「世界の特許出願の1/3は日本人の出願」
これを聞き及んだ時には、結構驚きました。
(近い内に、裏を取って報告しますね。PCTの出願数の聞き間違いだったかも)
これは「全世界の知的財産という富の1/3を日本が所有している」ということを直ちに意味するものではありませんが、その潜在的な可能性はある訳ですよ。
そこで考えたのですが、この度、新たな省として発足した「防衛省」の直属期間に、「特許局」というのを設立することを提案したいと思います。
この局の究極の目的は、特許庁と連携して、世界各国での日本人が出願した特許出願の特許権の成立と、当該特許権の軍事的戦略の策定および実行です。
北米の大工場のラインを停止させ、中東の石油のパイプラインを廃棄せしめ、ロシアの株取引のコンピュータの稼動を差止させ得る、権利行使の実施、またはそれを現実に可能とさせる特許明細書の執筆-----
これぞ「書く」のボタン
日本国総理:「大統領閣下。もし本案件を認めて頂けないのであれば、我が国は貴国で成立している特許権1000件の権利行使を、直ちに実施せざるを得ませんが、よろしいでしょうか」
なーんて、世界に啖呵を切ってみたいですねえ。
特許協力条約(PCT : Patent Cooperation Treaty)は、手続の複雑さを理解することを諦めてしまえば、その制度趣旨や効力は、大変素晴しいものだと思っています。
まず。複数の国に出願する場合に、(とりあえず)一つ特許出願しておけば、世界中のPCTの加盟国に対して、出願の「唾つけ」ができるという点が凄いです。
さらに、最終的に「どの国に出願しよーかな~~」と考える時間が2年6月もの長い間与えられるというのは、出願人にとっては大変助かるのです。
何故なら、特許出願した発明が「当たり」そうか「ハズレ」そうかを、その2年6月待っていれば良い訳ですから(「ハズレ」そうなら、ほっとけば、そのまま取下扱いとなります)
ま、細かいことを言いだすときりがないのですが、1世紀以上の前に制定された「パリ条約」を援用した、パリ条約に匹敵する優れた条約である、と、私は信じています。
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さて、この制度を提唱した国、実質的リーダが、実は、我が国であったと知ったのは、先日のこと。
これは、本当に凄いことです。
IEFTのドラフトやらRFCなんぞ屁でもない。
間違いなく、これから100年のオーダで生き続ける国際的な特許制度のスタンダードであり、現在世界137ヶ国で現在進行形で動き続けている世界統一規約なのです。
パリ条約に匹敵するものを、前世紀の世紀末に日本人が作り上げたことを、もっと日本人(特に偉い人)は、自慢しまくるべきです。
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しかし、なんで、こんな凄い制度の名前が、"PCT(Patent Cooperation Treaty) 「特許協力条約」"なんて、出所の分からない辛気くさい名前なんだ。
その主導的立場の人の名前を入れたって良いと思うぞ。
# 例えば、「『江端』特許条約」とか。
ま、それは無理として、パリ条約、マドリット協定議定書、京都議定書・・・、全部、地域名を冠しているのですから、普通に考えると「東京特許条約」。
これはきっと、実存するものとしての「早口言葉」として、子々孫々と呼ばれ続けていくでしょう。
# 因みに、「東京特許許可局」という局は存在しません。
もっとも「東京」ではありふれているというのであれば、
「『霞が関』特許条約」、「『千代田』特許条約」・・・ふむ、案外つまらんものですね。
ここは、やはり「『溜池山王』特許条約」これですね(地下鉄の駅名)。
なんか良く分かりませんが、『梁山泊』のような、伏魔殿のような感じが良く出ています
このような自己主張が国際的にも許されるかどうかはさておき、改名権は我が国にあると思うのですが、いかがでしょうか > 特許庁長官殿
フランス当局(フランス国民ではない)が、また阿呆な政策を取りはじめたらしいです。
『フランスの価値や文化、言葉を共有しない者は受け入れないとして、長期滞在ビザの申請者に、仏社会への同化を約束する誓約書の署名と、仏語習得、 社会制度や歴史を学ぶ講習会への出席を義務化』
ちなみに、日本側は移民と駐在員を混同するなと、抗議してるとのこと。
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先日、テレビで日本に来た外国人のインタビューを見ていたのですが、こんなこと言っていました。
『日本人の英語のレベルは他の国と比べて、断然低いね』
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で、考えたんです。
(支持率が恐しく良くない)現行の内閣の基本方針なのですが。
どうでしょう、この際、もう一度「鎖国」やってみませんか?
私はこの日本という国は、お日様のエネルギーだけでやっていけると思うのですよ。
ちょっと古いですが、我が国には2000万人レベルでの運用実例もあることですし。
クラッシック音楽の本質が分っているとは全然思ってはいないのですが、疲れた時に、以下の曲を聴いていると元気になれます。
(1)ショパン 第1楽章~ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11
(2)ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30第3楽章フィナーレ
(最後に観客と一緒に「ブラボー!」って叫んでしまいそうになる)
ただ私の嗜好の条件はメチャクチャに狭くて、
(1)ピアノ協奏曲であること
(2)超絶技巧曲であること
(2)マルタ・アルゲリッチのピアノ演奏であること
となっているようです。
この条件ですと、日本で入手できるCDの数は、数える程しかありません。
実は、NHKで上記の2曲の演奏をしているところを、たまたま途中見たのですが(こんなマイナー曲を2曲も見れたというところに運命を感じますが)、その演奏を聴いていて、
『ちがうの! そうじゃないの! どうして分ってくれないの!!」
と叫んでしまいました。
アルゲリッチの傲慢で正確無比なピアノの演奏の機関銃が、オーケストラという戦車の陸戦隊と、間髪なく砲撃をしあっている、戦場の音楽(凄い比喩だが)を感じられなかったのです。
と言う訳で、この忘備録を読んでいる方にお願いがあります。
私の嗜好にフィットすると考えられる、クラッシック音楽をご紹介頂けないでしょうか。
このご報告に関しては、下記リンクの"Mr.Ebata's Mail Policy"を適用しないことをお約束申し上げます。
何卒よろしくお願い致します。
http://www.kobore.net/mail.txt
金で解決──親も子供も宿題丸投げ 代行業者が繁盛
「読書感想文」から「自由研究」まで、夏休みの宿題を片づける「宿題代行業者」が登場し、賛否を呼んでいる。メールなどで届いた依頼に、アルバイトの学生らが有料で応える。多くの小中学校で夏休み最後となる今週末は“駆け込み客”が殺到しているというが、「家庭学習の習慣を身につけるという本来の趣旨に反している」と、教育関係者は批判的だ。
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どんなにいけすかない奴と言われようとも、私は「夏休みの自由研究」のネタに困った記憶がない珍しい小学生でした(どのネタにしようか迷ったという記憶はありますが)。
学年代表の発表も何度かやった記憶があります。
こうしてみると、今の職業(研究員)には就くべくして就いたのかもしれません。
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しかし、娘の自由研究の宿題を2本も提出させたのは、私の意図ではありません。
私は逆に娘の自尊心を傷つけることになると、協力を拒んだんです。
しかし、嫁さんと娘は、私の主張に対して『???』という顔をしていました。
そんな訳で、娘の観察結果に対して、研究の纏め方を指示してやりました。(背景→目的→結果→考察、という一般的な研究プレゼンのパターンです)
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「夏休みの研究ネタ」で困っている親子に、コンサルを行なうというベンチャーなら行けるかもしれんなぁ、と思ったりしていました。
ようやく「フェルマーの最終定理」が文庫本になったので購入しました。
最後の定理が証明されるシーンは、涙なくしては読めないほどでした。
これが実話であるというのが凄いのですが。
嫁さんの運転で駅まで送って貰った時、私がこの本の内容をかいつまんで説明すると、応答がありませんでした。
フェルマーの最終定理の内容を説明している時、嫁さんがコックリしはじめて、危なく事故の危険を感じましたので、説明を止めました。
その後、嫁さんから、「それ(定理の証明)はどういう風に凄いのか」を尋ねられた時、私も応えられませんでした。
「その証明自体に価値」があるということを嫁さんに説明することは、嫁さんが私に「ブランド服の価値」を説明することと同義であることを、私は良く分っていたからです。
若い頃、上司に限らず年上の人間で「お前はよく考えていない」という人が多かったように思えます。
また、大学生というだけで遊びまくっているという風に見られることも多かったように思えます。
上記の場合、私が「何を考えているか」を述べたでは、その態度を全く変えようとしない人が、私が「何の本を読んできたか」をラインナップするだけで、沈黙することが多かったように思えます。
また、私が学費稼ぎの為に週7日のバイトをしていること、大学、レポート、講義の連続で、遊ぶという概念すらなかったことを述べると黙ってしまう人が殆どでした。
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若者を侮蔑する風潮は、昔もありました。
ある人々は、一握りの馬鹿がやらかす、馬鹿を見て、それを若者全体に適用するという、非常に狭量な視野しか持ちえないのです。
なぜでしょうか。
私は、そのような人々は、自分の若い頃を自信が持てないからではないかと思うのです。
今の私は、若い頃の自分とディベートして、勝てるという自信がありません。
若い頃の自分は不器用ではあったけど、真剣で真摯に生きていたという自信があるからです。
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世の中に、若くて馬鹿な奴はいます。
しかし歳を取っていても馬鹿な奴も腐るほどいます。
若者を馬鹿にする人は、卑怯、その人の若い時代が「馬鹿」そのものであったのでしょう。
だから、私は若い人に言いたいのです。
少なくとも、「お前はよく考えていない」と言われた時、あなたが、それを理不尽である、不当であると感じた場合、真面目に考える必要がありません。
『若い頃、何も考えてこなかった阿呆なあんたを、私に当て嵌めるな』と思っていれば良いのです。
実際、その通りなのですから。
私が大学在学中に、アルバイトをしていた時の話です。
通信教育の教材を販売している大手の会社のバイトで、その教材で分からなかった箇所を、一時間教えるというものでした。
生徒にはそれぞれ「カルテ」と呼ぶものがあり、そこには別の講師がこれまで何を教えてきたかが記載されています。
その中に、勉強の方法を教えて欲しいという理由で、20回以上も連続して通っていた生徒がいました。
どうやら彼は、成績を上げる「魔法の方法」を教えて貰いたいらしいようでした。
当時でも、「短期間で成績を上げる」とか「今からでも間にあう受験」てな本が山のようにありました。
私が彼にいったことは、こんな内容だったと思います。
君がここに通ってくるのに往復何時間かかっている?
そうか2時間くらいか。
で、君は2時間あれば、英単語を幾つ覚えられる?
君の通ってきた回数20回は40時間だね。
一日3時間勉強したとして、13日以上も勉強する時間があったころになるね。
こんなところに「魔法の方法」を尋ねにくることなんて止めて、その分、真面目に勉強に回したら?
これが、本当の「魔法の方法」だと思うよ。
彼はそれから私のところには来なくなりましたが、多分、それは納得したのではなく、痛い所を突かれたからではないかと思います。
日本一長い法案の名称だそうです。
テロ対策特別措置法の正式名称
「平成13年9月11日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法案」
しかし、私が驚いたのは、別のこと。
(1)第12条までしかない
例えば、特許法の204条に比べると格段に少ない。
1日で読み切れるというのは、法律の文章としては良いことだと思います。
(2)9・11のテロ以外のテロには全然無関係な法律である・・・かのように見えて、または、国連決議に基づくものに限定される・・・かのように見えて、実は法の適用範囲は結構広く適用できるように記載されていること
例えば、
(a)「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等」の最後の「等」(法律の名称)
9・11以外の案件にも適用可能、と読むべきでしょうね。
(b)「あわせて、・・・(中略)防止等のために適切な措置をとることを求めていることにかんがみ」の「かんがみ」(第1条柱書き)
→国際的要請なのだよという釈明、と私には読めました。
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この法律の肝は、第2条2項(武力行使の禁止)、3項(非戦闘地域への活動範囲の限定)ですね。
なるほど、結構明確に記載されているではありませんか。
立法府たる国会の苦労が垣間見られる法文です。
http://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2001/1005terohouan.html
電波時計というのは、簡単にいうとラジオの受信機のようなものです。
本当のラジオとの違いは、
(1)そのラジオ放送の内容が、正確な時刻(NHKの時刻放送と同じと思えば良いです)であることと、
(2)電波時計のモジュールがそのラジオの内容を受信して自分で時計の時刻を調整していること
だけです。
要するに、適当な間隔で時計が自分の時間を調整しているだけのことです。
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なんで、その仕組みが「10万年に1秒の誤差」なんだ!
誤差の考え方が、完全に間違っているだろうが!!
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10万年後に、標準電波局(日本ではJJY)が存続しているかどうかはどうでも良いけど(それより人類が存続しているかどうかの方が問題)、電波時計のメカニズムの恩恵を、あたかも時計の性能の良さのように語る、このような小狡いキャッチコピーを、私は、断固として許せないのです。
あなたは、
(1)あなたの将来のことを考えて、本気で叱ってくれて、厳しく接し続ける上司と、
(2)あなたのことなんぞどうでもよくて、上手いこと煽てて使い倒して、いざというときには簡単に放り捨てていく上司と、
どっちが好きですか?
私は(2)の上司です。
誤記ではありませんよ。
世界名作劇場シリーズで、圧倒的支持を受けたあの名作「アルプスの少女ハイジ」
私が子供の頃に見た後も娘が幼少の頃、エンドレスで見続けていたので、ストーリは勿論、セリフもかなり覚えてしまいました。
さて、あの「ハイジ」の作品で、最も優れた人物と、最も卑怯な人物を挙げろ、という問題が出たとしたら、私はこう答えます。
最も優れた人物:ロッテンマイヤー女史
理由:自己の価値観の全てを「クララ」に集約。クララの幸せを常に模索し続け、時として雇い主であるゼーゼマン氏すら逆らうという忠誠の女史。
最も卑怯な人物:クララの父方の祖母、通称「おばあさま」
理由:ホームシックのハイジに気晴らしをさせようと、郊外の森に連れて行ったり一番の心の支えになった人物、のように見せかけて、実は、ロッテンマイヤー女史の攻撃がハイジに及ぶことが十分予想できながら、ハイジに黙ってゼーゼマン家を脱出。ハイジが夢遊病になった直接の原因を作った、最低最悪の人物。
子供の頃は、さすがにロッテンマイヤー女史を尊敬することはできなかったのですが、「おばあさま」のやり様はナンセンスではないか、と子供心に思っていました。
毎日、MindManagerというソフトを使って、マインドマップを作成しております。
私は今会社でこれを使い倒して、他の人にも読ませていますが、これは私がある程度の年齢になったからできていると思っています。
つまり、年齢を重ねた私に、正面切ってケチをつけにくくなったということです。
私が若いことであれば、「どうせまた江端が変なツールを使い始めやがった」ということで一蹴されたか、または使用を邪魔されたと思います。
実際にこれまで、そういうことが沢山ありました(特に特許発明のネタ)。
しかし、私自身も、気がつかない内に良い提案を潰して続けていただろうと思っています。
残念ながら、多分、これからも。
私自身は、いつでもそういう振舞いをしないようにと、心がけてはいるのですが、必ずそうしないということは保証できません。
私の言うことを信じてはいけません。
なぜなら、私の世界観は私だけで閉じており、私はあなたの成功や失敗に全然興味がないからです。
あなたがそれを信じるのであれば、あなた自身の努力で、あなた自身の時間の中で、それを続けるのです。
すなわち『継続したければ継続する』のみです。
それは失敗するかも成功するか判りませんが、少なくとも「江端に潰された」と恨むことから逃れられるし、江端もそういう恨みから逃げられることになり、お互いに幸せになれます。
「果しなき流れの果に」。これを読み終えたのは、高校の2年生の時。
一人用テントを搭載した自転車で一人ツーリングをしていた時でした。
ある道の峠にある公園でテントを張ることを決めたのですが、この峠から少なくとも半径5km以内にはたった一人の人間もいないだろうという事実は、日没後からひしひしと私に迫ってきました。
ここで、熊に襲われようものなら、私は生きたまま自分の腸が引きちぎられるのを見ながら、悶絶して死んでいくんだろう、という恐怖は、ちょっと言葉にはできない恐怖です。
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とにかくテントの外に出ると、そこには圧倒的な闇。
手を伸ばすと手が見えなくなる闇。
小用を足すのにも、怖くてテントが見える数メートルの範囲でしかできなかったです。
さらに、折悪く、天候も崩れてきました。
豪雨とは言わないまでも相当な雨が降り注ぎ、そして何より恐しかったが、空の上ではなく、テントの入口を覗いた時に見える、「真横に走る雷」と鼓膜をつんざく雷音。
「死にたくない」とテントの中で震えながら、読んでいた本が小松左京先生の『果てしなき流れの果に』でした。
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寝れたのか、寝れなかったのか判らない恐怖の一夜でしたら、翌朝、テントから出た私が見たものは、東の地平線から直撃する態様の光線と、私の足元に広がる雲の絨毯でした。
『果てしなき流れの果に』の最終章を、このタイミングで何人が私に与えてくれたのは判りません。
時間と空間とパラレルワールドが錯綜する壮大なストーリーは、その後も私の中に刻み込まれ、大学の頃、その一文を寮の自分の部屋に書き殴るまでに至りました。
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その後、「江端が壁に写経を始めた」という変な噂が流れていました。
「『老子』がみた「ヒルズ族」失墜の要因」(プレジデント社 2007.10.1号)というコラムを読んで、久々に感に入りました。
・強いものは必ず衰える。なぜなら自然に反しているからである。自然に反したものは長続きしない。(物壮んなれば則ち老ゆ,これを不道と謂う。不道は早く已む)三十章
ところが少数ではあるが、強い権勢を維持できる人物や一族もいて、そこには共通項を見い出すことができるそうです。
・自分を是とすれば、かえって無視される。自分を誇示すれば、かえって排斥される。自分の功績を診れば、かえって非難にさらされる。自分の才能を鼻にかければ、かえって足を引っ張られる。(自ら是とする者は章れず。自ら見す者は明らかならず..自ら伐る者は功なし。自ら行る者は長からず)二十四章
要するに、周囲の反感を買わずに生きれるか否かということらしいです。
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さて省みてみるに、この法則をこの私に当て嵌めてみると、次のようなことが言えます。
「強くない私は衰えない。なぜなら自然に適合しているからである」
「自分を是としても、誰も相手にしてくれない。自分を誇示すれば、軽くいなされる。自分の功績を診れば、笑われる。自分の才能を鼻にかければ、馬鹿にされる」
故に「江端は失墜しない」という結論が、背理法的に証明される訳です。
某、と言っておきましょうか、ステージトーク集だけでCDが販売される某シンガーソングライターの歌手の方の話です。
私はこの人の歌も語りも大好きなのですが、この人の日本への偏狭的な語りにはうんざりしています(時代遅れの性差主義も結構げんなりしています)。
『こんなにも四季が豊かで、こんなにも美しい国が、世界の他にあるでしょうか』
あるよ。
腐る程あるよ。
いい歳こいて、まだそんな阿呆なことを言っとるのか、お前は。
と、まあ、この件(くだり)を聴く度に呟いてしまうのです。
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確かに日本も美しい国です。
長期間滞在する機会を得た北米コロラドには、ここに一人取り残されたら絶対に死ぬ、という人間の存在を全否定するかのような、絶対的な冷厳な自然の美しさがありました。
一年を過す機会は得れませんでしたが、中国大陸の奥地の朝焼け、インディス川の夕日、ネパールのチベット山脈を望む高地、フロリダのやさしく流れる風、冬のパリのモノトーン色の午後。
どこもここも、大好きな所でした。
私は、世界のどこにいたって、言葉が通じようが通じまいが、その土地を好きになり、そして十分な時間さえあれば、そこが一番良い場所だな、と思うことができると思います。
そもそも、その土地を慈しみ、大切に思う気持は、その土地の上に立ち生きている、生きとし生きる物(×者)すべての生命の属性だと思うのです。
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だから、私は「愛国心」を「育てる」という意味がさっぱり分からんのです。
あれは「育てる」のではなく、ほっといても「育つ」ものです。
上記の某歌手のように、遍く日本人の全てが日本こそが最高だと思う人になるように「育てる」というなら、これはあり得ると思います。
が、そういうのは「育てる」とは言いません。
こういうことを、普通「洗脳」と呼びます。
これはコロラドに住んでいた時の話です。
デパートの階段の前で、嫁さんが、まだベビーカーに乗っていた当時二歳の娘をベビーカーから抱きかかえて、階段を上がろうとしていた時のことです。
はるか遠くから、全力疾走で走ってくるアメリカ人の男性二人。
娘の入ったベビーカーをガシっと掴むや否や、どどどどどーーとベピーカごと、娘を階段の上に運んでしまい、嫁さんが礼を言うまえに、ぱぱっと走って消えていってしまったそうです。
この話を聞いたとき、私は感動で背筋が震えたのを覚えています。
「『かっこいい』とは、こういうことだな」と、嫁さんと二人で頷きあっていました。
米国の生活の中で、ちょっと日本では味わえないような、(言い方は良くないのですが)数多くの「暴力的な好意」に出会いました。
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しかし、、、、
私が分からんのは、このような親切の塊でできているような(と私には見えることが多い)多くの米国人を代表する政府が、頼みもしないのに、他の国に出かけてまで戦争なんぞをしに行くのだろう、ということなのです。
もの凄い違和感を感じます。
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私の出会ったいわゆる米国の人は、自国の戦争方針に凄い嫌悪感を持っており、大統領の政策を批判して憚らない方が多かったようです。
例えば『ブッシュの中東政策は間抜けだ』というような意見です。
確かに、私も、政府の政策が、我々の意図と同一と思われたらかなわんと思うようなことが沢山あります。
「国家の人格」と「国民の人格」は完全に独立である、と考えないと、我々は大切なものを「国際的」に失なってしまうかもしれません。
時代劇で正義の味方が、襲いかかってくる悪代官の手下どもを、バッタバッタを斬り倒し、最後には悪代官を倒すーーー
よくある、時代劇の一シーンですが、これを「待てよ」と思っている人は結構多いのではないかと思っています。
悪代官の手下は、その性質上、当該悪代官の業務範囲に属し、かつ、当該悪代官における手下に属する任務を遂行しているに過ぎません。
(特許法35条(職務発明規定)援用)
要するに、私が言いたいことは『手下は手下の業務を遂行している』ということなのです。
だいたい、
(1)真夜中に
(2)凶器(真剣)を剥き出しにして
(3)訳の判らんセリフをほざきつつ、
・・・一つ、人の世生き血をすすり
・・・二つ、不埒(ふらち)な悪業三昧
・・・三つ、醜い浮世の鬼を・・・
(4)鬼の面を付けて、人の家の庭に入ってくる、
そんな、気持の悪い奴、私なら絶対に係わりたくないけど、下っ端の彼等の立場としては、職務上、逮捕または排除しなければならないでしょう。
そもそも、職務を遂行している彼等が、その悪代官と共に共同謀議を実施していたとは考えにくいのです。
なぜなら、悪代官の共犯者は、『越後屋』と決っているからです。
(新潟の人は、怒ってもいいのじゃないかな、と思うのですが)
さて、話を戻します。
時代劇で正義の味方がやっていることとは、善意の職務遂行者を、無警告で、大量虐殺している、ということになるます。
仮に、それが正義の実現の為であったとしても、人道上、認容される範囲を大きく逸脱した暴力行為です。
下っ端にも、奥さんがいて、可愛い家族がいるでしょう。
その下っ端は、毎日一生懸命勉学に励み、ようやく宮仕えができるようになり、昨日は、幼ない娘から、『父上、本当におめでとうございます』とか言われて、思わず、落涙を隠しつつ、猪口をあおいだのかもしれません。
それが突然の死。しかも、意味不明の大量虐殺。
こんな暴挙が許されるべきでしょうか。
私は子供達に言って聞かせるのです。
「我々が物事を見る時は、その裏の意味や、見えない背景も捉えて、判断するようにしなければならないのだよ」と。
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と言う話を、同僚にしていた時のことです。
『江端さん、それは大人の視点です』と警告されました。
『今、そういう知恵を付けると、子供が物事をなんでもかんでも皮肉に捉えるようになって、仲間外れになるか、苛められるようになりますよ』
なるほど、同僚の言うことももっともだと思いました。
私の考えを、なんでもかんでも子供に話すことは、必ずしも良くないのかもしれません。
子供は自分の力で、このような矛盾を掴み、自分の力だけで解決していくべきだ、と思うようになりました。
ですけど、懲りずに、結構、子供とそういうことを喋っています。
アニメ版の方を借りてきました。
今日、外出している嫁さんに書いたメールの内容
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久々に「もの凄い」作品を見た感じがする。
後発的にロングランとなったそうだが、当然だろう。
地上波で見なくて本当に良かった。
一部でもカットしたら全く訳の分からなくなる作品。
帰ったら、寝ないですぐ見ろ。
智一
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もうお分かりだと思うのですが、「時間モノ」には滅法弱いんです、私。
その証拠に、特許庁の公開公報データベースに、「時空間通信」というキーワードを入力してみて下さい。
ネタじゃないですよ。
ちゃんとした(私が心血注いだ)真面目な発明です。