電子メールを使って、特許法の説明をしていたことがあります。
■特許権が発生する為には、「特許出願」という要式行為が必要である(「方式主義」)。
■しかし著作権の場合は、このような行為を行うことなく権利が発生する(「無方式主義」)
という内容を簡単に判って貰う為に、以下のような文章を作成しました。
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(例2)
『結婚は、所定の要件を備えた当事者間の合意で成立する。YesかNoか』
答えは、Noです。
婚姻届けを提出するという手続を行い、登録されないと結婚は成立しません。
結婚とは、法律行為で、かつ、第三者対抗要件だからです。
ちなみに、「結婚」とは実体としての「愛情」やら「経済力」やらを全く規定しておらず、単なる手続としての法律行為のみです。
今更ですが、「愛」がなくても結婚は可能です。
==========================
つまり「愛のない結婚」という言い方は、一般的にはネガティブなイメージがありますが、法律的にはあまり意味のあるフレーズではないのです。
「愛のある結婚」という言い方のほうが、珍しい。
いわば「愛のある特許出願」みたいな違和感です。
先日、「ちはやふる」という競技カルタのマンガのお話をしました。
このマンガは、一瞬の札の取り合いのスリリングさが最大のウリの、一種のスポーツのマンガです。
百人一首は、上の句が確定した段階で、下の句を取りに行くことになるので、札によっては、最初の一文字で下の句が確定することがあります。
これを一字決まりと言うらしいです。
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で、思ったのですよ。
これが、「競技カルタ」ではなく「TOEICのヒアリング」だったらどうだったらろうか、と。
■動作が違う文章に注意しよう
■写真にない名詞が聞こえてきたら正解ではない
■単語の意味を使用して混乱させてくるものに気をつけよう
■抽象的な内容は正解ではない
■現在進行形なら8割は正解である
というルールを叩き込まれた受験者が、TOEICヒアリングの解答を瞬時に解いていく、
―― 熱血成人マンガ
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まあ、賭けても言いですけどね。
この漫画、絶対に当たらない。
日本でも帰省ラッシュというのも、たいがい凄いものですが、中国の春節(旧正月)の帰省というのは、想像を絶するものだそうです。
と、この前の中国の出張で、ワニの煮付けを食べながら教えて貰いました(美味しかったですよ)。
いわゆる都市部であれば一つの省だけで、3000~4000万の人間が一斉に移動するのだそうで、中国全土で、その移動数は、日本人の人口の総数の整数倍に至る、と。
私も色々なシステムのスケーラビリティについて検討してきましたけど、想定するターゲット数は、数万から数十万、どんなに多くても100万を越えることはありませんでした。
"億"という単位を制御するシステムを、私はイメージできない。
春節に発券システムが、道路交通管制システムが、鉄道システムが、航空システムが、破綻するのを回避する為に、どれだけ多くの人が苦労しているかを思うと、ほんとうに同情を禁じ得ません。
といって、「春節だけの為のシステム」なんぞを作ったら、あの国は、「春節システム」だけで、インフラシステムの予算が尽きてしまうでしょう。
大国は、我々の理解の及ばない苦労があるようです。
それはさておき。
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「中国で急成長の「レンタル彼氏」ビジネス、春節休みに一緒に帰省」というタイトルを、メモ帳に記録してありました。
私も、独身時代には、結構面倒な外圧があったのは事実です。親というものは、結構、この件に関しては暴走気味になります。
親は自分が歩んできた以外の道は歩めない訳でして、親は自分が理解できない範囲のことを子供にやって貰いたとは思っていないのです。
■地方を出て、東京の大学に行くとか、
■海外に赴任させるとか、
程度のことでも、もうボロボロです。
ましてや、
■終生独身
などというパラダイムは、親の想像の範疇を、遥に越えるのです。
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これを、私達(ここでは、成人前のいる子供のいる家族を想定)が簡単に理解する良い方法があります。
もし、自分の子供が、
「同性の結婚相手」
を連れてきたと考えて下さい。
リベラリストを標榜する私であっても、簡単にパニックになるでしょう。
なぜか。
自分の子供が、何考えているか、全然理解できないからです。
米国における同性婚の合法化等をニュースなどで聞き流していたとしても、自分が「当事者」になるかどうかは、別の問題です。
今までに経験のない、空前絶後、前代未聞のパラダイムとも対峙しなければならないのです。
そういうことは、考えるのだけでもうんざりですよ。
そういうパラダイムを、いい歳になってから、一から勉強して理解していなければならないのは、面倒です。
「ふざけるなー!」と怒鳴る方が、圧倒的に簡単です。
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春節の時に、「レンタル彼氏」を連れて帰って、丸く収まるなら簡単で安いです。
毎年、春節の度に「レンタル彼氏」を変えて、『この娘は恋多き娘なんだねえ』と、勝手に勘違いして貰っても良いでしょう。
大丈夫。
このビジネス、近い未来、「レンタル旦那」「レンタル乳児」「レンタル幼稚園児」まで対応するようになります。間違いありません。
「需要あるところに供給あり」の原則は不変です。
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そのうち、親は亡くなります。
自分の親に、面倒くさいパラダイムを直面させることなく、あちらの世界にいって貰うことは、立派な親孝行だと私は思います。
今日、私が一人で留守番をしているところに、本当に珍しく、宗教の勧誘の人が決ました。
―― 嬉しかった
ティーンのころ、このような勧誘にくる人を、片っぱしから論破して、コテンパにしていくのが楽しくて――
そんでもって、やりすぎて、誰もこなくなりました。
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今日は、主婦二人の方のペアのようでした。
「イエスキリストをご存知ですか?」という、素人向けの質問で、少し片すかしを喰らった感じになりつつも、その教義内容をちょっと聞きました。
手渡されたパンフレットを見て、私は、ニヤリとしました。
―― この宗教団体であれば、いつでも、どこからでも、どのネタでも叩き潰せる
と思いましたが、珍しく自制が働きました。
いや、待て。
このような善意の主婦の方を、今、叩き潰してどうする。
どうせやるなら、ラスボスだ。
そこまでは、「タメ」ておくべきだろう。
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「ええ、イエスキリスト、とても良く知っていますよ。旧約も新約(聖書)もハンパなく読んできましたからね、これまで」
と応えておきました。
嘘ではありません。
なにしろ、私は学生時代に、チャペルのある学寮で、寮長やっていたくらいですからね。
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さて、次は誰を、繰り出してくるんだろう。
できれば、私の在宅中に、是非来て貰いたいものです。
今、介護認定をペアで受けている両親の今後の対応や、実家のメンテナンス(電気、水道、ガス等のインフラ一般)の為に、年休とって帰省中です。
また、併せて、彼等の確定申告の処理も行っているのですが、
―― まったくもって、分からん
―― この複雑怪奇な制度は、一体なんだ?
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ここで、「制度」を批判するのは簡単です。
私も特許法、著作権法などを(独学ですが)勉強しているので、「公平と正義をギリギリまで担保する為には、法制度や手続が面倒くさくなる」ということは理解しているんですよ。
けどなぁ、この書類を、介護認定を貰っている人間が作成できるとは思えないんだよな。
これって、本当に公平と正義を担保しているんだろうか。
私には、そこに悪意がなくても、結果として「弱い奴から税金を取れ」というシステムとして完成しているように見えて仕方がないんですよ。
文句も出にくいし、早々にいなくなるだろうし。
-----
今の私は、
「確定申告を計算した結果、戻ってきた還付金を100%全額進呈する」
という条件で、アルバイトを雇う意思があります。
経済学部や商学部の学生さん、この話に一口乗りませんか。
私は、「要介護高齢者が不当に舐められている」と感じるこの不快感に対して、(いいがかりであるのは、百も承知の上で)、権力に対して一矢報いたいんですよ。
二日ほど家を留守にしていて、帰宅したところ、
―― 家族が、百人一首の札を読んでいました。
あきらかに、「ちはやふる」の影響です。
でも、家の中に、和歌が響くのは悪くありません。
たとえ、明らかに「歌の意味を誤解して歌っている」と分かっていても、です。
なんだかんだいって、百人一首は日本人であれば一度は完全暗記させられる(よね?)、日本が誇る美しい短歌ですからね。
# 百人一首とTwitterを絡めた私のコラムは、こちら。
それはさておき。
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―― 出札は狙っていない札へ
―― なんでだ?
―― なんでそんな呼び込める? (「ちはやふる」17巻より)
と、百人一首でさえ、これほどドラマチックに描けるのに、
なんで、「研究者」の熱血マンガが存在しないのだろうか。
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―― 最急降下法のパラメータは狙っていない解へ
―― なんでだ?
―― なんで非線形方程式の多次元初期値が、そんなに上手く配置できる?
という風に、コンピュータサイエンスであっても、そして、他の科学技術の分野であっても、「運」と「才能」が支配する世界のドラマを描くことはできるのです。
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文部科学省は、もう、カリキュムを工夫することは、一時留保しませんか。
技術立国日本の再生には、(サブ)カルチャーと結託して、科学分野の熱血マンガを創作した方が、絶対に早い、と思う。
「宇宙兄弟」も悪くないが、あれはちょっと「遠い」。
皆、気がついていないかもしれないが、あのヒビトは勿論、ムッタでさえも、
■TOEICフルスコアレベルの英語を普通に使っていて
■ロシア語も普通に喋れるはず(宇宙飛行士の必須言語だったと聞いた)
ですし、そのほか、色々、凄いんですよ、宇宙飛行士になる人達の属性は。ちょっと青冷めるくらい。
# 詳しくは言えないんだけど、以前、JAXAにコネのある人から話を聞く機会がありまして。
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という訳で、もっと、手近な科学分野の層を増やすには、「ちはやふる」の科学技術バージョンです。
ネタ出しなら、いつでも手伝います。
保護者の方々が、幼稚園や小学校の学芸会で、必死に写真やビデオを取る為に席を確保し、コンテンツを残そうとする為に、本当に涙ぐましい努力をしています。
この気持は分かるのですが、私の場合、ちょっと視点が違います。
私は、幼稚園であろうが小学校であろうが、
―― 人様にお見せするものである以上、私を感動させるようなコンテンツ
であることを、期待してしまいます。
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幼稚園児が、打楽器を、「ぶーすか、がっちゃか」やっていても、私は楽しくない。
この場合、私の批判は、幼稚園児に向かずに、その教諭に向きます。
―― 演出がなっとらん。もっと保護者を感動させるツボを持ってくるようなイベントやサプライズを用意できんのか
小学校の学芸会に至っては、この批判は、役者(つまり小学生本人)にも及びます。
―― 発声練習が不十分である。音楽のバランスが悪い。セリフの間がなっていない。脚本を理解していない。
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いつぞやは、「パパは、イベントに参加すると、いつでも不機嫌な顔しているよね」と、小学生4年生の次女に看破されました。
『え、そんなとないよ。実に楽しかったとも』
と惚けているのですが、流石に父親の考えていることは、娘には見抜けるようです。
私の携帯に、mixyと書かれたスパムメールが入るようになりました。
嫁さんの携帯メールアドレスは、さらに酷い状況になっています。
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私の携帯電話のメールアドレスは非公開にしており、メールの転送先としてだけ使っているものですので、このメールアドレスにスパムメールが入ってくる事態は、なんとも解せません。
もし、その携帯電話会社のセキュリティが破られて、メールアドレスが流出したとしたら、
■流出させた奴は「銃殺」
■破られたサーバの管理者は「絞首刑」
■社長は「切腹」
くらいが、IT業界の住人の私から見える世界観に基づく価値観です。
まあ、それはさておき。
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で、この度、その携帯会社が提供している、「簡単メールフィルター」を設定してみました。
結果、設定後、設定解除までの10時間余の間、一通のメールも届きませんでした。
確かに、私のメールは、3箇所のメールサーバで管理されており、その転送ルールは複雑怪奇です。
もし一箇所でも設定を狂わせたら、メールの無限ループを起こしかねないほど、「デリケート」な設定をしているのは事実です。
しかし、そのような、私の超高精度メール転送コントロールを、全てスパムと判断して廃棄してしまう、「簡単メールフィルター」は、なんて「バリケード」なフィルターなのだろう、と逆恨みしています。
まあ、全メールをスパムと解釈されるようなメール転送ポリシーを運用している「私が悪い」といわれれば、その通りなのですが。
先日、
「風に流れて車道に落ちていくベビーカーを追いかけて、肉離れのケガをした」
との報告を致しました。
先週、松葉杖を手放し、健常な状態(少し痛みを感じることがありますが)になりました。
先ずはご報告まで。
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しかし、この後が凄く大変だった。
通勤途中の災害なので、完璧な「労災」となります。
従って、治療費が負担して貰えるのですが、その負担金額の100倍以上面倒くさい「書類の作成」で泣きそうです。
病院や薬局で書類の書き直しを命じられ、総務部との書類の再発行の手続をお願いして、何度も、会社を早退し、または遅刻して、
―― 本当にゲッソリしています。
労災申請をしないで、自己負担で賄う人がいるというのも、分かるなぁと思います。
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周りの人が優かったですね。
嫁さんは100%送り迎えの為の車を出してくれて、会社の人は荷物を運ぶのを手伝ってくれました。
そして、会社の幹部から、優しい声で「災難だったね。大丈夫か」と声をかけられた時は、正直、
―― 怖かった。
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「ベビーカーを追いかけてケガをした」であるからこそ、このような対応をして貰えたのだと思います。
これが、「痴漢の疑いをかけられて、逃げる最中にケガをした」であれば、このような対応は期待できないばかりか、多分、
―― 通りすがりに、松葉杖を蹴り上げられただろうな
と思います。
中二の娘が、イラストのバイト代金を上げて欲しいというので、
「これからは、毎月のこずかいを10万円にする」
と、宣言しました
「ただし」と付け加えていいました。
■貯蓄してはならない
■他人の為に使ってはならない
■債券(株など)の購入に使ってはならない
■次の月に繰越して使ってはならない
■現在、江端家にて供出している、衣食住関連に使ってはならない
■同じものを2つ以上購入してはならない
■購入したものには正当な理由がなければならない(例えば「音楽PODを2つ以上購入すること」は、正当理由にならないとする)
■10万円を使い切れなかった時は、その時点において、この契約は破棄されたものとし、かつ、それまでの全額を返金して貰う
■開始時は、自由に決めて良い。
―― と、娘に言ってから、すでに1月が経過しました。
まだ申し入れは、ありません。
昨日の話ですが、残念ながら私のオリジナルではなく、何年か前にあった事件をモチーフとして考えたものです。
ある技術系の某組織に勤務している友人から、電話を受けた時のことです。
「そっちの会社で、10億円の相当の何かの実験装置って、ある?」
絶句しましたね。
―― 納期は ?
「今すぐ。いや、それが無理なら3日くらいなら、なんとか」
―― 目的は ?
「後で考えるから、今はいい」
―― 正直にいって、無理だと思う。
「じゃあ、数億円でもいいから」
―― いや、そういう話じゃなくて
-----
あまり公にはできませんが、こういう話って、結構、普通にあったりします。
バブル期の時は言うまでもありませんが、今でもない訳ではありません。
金額の大小はあれ、こういう「駆け込み予算消化」というのは、組織が運命的に持つ、カルマ(業)のようなものです。
ご報告しなければならなかったのですが、長いこと忘れていました。
私の毎日のブログの下の方に「ツッコミを入れる」というのがありますが、あれ、機能していません。
この「ツッコミを入れる」の項目自体を消したかったのですが、どうやら、それが設定ではできないようです(もし方法があったら教えて下さい)。
という訳で、現在の「ツッコミを入れる」の上限数は、
0人
となっております。
-----
優れたブログを書く人が、心ない無責任な批判によって、ブログの執筆を止めてしまうパターンが大変に多いのは事実のようです。
そんなこともあって、私がブログなどを続けていく為に、ポリシーとして貫いていることは、
「人の意見は、積極的に聞きにいかない」
ということです。
何度も繰り返して、ウンザリという人もいるでしょうが、これは、私が「打たれ弱いから」です。
-----
まあ、ブログはそれでも良いと思うのですが、投稿した技術コラムなどは、流石にこれでは無責任に過ぎると思っています。
私は、正確な知識またはロジックを提示して貰えば、
■いつでも自分の意見を変更できるという柔軟性がある
のですが、それは言い方を変えると、
■自分の意見に固執する信念が絶無
とも、言える特性を有します。
-----
一応、メールでの批判を受けつける窓口は、メールアドレスを公開して準備しているのですが、
―― ほとんど、メール来ない
なかなか自分の思う様に回らないなぁ、と思う日々です。
本日帰宅したら、嫁さんが娘の制服(ブレザー)を着ていました。
一瞬で顔面から血の気が引いて、青冷めました。
―― そういう趣味なら、もっと早い時期(新婚の頃)に
と思っていたところ、
「(娘の制服の)ボタン付けをしたので、その位置の確認をしていた」
とのことでした。
-----
ホッしたり、ちょっとガッカリしたり。
いや、「ガッカリ」はなかったな、さすがに。
昨日の日記で、
「―― そういう趣味なら、もっと早い時期(新婚の頃)に 」
という一文を読んだ読者の方から、
『そういう趣味をお持ちでしたか』というリプライを頂きました。
「このまま放置するのもいいかな」と思ったのですが、ちょっとだけ看過できない点がありまして。
-----
私にとって、全ての制服は「嫌悪」の対象であり、ある種の制服は「憎悪」の対象です。
管理教育で悪名を馳せていたある地域の学校では、生活指導部と険悪なティーンの時代をすごし、
20代では、権力が一市民を罠に嵌める場面を目撃し、
30代では、病床の私に「だまって寝てろ」との趣旨の発言をした医師と看護士を今でも許せず、
そういう私にとって「制服の性癖」という風評は、看過できないのです。
もちろん、昨日の日記は、意図的にそういう風に書きましたので、リプライして頂いた方には、何の罪もありません。
-----
ですから、「ラブホでコスプレに興じていた橋下市長」は、私にとっては尊敬に当たる方なのです。
私にはできない。
逆に「普通の服に着がえてきてくれ」と言ってしまうくらいに、難しい。
来月に「初音ミクのブレーク」を促したライセンス
ピアプロ・キャラクター・ライセンス(PCL)
についてのコラム寄稿を予定しており、そのライセンスを作られた会社の方から、直接、個人レクチャーを受けています(本当にありがたいことです)。
正直に申し上げて、
―― も・の・す・ご・い
「こーゆーやり方があったか!」という感じですね。
PCLは単体では全く効力がないように見えるのですが、これが、他のライセ ンスと特定のWebサイト、そして現行法(著作権等)と絡みあって、巧みな効果 を発揮しているのです。
その考え抜かれた周到な構成は、圧巻の一言です。
技術であれ、法律であれ、そしてライセンスであれ、美しいものは美しい。
昨日深夜に、届けて頂いた電子メールに添付して頂いた資料を読んで、私は涙が出そうになりました。
-----
そして、汚いものは、どのような態様を取ろうとも汚い。
上記のPCLの製作者に関わった方々の努力に比して、
原著作物権利者の許諾を得ることなく、違法状態を認識せず、または認識しながら、
違法著作物を創作し譲渡している者達の「腹立たしいほどの懈怠さ」に腹を立てていたのですが ――
でも、もう、そういうことで腹を立てるのは止めようと思います。
■権利者の「おめこぼし」で権利侵害の見逃して貰っているだけの世界に安住し、
■そしてその世界は、微妙なバランスで立っているだけで、例えば、為政者等がチェ ンジすれば、あっと言う間に壊滅させら得るものであって、
■現実に、都条例、ダウンロード刑事罰化が立法化して、
■今や、TPPによって最後の王手をかけられているかもしれない状態であっても、
その不利益は、その不利益を被る人達でなんとかして貰いましょう。
私が、義理立てをしなければならない理由はない。
「原著作 権者に無許諾で、当該原著作者の著作に依拠する著作物の利用は違法である」という私の主張に対して、山のような非難(×批判)ツイートをしてくる人達に、私は嘔吐が出そうなくらいウンザリしています。
それでも、私は、そのような「非難」をしてくる人に、私は最大級の敬意を表して、「その理由を教えて下さい」と、ツイッターでメッセージを送付することにしています。
私は、私の著書の問題点を正しく認識したいからで(これはエンジニアの属性かもしれません)、そして誤った知識や知見が、拡散されていくことが怖いからです。
しかし、その返信の内容は、
■論理破綻しているか、
■観念の域を出ないか、
■抽象論か、
■「自分で考えろ」と言わんばかりのもの
が殆ど。(自分では分からないから質問をしているに決まっているだろうが)
酷いものになると
■「無視」、
さらに酷いものになると
■「一方的打ち切り宣言→逃亡」
■「「放置」
ですよ。
(とても稀ではありますが、良いコメントを頂くこともあり、その場合は許可を頂いて開示させて貰うことにしています)
-----
一応言っておく。
■私の人格と著作の品位を踏みにじる
■最低最悪の罵詈雑言のメッセージを投げつけた、
「あなた」に伺いたい。
■屈辱に歯をくいしばりながら、
■それでも、最大級の敬意を表して、
■「あなた」にひざまづいて教えを乞うている
原著作者の「私」に対して、
「失礼にも程がある」
と、一度でも思ったことはないか?
先日、介護認定を受けている両親の為に、実家に戻って、施設を回ったり、ケアマネさんと打ち合わせをしたり、税金の手続をしたりと、どたばたしているうちに、週末が終って、帰宅の時間になりました。
駅まで送ってもらうのを断わって、私は歩いて向かいました。
その途中に、毎年、正月に初詣をする神社に立ち寄りたかったからです(そのことは、内緒にしていましたが)。
-----
そこは、小さな神社で、敷地も私の家のリビングの2倍程度しかありません。
鳥居をくぐって、小さな社(やしろ)の前に立って、手持ちの小銭を全部、賽銭箱に放り込み、目をつぶり、手を合わせて、願かけを始めました。
―― 父と母を、今よりも、ほんの1ミリでもいいから元気にして下さい
―― その対価として、「私」が辛い目に合うことは我慢します(限度はありますが)
―― 私の著作に対する、心ないツイッターのメッセージも(少しは)我慢します
とお祈りしていたのですが、そのうち、段々腹が立ってきました。
―― そもそも、あのように朴訥で、悪意なく、人に迷惑をかけず(場合因るが)、ただひたすらに一生懸命に生きてきた人達の、人生の最終フェーズがこの有様か?
―― もう少し、希望がある運命を与えてくれたっていいじゃねーか
―― お前、神様なんだろ? あの二人を、なんとかしてやってくれよ
―― テメーは、無能か!
と、どんどん怒りがエスカレートしてきて、もう悪霊に魂を乗っ取られているかと思うくらいの状態になってところで、
私の左肩と首の間に、ニューっと人の首が差し込まれる気配を感じました。
私が、こわごわと首を傾けながら、左に目を向けると、
そこには、
―― バンチパーマをかけた、柄の良くない不細工な大阪人風のオバサンの顔のアップ
が、ありました。
ヒエーッ、っと、私が恐怖で口も聞けない状態のところに、そのオバサンは私の頭の中で、低い声で、直接語りかけてきました。
「そんなことなぁ・・・、言われてもなぁ・・・」
と、一言。
私は、驚きの余り、右側に飛びのき、そのまま後方に転びました。
そして、そちらの方向に目を向けた時には、そこには誰もいませんでした。
少くとも、その神社の敷地は勿論、私の目の届く範囲には、人っこ一人として、いなかったのです。
-----
あのオバサンが、「あの角度で私に顔を向いていた」
ということは、あのオバサンは、
「空中で真横に浮いていた」ことになります。
物理的にありえません。
もちろん、この事件の有力な解釈は、「私の幻想/幻覚」です。実際に、心身ともにズタボロに疲れていましたし。
しかし、あの大阪のケバイ化粧のオバザンの存在感は、「私の幻想/幻覚」では、到底、説明ができない程に圧倒的でした。
-----
ともあれ、私の中では、あの神社の神様は、
―― 柄の良くない不細工な大阪人風のオバサンの神様
であった、ということで確定しました。
これまで、何十年もの間、毎年、私は、正月元旦に、あのオバサン神様に願をかけていた訳です。
なるほど、私の人生が思い通りにならないはずです。
今、ピアプロキャラクターライセンス(PCL)関係の書類の山の中に囲まれています。
クリプトン社さん、ライセンス規約の「字が小さい」です。全力で全文読み倒している老眼ビギナーにはきついです(というか、そういう人って、多分、日本で数えるほどしかいないんだろうが)。
「なんで、休日まで、こんな大量の書類を読み倒して、うめいているんだろー」とは、できるだけ考えないようにしています。
悲しくなるから。
ともあれ、今度ツイッターで「30分で書ける程度のコラム」などと、ふざけたことを書いてきた奴がいたら、
―― 今度は、絶対に許さん
その真意を聞き出までは、一日、数十通の返信ツイートで質問を続ける。たとえ、返信がなくても。
それはさておき。
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「こんな大量のライセンス条項、いくら読んでも分らんわーい」と断念して、ついさっき、ピアプロに入会しました。
入会サンプルの生年月日が「1989年」であったとしても、もう傷つかないようにしています。
この歳で、サブカルチャーの調査を堂々とできることは、「技術コラムを寄稿している者の特権だ」と、前向きに考えるようにしています。
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で、ピアプロの話に戻りますが、前回インタビューさせて頂いたボカロPさんの、楽曲が置いてあったので、今回、じっくりと聞かせて頂きました。
初めて、ボカロ楽曲が「美しい」と思いました。
美しいピアノジャズの調べに合わせて歌う初音ミクの大人風な歌い方は、なかなか良いです。
ビルエバンス、キースジャレット、そして、アルゲリッチ先生のピアノで、20代を生きてきた私にとっては、こういうボカロ楽曲なら、すっと心に入ってくるのです。
今迄、どの曲を聞いても、全然琴線に触れてこなかったのですが(特に娘が紹介するボカロ曲は全滅)、
―― ようやく「ボカロ」のきっかけを掴んだかな
という気になってきております。
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踊り回ることも、羽をつけて飛び上ることも、いりません。
ただ椅子に座りながら、静かにピアノジャズの調べを奏でる、という「初音ミクコンサート」なら、是非チケットを手に入れたい。
初音ミクパッケージをリリースされているクリプトン・フューチャー・メディア(株)社の方から、ピアプロキャラクターライセンス(PCL)とその他について、詳しく教えて頂いているというお話を致しました。
先日、クリプトン社さんに電話を差し上げる必要があって、受話器に手をかけたところで、ハタと手が止まりました。
―― なんて自己紹介すればいいんだ?
-----
■ こんにちは。江端智一です。
→うん、電話をする前から、受話器の向うから「ハア・・」と言われるのが見えたね。
■ こんにちは。「初音ミク」に興味がある江端智一です。
→どう考えても、ボカロの創作者かリスナーと思われて、「それはどうも、ありがとうございます」って言われるだけだよな。
■ こんにちは。「初音ミク」を調べ回っている江端智一です。
→ストーカーのようにも聞こえるかな。下手すると「変態」と思われる恐れもあるかもしれない。
■ こんにちは。合成音声技術の関する技術と特許を調査している江端智一です。
→だめだ。これでは、特許権侵害の警告をしてきた弁護士に間違われかねない。
■ こんにちは。コラムニストの江端智一です。
→「切腹」したくなる衝動にかられました。わたしゃ「サラリーマンエンジニア」です。こんな恥しいことは、とても言えません。
-----
と言うわけで、この電話の対応の為、たっぷり30分は考えました。
で、私が私をどのように自己紹介したかは、ヒ・ミ・ツ(ハート)です。
全世界から、一斉同時に
「嘘つけ!」「身分詐称だ!」「身の程を知れ!」
と突っ込まれるのは、嫌ですから。
昨日、嫁さんに、今回の技術コラムの話をしました。
そこで、いわゆる「薄い本」の話にも言及しました。
嫁さんは、「汚い物を見る」ように私を見て(なぜ私?)、私に問いかけました。
―― その「薄い本」なるものを、(あなたが)守るべき価値があるの?
-----
実は、私には、「薄い本」を守るべき価値があると考えています。
それは、「薄い本」を、表現を制限する側に立つ者達からの「弾圧の標的」としておく為です。
「薄い本」を、橋頭堡(きょうとほ)としておくことで、私の著作の表現の自由を、間接的に守る、と。
一番攻撃されやすい所を死守することで、私の創作活動を担保する。
うん。いつもながら思うが、我ながら清々しい程の「卑劣さ」だ。
-----
しかし、私は、公には上記の本音は言わず、以下のように語る奴です。
■表現の自由は、創作という能力を与えられた人間固有の財産である。
■価値観は時代や歴史とともに推移し、現在は唾棄すべき表現の一態様で あったとしても、未来には優れた価値として認められ得ることもある。
■始皇帝、ナチスドイツ、そして広義の意味では戦前の日本の官憲の、い わゆる「焚書坑儒」が、貴重な文化の連続性を破壊してきたのは事実である。
■表現が公序良俗、教育の観点から問題があるのであれば、流通経路に対 して制限を加えるべきであり、創作そのもの制限するのは誤っている。
とまあ、このように、それらしいことを、もっともらしく言うことはできるんですが、 それを、本気で信じている訳ではないのです。
『私に関係のない文化がどうなろうが、知ったことか』が、私の基本スタンスです。
と言いながら、私には、「それでも、人間が創り出したものならば、守らなければならない」という、強烈な「すりこみ」があるのも事実なのです。
-----
私が、「文化の徹底的な破壊」を魂のレベルで実感したのは、20代の中国大陸の一人旅でした。
―― (仏教を含めて)宗教遺産の美術品が、ほとんど破壊され尽している
10代から、一人旅の寺社巡りをしていた私には、かなり衝撃でした
「一体、何をしに中国大陸まできたのやら」という気持でした。
理由は明快です。
人生の晩年でとち狂った、あの阿呆のやらかした「文化大革命(文革)」というやつです。
「文革」の最中、仏教美術品、仏教建造物は、「薄い本」に匹敵する程、いや多分、それ以上に為政者と(それに洗脳された民衆にとって)、唾棄すべき、許されざる、人類最大の汚点の創作物、と考えられていた訳です。
-----
「薄い本」と「文革」。
どう考えたって、この2つは無関係で、論理付け不可能な独立した事象です。
ただ、私はそういう理由を越えて、「人間の創作物を破壊し尽くす」という、考えや行為が、全ての理屈を越えて、
―― 怖い
のです。
介護認定を受けている父や母に送付した、私のコラムは、実家でメモ用紙 になっていました(一行も読まれた形跡なし)。
娘達が「パソコンで作った絵」も、なんか娘達の著作であると認定されて いなかったようです。
しかし、娘達が手書きで書いた絵だけは、ガラスとテーブルの間に挟まれ て、キレイに整理されて、きれいに並べられていました。
コンピュータの技や技法によって、美的に装飾されたものでは人間は感動 できない。
詰まるところ、人間は、人間の手によって直接的に創作されたものに感動 するようにできているのではないか、と思う様になってきました。
もう、彼等は、旅行も、外食もできないだろう。
私の器量、裁量、そして金銭があったとしても、「もう私にできることは 何もないのだ」と、思い知らされます。
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昨日、嫁さんと長女と、以前お話した「制服フェチ」の話をしましたところ、二人とも、もの凄い嫌悪感を、全身に漂わせていました。
―― じゃあ、もし私が「制服着てくれ」と頼んだとしたら、どうなっていた?
嫁さん:「別れた」
長女:「ママについていった」
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「制服にフラグが立たない性格で、本当によかった」と胸を撫で下しています。
期末ですね。
この時期は憂鬱です。
桜なんて咲き始めているのを見ていると、気分はどんよりと沈んでいきま す。
なぜ、一年中、冬ではないのだろうか、と。
シベリヤ、アラスカ、南極大陸のような極寒の地で、行動が制限されるよ うなところの「冬」ではなく、
日本であっても、豪雪による雪害になる北日本のような「冬」でもなく、
そのような「迷惑をかけられない冬」、具体的には、東日本から西日本の 太平洋沿岸の地域の「冬」が良いのです。
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2年前に、達成目標を約束した(豪語した)書類が戻ってきます。
そして、今、その約束の成否を明確にして書き込む必要があります。
「2年前の私は、今の私とは違う。今の私ならそんな約束はしなかった」と、どんなに泣きごとを言っても無駄です。
私の「被告抗弁」の文案創作能力は、この時期、最高レベルに達します。
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期末ですね。
私は、この冬に還りたいのです。
今度の寄稿コラムの為、長女の為に「ゴルゴ13」を購入しました。
ゴルゴ13とは、超一流のスナイパー(狙撃手)である国際的テロリストの活躍をベースとして、世界の国際的な政治・経済・宗教・宗教は勿論、軍事、最先端技術を分かりやすく解説する劇画漫画です(江端解釈)。
まあ、正直に言うと、私の国際問題に関する勉強のきっかけは、この「ゴルゴ13」から始まっていることが多いです。
例えば、メジャーな国際問題である「パレスチナ問題」の全体像を把握したければ、「ゴルゴ13」だけで十分でしょう。
もちろん、何もかも正確に記載されている訳ではありません(特に、コンピュータとネットワーク関連では、私でも誤記を指摘できる箇所もある)。
しかし、全体としては、驚異的な知識と学習がベースになければ、到底可能とは思えない程の、素晴しい作品です。
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ゴルゴ13は、自分の依頼を完遂する為に、それぞれの専門家(武器商人、コンピュータエンジニア等)に、色々な機材を発注するのですが、私に言わせると、
―― ゴルゴ13、その発注方法ではだめだ。
と突っ込みたくなることがあります。
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(例1)
技術者:「ということは、ネットワークに過負荷を与えて、通信を不能にするということですか?」
ゴルゴ13:「俺の質問だけに答えろ」
(例2)
武器商人:「あなたは、我が国の権力基盤の一端を破壊しようとしているのか」
ゴルゴ13:「余計な詮索はするな」
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これでは駄目ですね、ゴルゴ13。
背景、趣旨、目的、そして詳細な計画案、問題点、それらを開示することによって、より良い提案がされて、計画が具体化し、作戦の成功率が高まるというものです。
このような秘密主義が、プロジェクトを頓挫させることは、歴史を見るまでもなく明かなことです。
まあ、それでは、劇画漫画としてしては面白くないし、大体テロリストが他人に作戦を開示した段階で計画としてはアウト、ではありますけどね。
それはさておき。
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なぜ、私が「ゴルゴ13」を長女に買い与えたかは、あと2週間程で分かると思います。
本日、アルバイトにでかける嫁さんを、自動車で駅まで送ってきました。
駅の西口で止めようとしたのですが、東口に回るように言われました。
東口からなら、上りの階段を使わずにホームに出れるからです。
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私:「巨人の星の星一徹は、息子の星飛雄馬に対して、工事中だったランニングコースを変更して、近道した息子の星飛雄馬を、殴りつけて叱ったよ」
嫁さん:「?」
私:「星一徹は、『何故、遠まわりの道でなくて、近道を選ぶのだ!』と怒鳴りながら」
嫁さん:「??」
私:「ダイエットの為には、西口を選ぶべきではなかったか」
嫁さん:「・・・私は、巨人軍への入団を希望する予定はないから、いいよ」
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私は、あの名作マンガ「巨人の星」を読破しています。
しかし、今になって考えると、結構、あの「星一徹」という父親は、
―― 結構なブランド指向の俗物
だったのではないか、と思うことがあります。
「巨人軍」といえば、当時はプロ野球の名門ですよね。その名門の法人組織に入れようとして、
―― 就職活動に干渉しまくりの保護者
とも言える訳でして、はっきり言って「気持悪い」ですよ。そんな父親。
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もちろん、どんな著作も、その時代背景に思いを馳せて鑑賞すべきなので、このような評価は、はっきり言って「卑怯」ではあるのです。
では、その時代背景に照してみますと、確かに、あの当時は「正当な努力に対して、正当な対価が与えられる」と無邪気に信じられた時代でした。
しかし、今、それは崩壊しているように思えます。
例えば、長らくその「正当な対価」と考えられてきた「学歴」という考え方は、現場では事実上崩壊しているように思えます。
例えば、エンジニアの世界で生きている私は、「学歴」と「エンジニアとしての能力」が、好適な相関を「示していない」ことを知っています。
(ただ、良い学歴を有している人が、早い速度で的確に物事を処理していく能力があることには、かなり良い相関が認められます)
今や、人を測る指標が分からない。「学歴」がその人の能力を反映しないのは、もう十分に分っているけど、それ以外の指標が「何」なのかが全然分からない。
分からないなら、昔の基準(=学歴)に対して投資するしかない。
と言う訳で、「お受験」と言われている分野への、我が家の投資は決して少くないのです。それが、全部「ドブに捨てることになる金」になるかもしれなくても、それ以外に投資先がないからです。
大体、私が、私自身に教育投資しているくらいです。そして、それは今のところ「ドブに捨てられ続けている金」です。そして、回収できない可能性は、相当に高いです。
あ、いかん、話が逸れました。
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私の言いたかったことは、「巨人軍」が立派な価値観であった(?)とされる、あの時代は、結構、分かりやすくて良い時代だったのだなぁ、と思える訳ですよ、私には。
何度か書いたと思うのですが、
人類はコンピュータを自分の手に入れることで、きっと幸せになれると思っていたと思うのです。
たぶん家計簿とか、手持ちの株の運用とか、いつでも好きな本が読めるようになるとか、自動的に掃除をしてくれたり、介護を全部代行してくれるロボットとか、
そういう未来を期待していたと思うのです。
で、その未来は、かなり多く実現されたと思うのですけど、我々には見落していたこ とがあったのです。
―― まさか、そのようなメリットを得る為に、そのメリットを遥かに越えるような、血の滲むような努力が必要になるということ
を、です。
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なんで、家計簿をつけるくらいのことの為に、「家計簿ソフトウェア」の勉強をしなければならんのだ。
で、大抵の場合、思い通りに動かん、ときたもんだ。
さらに、そのソフトウェアの開発会社は、頼みもしないのにバージョンアップを繰り返し、折角覚えた手順を全部パーにしてしまう、と。
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ソフトウェアを開発している会社に対して、
「バージョンアップ差止請求訴訟」というのを起こす人がいないことを、私は心底不思議に思っています。
または、「インタフェース変更の損害賠償請求訴訟」など、本気でやる価値はあるのではないか、と思っています。
「操作が簡単!」が売りになる業界って、はっきり言って我々を舐めていると思うのですよ。
コンピュータは、「操作」という概念すらない世界を実現しなければならなかったはずです。
これは、単に「バージョンアップしなければいい」という問題ではないのです。
OS(オペレーティングシステム)のサポートを止められたら、当然、そのソウトウェアも同時に利用不能。我々の膨大な勉強の時間は、ドブに捨てられるのです。
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しかし、これを逆から見れば、ビジネスチャンスです。
「我が社は、頑固一徹。あなたが生存している間、絶対に仕様を変更しないソフトウェアを提供し続けます」
「どんなハードウェアやパソコンチップが登場しようが、完全同一のOSを提供して追従を続けます。そして、現状のアプリケーションの仕様を1ミリ足りとも変更しません」
うん、私なら、全財産叩いても、この会社の株を買ってもいい。
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いい加減に「ソフトウェアの操作方法の学習」という「非生産的行為」から、人類を開放して欲しいのです。
我々は、コンピュータの「メリット」を受けたいだけで、「努力」なんぞしたくはないのですから。
ピアプロ・キャラクター・ライセンス(PCL)にドップリ嵌ってコラムを執筆中です。
PCLの規約によれば、色々なことができそうです。
「初音ミク」コンサートみたいな派手なものではなくて、
パソコンとプロジェクタと「白い壁」があれば、
公民館で、演歌や民謡を歌う「初音ミク」を上映してもO.K.です。
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調べていないが、演歌や民謡を歌う「初音ミク」も、きっとどこかにいるだろうと思います。
以前、祝詞(のりと)を謳い上げる「初音ミク」を発見したくらいだから、その内、葬式でお経を唱える「初音ミク」も登場するだろうと思う。
少くとも、PCLは、それを禁止してはいません。お経を唱えることは、公序良俗(PCL第3条2項5号)には該当しないからです。
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「初音ミク」に恐怖するのは、既存の歌手やエンタメ関係だけではないと思います。
全ての「声」を使う世界にとって、彼女は「脅威」となり得ると思う。
ここ数ヶ月の私の調査結果に因れば、「坊さんが、初音ミクによって廃業させられる未来」というのは、かなり真実味があるように思えます。
我が家にはリビングに2台のデスクトップマシンがあって、大抵の場合、待ち行列なしで利用可能状態にあります。
ところが、娘(長女)が、私に「ノートPC」を貸して欲しいと言い出しております。
嫁さんは難色を示しています。YouTubeを再現なく見続けて、勉強をしなくなると主張しています。
しかし、私は、娘に向って、何度も深く頷いて言いました。
―― うん、うん、分かるぞ。「スケベ」なホームページが見たいんだよな。うん、そういう年頃だ
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娘から「パパの基準で、私を測るな」と怒られました。
なお、本件、結論は出ずに、本日の所は留保となりました。
1年程前に、コンテンツのクラウド研究をやっている同僚から、クリエイティブコモンズ(以下、CCという)について質問されて、逆に「何それ?」と訊き返ししてしまったことがありました。
研究所内で、「歩く知財」(などということは、勿論、誰も言っていいませんが)江端が、著作権に係わることで答えられないとは、と、非常に恥しい思いをしたものです。
また、ちょうど今、著作権関係の調査をしている最中でもあり、知財関係で知りあいになった方からも、シンポジウムの聴講を薦められていましたので、事前に申し込んでおきました。
文化庁主催 第8回コンテンツ流通促進シンポジウム『著作物の公開利用ルールの未来』
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私は、省庁が主催するシンポジウムの聴講で「大爆笑」したのは始めてです。
こんな、面白いシンポジウム見たことない。一瞬で時間が過ぎさったという感じでした。特にパネルディスカッションは凄かった。
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まずは、メンバが凄い。
あのTPPと知財の関係を見事に看破した「「ネットの自由」 v.s. 著作権」の著書である、福井健策先生。
私は原稿書き上げた後、先生の著書を読んで、タップリ3日は落ち込んだものです。
「うわー、動いている福井先生だ。サイン貰ってこようかな」と思ったりしました。
森美術館館長の南條さんの話は非常に興味深かったし、メディア・アクティビスト(作家のことかな?)の津田さんは、「CCのコンテンツをTSUTAYAに置けば良い」というという趣旨の発言をされて、会場を湧かせていました。
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しかし、極めつけは、漫画家の赤松健先生(『ラブひな』『魔法先生ネギま!』の作者(残念ながら江端は未読))のお話が、もう最高。
漫画家としての立場から、同人誌やコミマに対する愛情と、それと同時に漫画家としての不快感を入り交えた上での、新しい概念、
――「黙認」
というマークをプレゼンで提示された時、会場は大爆笑となりました。
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「コミケ当日だけ『見逃す』という」この新しい権利概念を提示された時、私はもう涙が出る程笑いました。
福井先生が「『黙認』をどう定義するんだ」と突込んでおられましたが。
確かに、現行法においては勿論ですが、多分「黙認」を明文規定しているライセンスって、地球上に存在しないと思う。
「この人、本当に凄い人だ」と心の底から畏怖しました。
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赤松健先生は、さらに、びっくりする観点から、我が国のコンテンツ立国案を提示されていました。
「BL(ボーイズラブ)の同人誌は、フランスで凄い人気が高い。我が国は、膨大な資源をすでに所有しているので、これを、どんどん輸出すれば良い」
確かに、これなら資源は無尽蔵にあるとも言えるなぁ、と感心しました。
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私、どうしても無体財産権というと、どうしても産業財産法(特許法とか意匠法)の方を考えてしまうのですけど、
「同人誌を資源」と考えるのであれば、どうして、これはなかなか凄い案です。
「同人誌」が、これまでの我が国の「特許発明」と肩を並べ、「石油」や「天然ガス」に対抗しうる「輸出資源」となるかもしれません。
とすれば「同人誌」を今の地位(法律的には、真っ黒に近い違法状態)に置いておくのは得策ではありません。
CCでも法律でもなんでも良いので、権利関係をキレイに整理して、輸出可能な資源として、ちゃんと「精製」することを考えはじめないと、いけないでしょう。
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「同人誌」が「再生可能エネルギー」になるという未来は、ちょっと痛快だと思いませんか?
「中島みゆきの歌詞が、教科書に掲載されるらしいよ」と嫁さんから聞いたので、今、ちょっと調べたら、すでに著名な話のようでした。
私が嫁さんから聞いたのは「二隻の舟」だったと思うのですが、私が調べた範囲では、「永久欠番」が出てきました。
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嫁さん:「私だったら『時代』かな」
私:「何を言うか。彼女の歌だったら『シュガー』に決まっとろう」
嫁さん:「・・・『シュガー』。あの歌詞を、学校教科書に掲載するのは、ちょっと無理じゃない?」
私:「いや、今の若者に対して必要なメッセージは、『「唯一無二の夢」という硬直した考えから脱却せよ』だと思うぞ、私は」
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実際、「夢」というのは、複数に分散して、ポートフォリオを組んでおくべきなのです。
あたかも「一つの夢に固執して目指すということが最上の価値だ」などという「でたらめな価値観」を賞賛するから、若い人が苦しむことになる、と。
まあ、それはさておき。
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文部科学省の皆さんには、是非、次の曲の掲載の採用もご検討頂きたく。
「慟哭」 ―― 若者のストーカ化を防止する観点から
国語教師への教育指導要領には、
「振られたら、スッパリ諦めろ」
と教えるように記載して下さい。
私のパスワードは、長い間、「100年後の私を誰が知ろうか」を英語にして、その頭文字を取ったものでした。
「100年後の私を誰が知ろうか」の意味は、「だから、誰にどんな批評をされようとも、100年後には、私を含めて、その人達は一人残らず消えてなくなる」
―― だから、自分の行動基準に「人の目」を入れるのは止めよう。人の目を気にする生き方は止めよう。
という話を友人にしたことがあります。
しかし、彼は、「アホか」という目で、私を一瞥した後で
「その『100年間の評判』が大問題なんだろうが」と言いました。
私は、「あ、そういえば確かにそうか」と妙に納得したことを覚えています。
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昨日記載した、中島みゆきの「永久欠番」ですが、早速聞いてみました。
私は、上記のように「100年後」の概念には辿りついていたのですが、「100年前」という観念には届きませんでした。
さすがは、我が国が誇る歌姫です。
まあ、それはさておき。
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これまで、何度も書きましたが、私の信念は
「いつかどこかで、誰かが、私を、待っていない」
です。
「誰かがあなたを見ている」とか「誰かがあなたを愛している」とかいう歌が、嫌いなのです。
なぜか。
嘘だからです。
そんな「誰か」は、世界のどこにもいません。
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「永久欠番」は、「いつかどこかで、誰かが、私を、待っていない」を強く肯定しつつ、しかし、それでも、歌の最後のフレーズで、唯一の例外を提示しています。
多くの人は、この歌の最後のフレーズを、宗教的な救済と解しているようですが、私の解釈はちょっと違います。
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私は、「宇宙で、ただ一人、私だけは私を待っている」―― と、解釈したい。
分子のレベルで、自分の身体が土壌の中で分解し、
原始のレベルで、自分の精神が宇宙の熱量死の中で消え去ろうとも、
―― 時間と空間の行き尽く最後で、私は私を待っている
のである、と。
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時間と空間の、果ての、果ての、果てにおいても、
「自分に抱きしめて貰えるように」
そういう風に、私は私を生きたい、と思うのです。