私は「ガラスの仮面」の購読は、もう止めるつもりでいたのです。
もう演劇部所属の娘に参考になる場面もなさそうだ、と思いまして。
しかし、今回、コミックに付いていた「オビ」が欲しくて買ってしまいました。
-----
「劇団ひとり」
最高です。
嫁さんと二人で爆笑していました。
http://www.hakusensha.co.jp/glass/
清水義範の「読み違え源氏物語」を読んでいます。
○夕顔の死因は、六条御息所の怨念ではなく、
○空蝉、惟光を共犯とする、頭の中将の陰謀であり、
○夕顔は空蝉と同一人物で、しかも死んでいない
という、ぶっ飛んだ、「源氏物語殺人事件」に仕上がっています。
こういう本は楽しい。
-----
ところで、私が「夕顔」「六条御息所」「頭の中将」とかの名前をスラスラ出せるのは、
「文部科学省の指導要項による古文の教育の成果」などでは、
『断じて無く』
全て、
大和和紀による漫画コミック、
「源氏物語 あさきゆめみし」
の内容を完全暗記していることと、
そして最近では、
魔夜峰央による漫画コミック
「パタリロ源氏物語!」
で、内容の理解が再強化されている為です。
源氏物語に関しては、文部科学省の指導要項(要するに古文の教科書)は不要でした。
# というか、むしろ邪魔。
-----
文部科学省は、(教育を統制する機関としてのメンツと立場もあるのだろうけど)、
「古典をつまらなくする為に存在しているのだろうか」
とまで邪推することがあります。
なんで、源氏物語を、わざわざ読みにくい原文で記載するのかな。
漫画とまでは言わないけど、現代訳で「内容」を楽しませるのが先だろうが。
そして、現在の価値観に照らして、
『「光源氏」に殺意を覚える』
というくらいまでの親近感を持たせることが大切だと思うんですが。
どうでしょうか。
-----
付録
源氏物語の「『光源氏』批判」としては、あまりに著名な「笑う大天使」(川原泉)より、長文抜粋。
---- ここから -----
(1)校則違反(?)の罰として、源氏物語の全文読破とレポート提出を課せられた3人の女子高校生の、レポート作成中の会話
「女癖は悪いし、くっだらねえ事で悩むし泣くし」
「マザコンでロリコンで不倫大好きの変態だよな」
「この平安人は恋愛沙汰以外にな~んも考えとらんぞ」
(2)提出されたレポートの結言
『――結論
…だから光源氏とゆー人は、女の人の迷惑も考えずやみくもに本能のまま行動し、知的ブレーキのあまり利かない性格か或はブレーキ自体が存在しない質であり、いわゆる「歩く煩悩様」の典型的な例だと思われます。(更科柚子)』
『――結論
…ゆえに光源氏とゆー人は、性的衝動の赴くまま、他を顧みる事無く自らの欲望を満足させなければ気がすまないミーイズムの人であり、このよーなタイプはさしずめ「性衝動人」と申せましょう。(司城史緒)』
『――結論
…つまり光源氏とゆー人は、独りよがりの悩みで周囲の人々を不幸に巻き込むだけでなく、さらにその執着心と多情さで不幸を拡大させるとゆー得意技がパターン化された「増殖ワラジムシ」であるといえる。(斎木和音)』
---- ここまで -----
http://www.amazon.co.jp/あさきゆめみし―源氏物語%20(1)%20(講談社コミックスミミ%20(960巻))%20[単行本]%20/dp/4061089609/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1330573218&sr=1-2
「大地震の可能性が4年以内に70%」っていうのは、立派な地震予知ですよね。
「P波の到着をもって、本震(S波)の発生を通知する、緊急地震速報」も、立派な地震予知ですよね。
我が国において巨大地震が発生することは、100%確実な事項です。
これだけの完璧な予知手段と情報を持ちながら、「一体どんな地震予知があったら満足なんだ」と言いたい。
-----
今のうちに宣言しておきますが ―
私は、水や食料の準備を全くしなかった結果として飢えている人の前であれば、平気で飯を喰います。
我が家では、私を除いて「小沢一郎」という人物の評判が悪いです。
理由は『なんか悪そうなことをしていそうな顔』という、なんともはや、身も蓋もない理由です。
どうも、小沢一郎さんは、多くの人からこう思われているフシがある。
と、いうか間違いない。
しかし、『なんか悪そうなことをしていそうな顔』で、推定有罪となるように司法が機能したら大変困るんです。
特に「私」は。
私は、愛想悪いし、口悪いし、顔も怖い ―― まあ、ハンサムではあるが。
まあ、「権力」と「能力」(と「人望」と「信頼」と「誠意」)がないという点で、必要以上に人から苛められないという利益は享受しているとは思いますが。
-----
私は、陸山会事件などを、NHKのニュースで見る程度の関心さで見ているだけなのですが、なんとなくこの裁判は、最初から「ダメダメ」だなという感じがしています。
事実がどうであるか分からんし、検察審査会の不起訴を2回もひっくり返してまで、起訴議決をしたということは、少なくとも法律のプロ集団が「闘うだけ金の無駄」と判断した訳です。
裁判とは、「紛争を解決する手段」ではありますが、「正義を実現する場」ではないですからね。
-----
私が、民法の損害賠償や刑事罰の成立要件や、刑事訴訟法の手続について始めて理解した時に、絶望的な気持ちになったことは何度か書きました。
それと、「本証」と「反証」を理解した時も、驚きました。
「本証」は、裁判官に事実についての確信を抱かせること。
「反証」は、裁判官に真偽不明の状態をもたらすこと。
「本証」は原告の立証責任であり、「反証」は被告が主張すれば足ります。
例えば、レイプ事件の場合、レイプの証拠を被害者が完璧に提出しなければなりません。
レイプされた直後の自分の写真を、自分で撮影し、
レイプされた様子を詳細にメモし、
レイプされた直後に残された犯人の体液を自分で収集し、
事件の悲劇そのものと匹敵するような、このような目も眩むような壮絶な「証拠保全」を、冷静に成し遂げうる女性が、地球上に存在し得るとは思えない。
しかし、これらの証拠が揃わないと「本証」は成立しないのです。
「泣き寝いり」すれば刑事裁判自体が成立しません。
(※上記は、若干内容を脚色しております。被害に合われた方は最速で警察に連絡して下さい。被害を受けた直後が望ましいです。あなたが望まない限り、公にはならず、裁判にもなりません(親告罪)。それは後でゆっくり考えれば良いのです)
これに対して、すなわちレイプ犯の被疑者の「反証」は簡単。
「その日のことは忘れた」
「その事件の場所にいる理由がない」
で十分。
「その事件を行っていない」ということを立証する必要は、絶無なのです。
「別の場所にいた」というアリバイがあれば確実に無罪、アリバイがなくったって、公判は維持できます。
-----
小沢さんは、悪いことをしているかもしれないし、そうでないかもしれない。
それは私には分からないし、興味もありません。
それに、私は小沢さんが、『なんか悪そうなことをしていそうな顔』とも思っていません。
疲れている時の私の凶悪な顔に比べれば、全然マシです。
いずれにしても、原告には「本証」となるべき証拠が必要で、その立証ができない限り、小沢さんは無罪となります。
最近、電子辞書を貸与する図書館が登場しているらしいですね。
ニュースソースは、テレビニュースを見ていた嫁さん。
なんでも、一定期間が経過したら使用不能となるようにプログラムを仕込んでおくようにしておくのだそうです。
-----
電子書籍は、ほぼ間違いなく、将来の出版業界の態様を決定したといっても良いでしょう。
電子書籍の流通は、現在の本の価格を1/5~1/10まで下げます。
そこまで価格が下がった場合、無理して違法コピーを実施する理由が消えます。
# 缶コーヒーのコストで本が購入できるのに、面倒な違法ダウンロードする理由がない。
印刷プロセスや、在庫のコストが全部なくなれば、ここまでコストが落ちるのは、それほど無茶な話ではないと思うのです。
大衆は本を読む機会が十分に担保され、著作者は読者数に応じた対価を直接得ることができます。
どこをどう見ても、誰にも不利益はありません(既得権益者以外は)。
-----
それでは、将来の図書館はどうなるんだろう、と考えています。
# 別に「図書館戦争」を読んで触発されたという訳ではありませんが。
ま、間違いなく、図書館自体もバーチャル化するだろうな、と。
図書館が購入した電子書籍を、図書館の利用者がダウンロードする、という形態になることは間違いないでしょう。
指定期間後に、書籍への可読ができなくなるようになり、その時点を持って返却されたとみなされる、と。
問題は、それがどの程度の未来の話になるか、ということでしょうが、これは、著作権法の改正(公衆送信権(著23条)あたり)で解決がつくでしょう。
図書館自体がなくなることはないと思うのですが、その性質は大きく変化するような気がします。
-----
と言いながら、私自身は電子書籍リーダを持っていません。
理由は一つ。
『風呂で読めないから』
です。
# ま、これに関しては何度も記載してきましたので、今回は割愛。
それ以外にも、リーダが重い、リュックに無造作に放り込んでおけない、本の中に書込ができない、などもありますが、これはいずれ技術的に解決されるでしょうし。
-----
今、本は紙という有体物の媒体として、人々に愛されています。
しかし、書籍がこれが単なる情報伝達媒体としてのみ扱われるようになるのは、時間の問題でしょう。
時の権力者や政治体勢に依存しない態様の知識の伝達は、書籍の究極の目標です。
その意味でも、電子書籍は理想的な文化の継承手段と言えるでしょう。
-----
初音ミクといい、電子書籍といい、どうもこの時代は、我々に強いパラダイムシフトを要求するようです。
しんどい時代ですが、まあ、諦めるしかないのでしょう。
http://www.amazon.co.jp/図書館戦争[単行本]/dp/4840233616
私は、誰かが料理を作ってくれないと怒る時間があれば、自分で料理を作ってしまいます。
難しい料理でない限り、分量通り量って混ぜて、規定通りの時間置いて、設定温度と時間をかけて炒めるなり煮るなりすれば、完成します。
レシピーを守っていれば、大きく失敗することはありません。
『料理とは、システム構築と見つけたり ― 』という感じです。
-----
しかし、そのレシピーにおいても、その記述に一貫性を欠く表現が随所に見られます。
「少々」と「適量」です。
こういう表現は、本当に困ります。
特に、理系男子の場合、この一言があるだけで料理の気力を喪失します。
# シャレや冗談ではなく、「全電源喪失」くらいに何もできなくなります。
-----
嫁さんにこの話をしたところ、
『「少々」とは「少々のこと」であり、「適量」とは「適量のこと」だ』と言われました。
間違っているのは、私の方なのでしょうか?
-----
私が、かつてファジィ推論の研究員だったという話も何度か致しました。
ファジィ推論においても、「少々」や「適量」のようなファジィ表現が、制御システムや意思決定支援システムで、極めてに有効であることを知っています。
しかし、ファジィ推論においても、「少々」と「適量」も、メンバーシップ関数で、厳格に定義されるのです。
未定義の語彙に対応できるほど、私の知的(推論)能力は高くないのです。
-----
少なくとも、私(と多分私と同類の理系男子)は、ハンバーグの焼き時間「4分」を「4時間」とする誤植があったとしても、
― かなり高い確率で、『4時間』ハンバーグを焼き続ける。
社内のメーリングリストに、以下のメールを配送しました。
<----- ここから ----->
どなたか助けて下さい。
2002年に、米国で大量に購入してきた点鼻薬の在庫が切れていることが判明して、青冷めています。
花粉が本格化する前に、米国のスーパー"Target"で販売している、これが必要です。
↓
http://www.target.com/p/12-Hour-Nasal-Decongestant-Spray-1-oz/-/A-11031044
なお、日本からの通販の途は固く閉ざされているようです。
-----
日本の薬ではてんでお話にならなくて、米国のこの「暴力的に効果のある」この薬以外で、花粉の時期を通過することは絶望的です。
十分な報酬を保証します。
取り敢えず「原価の2倍で買い上げる」というのでどうでしょう。
必要な個数は10個以上を希望していますので、悪くない取引だと思います。
この他、公序良俗に反しない範囲での、特許のネタ提供、特許明細書の図面の作成、発明検討会での知財部の説得等にも応じましょう。
ちなみにTargetには、
http://www.target.com/s/nasal+spray
の大量の種類の点鼻薬が販売されておりますが、上記以外のものでは、私には効力がないことを、米国滞在中と日本での使用で確認しております。
ご支援の程、何卒よろしくお願い致します。
<----- ここまで -----/>
と書いたメールを、部内に転送したら、10分後に、翌週にニューヨークに出張するという後僚から返事がありました。
― なんと言うか、
先ずは、叫んでみるもんだ。
# 社内でこういうメールを流す、というモラルの問題はさておき。
昨日の日記を見て思ったのですが、
なんか「点鼻薬」ってアイテムが、何とも情けない感じがしますね。
-----
インターナショナルな医薬支援と言えば、「血清」「ワクチン」「希少なタイプの輸血用血液」。
このような物品なら、もう少しドラマチックだと思うのですが。
もっとも、そんなものが、米国のスーパーマーケットで売っていたら大騒ぎですが。
-----
そういえば「希少なタイプの輸血用血液」と言われて、『RHマイナスAB』と言われて反応する人、多分いますよね。
下限年齢が私くらいですから、反応できる方は、40歳台後半以上の方でしょう。
年齢を語らないボスを、先ず居酒屋に連れ出し、酒で潰した後、「『RHマイナスAB』で何を連想するか」を言わせてみると、大体の年齢が読めます。
伝説の女性歌手 兼 女優 の名前がスラスラと出てきたら、反応は「陽性」です。
「図書館戦争シリーズ」を私に薦めたのは、中学一年の娘です。
正確言うと、まだ娘も読んでいなくて、学校の友人から薦められたのだそうですが。
誰からであっても、薦められれば私は読むのです。
一方、止めてしまうのも早いです。
3ページで書架返却という本も多いです。
-----
一方、その娘は、今、「けいおん!」にすっかり嵌っています。
# 娘が部屋にポスターを張っているのを、初めて見た。
視聴を薦めたのは、私だったりするのですが。
-----
『叡電が修学院駅を通過するシーンを、涙なくして見れるかぁ!』
修学院駅から下がること500メートルの所にあった、サウナ付きの銭湯は、まだ健在だろうか。
バイトの帰りに、八幡前駅の定食屋「ひよし」の焼魚定食で、幸せになるのが日課だった。
岩倉駅の餃子の王将の「唐揚げカレー」と「天津丼」が、私の6年間の生命線であったと断言できる。
-----
で、今。
京都の風景が出てこない「けいおん!」なんぞに、興味はありません。
ましてや、ロンドンなんぞは、今の私には、鬼門中の鬼門です。
http://www.kobore.net/cgi-bin/diary/read.cgi?date=20111212
■2012年 03月 09日
・「図書館戦争シリーズ」読了
午前1時から暴力的に読まされるのは勘弁して貰いたいが、いやー、笑った笑った。
ライトノベルズかなんだが知らんが、笑える本は全て「正義」だ。
# もっとも、この本、実は凄く怖い本だとも思うのですが。
「図書館戦争」を、図書館で借りているという事実が、これまたなんとも奇妙な感じがしています。
ま、それはさておき。
-----
私の愛する「町田図書館」は、なかなか・・・なんと形容したら良いのかな、敢えていうのであれば、「いけてる」図書館なんですよ。
さっき試しに「町田図書館 vs NHK」でぐぐってみたら、一発で出てきました。
興味のある方は、ご一読下さい。
-----
ところで。
私は、書籍の初版の発行から一定期間の間、図書館による書籍の貸与については、消尽の適用範囲外としても良いと考えている者です。
えっと、簡単に言うと、著作権者は、例えば、初版の発行からから著作権者の希望する期間、著作権者が本を書架に出さないことを、図書館に請求する権利を持つ、ということです。
図書館によって著作権者が不利益を負っているかどうかは、結局のところ、試してみないと分からないでしょう。
ベストセラーを直ぐに読みたい人の熱が冷めて、結局出版数が減るかもしれない。
そもそも、日本中に図書館って、公共図書館が約3000、大学1600くらいあるそうですから、著作権者にとっても図書館は良いお客さんでしょう。
いっそ、その利益/不利益の判断を著作権者に委ねるというのは悪くないと思います。
読者も、著作権者の利益の為に1年くらいは待ってやれ、と。
10年も待たされるようなら、その著作は見捨ててやれば良いのです。
-----
システムエンジニアの性(さが)なんですけど、図書館の予約システムと絡めると面白いことができると思うんですよ。
例えば、書架に並ばなくても、発行と同時にインターネット予約できるようにして、その予約は、一定期間更新しないと自動的に消滅するようする、とか。
図書館は自発的にその予約数を公開する。
初版発行から話題が消えていくとともに、日に日に減っていう予約人数。
焦る著作権者は、図書館の書架への陳列を許可へのモチベーションが高まる、と。
つまり、一種の「競り」の原理を図書館購入書籍にも導入する訳ですね。
-----
私は、図書館のヘビーユーザなので(著作権を譲渡されている出版社である「著作権者」はどーでも良いけど)、原作者である「著作者」には、負い目を感じているのです。
良い本、楽しい本を執筆される「著作者」には、是非お金持ちになって貰いたいと思っているのです。
-----
好きな本の為なら、私、1年や2年は「岸壁の母」の様に待ってみせます。
「著作者の保護を考えるなら、本屋やAmazonで今すぐ買えよ」という突っ込みは「なし」という方向で。
http://ja.wikipedia.org/wiki/図書館戦争
震災から1年を経過しても、私には1995年の阪神・淡路大震災の記憶の方が、今でも鮮明に残っている。
『何が違うんだろう』と今日一日考えていた。
私が朧げながらに思いついたことは
―― 映像ごときでは伝えられない
-----
壊滅した街の、風の流れ、冷たさ、空気の乾き方、街の匂い。
心底まで冷える地面、慟哭を現わさない無表情の顔。
数日を過ぎれば自分だけは逃げだせると思う安堵感とその嫌悪感。
僅かでもあれ、それを現実に感じれたか感じれなかったか、の違いであると思い至った。
-----
「映像」ごときで、分かった気になってたまるか。
「義援金」ごときで免罪符を買ったような気になってたまるか。
「絆」などという言葉遊びで満足してたまるものか。
「同情」して「涙」を流す程度のことで、自分を救済してなるものか。
-----
「試練」だと。笑わせるな。
不可逆な「死」に「試練」の要素が一欠片もあってたまるものか。
そんな理屈、私は絶対に認めない。
-----
私は理不尽な殺戮を気紛れに平然と行う、天を恨み、自然を憎む。
『やられたら、やりかえす』
今、その方法を考えているところだ。
http://www.kobore.net/tex/alone95/node3.html
「システムって何?」と、中学一年の娘に尋ねられました。
なんでそんなことを、と逆に尋ねたら、「技術」の試験の出題範囲なのだそう
です。
そうか。
なるほど、そういうことなら、このシステム開発研究所の研究員である、この私が明確かつ簡潔に説明しなければなるまい。
この私以外の一体誰が「システム」を明確に定義し得るだろうか。
-----
「システムとはケイだ」
「ケイ?」
「系」
と漢字で白板に書いた後、
「系とは、ある一定の目的を達成する為に、下位の系が連携し合うように構成されたものだ」
-----
暫く沈黙があった後、
娘は『もういい』という顔をして、私の部屋を出ていきました。
先日、「図書館の図書購入に対する、著作権者による期限付き差止請求権」の話を書いていて思い出したことがあります。
ちなみに、ゲームソフトの消尽の話ではありません。
http://www.nikkeibp.co.jp/archives/182/182325.html
-----
新宿の紀伊国屋書店で、OS仮想化に関する技術書を探していました。「エミュレータ技術」と呼ばれれるものです。
書店内に設置された検索用端末でも、ピッタリしてものが見付からないので、書店の人に「エミュレータの本を探している」旨の相談をしました。
その時、ほんの僅かに見せた彼女の『嫌悪の表情』を、私は見逃しませんでした。
―― 何なの?、彼女のこの反応?
別に、私は、彼女に『○○という女優のアダルトDVDを一緒に探して欲しい』と頼んだ訳ではありません。
-----
不可解な思いのまま何日が経過した頃。
調べてみたら「エミュレータ」という言葉、どうやら、違法ゲームソフトと関連する分野で使われることが多い用語らしいことが分かりました。
-----
『エミュレータの研究開発をするぞ』と意気込んでいたところに、いきなり水を差されたような気持ちになりました。
小惑星探査衛星「はやぶさ」は、突然、地球との通信を絶ってしまいます。
しかし、「はやぶさ」は、自律的に一定の運動に収束していくように設計されており、47日目についに、地球で、その生存信号が確認されるに至りました。
その後、「1ビット通信」という気の遠くなるような低速通信(1文字送信するのに16秒かかる)を行い情報を送り続け、ついに正常状態まで復帰するに至りました。
-----
私の腕時計、CASIOのWAVE CEPTOPは、突然、自宅の中で姿を消しました。
しかし、一定の時刻(15:00)になると、アラームが鳴るように設計していたエンジニア(私のことだ)には、先見の明がありました。
同時刻に、全ての家の中にあるテレビ、ラジオを停止して、沈黙の中で、僅か10秒間のアラームの音より、"WAVE CEPTOP"の位置を特定することができました
# 本棚の下で発見。
-----
2つ嘘つきました。
○時計を見つけたのは、掃除をしていた嫁さん。
○毎日15時には、出社していますので、15時のアラームを聞くことができません(今週末に探すつもりではあったのですが)
-----
こんな、チンケな紛失物の発見と、宇宙空間を彷徨う探査衛星の探索を一緒にされては、「JAXA」も「はやぶさ」も怒ることでしょう。
『私は、愛想悪いし、口悪いし、顔も怖い ―― まあ、ハンサムではあるが』
との認識はあるのですが、それでもインターフェースは比較的コントロールできていると思っています。
なんといっても、これまで、3回程、結婚式の司会者をつとめたとがあるくらいですから。
-----
幼少の頃から、人前に立つことにプレッシャーを感じない性(たち)です。
結婚式のスピーチなどは2つ返事でO.K.、早く出番にならないかとソワソワする ―― と言う話を嫁さんにすると、本当に「宇宙人」を見るように私を見ます。
私の司会者ぶりを見て、結婚式に出席していた研究ゼミの教授に『あんたは、大物になる』と随分お褒めを頂いたことがありますが、―― まあ、私の器量としては、今の社会人ぶりは十分「大物になった」ことになるのでしょう。
-----
結婚式の司会というと、花嫁側の親戚の俳句を、詠んで欲しいと言われたことがあります。
が、それがまあ、なんというか、今風にいうと「痛い句」。
五・七・五の「韻律」無視。
「季語」不在。
「切れ」なし。
自由律俳句であると解釈しても、なんとも残念な内容で、これを人前で、
『高らかに、歌い上げなれればならい』
と。
-----
勿論、笑顔で引き受けましたとも。「美しい歌ですね」などと言いながら。
なんたって、私のインターフェースは完璧ですからね。
インドには思い出が沢山あります
# 悪い思い出ばかりですが。
インドのデリーで、(冗談ではなく)瀕死の状態から回復した隙を狙って、宿泊していたドミトリーから脱出しました。
そして、這う這うの体(ほうほうのてい)で、ネパールに逃げ出す為に、空港に向かっていた時のことです。
タクシーの運ちゃんに、
「お前は、ドメスティックか、それともインターナショナルか」と聞かれました。
-----
(1)domestic:
最近は、「ドメスティックバイオレンス」とかで、すっかり日本語の普通名詞としても定着しています。
しかし、当時の「試験にでる英単語」の"domestic"で、トップに記載されていたのは、
「家庭的な、愛国的な」
という意味だったと思います。
(2)international:
言うまでもなく「国際的な」です。「国際的に活躍する」とかいう文脈で使われることが多いです。
-----
運ちゃんに、かような哲学的問いかけをされると思ってもいなかった私は、暫く考え込みました。
「私は、ドメスティックか、それともインターナショナルか」
# 今になって思えば、なぜこのような質問をされたのか不思議に思うべきだったのですが。
「愛国者」という響きは良くありませんが、私は日本という国土や文化や人々を愛している一人の日本人である、という自負はありました。
そして、今は独身だけど「家庭的」でありたいとも思っていました。
比して、「国際的か」と聞かれれば、こんな私ごとき「国際人」と呼ぶのもおこがましい。私は、未熟な日本の大学生に過ぎません。
『私はドメスティックだ』
と応えました。
-----
そして、タクシーから降りる時に、タクシーの運ちゃんに、
「あのさ、この空港から、ネパールに行けるんだよね」
と尋ねたら、酷く怒られました。
『お前、「ドメスティック」っていったやんか!!」
-----
そりゃ、私が悪い。100%悪い。
空港に行くタクシーの中で、「ドメスティックか、それともインターナショナルか」と聞かれれば、そりゃ、「国内空港か、国際空港か」という意味になるに決まっています。
このように、私の英語に関わる記憶は、いつでも自己嫌悪の塊のようなものばかりなのです。
厚木駅で途中下車した時、ほとんど手の届くような所で戦闘機が飛んでいて、度肝を抜かれました。
というか、その音。
『私を殺す気か!』という位の爆音。
戦闘機が飛んでいるタイミングで、爆弾テロ事件をやっても、多分気がつかないと思うくらいの凄い音。
「殺意のある爆音」という形容句が十分成立します。
当然、訴訟もあっただろうなと思いながら、判決のサマリを探して読んでいました。
予想通りの確定判決で、がっかりでしたが。
-----
当事者でない私にとっては、原告の苦痛は、100万分の1も理解できていないと思いますが、厚木駅の一件で10万分の1くらいにはなった、と思います。
ありゃ「酷い」
というか「惨い(むごい)」
高度に政治的な判断もあろうし、公共優位性という観点を言われれば、その被害の上に胡座をかいている私には、いろいろと言い難いことがあります。
が、一言だけ、言わせて貰います。
-----
司法は、国に対して「10年後に、爆音を1/10にする技術開発」程度のことを命じる判決はできないのか? (というか、原告も訴状に書けないのか?)
マイルストーンを切って、司法が開発の進捗チェックの機関として機能するくらいのことはできるだろう。
2割程度の戦闘機の性能ダウンと引き換えに、爆音を1割まで落せるなら、妥協できるラインではないだろうか。
「100%の状態でないと訓練にならない」という理由は、民間企業のシステムの研究員から言わせると『甘えんな』である。
100%のシステムで検証できるような、そんな贅沢な実験環境が存在すると思っていやがるのか。
分っている。
国防は重要だ。安全保障も同様だ。
だが、「そこを何とかしろ」と言っている。
有事の時まで爆音を出すなとは、言っていないし言わない。
訓練の時だけで良い。
しかも全ての訓練でそうしろとまでも言わない。
-----
私は、なにも「電気戦闘機を作れ」とはまでは言っていないのです。
名古屋出身の私は、「うどん」が日常食でした。
また、鍵っ子でしたので、週末には一人で、具材を工夫して、かなり本格的な「味噌煮込みうどん」を作って食べていました。
その技は、今でも発揮されており、我が家(東京町田)でも、「味噌煮込みうどん」もっとも人気のある夕食メニューの一つです。
-----
先日、葬儀で名古屋に帰省した際(滞在時間は4時間)、昼飯に馴染の店で「味噌煮込みうどん」を食べました。
生れて初めて、「味噌煮込みうどん」を「辛すぎる」と感じました。
ショックを受けました。
今年、私の視力は2.0から0.7へ劇的に低下し、その間もなく、味覚までが侵食されつつある。
私のセンサのバイアスは、ここ1年で突然、変則運動を開始し、そのチューニング処理が、その変動に追い付かない。
-----
あの「渋谷駅の惨劇」から20年。
(http://www.kobore.net/tex/alone94/node4.html)
========================
(----君達よ。君達にもいつか来る。ある時、突然今まで当たり前だったことが、突然できなくなる日が。今まであったものが、予告もなく消え去る日が。見苦しく醜態を晒す日が。)
彼らの方を見ながら、私は微かに笑みを浮かべます。
限りないいとおしいさと侮蔑と悲しみと、そんな複雑な感情が入り交じった想いが、突然こみ上げて、消えて行きます。
(----だが、その時までは世界は君達のものだ。それまでは存分に楽しむがよい。)
========================
私の第二の「消失」は、それほど遠い未来ではない。
http://www.kobore.net/tex/alone94/node4.html
1PPS信号を生で出力するGPSチップを買って貰いました。
会社の厳しい予算の中で捻出して貰ったので、なんとか組み立てたいのですが、半田付けが上手くいきません。
理由は2つ程あります。
(1)そもそも、半田づけが下手
昔からそんなに上手くはなかったんだけど、秋月のSSRリレーを組み上げる程度の半田づけ技術では、GPSチップのような細かいピンには対応できない。
(2)目が悪くなり過ぎている
半田づけの対象となるコネクタを視認できないんです、老眼の影響で。これには、本当に困っています。
-----
部屋の窓から受信したGPS信号で、1PPS信号を取れることを確認できれば十分なんです。
GPSチップから、6本のリードを出せればそれで足ります。
誰か助けて。
4年以内に大地震がくるというのは、私の中では確定事項です。
家族の様々なケース(出社、登校、夜間)を想定して、家族一人一人がどのように行動するか、私が尋ねれば、家族はいつでも答えられるようにしています。
しかし、これらの行動指針には、一つの前提があります。
「自宅は倒壊しない」です。
この前提と入れないと、行動パターンが作れないのです。
-----
これは余談ですが、私が95年の震災、ボランティアで現地入りした時に受けたショックの一つに、
『倒壊している家は、全てが地面に張りついたガレキとなっており、倒壊していない家は、外観上まったく破損が見あたらない」
という事実があります。
街全体が"0"と"1"のフラグ状態になっていたのです。つまり、0.3とか0.7の状態がない。
我が家は、著名な耐地震工法で作られており、この工法は、過去の大地震でも倒壊を免れてきたという実績があります。
# 手抜きでもされていない限りは、大丈夫だろうな、と。
-----
これを「想定」と言うんでしょうね。
倒壊した自宅の前に、立ち竦みながら、
『・・・想定外だ』
と呟いているのかもしれません。
まあ、「半径30メートルの家屋の人を避難させなければならない」という配慮までは必要ない分、電力会社よりは気楽ですけど。
私はいわゆる「テレビドラマ」が嫌いです。
家族で食事をしている時、テレビドラマの視聴は厳禁としていますし、それ以外の時には、私がテレビの音が聞こえない所まで逃げ出します。
世の中には、ほっといたって不幸や不運が溢れかえっているのに、なんで不幸や不運の「創作物」まで見なければならないのか、と思えてしまうのです
テレビドラマは、一般的に主人公に感情移入するように作られていますが、どうにも冷めてしまう。
例えば、「水戸黄門」を「暴力と権力の濫用」と、自然に見えてしまう私は、生まれながらにして、テレビドラマを見る資質を欠いているのです。
-----
「じゃあ、どんなテレビドラマを見たいの?」と尋ねる嫁さんに、
○家族皆がいつもニコニコしていて、
○子供はきちんと勉強して、順当に成績が伸びて受験に成功して、
○奥さんはご近所とのおつきあいで素晴しいコミュニケーション力を発揮して、
○旦那は仕事で努力を重ねて順当に出世を続け、
○お爺さんやお婆さんは、病気が直って仕事を再開し、若者の規範となり、
○世界から紛争がなくなって、皆が安心して幸せに暮せる世の中になる、
という、テレビドラマなら、是非見たい。
-----
「視聴率取れるか!」という、嫁さんのツッコミは、まあ、正しい。
先日、社内規定の特許賞の受賞者から、支援の御礼ということで、飲み会にお誘い頂きました。
この飲み会参加に際して、私が提示した要求事項は以下の2つ。
(1)私以上の階位(主任研究員)以上の上長を招待しないこと。
つまり、「私が気を使う人間」が存在しないこと(但し、私に気を使う人間は存在しても良い)
(2)開催場所は「餃子の王将」であること。
つまり、「私が気を使う人間」が参加しにくいこと。
-----
主催者からは「無制限に料理、酒を注文しても良い」と言われましたが ―― 予め分っていたことではありますが ―― 「餃子の王将」での食べ放題というのは、結構キツいものです。
しかし楽しかった。
(私にとっての)上長がいない気楽さが最高でした。
『酔った勢いで、私に説教しかねない人間を、(上記の2つの要求事項で)事前に排除する』
戦略的勝利と言えましょう。
-----
もっとも、これは「私だけ」の話。
気の毒なのは、酔った私に「特許法」の話を振られた若手の諸君。
『ん、おい、お前。分割出願における時期的要件を言え。言えるよな、ちゃんと教えたよな、メールで』
酔って絡む主任研究員。困惑する若手研究員。
うん、分っている。嫌な上長だ。
答えられるはずのない質問でこういうカラミ方をする。人間として最低だ。
つまるところ、飲み会において「上長が楽しい」ということは「部下が辛い」ということです。
-----
「上長」というのは「上長である」という理由だけで、部下には「迷惑」な存在です。
その程度の認識は、私にもあるのです。
しかし、色々と私が聞き回ってみると、その程度の観念にすら至っていない管理職の、まあ、なんと多いことか。
ふてぶてしいにも程(ほど)があるよなぁ、お互い。
昨日の続きです。
飲み会の話題として
「私(江端)を怖いと思っている人はいるのだろうか」
との質問を投げてみました。
-----
『江端さんのことを、怖いと思っている人はいるでしょう』
『メールに「殺す」という文言をフツーに入れる人は、フツーに怖いハズです』
-----
そんな「フツー」に入れているかなー、と思って、昨日、過去メールから、私が「殺す」という文言を使ったメールを調べてみました。
40通あった。
自分で驚いた。
-----
○引例を引っ張ってくるなら、自分の発明を「本気で殺す」つもりで、死ぬ気で、公知例調査をしろ。発明者は全精力を尽して、自分の発明を「殺す」論理づけを試みよ。
○切替時に回復不能な障害発生させたら、殺すぞ
○特許法39条によって、自分の発明(先願)が自分の発明(後願)を殺すことになります。
○私なんかは、出願前は『近づく奴は、皆、殺す』くらいの殺気を出して執筆しますので。
○具体的に「敵」と認定する社名は *具体的* でなければならない。M下でもM菱でもGuグルでもなんでも良いが、「敵」を殺すくらいの勢いでを明確にすること。
○パリ条約の効果は大きく2つあり、「自分(の発明)は殺されない」(パリ条約4B前段)と「相手(の発明)を殺す」(後段)になります。
○拒絶査定通知前に、拒服(拒絶理由通知書に服従すること)したら殺すぞ
-----
うん、認める。
確かに「怖い」。
私が悪かった。
先日、「新型うつ」の話をしました。
近年、このような事態を回避する為に、いわゆる飲み会や、従業員の家族を加えた社内運動会、職場旅行などが復活される兆しがあるようです。
嫌な風潮だ、と思っています。
1990年代、公的なイベントに私的な時間を費すことの批判が殺到し、社内運動会などの実施は、事実上の廃止に追い込まれました。
理由は簡単。
誰も幸せにならないから。
管理部門は、営業利益と全然関係のないイベントの為に奔走しなければならず、下手すれば半年もの時間を費されることになる。
業務部門は、数少ない休日を会社のイベントで潰される。巻き込まれる家族も同様。
職場としての自分と職場を離れた自分は、完全な別人格であり、「二面性を持つ排他的個人」であるというスタンスは、1990年代後半に概ね完成したと思います。
-----
ところが、「新型うつ」に対応するのに、飲み会や、社内運動会、職場旅行が良いそうなのです。
=====
プロジェクト制で仕事ごとに上司やチームが変わるというような、案件ごとの関わりではなく、「その部下のことを人柄から家族背景などを含めて全人格的に知っている」といった関係を取り戻そうという動きが必要だ。そのためには、仕事や職場以外の飲み会などでの付き合いも、単なる個人主義によって避けることなく、見直していくとよいだろう。
(http://diamond.jp/articles/-/963?page=3)
=====
本当だろうか。
私は疑っています。
ワークホリックによる、家庭や家族の崩壊が叫ばれていた90年代において、我々は、「その部下のことを人柄から家族背景などを含めて全人格的に知っている」という、組織の悪しき風潮を止めようとしたのです。
それによって、企業などの組織への帰属感のみに支配されない、確固とした「個人の確立」を目指していたハズです。
このような過去の経緯を無視して、「全人格的に知っている」ことを、今さら「是」とするような論調は卑怯だと思う。
はっきり言えば「下品」だ。
大体、企業は「新型うつ」になっている人を、「気の毒」と思うから対応するのではありません。
労働力が減少するから、対応するのです。
「新型うつ」によって、生産性が上がるのであれば、当然のごとく放置しますし、場合によっては加速させるかもしれない。
企業の目的は、利潤であるからです。
-----
私が、各種イベントの復活の風潮を「嫌らしい」(はっきり言えば「汚らしい」)と考えるのは、社内運動会、職場旅行が、会社に業績に資するらしい、ということが分かった
「後」で、
各企業が動き出しているからです。
90年代前の社内運動会、職場旅行には、「職場の和」という目的(名目)があったとは言え、そこに
「金の匂い」
は、一切なかったように思う。
そこにあったのは「職場の和」という価値観と、「私人としての個」としての価値観の相違であり、それは、(今になって考えれば)それなりに、美しい激突であったようにと思うのです。
しかし、ここに「金の匂い」が入ってきたら、どうなるか。
企業が、利潤を目的として、飲み会、社内運動会、職場旅行を命令したら、それは業務命令です。
私は、自分の価値観に反して、管理職の立場から、飲み会に参加し、運動会をサポートし、職場旅行の企画を部下に命じることになるでしょう。
そして、自らも、楽しくもない酒を飲み、酔ったふりをして、叫び、騒ぎ、― 多分、相当に疲労し、憔悴する。
そして、最後に、私が「うつ病」になる、と。
-----
この病気は、何と命名されるのでしょうか。
「新・新型うつ」ってところでしょうか。
http://www.kobore.net/cgi-bin/diary/read.cgi?date=20120128
年齢が年齢なので、査読者やと承認者として、書類に判子を押すことが多くなりました。
今は、パソコンのワークフローシステムから、ボタンを押すだけで足りるようになりましたが。
この仕組みは、ヒエララルヒーを原則とする会社組織では、絶対に必要な手続です。
地球が滅び、人類が死滅した後でさえ、この手続だけは残るだろうと思う。
-----
私は、査読者や承認者としては、資質を欠いていると思っています。
他人の書いた書類や処理なんぞに興味はないし、それが正しいかどうかを、確認する熱意もありません。
勿論、管理者としての責務はありますが、それは給料の対価です。
私は、形式的には書類をキチンとチェックします。
しかし、その書類の中に込められているであろう、様々な実体的な内容(その業務の背景だとか、本人のやる気だとか、会社としての利益とか)を、チェックしていません。
# 『実体的に判断をしている』と主張する管理職は、名乗り出てみやがれ。私がお前を「実体的」に判断してやる、と思っている。
-----
ま、という訳で。
私が、査読者やと承認者として、誤った判断をする可能性は、非常高いと思います。
ですから、査読者やと承認者として、「私」を選択する部下に対しては、常にこのようにいっています。
『お前の手続で、私に不利益が生じたら、それを超越する不利益をお前に戻すから、その覚悟で書類を回してこい』、と。
(以下に「超越する不利益」を記載したんですけど、酷く怖い内容になってしまいましたので、バッサリ割愛しました)
たまたま見た、ドラえもんのアニメだったと思います。
ストーリは概ねこんな内容だったかと。
(1)のび太が、タイムマシンで見てきた未来を、「占い」として皆にしゃべっていた時、元高角三という小説家を目指しているもののデビューできずにいる男から、『自分が作家になれるか否かを占って欲しい』と言われる。
(2)のび太は、5年後へ見に行くが、彼は作家としてデビューできていなかったので、その旨を告げると、彼は「きっぱり諦める」といって去っていった。
(3)のび太は、再度、5年後の未来へ行って彼の様子を見にいくと、彼は、アルバイトを続けながら、小説を書き続けていた。
(4)のび太が「どうして、やめなかったのか」と尋ねると、彼は「小説を書いていることが、楽しいから」と笑顔で応えた。
(5)その時、沢山のテレビ局や新聞社の人が家にやってきて、彼の小説が文学賞を受賞したという報告を受ける。
-----
この話、(5)があっただけで、全てが台無しになった。
(4)で終っていれば、名作中の名作で終った筈なのに、「立身出世」「成功賛美」を描いただけの駄作に堕ちた、と思う。
-----
「楽しい」だけで、自分の好きなことを続け、世間に対して揺がない人生は、
『それ自体が「奇跡」と呼べる程の大成功である』
というメッセージを送れる、稀有な機会であったはずなのに、と思えるのです。
「文明」を定義するのは難しいことだと思いますが、「文明」の一つの要素に、利便性があることは否定できない事実だと思います。
利便性とは「ラクをすること」です。
そして、「ラクをすること」の最も解り易い例は、電化製品です。
○コメを入れれば、飯を炊いてくれる
○洗濯物入れれば、衣服を洗ってくれる。
○水を入れれば、風呂を沸かしてくれる。
○食後に食器を入れれば、食器を洗ってくれる。
-----
それなのに、今なお人類は、1年に1度であるとは言え、
「自分のうんこ」
と相対しなければならないのか。
そして、
◯その生成後1分も経過していない、できたてホヤホヤの異臭を発する物体を凝視して、
◯その一部を切除し、容器に収納する、
という作業を実施しなければならないのか。
-----
『これは、文明の否定だ』
と、人間ドッグの前日になると、いつも思う。
先日、後僚より、研究所で管理職に昇格する条件の一つとして、
『勤続年数分の特許出願が必要である』
との話を聞き、
「なんだとーーー! じゃあ、私は、もう所長・・・いや、社長になっていたって、いいくらいじゃないか!!」
と叫んでいました(先日の昼食会。アルコールは入っていなかった)
-----
いや、そりゃね。私だって、分っていますよ。
「必要条件」と「十分条件」の違いくらいは。
私は、文章を書けない子供でした。
日記の宿題に書いた内容は、
『今日もお風呂に入った、すっきりした。明日も入ろう』
という内容の連続。
# 「お前は、じじいか」と自分で突っ込みそう。
別に毎日銭湯に通ったという訳でもありません。そもそも自宅に風呂ありましたし。
要するに、文章を書く前に、その文章を組み立てるという「構成力」がなかったのです。
「日記」とは、子供の私の心の名に、いつでも突き差さっている棘のような存在でした。
-----
それはさておき。
私がこれまで、どれだけの駄文を書いて来たかは、よく分からないです。
実は、500程度の未発表作品があります。内容的にヤバイものです。
株価が下がったり、私が消されたりするかもしれないと心配して、発表を差し控えています。
# 勿論、こんなことは杞憂に過ぎないのですが、『私が飛ばされる』という可能性はかなり高いので。
未発表500を含めて、(ちゃんと数えたことはないのですが)多分、2000文程度はあるのではないかと思っています。
で、それらの文章が、どのように役に立ってきたかというと、全く何にも役に立っていないです。徒(いたずら)に、時間を消費しているだけの、非生産的行為です。
-----
一方、この非生産行為がいつから始まったかというと、これは、年月まで正確に確定できます。
ワープロを購入した時です。
「ワープロ」を知らない人もいると思うので、説明します。
要するに、文章作成ソフト(Windows Word)専用機と思って貰えば良いです。もちろん、別のアプリをインストールしたりすることはできず、ひたすら文章を書くだけ(絵も書けない)のマシンです。
東芝ルポ、富士通OASYS、シャープ書院という言葉に反応できる人は、私の世代でも難しいかも。
当時19歳だった私は、―― いいですか、
「液晶画面の表示文字数12文字、改行2行」
のワープロを、(学生の分際で)当時の金額で7万円で購入したのです。
-----
パラダイムシフトでした。
○まず、滅茶苦茶に高速に文章が書ける。殆ど、思考速度と同程度のスピードで書けるので、ストレスがない。
○自分の汚い字を見て、モチベーションが下がるとことがない。
○適当な支離滅裂なコンテンツを、適当に書き殴っておいても、あとで組み立てるだけで、それなりの文書のように見える。
○文章構成力なし、レトリックなし、根気なし、おまけに情熱すらなくても文章が書ける。
ワープロは、「魔法の箱」でした。
-----
私の文章増産マシン(= 徒らにページを増やすこと)としての能力を見込まれて、卒業論文では、同期から共同研究を申し入れられたことがあります。
修士論文作成の時には、『江端さんは、3行で足りる説明を、3ページにする能力をもっている』と、後僚に言われていました。
生れて初めて、ワープロで書いた英文の実験報告書を提出しました。
教授は読まずに「優」を付けたようです(多分、稚拙な英文を読むのが、面倒くさかったんだろうと思う)。
-----
一方、失ったものも多かったですが。
○その当時、友人にワープロで手紙を書いたら「無礼だろう!」と叱られた。
○ワープロで、自治寮の総括文を作成したら「魂がこもっていない」てなことを言われた。
○今の嫁さんにエッセイを印刷して送付していたのですが、殆どが読まれずにゴミ箱に直行していた(結婚後に聞いた)。
なにより、
○ワープロのレポートの受理を拒否する教授が、圧倒的多数であった。
世間が思う以上に、「教授」という人達のコンサバ度は、ハンパではなかった。
# 今のように、インターネットが存在せず、「丸写し」の可能性が皆無であった時代の話ですよ。念の為。
『逆だろう! 教授達は、「ワープロ以外のレポートは受理しない」という命令を発して、ITリテラシーを高める方向に教育すべきだろう!』 という私の憤慨に、共有してくれる友人すらいなかった ――
私がワープロを使い始めた時は、そういう時代だったのです。
私は、amazonの宅配無料サービスに登録してます。
少々値段は高いのですが、新宿の紀伊国屋書店や、BOOK OFFまで出かけるコストと時間を考えると、圧倒的に安いので、文句はありません。
ただねえ・・・
======================
以前「石崎 洋司」関連の石崎 洋司の『黒魔女さんのお正月 黒魔女さんが通る!! PART12 (講談社青い鳥文庫)』またはその他の本をチェックされた方に
マジカル少女レイナII-6 恐怖のドッグトレーナー (フォア文庫)が2012年4月3日に発売されることを、ご案内いたします。 ご予約は以下をクリック
======================
というメールが、少々鬱陶しい。
-----
娘のコミックや、文房具も、私のアカウントで購入しているので、こういう広告が入ってくるのは、仕方ないのです。
しかし、Amazonが、私のことを、どのようなパーソナル分析をしているかを考えると、ちょっと怖くなります。
○IT専門技術書(稀に洋書)と、特許法の本を購入し、
○青い鳥文庫と、小学生向けの初恋コミックを購入し、
○ライトノベルと可愛らしいキャラクターが表示された文房具を購入する、
四十代 男性。
-----
変態やんか。
=======
東京電力は27日、福島第1原発2号機の原子炉格納容器内に線量計を入れて計測し、最大で毎時72・9シーベルトの高い放射線量を確認したと発表した。2012/03/27(火)
=======
まあ、原子炉格納容器内部なんですから、この程度の値は当然なのですが、それにしても分かりにくい。
単位を統一すればいいのに。ミリシーベルトで良いと思う。
73000ミリシーベルト
と言えば良かろうが。
で、基本的な考え方は、
「人が死ぬような放射能といえば、3000から4000ミリシーベルト」(「神の火」高村薫))
を基準として考える。
-----
日常生活では、自然界から年間5ミリシーベルトの被曝はデフォルトなので、1時間あたりは、
0.0006 ミリシーベルト/時 (0.571マイクロシーベルト/時)
となり、一方、ガレキから出ている放射線量(一例)は
0.00005 ミリシーベルト/時 (0.05マイクロシーベルト/時)
だから、数値だけで見る限りは、ガレキより、自然界(太陽光線や宇宙線)の方が、12倍も危険だ、とも言える。
-----
とは言え、「ガレキに全く危険がない」とは言いきれないと思う。
なにせ、人類がまだ体験したことのない態様で保存しなければならないし、人類は、太陽光線や宇宙線には、10万年にも及ぶ「慣れ」があるけど、ガレキの放射線が、それと全く同一の放射線という訳でもないだろうから。
放射線の放射方向(「頭上から」と「地面から」の違い)も気になる。
-----
けど、個人的には、格納容器の爆発の時の逃亡準備を図っていた時と比較すれば ――
―― その恐怖は、限りなくゼロに近い。