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2011-01-06 床屋における理髪師の男女差に関する一考察 [長年日記]

10分/1000円という理髪店が、駅の構内などに登場しはじめて、かなり定着してきております。

「髪を切ってくれれば、それだけで足る」という私のニーズにマッチしたものであり、待ち時間や整髪時間が短いというのも、大変良いです。

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このような、10分/1000円 の理髪店においても、私にとっては「当り/外れ」があります。

それが、理髪師の「男女差」です。

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女性理髪師は、一般的に仕事が丁寧であるということなのでしょうが、私に言わせれば、

『細かい』

もっと、ザクザク切って欲しいんですよ。

それはもう、雑草を切るみたいに。

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理髪を始める前に、私は、一気に5つの注文をします。

「とにかく短めに。髪は逆立ってもO.K.」

「可能な限り漉きまくって髪の量を減らして。あと半年は来なくても良いくらい」

「前髪はできるだけ短く。本を読むのにうっとうしいから」

「バリカンで刈り上げて貰って結構」

「耳は全部出して」

丸刈りにすれば、話は早いんですけどね。

子ども達に、酷く批判を受けているので、できないのです。

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男性理髪師は、私がここまで言うと、ピンっとくるようなのです。

『この人、ヘアースタイルに「髪の毛」程の興味もない人だ』

と。

私の推測の域を出ないのですが、女性理髪師には、

「ヘアースタイルに興味のない人類」

という考え方そのものがないのではないか、と考えています。

しかし、そういう人類は、確かに存在するのです。

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私は、「10分/1000円は、まだ、簡易理髪の最終形態ではない」、と考えています。

「3分500円」の市場はあると思う。

「1分300円」の市場もスコープに入れれると思う。

さらに一歩進んで、頭をつっこめば、1分で理髪を完了する自動販売機型の理髪マシンこそが、21世紀の理髪の標準形となるだろうと。

この機械こそが、日本を救うグローバル展開のキラーアプリケーションと信じるものです。

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この私のように、

○美形で

○優れた容姿を有し、

○「歩く人格」とまで言われる、

ヘアースタイルなど気にせずに生きている男性は、日本には相当人数いる、と思っています。

http://www.kobore.net/tennis.txt


2011-01-09 「自分の人生を終わりにしたかった」に関する一考察(その1) [長年日記]

「自分の人生を終わりにしたかった」「死刑になりたかった」

といって、無差別な殺人や傷害事件を行う犯人に対して、

『勝手に終わらせろよ』『全然関係の無い第三者を殺傷する必要が、どこにある』

と非難することは、至極当然のことです。

それ以上に、「非常に分かりにくい」のです、この犯人の心象風景は。

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今ではちょっと信じられないかもしれませんが、1970年代には、左翼系の過激派が、大企業のビルを爆弾で爆発させたり、あるいは銀行強盗などを行う事件が多数ありました。

勿論、世間からは轟々の非難の嵐があり、その左翼は『民衆を解放する為の革命』を掲げながら、当の民衆から「汚物」のように嫌われて、やがて存在意義を失い解体していき、今ではその影も形もありません。

しかしその過激派には、

「労働者を搾取する資本主義の走狗を殲滅する」

とか、

「革命運動を維持する組織の運営資金を資本家から奪回する」

などというような、『そりゃアンタ、ちょっと無理があるぜ』というような内容でも、苦しいなりに理由付けはしていたものです。

つまり、民衆の支援は「絶無」ではありましたが、一応の「理屈」は通していたのです。

(続く)

(To be continued)


2011-01-10 「自分の人生を終わりにしたかった」に関する一考察(その2) [長年日記]

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

私達が理解に苦しむのは、

「自分の人生を終わりにしたかった」

という要望に対して、

「全然関係の無い第三者を殺傷する」

という必要性です。

# 「動機付け」といっても良いのかも。

「自分の人生を終わりにしたかった」に対しては、一定期間放置すれば、人生は終わるようにDNAにプログラムされています。

望ましいことではありませんが、自ら終了させることも可能です。(ここでは、自殺の法的責任については論じないものとします)

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例えば、

(1)「自分の人生を終わりにしたかった」→

(2)「ついては、人生を終わりにしなくてすむ者達が、そのまま人生を生きているのが不愉快であり理不尽に感じる。そこで、そのような者を、巻き添えにしてやりたいと思った」

と言う動機付けなら、我々は激怒しながらも、その身勝手な理屈に対して納得した上で、犯人を憎むことができます。

しかしですね。

(1)「自分の人生を終わりにしたかった」→

(2)「ついては、死刑になりたかった」

では、全然、理解できない訳です。

(1)と(2)の間を埋めるべき、私達が理解可能な理由付けが存在しないからです。

(続く)

(To be continued)


2011-01-11 「自分の人生を終わりにしたかった」に関する一考察(その3) [長年日記]

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

なにげなく、特許法をパラパラと眺めていて、ふと気がついたことがありました。

特許発明とは、ただの発明ではなく「新規な創作で、自明でない具体化がされている発明」であり、特許権は、そのような特許発明に対して付与されます。

加えて、特許権となる為には、特許発明をしただけでは足りず、国家に対して特許付与の手続を行わなければなりません。

そう、特許権を得る為には、「手続」がいるのです。

もしかして、彼等は、「死刑」という、国家が最高レベルの緻密でかつ厳密な規定で運用されている、

「手続」

が欲しかったのかもしれないな、と思うようになってきました。

-----

多くの人は「葬儀」という「手続」を経て、人生を終了させることになります。

つまり、「葬儀」においては、故人の過去が語られ、そして故人の死を惜しむという、一定の「手続」が行われます。

どこで生まれ、どこで育ち、何を学び、どのような成果を残し、誰と知りあい、何を考え、どのように生き、そして死んでいったか、が語られます。

さらに、そのような「手続」がなくとも、自分自身で『自分の人生は、このようであった』と纏めるものかもしれません。

# それが良い人生であったか、そうでないものかは、さておき。

突然の事故死や、意識不明のままの病死を除けば、多分死に至るプロセスで、自分の人生を振り返る機会を得ることになります。

自分の死のタイミングを決定できる、「自殺」であれば、なおのことです。

(続く)

(To be continued)


2011-01-12 「自分の人生を終わりにしたかった」に関する一考察(その4) [長年日記]

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

○『自分の人生が、そこに存在していたかどうか』を、世界の誰からも認識されず、そして、自分自身ですらもよく分からない。

○10秒後に自分がいなくなったところで、そこには何も変わらず続く世界が残り、信号交差点の信号機が切り替わるように、自分という点滅が消えるだけ。

○「自分の死」に幾許(いくばく)かの意味も見い出せず、そして、多分その通りである。

このような認識に至った時、人は、自分の死に対して、飢えるような気持で、「手続」を求めるのではないか、と。

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自分以外の誰かに、身柄を拘束され、自分の人生に評価がなされ、議論がされ(被告と原告での争い)、判断がされる(裁判官の判断)、執行される。

ステップ1→ステップ2→・・・、と順番を付けられ、自分の人生の終結を他人に委ねることになろうとも、そこには「自分の人生」の為の手続がなされ、そ れなりの取り扱いがなされること。

前述した、(1)「自分の人生を終わりにしたかった」→(2)「ついては、死刑になりたかった」の間を埋めるべき「もの」とは、

万策付きた絶望の漆黒の闇の中で、最期の人間としての取り扱いを求めて、彼らが餓えるような思いで求めている

「手続」

なのではないかと。

(続く)

(To be continued)


2011-01-13 「自分の人生を終わりにしたかった」に関する一考察(その5) [長年日記]

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

もちろん、そうであったとしても、そこに同情の余地はありません。

上記の「手続」を一言で総括すれば、「かまって欲しかった」に尽きます。

年間3万人の自殺者を出す、自殺大国日本においては、自殺は当事者、身内、関係者を除けば、単なる「数」で「データ」で、そこには「手続」すらない非業の死が、ゴロゴロしています。

多くの人は「手続」が欲かったかもしれないが、それでも、それを求めずに逝っている。

この現実を見い出さず、自分勝手な理屈で、全然関係の無い第三者を殺傷する者を弁護する言葉は、私にはありません。

そのような狂った理屈を許してやるほど社会は甘くはないし、その程度の命題を乗り超えれなかった弱さを認めてやる程、私も寛容でありません。

万策付きた絶望の漆黒の闇の中でも、「手続なし」を自分の意思で選択することはできたはずですから。

(続く)

(To be continued)


2011-01-14 「自分の人生を終わりにしたかった」に関する一考察(その6) [長年日記]

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

寒い日々が続いています。

この寒い中、私達がそれでも生きていけるのは、少し歩けば、そこに暖かい家があり、食べ物があり、「お帰りなさい」といってくれる家族がいるからです。

この「寒い」状態を、近い未来に終了させることができるという確証があるから、私達は立ち向うことができる。

「がんばれ」と言い、言われることができる。

しかし、この寒さが無限に続くものであり、そこになんの未来も希望もないと考えている人に対して、そんな臓腑を抉り出すような残酷な言葉は言えません。

全部の日本人に対して、供給する富は絶対的に少ない。

そして、既得権を得ているだろう私は、自ら進んで、富の少ない人に対してその既得権の分配などはしないし、その予定もありません。

私は私の人生だけで、いっぱいいっぱいなのです。

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今、私が言えることは、一つだけです。

私が何もかも失ない、

万策付きた絶望の漆黒の闇の中にある時、

私が狂い出す前に、

最期の理性を維持して、

「手続なし」

を選択することをここに約束する

と言うことだけです。


2011-01-15 「メンタルヘルス推進センター」という名の「ストレス生成・拡張機関 [長年日記]

私は今日、最大級の*怒り*で、ストレスの限界に来ています。

「メンタルヘルス推進センター」なる機関は、一体どのように、この状況を収拾してくれるのだろうか?

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○「あなたと家族の関係の良し悪し」 → 25%以下

本 当 に い・い・か・げ・ん・に・し・ろ・よ! 毎 年、毎 年 !!

この「JMI」のおかげで、良好な家族の関係が、年々悪化していきます。

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○仕事に対する正確度(ミスへの意識) → 90%

? ? ?

「先ず出す。叱られる。その後修正すれば足る」をモットーとして、「出たとこ勝負」をポリシーとする、この私の仕事のやり方を愚弄、嘲笑したいのでしょうか。

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○飲酒のトラブルがない傾向 → 49%

飲 ま な い の に、ど う や っ た ら ト ラ ブ ル を 起 す こ と が で き る か。

是非、教えて欲しい 。

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これまで、この「JMI」なるものを受診して、「良い」ことなど何一つありませんでした。

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「メンタルヘルス推進センター」

(と書いて、私には「ストレス生成・拡張 機関」と読める機関)

にお願いがあります。

当該センターは、アルゴリズムを公衆に開示し、その妥当性を第三者機関に検証させて下さい。

正しい診断をしているか、極めて疑わしいからです。

「誤診」で、逆に状況を悪化させている恐れがあります。

大きな事故を発生させる前に、実施して頂くことを強くお勧めします。

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とりあえず、JMIの「誤診」で、多大な迷惑を被っている被害者の事例が、「ここ」に、「確実」に、「一件」あります。