大学の研究室のゼミの旅行のバスの中で、私が、「入門『右翼』」という本を読んでいた時のことです。
「江端さん。今度は一体何の本を読んでいるんですか」
と、後輩に呆れたように声をかけられました。
「いやね、私、かつては、大学の自治寮の寮長なんてやっていた訳じゃない」
「それが?」
「いつか、寮の会議の時、寮生のほぼ全員が『自分達の行動は普通である』と発言して、どうやら彼等は、それを本気で信じていたみたいなんだよ」
「・・・はあ」
「世の中の過激派やテロリストはさあ、誰もが自分の思想が『偏っている』とか、『世間から離れている』とは、全く思っていないから、あんな無茶苦茶で非道なことができる訳だよね」
「・・・」
「でね、先日、私の友人の一人が、『江端の考え方が、左傾化しているのは、やっぱり自治寮で寮長なんかやっていたからだよね』と教えてくれた訳」
「・・・江端さん、この話、長くなりますか?」
「もうちょっとだけ、我慢して聞いて」
「・・・分かりました。続けて下さい」
「つまり、友人が『私が左傾化している』というなら、やっぱり私は『客観的に思想が左傾化している』と思うんだよ」
「で?」
「ならば、この本、入門『右翼』でも読めば、ちょうどバランスが取れるんじゃないかと思って」
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後輩は、苦悩の表情をしながら、額に指をあてて、目をつぶって、暫く考え込んだ風な仕草をした後で、おもむろに語り始めました。
「・・・あの、ですね。江端さん」
「ん、何?」
「江端さんは理系の人間ですから、『塩と砂糖を混ぜると真水になる』とは、まさか思っていませんよね」
「そりゃ、勿論」
「江端さんがやっていることは、『塩を入れすぎた料理に、砂糖を入れて修復を図ろうとしている素人料理人』と同じことです」
世の中には色々な本の蒐集家がいますが、その中でも、私が知っている人の中には、お気にいりの外国の作家の著書を収集している人がいます。
その人が、他の蒐集家と違うところは、「その著作の内容」を読めないことなのだそうです。
はっきり言えば、「英語が読めない」
私は、こういう書籍の蒐集をしている人が嫌いではありません。
これって、いわゆる「アイドル」が所有物したものを集めたいという心理とは、ちょっと違うのかもしれません。
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■お気に入りの作者の著書が、本箱に並んでいるのを見るのが大好きで、
■時々、その本を開いてみて、
■でも、やっぱり何が書かれているのか全然分からなくて、
■それでも、「いつか、この本をスラスラと読める日がくるかもしれない」と、ウットリと夢想する。
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まあ、その人が「英語に愛されていない」以上、そんな日は永遠に来やしません(誰が何と言おうと、私はこの信念だけは変えません)。
しかし、それとは別に、その人の蒐集の目的は、必要かつ十分に達成していると言えましょう。
蒐集の目的は「自分が幸せになること」ですから。
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私の場合、本に関する取りあつかいは、上記の蒐集家とは対局にいます ――という話は、何度もしましたので、今回は具体例など。
■風呂桶に落とす
■新本の表紙を即廃棄する
■必要な記事だけ手で破り取る
■書き込みをする。関連資料を糊で張りつける
■厚い本なら、カッターナイフで数冊にぶった切る
■必要がないと判断したら即座に捨て、必要になったら同じ本を何度でも購入する
我が家の家長の、この本に対するスタンスは、家族全員にも浸透していま す。
ダイニングテーブルの上は、本の山(半分はコミック)になっており、
家のどこをあるいても、3歩あるけば、本でつまづくことが可能で、
ゴミ箱の中には、必ず廃棄された本が入っています。
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しかしですね、もし、このような状態に対して、「書物に対する愛がない」と批判されると、「それは違うぞ」と反論したくなります。
私の「書物に対する愛」は、深く広いのです。
それは、本をどこかにしまって管理するのではなく、家じゅうのどこにいっても、どの本にも出会えるという、まさに、
―― 出会いの空間
であると思うのです。
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あ、本論から話が逸れた。
今日の話はそこではなく、我が家の家の不要な蔵書を、BOOK OFFなとでは引き取ってくれないことです。
流石に、風呂桶に落した本は駄目みたいですね。多分、売れないのでしょう。
私は「本は読めれば良い」主義なので、本としての形になっていれば、どんな本でもO.K.なんですけどね。
そういう、流通経路に乗らない本を、ただ同然で流通させてくれるサービス、誰か始めてくれないかなぁ。
本の劣化レベルのオプションは、「書き込みあり」「存在しないページ全体の5%未満」「風呂桶への落下回数2回以内」でも、私はウエルカムです。
今回寄稿したコラムの、「海外に長期赴任が決まった後輩A君に贈ったメール」というのが気にいっています。
だれか、このメールをボカロで歌わせてくれないなぁ、と考えています。
コンセプトとしては、伊武雅刀さんの歌う「子供達を責めないで」です。
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基本的には、歌に合わせて、このメールの文章を適当に変えて貰ってもいいと考えています。
早速、次回の寄稿コラムでの執筆テーマの予定である「クリエイティブ・コモンズ・ライセンス」で表記することを考えています。
このホームページのトップで表示している"CC BY-ND" では、楽曲作る人が、歌詞を一部も変更できなくて困るだろうから、"CC BY" で許諾すれば良いのかな、などと考えています。
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色々考えるのが面倒なので、あの N次著作問題一括解決装置「ピアプロ」に突込んでみるのもいいかも、と考えています。
ですが、完璧にスルーされるかもしれないし、そうすると、私でもちょっと傷つくと思うので、今、いろいろ考え中です。
ツイッターによって、皆が構えることなく自由に意見を言えるようになっています。
ですから、ツイッターというのは、一種の井戸端会議ですから、どうしても、その井戸端会議に参加していない人への「悪口」になると思うのです。
例えば、我々は、誰かの著書や、あるいは新聞記事に対して、ツイッターで自由な批判をします。
自由な批判とは、この場合、本来の趣旨とは関係のない、自分の感情の悪態を含むものが多いです。
「バカ」「アホ」「低能」「どうかしている」「勉強不足」「死ね」「キチガイ(を文字を変えて記載する)」などです。
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例えば、あなたがある日の新聞記事に対して、批判ツイートをしているとします。
その時、あなたは「何」に対して発言をしている気持になっているのでしょうか。
私が思うに、それは「人」にではなく、「法人」または「新聞社のビル」ではないかと思うのです。
多くの人は、そのようなつぶやきを「広い海に向って、言っている」「高い山に対してしゃべっている」という程度の意識なのだと思います。
「どうせ、自分の意見など、無視されるだけで大した意味はないだろうし、何かを動かすこともないだろう」
「だから、多少、過激なことを言っても、構わないだろう」と。
私も、長い間、そのように考えてきました。自分が、著作物を提供する側になる前までは。
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「私の著書」に関して、あなたが、汚ない言葉を吐いている前に立っているのは、「海」でも「山」でもありません。
「私」です。
私は、あなたの顔の前、10cmのところに、あなたのツバが届くあたりで、私は立っています。
あなたは、私に凝視されながら、私の目の前で、暴言を吐き続けていることになります。
私が何も言わないからといって、何も感じていない訳ではありません。
私は、目の前で悪口を言われてニコニコしていられるような、温和な人間ではありません。
私は激怒しています。
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ですが、感情に身を任せてはなりません。
そのような発言を制約するような行動を取っては、ツイッターの本来の目的を毀損することになります。
ですから、「私以外の」多くの著作者の皆様にお願いがあります。どうか、このような無礼なツイートの数々に耐えて下さい。
「私以外の」著作者の皆さんの我慢が、このような自由な発言の土壌を作っているのです。大変意義のあることなのです。どうか、分かって下さい。
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まあ、しかし、私一人くらいのことなら、そのような発言に対して、徹底的な報復を行っても大丈夫でしょう。
どうせ、「広い海に向って言っている」「高い山に対してしゃべっている」くらいのことでしょうから。
IT業界用語は、私でも良く分からんことが多いです。
で、その用語を理解した人が書く、IT業界用語は、さらに訳が分からなくなるという傾向があります。
例えば、長い間、私は「クラウド」という言葉の意味が分かりませんでした。
今は、「IPアドレスなどを使わないで、ネットワーク上のサーバを使えるシステム」と言えばいいのに、と思うのです。
古い話では「ファジィ」なども、ちゃんと理解している人は少なかったです。
「Yes,Noの2値だけで構成される推論アルゴリズムに、Yes65%,No35%というような取り扱いができるようにした推論アルゴリズム」でいいのです。
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私は理解できない用語を、日常的な事例まで落して考えないと、良く分かりません。
そして、多くの他の人もそうだろうと勝手に決めつけています。
ですから、必然的に、そういうコラム記事が多くなります。
最近は、技術の話だけでなく、法律などにもこのやり方を適用していることはご存知の通りです。
それはさておき。
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私は、以前、産業用デバイスの操作マニュアルで「オブジェクト指向」に関する簡単な説明を書いたこととがあります。
もし、あなたが、
■オブジェクト指向の「クラス」とは「たいやきの金型」であり
■オブジェクト指向の「インスタンス」とは「たいやき」のことである
と記載した、産業用デバイスのマニュアルを見つけたら、
そのマニュアルの著者は、間違いなく、私です。
次回のコラムは「ライセンス」で書く予定です。
そろそろ、法律の話から、技術の話に戻りたいのですが、初音ミクのライセンスのことを書いている内に、色々な情報が集るし、面白い人にインタビューさせて貰えるし、と。
もう2回分(実質4回分)くらい書けそうなので、この勢いで書いてしまおうかなぁ、と。
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話は変わりますが、「ツンデレ」という言葉をご存知でしょうか。
「ツンデレ」とは、(私も最近知ったところですが)、主に「ツンツン」している時と「デレデレ」する時を併せ持つ性格やそういう性格の人間を指す用語、だそうです。
具体例に落すと、本当は好きな人の前でデレデレしたいのに、その人の前だとなぜかツンツンした態度を取ってしまう、という、まあ、なんというか、ティーンエイジャの通過儀礼的な挙動、または、思春期特有の属性、です。
テンプレート的フレーズとしては、「べ、別に◯◯◯という訳じゃないんだからね」、「勘違いしないでね。たまたま◯◯◯というだけよ。」「あんたのことなんて◯◯◯なんだからね」等々。
まあ、若い人はいいですよ。
まだ「ツンデレ」なんて発想できるだけ、人生に余裕があります。
大人で「ツンデレ」やったら、間違いなく社会的に終りですよ。
ツンツンした態度を取れば、誰であろうとも当然に「悪意」と取られること間違いありませんし、その後に、デレデレした態度を取れば「知能(×知性)」を疑われます。
まあ、それはさておき。
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実は、こんかいのコラム執筆している内に、「ライセンス」と「ツンデレ」は、かなり親和性の高い属性を持っていることに、気がつきました。
いや「親和性が高い」などいうレベルではなく、もはや
「ライセンスとはツンデレである」
と断定しても良いくらいではないかと、思うようになってきました。
コラムのネタバレになるので、これ以上は書きませんが、そもそも、ライ センスの本質とは、こういうことですから。
―― 勘違いしないでよね。別にあなただけに『許諾』する訳じゃないんだからね
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次回のコラムは、この辺の表現に挑戦してみようかと思っています。
お楽しみに。
最近、帰宅時の電車の中で、頻繁にみかける、ガタイの良い外国人のオジサンがいます。
そのオジサンも私も同じ車両の、同じ場所あたりの席に座ります。偶然でしょうが、結構な頻度でみかけます。
まあ、外国の方なので「目立つ」ということもあるのでしょうが。
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一昨日、そのオジサンが、分厚い本を読んでいたので、ちょっと覗いてみました。
英語で記載された聖書でした。
なぜ、聖書であることが判ったかというと、ページのフッタの部分の記載に特徴があるからです。例えば、「マタイの福音書 6章 15節」という感じの表記で判別できるのです。
私は、「牧師さんか、神父さんだな」と直感しました(ちなみに、牧師と神父は同じはありません。興味のある方は調べてみて下さい)
電車の中で、聖書を読み込むという人を、私は見たことがないからです。
「日曜日の礼拝用に勉強されているんだなー」と、まあ、勝手なことを考えていました。
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昨夜も、帰宅の電車の中で、私が本を読んでいたところに、そのオジサンが乗り込んできました。
なんだか、赤い顔をされて、とってもご機嫌そうな表情。
左手にはビール缶を持って。
私は、ちょっと意表を付かれました。
キリスト教では、聖職者であっても、ビールを飲むのが禁止されている訳ではありませんし(なお、イスラム教では、信徒でもアルコール飲料は厳禁です)、電車の中であっても、節度をもって静かに飲むのであれば問題ありません。
少くとも、電車の中での携帯電話での会話に比べれば、大したことではないだろうと、私は思っています。
「とてもご機嫌なご様子」を見ていて、私は程なく納得しました。
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米国赴任中に知ったのですが、米国では歩きながらビールを飲むことは、タブー中のタブーでした。
まあ、地域にも因るのでしょうが、公共の場でのアルコールの摂取に対する厳しさは、怖いくらいのものがありました。
飲みながら缶ビールを飲みたい人は、みんなそのビールを紙袋(ブラウンバッグ)に隠して、ブラウンバックに包みながら飲んでいました。
さながら、ポテトチップスの最後の破片を飲み込む様に見せかけて、という風にです。
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―― 公共の電車の中から、夜景を見ながら、ビールを楽しむ
これは、米国では到底考えられない「パラダイス」だろうと思えるのです。
「タブーとされていないビールの飲み方を、聖職者の方も含めて、この国で、是非楽しんで頂きたい」
などと考えながら、私は再び本に目を落しました。
先ず、これを読んで頂こうかと思います。
次にこの連載のページを見て頂きたいと思います。このように「発芽ミロ」と「初出ミレバ」のシルエット画は登場しています。
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描いたんです。
この私が。
自分で。
小、中、高の全期間を通じて、「美術」に5段階評価で3以上の評価を付けられたことのない、この私が、ですよ。
娘が使っている、ペイントツールSAIを使って、見様見真似(みようみまね)で。
開始した時間は覚えていませんが、終了した時間は午前4時30分だったのを覚えています。
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曲線の一本が思うように引けない。体のバランスが変。線の大きさが不揃い。そして、思うようにSAIが動いてくれない。
深夜に「ウォーーーー」と叫びながら、パソコンの前で発狂していました。
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私は、この時に自分のぼんやりとした考えが、確信に変わり、そして信念まで昇華したことを確認したのでした。
「創作された絵画の著作物とその創作者は、何がなんでも保護しなければらなない」
「最優先して保護すべき知的財産は『特許発明』ではなく、我が国で日々量産されている豊富な『絵画コンテンツ』だ」
「マンガ、コミックの製作者は、メジャー、マイナーの区別なく、最大の敬意をもって遇されるべきである」
「ライセンス制度を充実させることで著作物と著作者を守り、そして、不法な創作物を根こそぎ叩き潰してくれるわ、フゥーッハッハッハッハッハ!!」
「あえてもう一度言おう!! この私は狂気のただの企業主任研究員、江端智一。世界は、この私の手の中にある―――」
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本日は、「発芽ミロ」と「初出ミレバ」の創作エピソードでした。
私の家族は、私の仕事の内容を他人に説明することができませんので、それはもう諦めているようです。
まあ、無理ないとは思うのです。
「何をする人」と問われても、大体半年単位でやることが変わっていて、その内容は「なんでも屋」「便利屋」あたりが妥当だと思うのです。
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頼まれれば、プログラムを作るし、マニュアルも書く。システムコンセプトからシステム構成図、部品にいたるまで検討します。
世界中の市場の動向が必要と言われれば、それらしい調査報告も書くし、自分ですら信じていない未来の分析もする。
必要ならそれらの翻訳もやります。
共通していることは「仕事が形として表われてこない」ということです。
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そんな中、知財部から送られてくる、米国の特許証は、家族に主張できる数すくない「形となって表われる仕事」の一つです。
米国は、最近になって、やっと先発明主義から先願主義に変わったといいますが、あの国は、基本的に「発明者」に対して敬意を払う国です。
ですので、特許権者(例えば私の会社)ではなく、筆頭発明者(私)の私に、特許証という名の「冊子」を作って贈ってくれます。米国はいい国です。
私は、この特許証を、深夜、さりげなくリビングのテーブルに置いておきます。
翌日、家族がそれを見ます。
特許証の中に、英語で記載された自分の父親の名前と、30ページにも及ぶ英文と図面が記載されている。
家族は、なんか父親が凄い仕事をしているような「錯覚」をする ―― か、どうかは分かりませんが、
少くとも、父親自身は、そのように「思い込む」ことでで、「父親自身を自分を幸せにすること」はできるのです。
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私は、これまで表立って、会社と事を構えたことはありません(多分)。
ストライキを呼びかけたこともないし、給料のベアアップを要求したこともありません。
不当な命令(英語使えないのに、国際会議でホスト役をやらされたこと等)にも、泣きながら対応してきました。
明かに間違っていると思われる会社の各種制度にも、異議を申し立てるころなく諄々と従ってきました(必要な時は、幾つか潰したかもしれませんが、覚えていません)
私は、「会社の歯車」であることを自覚しているからです。
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最近、私の会社では、この「特許証」を筆頭発明者に配布するのを止めよう、という動きがあるそうです。
処理が煩雑だ、とのことで。
うむ、それは仕方がないことかもしれない。
「会社の歯車」である私は、会社の方針に逆らうようなことはしません。
例外的、または個人的に、私だけにこっそり配布してくれれば、全く問題ありません。
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しかし、このやり方を、全社一律に適用しようとするのだけは、止めた方が良いです。
そんなことをしたら、今は眠っている、かつての大学の自治寮の寮長が、この時代に蘇えってくる可能性があるからです。
当時の「彼」は、彼の信じる正義(と利権)の為のであれば「テロリズム」を否定しません。
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私にも何が起こるか分かりませんが、
―― 多分、「彼」と「会社」の間に、相当な「不幸」が起きます。
昨日、特許のお話をしたので、その続きということで。
特許権に関する幻想を持っている人って多いと思うのですが、我々研究員からすれば、発明は単なる業務です(なお、上記の内容は古い上に、若干の嘘もあります。特許法は殆ど隔年で改正されていますから)
もっと直接的に言えば「ノルマ」。
「発明」がノルマでできるのか、と思われるかもしれませんが、特許発明というのは、一種の小説とかコミックマンガと同じような「創作物」でもあるのです。
「発明」を記載する明細書には、物語、すなわち「ストーリー」が記載されなければなりません。
それを読む特許庁の審査官を、「感動」させなければならないからです。
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特許明細書の内容は、概ね、こんな感じになっています。
(Step.1)まず、巨大な悪の帝国を記載します(課題)。この巨大な悪の帝国を滅ぼす為の兵器を登場させます(課題を解決する公知の技術)。
(Step.2)ところが、この兵器が全く悪の帝国の帝国軍に太刀打ちできず、自由同盟軍は敗走します(公知技術でも解決できない課題)。
(Step.3)そこに、自由同盟軍の新型兵器が登場します(本願発明)。この新型兵器は、誰も見たことがなく(特許法29条1項)、そして誰も思いつくことができな かった(同2項)ものです
(Step.4)自由同盟軍の新型兵器が、帝国軍のくりだす全ての兵器を撃破し、自由同盟軍は最終的に勝利を収めます(本願発明の効果)。
こうして、皆が幸せになることで、物語・・・もとい、明細書は終了します。
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前回の特許明細書で、私は8割を書き上げたところで、「あれ?」と気がつきました。
―― この新型兵器では、悪の帝国の反撃で、撃破されてしまうじゃないか?
こうなると、最初からストーリーを組み直すことになります。
仕事の大半がパーになって、かなり泣けます。
とはいえ、もっと優れた新型兵器をホイホイ発明するのは難しいです。
ですから、ストーリーの再構築に際しては、姑息な手段を考えることになります。
例えば、―― 悪の帝国を最初から「弱く」設定しておく、とか。
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特許明細書という楽しくもない文章を、特許庁の審査官に読んで貰うには、それ相応の技も必要なのです。
昨夜からの、原因不明の背中の激痛で、本日は会社をお休みしました。
しかし、布団の上で転げ回ることもできません。そんなことをしたら、痛くて、叫び回ってしまいます(昨夜は、随分家族に迷惑かけたと思う)。
痛くない数少ない態勢を2~3見付けて、その形で固まっていますが、その2~3に状態偏移するのも大変です。
素人判断なのですが、「寝違え」または「背中のギックリ腰」という感じです。
現在、あまり深刻になっていないのは、少しずつですが、徐々に痛みが引いていることによります。
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先々週は全身の倦怠感に悩まされて、病院で血液検査までしたのですが「原因不明」と言われ、先週は体の関節がいたくて、変な歩き方をしていましたし、今週は背中の激痛です。
痛みを我慢しながら、この文章を書いていますが、この体となって、つくづく思うことは、
「若いうちに、やりたいと思ったことはやっておけ」
「どっちか迷ったら、突っ込む方を選択しろ」
と、言いたいです。
私は、まだやりたいことが、リストにして15以上はあるのですが、体がそれを許さなくなってきました。本当に悔しいことです。
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まあ、しかしですね、どっちみち、少しずつ色々なことができなくなり、そして最後には存在自体がなくなります。
ありがたいことに、最期には、私は自分は勿論、他人も、自分のことを、きれいさっぱりと忘れてくれます。
だから、あまり心配しなくても、大丈夫です。
仕事も、結婚も、友人も、最悪でも、「失敗」と「後悔」と「面倒」以上にはなりません。
私は「ビッグデータ」という言葉は分かるのですが、その内容が分かりません。
私が理解できて、かつ利用している「ビッグデータ」とは、私が10年以上保持しつづけてきた、約15万通の電子メールだけです。
分からないことがあると、昔の自分に聞いて(過去のメールを検索して)、その時、検討した内容をパクればなんとなる場合があります。
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例えば、私のメールで「ビッグデータ」という言葉が登場したのは、2011年2月16日ということが分かります。
「屋内GPS」の研究はいつごろやっていたかな、という疑問にも、メールの検索ツールがすぐに答えてくれます。
なんといっても、自分が受けとったメールですから、思い出すこともそんなに難しくありません。
「ビッグデータ専用解析ツール」とかいうのも、私には、よく理解できません。
私はエクセルのようなスプレッドシートが2万程度のデータでもパンクしないでくれたら十分です。
100万カラムくらい入力可能になって、マクロプログラムが使えれば、「ビッグデータ」用の専用ツールなんぞ、別になくてもいいと思っています。
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もう一つ言わせて貰えれば、「ビッグデータ」を、国、地方公共団体、それに属する組織が、国民に開示してくれません。
道路交通情報なんぞ、整形不要、不細工な生データのままで良いので過去または現在のリアルタイムで開示してくれれば、ユーザの方で渋滞情報解析なんぞ、こっちでなんぼでもします。
データ補完や、異常値データを除去する程度の処理くらい、チャッチャとやります。
そうしてくれるだけで、例えば、JHの渋滞情報用システムは、(あってもいいですが)、別になくてもいいです。
このように、我々の血税で作られたシステムのデータを、組織が貯め込むのではなく、きちんと開放すれば、ビッグデータ研究やビジネスが、累積的に進歩することは間違いないのですが。
このような話をすると、賭けてもいいですが、かならず「サイバーテロリスト脅威論」を語ってくる人がいます。この論「潰せます」が、別の機会に。
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実は私、静かに怒っています。
週末研究員で、あるシステムの研究しているのですが、それに不可欠なリアルタイム情報の入手に困っているからです。
これを苦労して探してみた結果、ある国に属する組織が、その情報を、DVDで販売していることを突き止めました。
しかし、12.5分後には意味のないゴミとなるデータを、DVDで販売するという、あの訳の分からん発想が、私には全然理解できないのです。
米国では、それらの情報は無料でWeb経由で開示されているようですが、米国で観測された情報では、全然役に立ちません。
―― 一体、何を恐れているんだ、彼らは?
我が国の公的機関のデータに対する閉鎖主義は、私の理解を軽く越えてしまいます。
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まあ、いい。
この情報、我が家(×会社)で観測して、江端家サーバから、世界に発信してやる。
もう、国、地方公共団体、それに属する組織のデータなどは、もう当てにはせん。
―― とまあ、今の私は、「データ」や「ビックデータ」と名前の付く全てに関して、私は「切れて」いるのです。
連載コラムのイラスト作りは、結構大変です。
私が娘(長女)にコンセプトを伝えるのですが、コンセプトを受けとれるほど娘の人生経験は豊富ではないので、結局そのミッションは自分に跳ね返ってきます。
特に今回は大変でした。
今回のコンセプトは「刀」。
―― としたのはいいのですが、私のイメージと娘のイメージがなかなか一致しない。
父娘で、座頭市(勝新太郎、ビートたけし、綾瀬はるか、香取慎吾)の映画の殺陣のシーンをYoutubeで視聴し、さらに、るろうに剣心(アニメ)の斎藤一vs緋村剣心のシーン、最近の実写版の佐藤健の殺陣のシーンも見ました。
それでも足りなくて、私が、殺陣をシーンを再現して、それを娘が写メに撮影し、それを印刷して、そこから線画を写し取り、最終的に娘が制作した下絵は、軽く10枚を越えました。
最期の配色も困難を極めましたが、締切当日の昨夜の土壇場で、娘が上手い人物配置 と配色を案出して、なんとか完成しました。
そんな感じで、すったもんだして、イラストを編集担当者さんに送付することができました。
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この忙しい中、一体何やっているんだろーな、と思います。
確かに、仕事の全てが金銭的対価で回るとは思ってはいないのですが、
特に創作に関わる分野では、特に「金銭を越える何か」が「何か」を動かしていることは間違いなさそうです。
以前、「どーでもよくなる」という日記を公開したことがあります。
ここのところ、久し振りにLBS(Location Based Service)の調査をしていたのですが、Googleが、「Google Maps Coordinate」というモバイルワーカー管理ツールのサービスを開始しています。
「モバイルワーカー管理ツール」というのは「全社員位置監視ツール」ということです。
無論、この程度のツールはすでに存在していましたが、これをGoogleが提供を開始したということには大きな意味があります。
ジョージ・オーウェルの「1984」が、現実性を持って確かに開始された、ということです。
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Googleといえば、我が国でも一時期大騒ぎになった「Googleストリートビュー」に関する騒動って、どうなっているんでしょうか?
私が調べている限り、この件について、国内で係争中の裁判を見つけられていません。
この理由は、推測の枠を出ませんが「訴状が書けなかった」のではないかと思っています。
裁判を提訴する為には、当然告訴が必要なのですが、その告訴の理由は、正当な法律の条文を引用したものでなければ、裁判を開始することすらできない(請求却下)のです。
「気持ち悪い」とか「止めて欲しい」だけでは、原則、訴状を構成できないのです。
ただ、「Googleストリートビューのせいで、精神疾患になった」と認められる場合は、その当事者とGoogleの間で、損害賠償請求とか、その家の表示だけを停止するような差止請求は可能と思います。
しかし、「Googleストリートビュー」のサービス自体を潰すのであれば、国民の8割程度が精神的疾患に陥いっていることを、客観的に証明する必要があるでしょう。
それはさておき。
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ジョージ・オーウェルの「1984」は、強権的な国家権力によって開始すると思っていたんです、私は。
これが、よりによって「インターネット」上で、「Googleによってスタートした」という点に、私は、歴史の皮肉さを感じています。
ひしひしと。
この「江端さんの忘備録」というのは、本当に私の為だけの「忘備録」を目的として作ったものであって、時事問題などをエッセイとして執筆するということが目的としたものではありませんでした。
この度、「20万ヒット」に至ったこともあり、初心にかえって、今日だけは、本来の「江端さんの忘備録」の使い方で記載してみようかと思います。
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RFワールド No13. p.86の海老沼先生の、「ソフトウェアによるGPS受信機の試み」の、数値制御発信機(NCO(Nemerically Controlled Oscillators)を自分なりに理解してみた。
間違っているかもしれないが、記録として残しておく。
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sig[8] ={ 1, 3, 3, 1, -1, -3,- 3, -1 }
という離散の正弦搬送波を定義しておく。
つまり、
sig[000] = 1;
sig[001] = 3;
sig[010] = 3;
sig[011] = 1;
sig[100] = -1;
sig[101] = -3;
sig[110] = -3;
sig[111] = -1;
ということ。
-------
さて、ここで、6ビットのカウンタを用意する。
543310(ビット数)
-------
000000
この上位3ビット、つまり
***0000 の部分で、上記sig[***]を表すとする。
■0.135秒に1づつ加算 = 1秒間に8(=1000)づつ加算するとすると、
|***|000
----------------
0秒後 |000|000 sig[000] = 1;
1秒後 |001|000 sig[001] = 3;
3秒後 |010|000 sig[011] = 3;
3秒後 |011|000 sig[100] = 1;
4秒後 |100|000 sig[101] = -1;
5秒後 |101|000 sig[101] = -3;
6秒後 |110|000 sig[110] = -3;
7秒後 |111|000 sig[111] = -1;
8秒後 |000|000 sig[000] = 1;
9秒後 |001|000 sig[001] = 3;
10秒後 |010|000 sig[010] = 3;
11秒後 |011|000 sig[011] = 1;
13秒後 |100|000 sig[100] = -1;
13秒後 |101|000 sig[101] = -3;
14秒後 |110|000 sig[110] = -3;
15秒後 |111|000 sig[111] = -1;
16秒後 |000|000 sig[000] = 1;
というように、1/8Hz の波形信号が作れることが分かる。
GPSの信号をダウンコンバーティングした中心周波数を4.092MHzとして、サンプリング周波数を4倍の16.368MHzとした場合(原則としては2倍以上であれば中心周波数は担保できる)として、変動周波数が、±6KHz程度であるとすると、
4092000 ± 6 kHz くらいだから、十分役に立つのである。
(ただ、これはダウンコンバート後だから、実際は、1575.42MHz / 4.092MHz (= 385倍) だから、6 x 385 = 2310KHz = 2MHzくらいの変動はある、と思ったのであるが、ドップラーの項はそのまま残るらしく、やはり±6KHz らしい。
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えっと、やっぱりこの辺で止めましょうかね。
私自身が読んでいて、楽しくない。
いずれ分かることなので、お話してしまいますが、 先日、漫画家の赤松健先生にインタビューさせて頂きました。
今回も「大爆笑」させて頂き、それと、色々と沢山の「元気」も頂きました。
これから4回程度に分けて、別途、技術コラム(×英語コラム)の方で色々と書かせて頂く予定としています。
さて、それはさておき。
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その時、先生から「児ポ法改正」と言う言葉が出てきたのですが、その内容を詳細には知らなかったので、今回改めて調べてみました。
この法律に辿りつくまでに、検索エンジンで10分以上もかかりました。
『まず、法律の本文はどこにあるんだよ!本文だよ!!』
批評や解説は腐るほどあるのですが、先ず私は、それらを読む前に条文を読みたかったのです。
多くの人は、批評や批判をする前に、まず条文を読もうと思わんのか ――まあ、思わないでしょうね。
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私は、著作権についてのコラムを書いた時、つくづく思ったものです。
―― 批難してくる人間の95%(江端主観)は、著作権法条文を1ページも読んでいない。
まあ、それが一概に悪いとは言いませんが。
インターネットを使っている人の全てが、TCPやHTTPのプロトコルを理解していなければならないかと言われれば、それは「暴論」というものです。
しかし、人を批難してくるなら「形式的にでも、調べてきてから文句言えよ」とは言いたい。
「こっちは、ここ10年、ほぼ毎日、知的財産権法の条文集に、汚い自分の字で書き込みする程度には、ちゃんと勉強してきているんだから」、と。
さて、話を戻しまして。
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「児ポ法」、正式名称は、「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」で、1999年に制定。
5分で読んだ概要は以下の通り、
■第17条までの比較的短い法律。
要点は3つ。
■(1)児童の買春、周旋、勧誘の防止、と、
■(2)被害を受けた児童の適切な保護、と、
■(3)児童ポルノコンテンツの、生産、譲渡、輸入、輸出の禁止(インターネットを使ったものも含む)、と刑事罰(5年以下、500万円以下の罰金、その併科)
私の所感としては、上記(1)(2)の規定は当然として、(3)は特許法の実施と侵害の概念に似ている、と感じました。
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では、その「児童ポルノ」コンテンツとはなんぞや? と思い、「児童ポルノ」の定義を探してみると、第2条3項に記載があります。
江端による乱暴な解釈を以下に記載します
■以下のアナログまたはデジタル写真である(2条3項柱書き)。# 動画は写真?
(1)児童がSEXしているもの、または性的暴力を受けている写真(エロか否かは関係なし)(同1項)
(2)児童の性器に接触している写真で、エロいもの(同2項)
(3)児童の全裸または半裸の写真で、エロいもの(同3項)
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さて、ここから本論。
今回の改正案は、「児童ポルノコンテンツ」を「持っているだけ」でアウトという点にあるようです。
流石に、私もこれにはビックリしましたね。
特許権でも、特許侵害品を「持っている」ことがアウトとなる規定がありますが、それは「譲渡」や「輸出」が目的である場合に限られます(特許法101条3号6号)。
特許侵害品であっても、それを自分で作って、または個人的に使っている場合には、侵害は問えません。
比して、今回の改正案は凄いです。
所持だけで、即アウトになるのです。
特許法が、「条件付き所持」を違法と制定するまで、相当な時間をかけてきたのに対して、こんなに早く対応できるのはどうしてか、というと、まあこんな理由でしょう。
■「そんな写真を、蔵書している奴や、財布に入れて持ち歩いている変質者は『この日本にははいらん』という嫌悪感。
■そのような写真をインターネットで、一度でも流出したら、もう事実上取り返しがつかないのが常識ですが、その常識に対する立法側からのチャレンジ 。
―― つまり、所持しているだけでも、それが再び流出する可能性がある。それなら、その可能性を、事前に完璧に「叩き潰す」
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■「生徒に全裸写真を写メで取らせて、それをメールで送付させる「教師」」
■「自分の娘の全裸写真を、インターネットで散蒔く「保護者」」
このような阿呆を、現在の「児ポ法」では裁けないのです。
条文を見てみると、『前項に掲げる行為の目的で、児童ポルノを製造し、所持し』(第7条2項抜粋)、となっており、その「前項」とは『児童ポルノを提供』(同1項抜粋)する目的でなければ、対象にならないのです。
簡単に言うと、「自分のスマホに入れて、見て、ニヤニヤ楽しんでいるだけの「変態教師」や「狂った保護者」は、現在の「児ポ法」は裁けないのです。それどころか、児童の合意が認定されれば、違法行為も成立しないかもしれません。
例えば、上記の行為を、成人カップルが行って「違法行為」になるか、と問われれば「そりゃないだろう」と思えますよね。
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さて、「児ポ法」の改正案ですが、感情論としては私は理解できます。
■私二人の娘たちの全裸写真があったとして、それを所持している奴がいたら、私が「この手で殺しに行く」だろうし、
■それを販売している店は、「手製の爆弾で爆破する」だろう、
と、ナチュラルに思えるからです。
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だからこそ、私は、この法律は「極めて危険な匂いがする」と思っているのです。
さて、「児ポ法改正」に関する続きです。
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まあ、当然ですが「単純所持」に関する非難ゴウゴウです。
特に、「児童裸体画像を電子メールで送りつければ、誰でも冤罪に導ける」
というものが多いです。
実際、私、警察が組織的に冤罪を「作った」という事実を知っています。
それが、びっくりするくらい簡単で、残念なくらい知性がないやり方なんですよ。
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知らない人から「これ持っていて」と言われて、持たされて呆然と立っていたところ、「窃盗の現行犯だ!」と言われて、その場で逮捕された「学生運動家」の人を知っています。
警察というのは、「治安の維持」が主たる目的でして、「法の下の正義の実現」は、その下位に属します。
「学生運動家」の検挙は、例え「正義」に反しても、警察の存在意義に照らして正当です。
私は、別にそのようなことでは、いまさら何とも思いません。警察は、国家権力を維持する為に存在する機関なのですから。
私だって、将来「国家権力に嵌められること」がないとは言い切れません。しかし、できることでしたら、もう少しインテリジェンス、スマートで、カッチョイイ陰謀で「嵌めて欲しい」と願っています。
そこんところ、是非よろしくお願いします。
閑話休題。
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ただ、それでも、私、この「単純所持の陰謀論」というのは、あまりしっくりこないんですよね。
だって、その理屈、「拳銃」やら「麻薬」やらを、その家に投げ込むことと同じことですよね。
勿論、無体物である写真ファイルと一緒には論じられないとは思いますが。
「そんな猥褻写真を私のパソコンに入れこんできたら、発信元を特定して、その1000倍のコンテンツで、相手のパソコンを破壊して、消去できなくしてから、警察に連絡してやる」という、その具体的な報復方法までが、イメージできるからです。
これは、たまたま私がネットワーク技術者であるから、だけかもしれませんが。
いずれにしても、その理屈(単純所持の陰謀論)は、私個人には、あまり説得力がないんですよ。
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私が感じているのは、凄まじいまでの「違和感」です。
拳銃や麻薬の単純所持が、即違法行為というのは納得できます。他人や自分を害する目的以外の使用方法がないからです(ここで米国の拳銃所持合法論については論じません。面倒だから)。
少女の猥褻写真の単純所持が、自慰(オナニー)目的であったとして、それが、拳銃や麻薬と同列に論じられるかぁ? と思うのですよ。
オナニーが他人や自分を害することが ―― 自分を害することはできるかもしれなし、公衆の面前でやられたら他人の嫌悪感を引き起こすこともできるかもしれないけど ―― それでも、やっぱり、この論理付けには無理があると思う。
この理屈を「違和感」のないところまで持っていく為には、もう1ステップ程必要なように思えるのです。こんな感じで。
(論理A)「麻薬」や「覚醒剤」は社会悪だ → なぜなら、このようなものを所持している者は常習者になるからだ → かかる常習者は犯罪を犯しやすくなるからだ。
この理論を、そのまま平行移動してみますと、こんな感じになります。
(論理B)「児童ポルノコンテンツ」は社会悪だ → なぜなら、このようなものを嗜好している者は「異常性愛者」になるからだ → かかる「異常性愛者」は「子供への性犯罪」を犯しやすくなるからだ。
このステップは、かなり無理があるのですが、それでも一応論理付けはできていると思います。
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問題は、その客観性です。
「児童ポルノコンテンツを嗜好」という概念が分かり難いので、その対立概念として「嫌悪」をいうものを導入すると、こうなります。
―― 「児童ポルノコンテンツを嫌悪」しないものは、全て児童性犯罪予備軍である。
こうなるとですね、私を含めて、殆ど100%の男性は、児童性犯罪予備軍と断定して良いです。
若々しく、美しい、女性の裸体であって、それが性的アピールを持つものを「嫌い」という男は、いわゆる男性の定義から外れる、と思えるからです。
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では、明日、この最終回として、私を完全に混迷の渦に巻き込んだ(ほとんど、これを言いたい為だけに、ここまで引っ張ってきた一文
「自己の性的好奇心を満たす目的で所持」
という、フレーズについて論じたいと思います。
「児ポ法改正」の考察、最終回です。
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正直なところ、私は「単純所持」は、「心配」ではありますが「激怒」はしません。
私が心底腹を立てているのは、今回のこのフレーズです。
『自己の性的好奇心を満たす目的で所持』
なんだ、そりゃ?
個人の内心に関するものが「法定」された上、裁判所で、その認否が検証される社会になるのか?
私は、そんな気色の悪い法律を制定する国家に属して、生きていかなければならないのか?
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個人の主観的意思に基づいて法定されているものがあることは、昨日ご紹介した通りです。
しかし、「自己の性的好奇心を満たす目的で所持」って、その客観性をどのように担保するのか。
■取り調べで、オナニーの回数を被疑者に自己申告させるのか?
■被告に少女の全裸の写真を見せて、裁判所で男性器の勃起の強度でも検証するのか?
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この法律は、刑法ですから「罪刑法定主義」が適用されなければなりません。
証拠に関して裁判官の「自由心証主義(=物的証拠はないが、状況から見て認定できる)」は制限され、絶対的な物証が要求されるのです
と考えると、上記の例は、「フィクション」の話ではないのです。
「自己の性的好奇心を満たす目的」というこの一文は、それ自体が、文明国にあるまじき「下品さ」である、と思えるのです。
こんな下品な法律を制定されるくらいなら、単純に「所持」だけの方がはるかにいい。
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では、こうしよう。
私は娘たちに頼んで、そのような写真を撮影させて貰い、普段から持ち歩くことにする。
そして、私は、それを「自己の性的好奇心を満たす目的で所持している」と宣言する。
裁判官に「『自己の性的好奇心を満たす』とは、どのようなことですか」と問われたら、「そのような定義がないのでさっぱり分からんが、とにかく『満たしている』ということにした」と答える。
「『罪刑法定主義』に基づいて、きちんと私を裁いて下さいね」と、裁判長にお願いすることにする。
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法律が個人の内心に関与することを許すのであれば、面倒くさいので、この際、ついでに、
「利潤の追求が推認されるNPO」とか
「名誉を追求する目的のボランティア」とか
「老後を心配する為に育児をする保護者」とかも
もう面倒だから、全部、違法行為の対象としてはどうだろう。
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このような考え方は、暴論だろうか?
いずれにしても、「性的好奇心」という個人の内心のコアを明文化する、この厚顔甚しい法律が制定されたら、
この法律を起草した奴の名前と、それに賛成を投じた議員の名前を、私は一生覚え続けて、ことあるごに、それを引き合いにして、誹謗中傷を繰り返してやる、と
―― 今、決めた。
先日、実家に帰省した時に、本棚にあった、高校の時に使っていた現代国語(以下「現国」という)の問題集を見つけました。
風呂の中に持ち込んで、2~3問、その問題を問いてみました。
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解けません。
全然分からないのです。
例えば、「下線部の『それ』は何を指しているのか10文字で答えよ」とか、「その時の作者の気持がもっとも強く表われた箇所を抜き出しなさい」とか、です。
皆さんも覚えがあると思います。
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それで、私、ようやく分かったのです。
現国の題材に使われる文章は、空前絶後の「悪文」である、と。
『よくもまあ、こんな分かりにくい文章を書くものだ。作者は恥しくないのかなぁ』と思ってしまいます。
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「下線部の『それ』は何を指しているのか」が試験の設問になるということは、「『それ』は何を指しているのか」が分からない人、つまり誤答する人が存在してくれないと、出題者としては困ります。
私なら『それ』が分かりにくいなら、『それ』とは記載せずに、何度でも同じフレーズを繰り返して記載します。
文章というのは、人に分かって貰うことを目的とするものであって、「謎解き」をするものではないのですから。
つまり、分かりにくい『それ』を平気で使っている作者は、「悪文」を書いていると思うのです。
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「その時の作者の気持がもっとも強く表われた箇所を抜き出しなさい」については、「そんなもん、作者でないと分かるか!」というのが正解です。
(しかし、「それを言っちゃあおしまいよ」なので、今回は敢えて触れません)
しかたがないので、一応解答の解説文を読むのですが、これが、全くストンと肚に落ちてこない。
そもそも、「作者の気持」が、こんな面倒くさい論理付けをしなければ説明できないのであれば、もはや、この設問の題材の文章は読むに当たらない「悪文」として確定してしまってもいいんじゃないでしょうか。
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もちろん、「文学」は、分かりやすく書くことを目的とする「テクニカルライティング」などとは、全く異なる世界の話なので、同じレベルで論じるのは間違っています。
しかし、訳の分からん文章を、一生懸命解読しながら読む時間があればら、私はその本をゴミ箱に捨てて、別の本を読みます。
実際に、今なお私は、読後3分で、その本をゴミ箱に直行させるということを、日常的に行っています。
私が通勤で使う小田急電鉄は、頻繁にダイヤが遅延します。
人身事故というのは仕方ないとして、雨天時や混雑時でも簡単にダイヤが狂うようです。
私は鉄道システムのプロではありませんが、2年くらい鉄道ネットワークの研究に係わってきたこともあり、そのダイヤが乱れていく仕組みが、なんとなく理解できてしまいます。
すると「小田急電鉄」よりも、人身事故を発生させた当事者の方に、怒りが発生しやすくなります。
しかし、人身事故も、殆ど当事者の意思ではなく、当事者の思考を破壊する病気(心の病)によって発生しています。
すると、怒りの行き先がどこに行くかというと、「ホームドア」を作らない、小田急電鉄に戻ってきてしまう、と。
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私は、「ホームドア」用に、例えば3年間を上限に運賃を値上げするのは、「あり」だと思っているですよ。
「心の病を撲滅する闘い」それ自体に意義はあっても、それは「インフルエンザの流行を完全に鎮圧する」というくらい、遠大な上に、迂遠で、投資対効果がなさそうに思えるからです。
しかし、「ホームドア」の課題が、単に「金」の問題ではないことも知っています。
例えば、「ホームドア」用に車両の方を入れ替えないといけない、という面倒な問題もありますしね。
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という訳で、ダイヤの乱れに関して、これといった決定策がないことを承知の上で、今、私が小田急電鉄にお願いしたいのは、
「遅延原因の詳細な説明」
です。
「藤沢到着は15分遅れを予定しています」は勿論、有用な情報です。
しかし、私個人としては、
■連動装置からのアラート信号の発報を検知した
■閉塞区間に車両が侵入して、ATCが自動作動した
■LCXのネットワークでのキープアライブ信号のロストを検知した
■CTCシステムの運行管理制御コンピュータのPRCプログラムが保安システムによって強制停止させられた
という情報も車内でアナウンスして貰えれば、
―― 少くとも、私の怒りは完全に解消し、それどころか、私は、他の人の怒りをなだめる側として、他の乗客の方の説得にあたれると思います。
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小田急電鉄さん。
私のこの提案、いかがでしょうか
まあ、無理でしょうけどね。
今、NHKスペシャルで「病の起源」という特集をやっております。
簡単に説明すると、腰痛、アレルギー、高血圧、癌、脳卒中、うつ、などの、人類を悩ませている病気は、すべて、「人類自身のせい」なのだそうです。
人類が、人類足りうる進化を遂げた結果、運命的に、これらの病気を作ってしまったということなのです。
もう少し正確に言うと、「進化が早すぎた」のがイカンかった。もっとゆっくりと進化をすれば、このような病気は発生しなかったかもしれない、と。
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我々は、もうそろそろ進化を止める時期に来ているのかもしれません。
我々は無制限な発展を、自らの意思で制限し始めなければならないと思うのです。
開発競争は、人類の幸せを考慮しなければならない。特に「開発者サイドの幸せ」を深く勘案すべきだと思います。
私が20年以上も前に提唱した思想は、このNHKスペシャルで、さらにその根拠が強化された、といっても良いと思います。
興味のある方は、ここでググって頂ければ、私の文章が結構な数出てくると思いますので、御一読下さい。
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で、本日は、具体的な対応を一つ提案します。
「太陽電池パネルだけを供給電源とするサーバ」を、皆さんの力で流行らせませんか。
夜は勿論、曇りや雨の日は、サーバが立ち上がらないようにしてしまう。
日が沈めば眠り、日が出れば動き出す。
そして「晴耕雨読」。
まず、この辺から、真面目な「進化の停止」を実施し始めましょう。
先日、私としては、驚異的に短いコラムを掲載して貰いました。
私は、「2ページの依頼に13ページの原稿を納品する」ことを特徴とする文章作成マシンなので、違和感を感じた方もいるのではないかと思います。
タネを明かすと、これ、実は、本編の付録の文章だったのです。
私のコラムのスタイルは、「前文:自分の体験(さわりの部分)」→「本編」→「付録:自分の体験(全文)」という構成をしているのですが、今回は、付録に該当する部分のネタがなかったのです。
じゃあ、ちょっと「軽いネタ」を付録に付けるか、と思ったのです。
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しかし、プロの編集担当者の方は違いますね。
『「英語に愛されているか否か」を客観的に検証することとは、このコラムの本質ではありませんか?』と言われて(説得されて?)、
―― そうかもしれない
と思うに至り、今回、番外編として立てて貰いました。
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さて、その「驚異的に短いコラム」で登場してくる、
『女性は自分の顔の自己評価が低い』
は、単に話題から拾っただけでなくて、実はちょっとした逸話があって、私の中で、ひっかっかていたのです。
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『私は自分の顔の自己評価が高い』のですよ、とても。
私、自分の顔を気にいっているんです。自分の顔が嫌だ、などと思ったことは、生れて一度もありません。
無愛想で、暗くて、意地悪い目付きなんかも含めて、全部気にいっています。
歩いているところにしゃべりかけてくる、保険のセールスレディを一瞥して、黙らせてしまうような表情が簡単に「作成」できるあたりも気にいっています。
電車の中で、その人の方向を見ただけで「謝罪された」こともあります。
「なんで、怒りながら歩いているの?」と言われた人は、これまで3人います。
この顔、とても便利です。
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という話を、以前、この話を友人にしたことがあるのですが、
―― お前みたいな、幸せな人間、見たことない
と、言い放たれました。
実感したことはりませんが、『自分の顔の自己評価』について、私は幸せなのでしょう。
短文投稿サイトのツイッターで、東日本大震災の被災者支援団体や被災自治体への暴言を繰り返していた復興庁の事官が、異例の早さで処分が決定されたそうです。
処分の内容「停職30日」が妥当なのか否かは、私には良く分かりません。
一つのシミュレーションをしてみたいと思います。
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「短文投稿サイトのツイッターで、ミーティング最中の顧客への暴言を繰り返していた、某会社の主任研究員江端智一が、異例の早さで処分が決定されたそうです」
処分の内容は ―― そうですねえ、少くとも「停職30日」ではないでしょうねえ。
正直、こんなことをシミュレーションするだけでも、心底「怖い」と思える。
私ですら「怖い」のであるから、少くとも、普通の企業の、普通の感性を持った、普通の会社員であれば、間違いなく「怖い」だとうと思うのです。
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当初、この復興庁の事官が、ツイッターの匿名性を本気で信じて(勘違いして)、このようなことをしていたのかと思ったのですが、この人、当初「実名」でつぶやいていたらしいのです。
つまり、「ITリテラシーの欠如」が理由ではなく、「確信犯」として行動していたのです。
この人「本当にどうかしている」と思いました。心の病を患っているのかもしれないのかも、とも。
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私も、若い頃、メールを使って大暴れをしていたものですが、そんな時でも、私を「たしなめてくれる」同僚がいたことは、今となっては、信じられない程の奇跡だったように思えます。
『江端。その話をメールでするのは絶対にまずい。ここは一度引け』
『江端君に理があるのは分かるけど、私は江端君にそれをやって欲しくないと思う』
私が暴走したって、私が破滅するだけで、彼等には何の利益もないのに ―― 下手をすると、江端から逆恨みの攻撃を受ける可能性だってあったのに、
「それでも、止めてくれたんだなぁ」と。
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誰にでも「暴走」してしまうことがあると思います。
しかし、この彼も、今回の事件をきっかけとして、色々成長して、我が国の為に、働いてくれるだろうと思うのです。
官僚として「停職30日」はキャリアとしては、大打撃かもしれないが ―― だって、まだ君は「若い」んだから、これからがあります。やりなおしはききます。大丈夫!。
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―― 同省の参事(45)
・・・45歳?
「25歳」の間違いじゃなくて?
あの、ですね。君・・ではなくて、あなた。そりゃ違うと思うんですよ。
あなたは、あなたの部下を「たしなめる」立場の方ではないのですか。
先日、東京都議会選挙の期日前投票を行ってきました。
投票日の日、別の用があって某所にカンズメにならなければならなかったからです。
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さすがに、この歳になってくると、選挙というのは「どこかの偉い人がやってくれる」という意識は無くなってきます。
結構、必死です。
死活問題ですから。
この絶望的な財源と、将来のビジョンが全く見えないこの国の状況から、いかに自分の人生「だけ」を守り抜くか。
そして、その為に、どの政党のどの人物に投票すると、自分(江端)の利権を守り通してくれるか。
「私が死んだ後の日本のことなど知ったことか」という、ドロドロの野心に基づき、少くとも、ここ10年、私は、投票を棄権したことはありません。
-----
逆に、どの候補者にも魅力を感じない人は、それを積極的に表明する手段として「白票投票」があります。
そのココロは「オメーらの言っていることは、分からんし、信じられん」という、積極的な全候補者の否定です。
「投票率95%、有効投票5%」なんて数字が出たら、これは、もう、相当に愉快ですよ。その選挙区の立候補者全員を、名指しで日本中の笑い者にできます。
まあ、それはさておき。
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一応投票所に行く前に、私も一通りの準備をするのですが、今回は「陽」な争点が見えなかったので、形式的に判断することにしました。
公約数の少ない人を優先的に扱う。
もっと単純に言えば、『「子供」と「老人」を両方守る』という公約をしている立候補者には、
巨大な「×」を打ちました。
うち(我が国)に、どっちも守れるほど余裕があるか。馬鹿者。
何かを切り捨てること、そのものが、政治だ。
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今回は「子供を守る」だけを前面に出した立候補者に投票しました。
そして、7つも公約を書きやがった候補者は、黒ペンで塗り潰してやりました。
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要介護認定を受けている両親を見続け、そのフロントに立っている私には、ある一つの高齢者問題のソリューションがあります。
それは、現時点において、到底口に出していえるような解決方法ではなく、いつまでも内心に留めておくべきものであり、そして、他人に強要するものでもありません。
しかし、我々は、誰一人として例外なく、その問題と対峙する時がくる。
我々は法治国家に属する人間ではあるけど、自らの生き方について、その法を越えても良い場合がある、と思っています。
だって、「ライセンス」ごときが法を越えれるんですから。
ま、その話題はさておき。
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選挙カーは言うまでもなく、街頭演説についても、「下手だなぁ」と思う。
主張点を絞ってしゃべって欲しい。
私は、選挙カーが、私の家の前を通る間に、7つの公約を全部しゃべり切ったのを見て、感心すると同時に、「こいつだけは絶対投票すまい」と決意しました。
-----
私なら、「高齢者福祉に注力する」という趣旨であれば、
■「老人の江端、老人の江端、老人の江端を、よろしくお願いします」
と連呼すると思うし、
「教育問題に注力する」という趣旨なら、
■「子供の江端、子供の江端、子供の江端を、よろしくお願いします」
と連呼する。
街頭演説なども見ていると、冗談でなく、「このコラム読んで、出なおしてこいや」と、言いたくなります。
東京都議会選挙の結果は、どうでも良いのですが、その投票率を見て愕然としました。
"30%"に達していない。
このことをもって、「未来を放棄している」と非難するのは簡単ですが、有権者にも言い分はあります。
「お前たち(立候補者、各政党)の言っていることは、分からん」
起きている時間の大半を、政治的な活動をしている政治家たちと違って、有権者である私達は、日々仕事や育児、子どもの教育などで、毎日忙しいのです。
候補者が投票して欲しいのであれば、政治について考える時間が「一日5分以下」の我々に向けた「プレゼンテーション」を考えろ、ということです。
-----
この「プレゼンテーション」で一番効率的なやり方は、「経済効果」です。
「経済効果」は、「一日5分以下」どころか、「一日の時間のほぼ全部の時間」に対するアピールになるからです。
「経済効果」とは、詰るところ「金」です。
原発問題でも、高齢者福祉問題でも、少子化問題でも、若者の就労問題でも、全部「金額」に換算して計算すれば助かるのですけどね。
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そうなると、有権者側にも、金額に対するスケール感が必要になります。
これは「教育」が担当する範囲になります。
例えば、・・・
と書き出してから、ちょっと国家予算について、調べてみたのですが、これが良く分からんのです。
一般会計とか特別会計とか、ぐちゃぐちゃで、一度、自分で理解してみないと、とても、書けそうにありません(ので、また別の機会に)。
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前にも書きましたが、娘たちには、「国家に関する金であれば、とにかく、1億(人分)で割ってみろ」とは言っています。
■日本のGDPが、だいたい500兆円だから、国民一人あたりが稼いでいるとみなせるお金は、年間500万円
■日本の国債発行残高が、だいたい1000兆円だから、国民一人あたりの借金は1000万円
■「宇宙兄弟」で有名になった、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の3,390億円は、国民一人あたりの負担でいうと、年間3390円くらい、―― 映画館に年2回いく位の感じ。
-----
街頭演説は、「あなたの財布から○○円貰います」「でも△△の為に有効に使います」と、数値で語れ。
政治に関しても、いつまでも、「1円、2円、3円、・・・たくさん」では、立候補者も有権者も、恥かしい。
娘(長女)が、枕草子(まくらのそうし)の原文を読んでいて、愚痴っていました。
「趣旨が一貫していなくて、何を言いたいのか、さっぱり分からん」
なんでも、明日、先生からこの文章の感想を発表するように言われているのだそうです。
そういえば、あの清少納言の枕草子には、私も苦しめられました。
いや正確に言うと、古文全部が、私の敵だったといっても過言ではありません(英語ほどではありませんでしたが)。
-----
―― 枕草子かぁ。あれはな、一言で言えば「ブログ」だ。あまり真面目に読まなくてもいいと思う。
―― テクニカルライティングの観点から言わせて貰えば、文章としては「破綻」していると断言できるぞ。
―― それに、清少納言って、今で言うところの「ニート」だったという説もあるくらいだし。
―― あの文章を読んでいると、彼女は軽度の人格障害であった、と確信できるくらいだ。
(「古文」憎しで、かなり滅茶苦茶言っていますが)
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私:「・・・という風な内容で、先生に答えてみたら、どうだ?」
娘:「言えるか!」
本日は、発明ネタです。
-----
違法コンテンツの映像や、猥褻画像のダウンロードは、基本的に、それが画像や映像となって再現されないと確認されません。
これは、大変な労力がかかると思います。
予想の域を出ませんが、警察が行っているであろうサイバー監視には、結構なコスト(特に人件費)がかかっているのではないかと推認します。
多分、コンテンツを自動解釈する自動検知システムは導入されていると思うのですが、結構なコンピュータリソースを喰いそうです。
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ネットワークの中を流れているパケットを監視するだけで、それを検知できるソフトウェアを作ることは、原理としては可能ではないか、と、考えています。
つまりですね、ネットワークを流れている、1011010101011001010101010というビット情報をモニタリングしているだけで、「む、これは! 猥褻画像だ!」と検知できれば、終端にパソコンや人を用意しなくても、違法コンテンツやダウンロードを簡単に発見できると思うのです。
具体的には、
■ヌード映像に関しては「肌色」を表示するビット列が頻発するとか、
■性行為の最中の猥褻な動きのベクトル情報のビット列が連続して続くとか、
そういう、特有の情報ビット列を発見できれば、ネットワークのモニタリングだけで、たちまち、問題のコンテンツを発見できてしまうという、素晴しい発明になるはずです。
すでに、NSAは勿論、日本の各種(自衛隊、警察、内閣府、その他)の部門では、すでに開発済みなのかもしれません。もちろん、猥褻コンテンツ発見目的ではなく、諜報目的になるでしょうが。
というか、その可能性は、かなり高いと思います。
このブログを読んで、「フッ」と嘲笑している人がいるかもしれないと思うと、正直、面白くないです。
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しかし、こういう研究をする為には、大量の違法コンテンツやら猥褻画像・映像が、それはもう、うんざりするほど準備する必要が生じます。
うーむ、困った。
面倒だけどなぁ、猥褻映像やアニメやその他の音楽も、ダンロードしないとなぁ。研究できないなぁ。
一応、著作権法にも、試験研究を目的とした場合の免除(?)規定があるようです(著作権法第30条の4)。
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皆さんは、多分、この話を「ネタ」と思われているかもしれませんが、ここからは本当の話。
現実に、インターネットのWebフィルタリングの仕事をしている人とお話する機会を得たことがあります。
それは「口にできないような、えげつないコンテンツ」が膨大に溜ったデータベースの中の住人になるというとです。
詳しくはお話できないのですが、結論から言うと、「上記のようなコンテンツと対峙することが日常」という仕事は、あんまり「幸せ」ではないようですよ。
昔、研究所に卓球部があり、一応、籍だけは持っている幽霊部員をやっていました。
最初の忘年会の時だったと思うのですが、自己紹介をすることになりました。
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■では、自己紹介させて頂きます。
■私は、例えば、温泉旅館のレクレーション室に卓球台があったとしますと、
■そこで、皆が、合宿の発表が終ってホッした空気の中で、友人達が浴衣を乱しながら、安っぽい卓球のラケットや、あるいやスリッパを使って、嬌声を上げながら「ピンポン」を楽しんでいるところに、
■マイシューズを履き、マイユニフォームを着て登場し、ラケットケースの中に格納された2つのマイラケットの中から、その一つを取り出して、
■卓球の素人では到底持ち上げることもできないような、カットサービスを打ち込み、
■ちょっと浮きぎみに返ってきたレシーブに、レフトやライトエンドを割るスマッシュを叩き込んで、
■合宿の楽しいレクレーションの雰囲気を、一瞬にしてぶち壊す、
■そのような性格の人間である、と、ご理解頂ければ、概ね間違っていないと思います。
■「江端智一」と申します。よろしくお願い致します。
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うん、いままで色々な自己紹介をやってきたが、あれは、私の人生で3本の 指に入る、大爆笑を獲得した自己紹介だったと思う。
国外のシステムに関する報告書から、そのシステム構成を「看破」するという仕事を行っています。
医療でいうところの「内科の問診」という感じでしょうか。
患者の症状を読み取って、その疾患を推定する(「システム」を「疾患」というのも、何ですが)というイメージです。
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「この機能が分からないとできない」とか「この条件での性能が明かでないと評価できない」とか ―― そういう甘えたことを言うことは許されません。
そんなものが最初から揃っていれば、誰だって「システム構成」を推測できるにきまってます。
武器の研究をしている人は、戦車に使われている「ボルト1つ」で、そのボルトの使われている強度や場所を割り出し、その戦車の機能、性能まで予測ことができるそうです。
私も、「■■会社が、××分野の開発を開始した」という新聞記事のたった一行の記載から、「5年後の市場規模○○億円である」という報告書を作成したことがあります。
「風が吹けば、桶屋が儲かる」を、地でやっているのが、我々研究員、リサーチエンジニアと呼ばれる者たちです。
―― で、その予測は当たるかって?
当たる訳ないですよ。
無理ですよ。不確定要素がどれだけあると思っているんですか。
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我々がプロとして求められている役割は、たった一行の記述から、全体のシステムを推測し、それにもっともらしい理屈をつけて、それを自信タップリに説明するという、一種の「占い師」です。
『先の見えない未来に、「理屈」で筋を通して欲しい』というニーズに答えることが、仕事です。
ただ、未来を「理屈」で筋を付ける努力をしている分、その辺の「占い師」よりは、遥かに誠実だと思っています。
最低限、「自分の予言を自分で信じ切る」という程度の思い込みを持つ程度には、徹底的に真剣に調査は実施していますから。
だから、私自身「怪しげな占い師」であったとしても、クビになることなく、今に至っている訳です。
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で、話を戻しまして、某国のシステム構成を「看破」するという仕事の話に戻します。
大変愉快な報告書です。
定量数値なし、比較対象絶無で、自分たちのシステムを自画自賛、美辞麗句で埋めている ―― これはもう、一種の「才能」と呼べると思います。
このような文章を見ていると、その人の「ひととなり」や、その国の文化や思考形態が読みとれて、興味深いです。
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このような「盛り上がった文章」というのは、「深夜に書いたラブレター」みたいなもので、当事者は今頃、恥しくて、壁に頭をぶつけているかも・・・
いや、しないか。
なんか、いつでも「自信たっぷり」だもんなぁ、あの人たち。あのマインド、本当に羨しい。
いずれにしろ、前述の通り、このような「深夜のラブレター」から、客観的な技術を認定することも、エンジニアの大切な仕事です。
まあ、「面白い」のは確かなのですが、「読み難い」のには閉口しています。
アニメ「刀語」全12話視聴完了。
原作もアニメも、どちらも心揺れた、最期の語り。
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―― 目的を果たせなかった者。
―― 志半ばで倒れた者、思いを遂げられなかった者。
―― 負けた者。挫けた者。朽ちた者。
―― 一生懸命頑張って、他のあらゆるすべてを犠牲にしてまで踏ん張って、
―― それでも行為が全く結果に繋がらず、努力は全く実を結ばず、
―― 理不尽に、あるいは不合理に、ただただ無惨に、ただただ不様に
―― どうしようもなく後悔しながら死んでいった者たち
( 刀語(カタナガタリ) 最終回ナレーション、 および、 刀語 第十二話 炎刀・銃 より引用)
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それは ――
まるで、成功して、笑うことにだけ価値のあるように振る舞われる、今の世の中にあって、
最期に事を成しとげることも、最期に笑うことも、決してできないであろうことを誰よりも自分で分かっていて、
毎日が、苦しくて、辛くて、それでも、そういう歩みを、自分では止めることができず、
ただただ、無為に負け続ける日々を生きる「私」を、
「在り」
と言ってくれているようで、
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あるいは ――
自分の肉体を自分の意思でコントロールできなくなり、
自分の精神で自分が何ものかも分からなくなる、
そういう人間の最期を、今はただ見ているしかない、この身にあって、
つまるところ、我々人間というのは、例外なく
―― 理不尽に、あるいは不合理に、ただただ無惨に、ただただ不様に
―― どうしようもなく後悔しながら死んでいく
結局、そういう「者」以外にはなれない。
そう、言ってくれているようでもあり、
―― 嬉しかった。
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最期に一言。
私のお気に入りは「敦賀迷彩」です。