方法(後編)

I restarted the operation which were stopped on last Saturday, to avoid the risk of my slipped back.

その前に、このテレビの正確な重量を計測しておこうと思い、テレビの下に体重計を捩じ込みました。

Before that, I wanted to know the aaccurate weight of the TV, so I pushed the scale under the TV.

なるほど、これは、素人が運べる類いのものではない、と認識しました。

I realized that this operation is beyond my imagination for me, as an amature.

ただ、十数年前に、このテレビを設営したは、私のはずです。

However, it was me to install this TV more that a decade ago.

しかも当時もネットで購入しましたので、アシスタントはいなかったはずです。

In addition,at that time, I bought it from a net site, so there should not have any assistant.

どうやって、このテレビを自力で設置できたのか、今となっては全く思い出せません。

I don't remember how I could have install this TV by myself.

もし、『月日とともに、テレビの重量が増していく』という(オカルトのような)話を知っている方、御一報下さい。

If you know of any (occult-like) stories about 'TVs gaining weight over the months', please let us know.

それはさておき。

That asaide.

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課題は、この目の前にある、途方もなく高い山の頂きに、どうやって、このテレビを登頂させるか、です。

The problem is how to make the TV climb up a tremendously high mountain in front of me.

私の案出した方法は、極めて原始的な方法です ―― 『コンクリートブロックを詰み上げながら、テレビをリフトアップする』です。

My idea was very primitive. 'Lifting the TV while packing up the concrete blocks'.

しかし、この方法の場合、コンクリートブロックは合計28個必要となります。コスト的には大したことはありません(1個100円くらい)が、用途のないコンクリート28個の処分方法の方が問題でした。

However, this method requires a total of 28 concrete blocks. the prices were no problem (about 100 yen per unit), but another problem was more about how to use about 28 concrete pieces.

倉庫の中を見たら、脚立が2台あることに気がつきました。これを使って、半分の高さまで上げることができそうでした。

I looked inside the warehouse and noticed that there were two stepladders. Using these, I can lift the TV up to half height of the chests.

高い位置でテレビを支えられるよう、ロープで両端を縛って、脚立の上に、片方づつ引っ掛けて上げていきました。

To support the TV in a high position, the two ends were tied together with rope and raised on a stepladder, hooking one end to the other.

嫁さんには、私が片端を上げるタイミングで、脚立を動かして貰いました。

I asked my wife to move the stepladder at the same time I raised one edge of the TV.

そして、脚立の最上段に来た後は、嫁さんにコンクリートブロックを差し込んで貰って、同じように作業を続行しました。

Then, after coming to the top of the stepladder, I asked my wife to insert the concrete block and continued the same way.

コンクリートブロックを7つ積み上げたところで、あと数センチが足りないことが分かりました。

After stacking seven concrete blocks, I found that a few more centimetres were missing.

しかし、用意したコンクリートは使い果しました。

However, I ran out of the concrete blocks I had prepared.

不安定な脚立の上に立って、残り数センチ分持ち上げて、テレビ台を箪笥のへりに引っ掛けて、あとは夫婦二人で力付くで押しこみました。

I stood on the unstable stepladder, lifted the remaining few centimetres, hooked the TV stand to the edge of the chest, and the rest was pushed in by us with great effort.

こうして、重量75kg超えのテレビを、140cmの箪笥の上に持ち上げることに成功しました。

We thus succeeded in lifting a TV weighing over 75 kg onto a 140 cm.

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とは言え、相当危険な作業であったことは否めません。

However, this was quite dangerous.

ブロックの山が崩れる可能性がありましたし、脚立が、耐過重量を超えて、自壊する可能性もありました。

There was a possibility that the pile of blocks could collapse, and the stepladder could overstrength and self-destruct.

これで、大怪我したら、多分、誰からも同情して貰えないことは、確実です。

It is absolutely sure nobody give me sympathy even if I am seriously injured.

ただ、私としては「なんでも業者に頼む」という姿勢は、なんか『負けたような気がする』のです。

However, for me, the attitude of 'ask the contractor for everything' is something of a 'lose-lose' situation.

まあ、これは、私の性分です。

Well, this is my nature.

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Today's diary meminded me that the column I wrote before.

結局のところ、私は、若いころから、全く進歩していないようです。

After all, I don't seem to have progressed at all since my youth.


2023-08-08 食用とさせて頂いている動物の命を頂くプロセスを自分で体験することは、大切ではないか、と思うのです。

ふと思い出したのですが、私の(亡き)母は、『鶏が締められるのを見てから、鶏肉が嫌いになった』と言っていました。

I suddenly remembered that my (late) mother used to say, 'I hated chicken after I saw it being slaughtered.

魚を締めるところは、結構テレビでも放映されていますが、鶏が締められるところは、あまり見たことがありません。

The process of slaughtering fish has been televised quite a bit, but I have not seen a chicken being slaughtered very often.

豚とか牛についての屠殺もそうです。

The same is true for slaughtering pigs and cows.

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食用とさせて頂いている動物の命を頂くプロセスを自分で体験することは、大切ではないか、と思うのです。

I think it is essential to experience the process of taking an animal's life for food.

特に、我が家においては、鶏肉の消費量は、他の食材と比べて多いです。

Especially in our family, the consumption of chicken is higher than that of other foods.

さすがに、『鶏が締め方』を夏休みの自由研究にしては、とは言いませんが(高い確率で、母と同じトラウマを持つことになる)、私のようなシニアであれば、大丈夫でしょう。

As I said, I'm not suggesting that "How to Slaughter a Chicken" should be a free summer study (there is a high probability you will have the same trauma as my mother), but if you are a senior like me, you should be fine.

多分。

Maybe.

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体験が難しいのであれば、先ずは見学をしてみたいなぁ、と思い、ググってみたら、簡単に出てきました。

If it is difficult to experience, I would like to visit first, so I googled it and found it easy to find.

これを「遠足」でやれ、というのは無理だとしても、「学会のツアーイベント」でやるというのは良いと思うのですが、いかがでしょうか?

Even if it's impossible to ask people to do this on a "field trip," I think it's a good idea to do it on a "conference tour event," don't you?

応募者少数で、企画倒れになるかもしれませんが。

You may have a small number of applicants, and the project may fall through.