20代の頃、あまり安全と言えない国を放浪してきました。
そのお陰で、リスク回避の本質みたいなものを体得したような気がしています。
基本的には、
◯危い気がしたら、誰になんと思われようとも、すぐ逃げる。
→ 例:変な言動をしている奴が接近してきたら、即座にその場所から去る
◯妙な正義感やプライドは持たない。
→ 例:被害者を捨てて、自分一人で逃げる
◯妙な音(爆発音)、変な臭い(異臭)を感じたら、後ろを見ないで、全力疾走でその場から離れる。
→ 例:『何が起こったか』などという確認は絶対にしない
◯現段階で見えているリスクで、自分で潰せる範囲のものであれば、完全に潰しておく。
→ 例:相手が自分より弱いと認めたら、強くなる前に潰しておく
などがあります。
基本的には、「誰も信用せず、自分の判断のみに従って行動し、その結果が的外れであったとしても、また、他人に非難されるようなものであったとしても、自分を恥じない」ということです。
すぐに逃げ出す私を嘲笑する人もいるでしょうが、逃げ出すタイミングを逸して死ぬよりはマシと思っています。
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◯コンピュータ2000年問題で、食料を貯め込んで田舎に疎開したという人。
◯今回の福島原発の放射能汚染を心配して、塩を大量に購入してしまったという中国の人
この人達の行動は正しいと思います。
少くとも、その時点において、リスクがなかったと判断できる人は、誰もいなかったのですから。
◯震災直後に食料や水の買占めをした多くの日本人
◯移動する手段として、ガソリンスタンドに長時間並んだ日本人
あの時点で、余震で更なる被害の拡大がなかったと断言できる人がいるでしょうか。
また、原発の放射能汚染が100kmオーダに及び、ガソリンがなくて逃げ出せずに被曝する可能性を否定できる人がいたでしょうか。
生き残る為、逃げ出す為の準備をしていた全ての人を、私は絶対的な意味で「肯定」します。
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事故の翌日にすでに判明していた「レベル7」を隠蔽した政府の対応は、国民にパニックを与えなかったとして高く評価されるのかもしれません。
あの時点で「レベル7」を公表していれば、恐らく日本中は大パニックに落ち入り、商店、店舗の強奪、またガソリンスタンドの襲撃など、高速道路事故の発生等、果ては、放火・暴動・騒乱で、多くの人が、全く意味のない死傷していたかもしれません。
または、戒厳令宣言や自衛隊の治安出動などもありえたかもしれません。
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それでもなお、「レベル7」を隠蔽し続けた政府に対して、私は、
―― また、騙しやがったな
と思ってしまうのです。
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同じ死ぬなら、計算された権力の掌の上で選別して殺されるくらいなら、(私も含めて)無知蒙昧な民衆の暴力で死んだ方がマシ、と思えるのです。
今朝、朝食を取りながら、出社前にニュース番組を見ていました
緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)のシミュレーション結果を公開しなかったことに対して、コメンテータのタレント達が、
「公開しないシステムなら、そもそも不要ではないか」
「『最悪値』であるという説明を尽くせば、パニックなどは起きないはずだ」
と、文部科学省の対応を批判していました。
# ま、これはもっともな意見なのですが。
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仮に、SPEEDIのシミュレーション結果を開示して、パニックによって死傷者が出た場合、この人達は、多分、平気でこんなこと言うだろうなー、と思いながら、パンを齧っていました。
「我々にとって理解できない数値やシミュレーション結果を、むやみに開示して何の意味があったのだろうか」
「文部科学省は、(今回のような)パニックなどの発生も予想して、敢えて開示しないという選択も取り得た筈である」
「被災も被爆もしていない人達が、無意味に死傷したことに対して、政府は情報をコントロールしなかった責任がある」
とかね。
彼らは、『例え、暴動が発生したとしても、それは我々が選んだ道だ』とは、決して言わない。
コメンテータとは、後ろから事件を見て適当なことを喋れって、お金を貰える商売のようです。ちょっと羨しい。
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私個人の所感ですが、残念ながら、今、この段階においてさえも、
○ミリとマイクロの単位の違いを理解をしようともせず、
○シーベルトとベクレムの単位の意味も理解しようともせず、
○危険と安全の判断を、あいかわらず「お上」に任せっきりにしている、
(ついでに言わせて貰えば、○避難してきた子供に『放射能が伝染る』とかほざく、アホガキに、科学的にきちんとした被曝の知識を教えるこものできん、低能な保護者や教師が存在する)
そんな国の国民に、
文部科学省も、SPEEDIのシミュレーション結果を開示するという勇気はなかったんだろうなーーと思っています。
でも、これも元をただせば、文部科学省が義務教育過程で、「『安全神話信仰』の国家基本方針」に基づき、原子力に関する教育を完全に放り投げてきた結果です。
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はっきりいって、リトマス試験紙が赤になろうが青になろうが(嫁さん語録)、どーでもよいです。
○致死に至る被曝量や、半減期の意味、体内被曝と体内被曝の違いを、小学校で教え、
○加圧水型軽水炉(PWR)と沸騰水型軽水炉(BWR)の違いと、さらには高速増殖炉(FBR)の構造や、その長所と短所(どこをやられるとヤバいか、等)を、中学校で教え、
○中学入試や高校入試では、「あー、まさか、『高速増殖炉』が出てくるとは思わなかったー!」という受験生の声が聞こてくる、
というくらいにして貰いたいものです。
疑問:原発で得た利益に対して、今回の原発事故で吹きとんだ利益は、大体どれくらいだろうか?
結論:約76年分の利益が吹っ飛んだ
理由:
投資比率の変動、原発数の増加等の要因を全て無視して、相当適当なデータで、適当な算数をした試算結果は以下の通り。
◯東京電力の年間売上が5兆円
◯原子力発電比率が3割
◯電力会社の利益率が3.5%
→ 原発による利益が、5兆円 x 3割 x 3.5% = 525億円 / 年
◯政府発表の今回の事故の被害賠償見積額が4兆円
→ 4兆円 / 525億円 = 76.2 年分
以上
今回の震災で、2万人以上の人が亡くなり、または行方不明です。
この未曾有の大災害は、実質1時間も満たない僅かな時間で、これだけの人の命を奪いました。
正に、「言葉もない」とはこのことだと思います。
自然の脅威に、なすすべもないという無力感にうちひしがれる思いですが、私は「天を恨まず」などと、悟ったような事は言いません。
私は、『必ずや、お前(自然の脅威)を、人知によって捻じ伏せてくれる』と、天に唾吐く者の一人でありたい、と思っています。
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しかし、この機を逃してはならないと思うのです。
数値のデータではない、ほんの少しまで身近に確かに生きていた人達に想いを馳せて、今こそ考える時です。
■東京大空襲 10万人が死亡
■広島原爆 20万人が死亡
■長崎原爆 14万人が死亡
これだけの人間を一瞬で殺害した「戦争」とは、一体何だったのか。
太平洋戦争で、非戦闘員である民間人が総計80万人死亡しました。
それは、あの「地震と津波」を、40回も発生させるような地獄であったはずです。
230万人の軍人の死亡者も含めれば、150回以上。
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戦後、
『私たちのもっとも愛する肉親の生命を一片の砲弾、一セキの銃弾にやすやすと交換した』
と演説した(記録映画「東京裁判」)岩本アキ子さんの言葉を魂で理解し、
人間のなせる業に心底から恐怖する時です。
『江端君は、どうして、毎日、自分の文章を公開しているの?』と、上長に尋ねられました。
その時、私は自分でも沢山の理由をしゃべったのですが、今になって考えると、どれもこれも、しっくりしませんでした。
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確かに、私は一般の社会人としても、また会社の構成員の一員としても、組織にとって「触れられたくない」とも思える文章や、自分の保身に反する事項を、自分の名前を明かにして、開示しています。
実際に、ホームページにアップする瞬間、私も、それなりの「覚悟」をもって、送信のボタンを押しているのです。
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社会人として、百万の「愚かな」という接頭語の付く、低俗な自己満足だ、と自分でも分っています。
なのに、なぜ、私はこんなことをやり続けているのだろうか。
ずっと考え続けて、昨夜、ようやく「あの娘」に、辿りつきました。
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22年前、
まだ、知らないことが沢山あって、
まだ、会ったこともない人が沢山いて、
まだ、やりたいことが沢山あって、
まだ、言いたいことも沢山あって、
それなのに、生き続けることができなかった「あの娘」が、
何も言わずに、今も、じっと私を見ているから。
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だから、私は、
を、停止してしまうことが許されない。
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どうも、そういうことの様です。