先日、家族で帰省した時のことです。
自動車で移動していた最中に、昔、私が通ってい幼稚園があり、ここに通っていた旨の話をした、娘達が一斉に驚きの声を上げました。
長女:「えー!パパでも、幼稚園児だったころがあるの?」
―― まあ、この手の反応はテンプレだ。どの漫画にも出てくる話だ。ツッコむにしては、まだまだ「弱い」な。
次女:「パパは、生まれて直ぐに『研究』していると思っていた」
―― ん、ちょっと良いバリエーションが出てきたか。しかし、そういう子供は、可愛くないだろうな。まあ、可愛いと言われた記憶もないけど。
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長女:「パパって、幼稚園の時から、腰ヒモで繋いで、携帯電話を持ち歩いていたの?」
「その時代、携帯電話なんかねーよ!」
思わず、ツッコんでしまいました。
「初音ミク」シリーズのコラムの中で、「初音ミクのキャラクター設定は、後発的、かつ、自然淘汰的になされていく」旨のインタビューを掲載しました。
とすれば、ですね、「初音ミク」には、「歌姫」だけではなく、別のキャラクターとしての可能性が出てきます。
政治家です。
国民の意思を反映した、後発的かつ自然淘汰的な世論を反映し、国内は勿論、国際外交の舞台にも立てる、「初音ミク」です。
これは、真剣に検討してみる価値があるのではないか、と思っています。
技術的にはコミュニケーションインターフェースの問題が丸ごと残っていますが、これも、BOT技術などを援用することで、ある程度解決できるかと考えます。
勿論、このような提案に関しては、賛否両論あると思いますが、先ずは政府広報のPR活動をメインにやって貰うことから始める、というのでいかがでしょうか。
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(ここから、15分間、長考)
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ちょっと嫌な未来が見えてきました。
■各政党がそれぞれの政策に応じた「初音ミク」を立ち上げたら、「初音ミク」同士で、論争をすることになって、「初音ミク」の甚だしい価値毀損が起こりそう。
■極右や極左団体が「初音ミク」を立ち上げたら、もっと嫌だ。「七生報国」「尊皇攘夷」とか、「世界革命」を叫び、「インターナショナル」を歌う「初音ミク」は見たくない。
そして、これが決定打。
■私の敬愛する小沢一郎先生のように振る舞う「初音ミク」が出来上がったら、どうしよう。
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駄目だ。却下だ。
私が自分の提案を取り下げるのは珍しいことですが、この案は、私ですらも、受け入れることができない。
また、もし、この論を進めて、技術的は課題解決に取り組み出したら、今度こそ、本当に私はテロの標的になりかねない。
冗談抜きで。
「あなたに100万円を上げます。これを『非日常』の為に使いなさい」
と言われたら、あなたならどうしますか。
結構難しい問題だと思うのですよ、「非日常」を「日常」から案出するのって。
「銀座のクラブで一晩でぱーっと使う」程度ではダメです。
その程度のことは、テレビドラマの中で、十分に「日常」です。
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今日は、大切な打ち合わせが、2つバッティングしてしました。
先に約束が入った方の打ち合わせを優先したのですが、気になったので、一応、別の方の打ち合わせの場所にも、顔を出してみましたが、もう誰もいませんでした。
仕方がないので、そのまま夜の秋葉原のジャンク屋を冷やかして歩いていました。
定番のパーツ屋の方も回ってみようと思い、その方向に向って歩いていたところで、そのパーツ屋の2階の窓から、メイド姿の女の子達の後ろ姿が見えました。
彼女達が、サイリュウムを振り回して、お客の前で踊っている様子が、遠くからでも見て取れました。
とても寂しい気持になってきました。
その後ろ姿からは、明らかに「『やる気ありません』オーラ」が出ていて、そのダンスの動きが大きく、大げささで程に、私は、悲しさと辛さが増してきました。
「自分の仕事に誇りを持って、楽しんで仕事をして欲しい」などと理想論を言うつもりは毛頭ありません。
それに、もしかしてら、私の見間違いで、彼女たちは、本当は心底から楽しんでいるのかもしれないのです。
だけど、私は、その想いを拭えずにいます。
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今日、私は、
真冬の夜の秋葉原の街で、メイド姿や制服姿でビラを巻いている女の子達に、
「これ上げるから、今日はもう上がって、暖かいものを食べて、早く寝なさい」
と、一人一人にお札を渡して、
―― 秋葉原の街から、ビラを配っている女の子が一人もいなくなる日
という「非日常」を実現したいと思いました。
先日、茨城の工場からの帰路の途中で、急行電車の車窓から水戸の公園を見ました。
珍しく日の出ている時間の戻りだったので、偕楽園公園の湖を見ることができました。
この湖は、いつでも「スワンの足漕ぎボート」が出ています。
平日でも、寒い冬の日でも、雨の日でも、見ることができます。
思うに、雪の日であっても、たぶん出ている。
不思議と確信があります。
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日本人というのは、そこに「スワンの足漕ぎボート」があれば、かならず乗ってしまという、DNAが組み込まれているのだろう、と思うのです。
HDDレコーダに録画していた、テレビ朝日の「ミュージックステーション」を見ています。
あまり、歌番組も好きでないのですが、「夕食を食べながらの『ドラマ』だけは勘弁してくれ」という私の切望の妥協です。
バレンタインデーに勇気を貰う歌、というテーマで構成されていました。
「バレンタインデーに女性から男性に告白ができる」ということは、勿論、義務的なものである訳でもなく、それに意味を求めるのは愚行です。
いわば、なぜ「1月1日を元旦にしなければならないか」というくらい、意味がありません。
2月14日にがんばりたい方は、是非がんばって下さい。
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アイドルグループや歌手は、「バレンタインデー」なんかの歌を歌っている場合ではない、と思うのですよ。
現在の日本の人口比率を考えれば、マーケティングのマスを考えれば、狙うべき世代は、若者ではなく、中年・高齢者でしょう。
江端:「数少ない若者が、数すくない若者向けにメッセージを出してどうするんだ。もっと、高齢者を狙わなければ」
嫁さん:「どんな?」
例えば、
■UZA → UZA to ホームペルパー
■Life is SHOW TIME → Life is SLOW TIME
■Go to the top → Go to the 要介護認定
くらいの曲で、元気づけて欲しいんだよね。
小学4年生の娘の学習塾の算数の問題が難しいです。
面倒ですが、質問されたら逃げる訳には行きません。我が家で唯一の理系でもあるし。
まあ、この手のお話の定番のお話は、
問い:A君とB君は、150本のジュースを何本づつ飲むことができるでしょうか。
↓
答え:A君とB君は、1本のジュースを飲めれば、十分満足である。
というものが多いのですが、本日のお話はちょっと違います。
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■折り紙を重ね合わせて、その面積を求める問題
などの問題では、キレイで正確な図を書けれないと、問題のイメージを把握するのに失敗します。
■定数が決っていない(上限と下限は判っている)ような、箱詰め問題
の場合、初期状態を設定して、条件を変えながら、その変化量から回答を求めることになります。
前者は、正確な正方形や三角形が書けないと上手く説明できないし、
後者は、最初の3回くらいは実際に計算しなければならず面倒です。
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私は、娘に、これらの問題を解説するのに、解答は読まずに、
「パワーポイント」と「エクセル」
を使います。
コンピュータを使うことに無条件に非難する人が出てくるのは承知なのですけど、私は、多分、どんな塾の講師より分かり易く手く説明している自信があります。
「よし、正方形が3つの場合は、こうなるな。では4つにしてみよう。どの部分の面積が増えて、どこが増えないままになっている?」
「よし、今度は箱を一つ増やしてみよう。余ったミカンの数は、前回と比較して、どれだけ増えている?」
この解説方法のポイントは、子供に解説する際に「解答が『動く』」という点にあります。
そして、子供が理解できなかったら、簡単に最初の状態に戻れる(Undo機能)という点でも優れています。
解説を読むだけではよく分からなくても、目の前で、図形を増やしたり減らしたり、数値を1つだけ変えてみたり、そして、その数値の列を10個同時に表示してみたりすれば、
―― そりゃ、理解できるに決まっている
生徒の目の前に、折り紙があって、ミカン箱があるのと同じ環境を実現するのだから。
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一方で、私は、CAI(computer-assisted instruction:コンピュータ支援教育)のソフトウェアを使った教育は、100%失敗すると確信しています。
なぜか。
私の二人の娘達が、DSソフトで購入した英語やら絵画やら算数やらのソフトは、例外なく、1日で使用されなくなってきたからです。
普通のテキストでも勉強しないのに、DSソフトなら勉強するようになって、成績が上がったという子供がいたら、
―― たった、ひとりでいいから、教えて
日本国内なら、私が自腹を切ってインタビューに参上して、私の技術コラムで紹介させて頂きたいと思います(本当)。
CAIなんぞは、「金はかかるし、人は集りゃしねーし、かったるくてやってらんねーよ」というような、企業のセキュリティ教育とか、環境教育などを、アリバイ的にやる為のツールです。
大人ですら真面目にやりゃしないものを、子供がやる訳がない。
ちょっと考えれば分かりそうなものです。
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私はCAIなんぞをやっている訳ではないのです。
単に、黒板(白板)の代わりに、パソコンの画面を使っているだけです。
子供と会話をしながら、パソコンで「キレイな図」「正しい計算結果」を表示しているだけです。
簡単に消して、やりなおして、作り直して、解説する。
理想的な学習装置とは、やはり「黒板(白板)+教師」のコンビネーションであることには変わりはないのです。
ただ、私の場合「パワーポイント」「エクセル」とは20年以上のお付き合いで、30秒もあれば設問の図を書けますし、シートに計算式を埋め込むことができます。
このやり方を一般化しろというのは、乱暴な話であることは承知しています。
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世の中には、紙と鉛筆を使うことに意義があると信じている教師や保護者もいるようですが、「バカ言ってるんじゃねーよ」と思っています。
算数の目的は、問題解決手段能力の向上にあります。
その理解の方法が、紙であれパソコンであれ、そんなもんはどーだって良いのです。
大切なことは「子供に『分かった!』と言わせれるかどうか」、この一点のみです。
私は自分の著作に対して、ツイッターでコメントをしてきた人に対して、
「それは、どういう意味ですか」
と直接尋ねることがあります ―― って話は、もう何回もしましたっけ?
私は自分の著作に対するコメントは、ほぼ100%読んでいます。
ツイッターでない所までも探し回ることがあります。特にブログはもちろん、そのコメントまで、周到にチェックしています。
そんでもって、よく後悔しています ―― って話もしましたね。
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今でも、体が震える程に怒り狂った内容に、
「30分もあれば書けるようなコラム」
と書かれたツイートがあります。
ツイートは数日を経過すれば無くなる、と思っている人も多いと思いますが、色々な複数のログサイトで、多重に記録されています。
私は、いつでも報復・・・、もとい、真意を伺う為に、あなたに「コメント」という名の弾丸を撃てる位置にいることを、覚えておいて下さい。
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と同時に、ツイッターで不用意な発言をしている人を見ると、「大丈夫かいな」と思うことがあります。
ツイッターが完全なプライバシーを担保していると思ってのことかと思います。
しかし、私の経験から言えば、その道のプロがその気になって、個人を特定できないようなシステムなど「ない」と断言できます。
犯罪予告を書き込んだり、ツイートした人、あんなに簡単に警察に捕まっているじゃないですか。
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多くの人は、「言論の自由とプライバシー」は保証されている、と思っているかもしれませんが、私に言わせりゃ、歴史の授業の時間で居眠りしすぎです。
ちょっとばかし、右傾左傾した政権ができれば、あっというまに、言論統制や思想警察が登場します。
あの自由を掲げるアメリカですら、古くは日系アメリカ人であるというだけで、強制収容所に叩き込み、戦後でもレッドパージで文化人の生活を壊滅させ、つい最近は9・11の後、イスラム系アメリカ人をスパイ扱いしていたのは、記憶に新しいところです。
ましてや、自由主義的思想に、一本ピンと筋が通っている ―― とは、到底思えない、この日本国でですよ。
右であれ左であれ、政治的な発言や、特定の国を侮辱するようなコメント(しかも、品がない上に、論理的でない)を、垂れ流すのって随分危険だと思う。
私のように実名公開を旨としてる方が、まだ幾分安全かと思います。
加えて、私の政治的な発言は非常に少なく、しかも微妙に観点をコントロールしていることは、多分、気がついている人には、気がついている。
「江端さんは卑怯だ」と看破したK君。元気でやっているかな?
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ええっと、何だったっけ。
つまり、公に発言するのであれば、それが、どのようなものであれ、注意した方が良いですよ、と申し上げたかったのです。
私ごとき、権力のないただの個人であっても、あなたのパソコンに向けて「毒矢」を放つ程度のことは、できたりするのですから。
ましてや、権力なら ―― ですよ。
中二病の範疇とは限りませんが、それでも、中二病の根源的な病巣が、
「世の中が不公平なのは何故だろう」
からスタートしていることに、疑義のある方は多分いないだろうと思います。
そこで、提案なのですが、
2010年に、NHKで一世を風靡した番組「ハーバード白熱教室」を、中学二年生に見せてみたらどうでしょうか。
(リンク→ NHK ハーバード白熱教室)
昨夜、深夜、たまたま、第8回の「能力主義に正義はない?」を見てしまって、本日寝不足で辛いです。
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それにしても、世の中の公平性を、正義(Justice)(「倫理」と言った方が当っていると思うけど)観点から、徹底的に検討し、批判を続けるというスタンスは、
「中二病が投げかけている疑問こそが、人間が求め続けている哲学の根源」であることを、明確に語っていると思います。
■「世の中が不公平なのは何故だろう」→ 「そういうものだ、仕方がないよ」といって、逃げることを「しない大人がいる」
■中二病的観点に対して、一生懸命闘っている大人が存在している
■筋が通って、納得できる理論を提示し、それを批判して別の理論を構築し、真理を求めて格闘している大人がいる
という事実は、若者に大きな安心感を与えるように、思えるのです。
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私は、この番組を中学生の時に「見たかった」と思うのですが、同時に「見なくてよかった」とも思っています。
私が哲学なんぞを専攻したら、人生のどこかで絶対に転んでいただろう、と確信を持って言えるからです。
中学二年生の長女は、不思議なことに、「中二病」を発症していないように見えます。
もっとも、保護者に見えるように、中二病を振る舞う中学二年生というのは、いないのかもしれませんが。
しかし、自分のことを返り見てみると、「大国のエゴ」とか、「理想では誰も救えない」などという、中二病特有のフレーズは、結構使っていたように思うのです。
そのような発言が、日常生活で思わず漏れ出てしまうのが「中二病」というものだと思うのですよ。
で、本日、考察してみました。
結論から言うと「私が悪い」。
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「中二病」を発症する為には、一定の環境が必要となると考えます。
まず第一に、
■保護者の無理解
が必要です。
「そんな、エラそうなこと言っている暇があったら、勉強でもしていなさい」
という、極め台詞、黄金フレーズが、保護者から発せられなければなりません。
また、
■一定の知識
も必要です。きちんとした系統だった知識は不要でも、少くとも「単語」は必要です。
そうですね、「搾取」「圧政」「階級的矛盾」「貧困」「富の不平等」程度の単語がなければ、中二病のスタートラインに立つことができません。
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さて、我が家の場合、どうなるかというと、
■父親が中二病
例えば、娘に「死刑制度」「麻薬と責任能力」「イジメと法律」「テロリズム」という、ありとあらゆる社会問題に関して、議論をふっかける主体が、こともあろうに、
―― 父親
そんでもって、その父親が、また下手に知識だけは仕入れているものだから、さらに面倒くさい。
科学技術は勿論、行政法や法律(民法)も一定の知識があり、哲学なども嫌いな方ではない(ただ、どれもこれも中途半端で、極めていない)。
■本を読むのがそれほど好きではない
ラノベ(ライトノベル)を時々読む程度。新聞もほとんど読まない。
こういう環境下で、子供が中二病を発症するのは、困難です。
下手な議論をふっかけようものなら、父親の独壇場が延々1時間以上も続き、
で、いつまでも就寝しない父娘に、ついに母親が切れる、と。
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中二病は、一定の社会性を持ったバランスの良い人格を形成する上で、罹患が必要な必要な病気だと思うのです。
そういう観点では、私は、父親としては望ましくない人間なのかもしれません。
来週から、私は暫くの間、松葉杖で出社します。
説明が面倒くさいので、簡単に言うと、
「ベビーカーを追いかけて、肉離れをおこした」です。
世の中のお母さん達にお願いです。
「ベビーカーは、空車であっても、ちゃんと車輪をロックして下さい」
それともう一つ。
松葉杖って、結構体力使います。
あれは、脇で支えると、脇の方で肉離れをおこしかねません。
階段の登り降りでは、北アルプスを縦断した時の、山岳サークル(1年で辞めた けど)を思い出しました。
-----
以下、報告書より抜粋
========== ここから ==========
4.災害発生時の経緯
(1)報告者は、上記パチンコ屋前に並列する小児外科医院の前に停められていたベビーカーが、風に煽られて車道側に落ちていく状態を視認した。
(2)報告者は、瞬時に、そのベビーカーを停止させるべく走行(ダッシュ)を開始。直後、内耳から、左脚脹脛の裂割音(いわゆる「ブチッ」という音)を確認し、激痛で歩道上にうずくまるに至る。
(3)視認でベビーカーが無人であることを確認後、近くの電柱に掴まり、身体の自己チェックを行った。
5.災害発生後の経緯
(1)まず会社の同僚に負傷した旨の連絡を入れた後、片足歩行で、駅のタクシー乗り場に到着し、そのまま病院に行き、整形外科にて受診した。
(2)レントゲン等のチェックを経て、筋損傷(筋肉の損傷)(いわゆる「肉離れ)」と診断。自然治癒以外の治療方法はなく、全治2週間との診断を受けた。
(3)上記(2)の後、総務部、部長、課長への全員への連絡を完了。
(4)松葉杖を貸与され、病院から駅までは巡回バスを、駅から歩行にて会社に到着。その後、総務部から各種の手続(本速報、および通勤災害報告書他)の指示を受ける。
========== ここまで ==========
次回の英語コラムの参考資料として、「軍隊の構成」を調べています。
「なぜに軍隊」という話は直接コラムを読んで頂くとして、今回も痛感したことは、
―― キチンと整理された資料がない
ということです。
第一に、インターネットでは、莫大な量の情報が手に入りますが、監修を受けておらず、誰からもオーソライズされていない情報から構成されます。
だから結局、最後は、自分で、その情報を纒めなければなりません。
例えば、「軍隊」を全体として俯瞰する情報が見つからず、自分で再構成しなければなりません。
別に「軍隊」そのものについて書きたい訳ではないのにも、にも係わらずです。
次に、情報の正確性に問題があります。
主観に基づく思い込みで書かれた情報が、大変困るのです。
まず「嘘を書くと叱られる」という点もありのですが、その情報が正しくないと、調べたもの全体が崩れてきてしまうのです。
-----
という訳で、こんな膨大な情報に囲まれていながら、私が最後に頼るのは、
―― 本屋と図書館
となります。
私が書きたいのは、全部合わせても十数行程度の記載なのに、その為に、3冊以上のの本を読まなければならず、書籍代に数千円を支払わなければならない。
この現実は、サラリーマンには、かなり残酷なものです。
―― インターネットとは、一体なんなの?
と言いたくなることがあります。
-----
で、今私が、何をしているかというと、「ヨルムンガンド」という漫画を読んでいたりします。
若き女性の武器商人と私兵少年兵の、戦闘の日々を描くバトルアクションの漫画です。
軍事考証がしっかりしていて、大変参考になります。特に軍事関係の用語の使い方は参考になります。
この漫画のキャラクターの最終目標は、「強制的世界平和」というものなのですが、実は、軍事に関する知識を置き去りにして、最近、このことばかりを考え続けています。
「ヨルムンガンド」は、、軍事・交通・通信を問わず「空の利用」を全世界同時に禁止することを実現するシステムという設定です。
それを実現する手段が、「量子コンピュータ」と「126個の衛星」と提示されているのですが、この技術的内容については明かにされていません(あたりまえだ)。
これは、エンジニアとして、特にGPSの研究者としては、考えずにはいられません。
―― この私以外の、一体誰が、この「ヨルムンガンド」の技術的可能性を検討できるだろう
という、変な思い込みから、ここ2週間くらいずっと考えています。
実際に、『「空の利用」を全世界同時に禁止する』という手段は簡単ではありません。
GPSを潰す程度のことであれば、<北>ですら(というか、資金を貰えれば私でも)実現できますが、「空の利用を禁止」するには至りません。
航空機の全てを、衛星からレーザーなどで撃ち落すにしても、126個の衛星では、数が全然足りませんし、エネルギーを供給する手段もありません(太陽電池程度では、衛星の保守と地球との通信程度が限界)。
しかし、天田南教授は、これを克服したハズなのです。
例え、未知の仮説技術を挿引したとしても、「ヨルムンガンド」を理論的に完成させないと、私は、天田教授に、
―― 負けたような気がする
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私は、ある物事を調べている最中に、訳の分からない方向にベクトルに引っぱられるという特性があります。
このように、本来、力を注ぐべきポイントを見誤ることは、大学の頃から今に至るまで、すでに多くの人に指摘されており、私の最大級のウイークポイントであることは知っています。
しかし、まあ、それすらもないと、私の「売り」が、何もないことになるので、それはそれで良しとしています。
次回のコラムのネタとして、漫画「キャンデイキャンディ事件」を調べています。
二次的著作物の解釈を巡って、最高裁判決まで闘われた事件として、超有名な事件です。
まあ、この事件自体は、私のコラムを読んで頂くとして、結論から言うと、現時点において、「キャンディキャンディ」という漫画またはアニメが再販、流通する可能性はない、というものです。
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ところがですね、嫁さんが、この「キャンディキャンディ」をCMで見たと言っているのを聞いて、心底驚いています。
―― 絶対にありえない
ネットでも調べましたが、確証たる情報をつかめておりません。
いや、「絶対にありえない」といいながら、実はその可能性があることも知っています。
「またか」という感じです。
法律を理解できず、裁判所の判決文を読み下せない権利者は、もうしょうがないとしても、
こんなに有名なこの事件も知らないで、「キャンディキャンディ」に手を出した会社があったとすれば、
―― 確定した最高裁判決を覆すだけの日本最強クラスの知財部門を持っている会社
か、
―― 著作権の意味も最判の意義も理解できない、驚く程無能な会社
としか思えません。
私は、こんな会社の製品を買うのは「怖い」ですよ。
なお、「キャンディキャンディ」ではないキャラクターのCMは、私も1回確認し、この会社の名前も、だいたい絞り込んでいるのですが、確証に足る証拠がありません。
もっとも、本件について、ちゃんと問題が解決しているのであれば、これほど嬉しいこともありませんが。
情報提供頂きたく、よろしくお願い致します。
今朝の我が家の夫婦の会話。
嫁さん:「小学校4年生の時には、もうコミックになっていたと思うけど」
江端:「完結までには、数年かかっているだろう。アニメでさえ115回もあったのだから(推定2年4ヶ月)」
嫁さん:「結局、『丘の上の王子さま』って、誰だっけ」
江端:「何言ってんだ。『ウイリアム大おじさま』だろうが」
嫁さん:「『アルバートさん』じゃなかったっけ」
江端:「同一人物だよ! そこがオチだろうが! しっかりしろよ!!」
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出勤直前の慌しい中、「キャンディキャンディ」のストーリを検証する夫婦。
「それでも中国で儲けなければならない日本人へ」という本を読んで、すっかり自信をなくしています。
■インドでは、ニューデリーの街を(なんだかの手段で)熱殺菌したいと思い、
■米国では、ラジオ英会話とは異なる言語の英語をしゃべる米国人に切れ
■フランスでは、「テメー、人に対するものの頼み方を分かっていやがる のか」と怒鳴りそうになった、
そういう、典型的な島国の狭量な日本人エンジニアにとって、
中国で発狂することなく仕事をするのは、無理なんじゃないかなー、
と、もう、今の段階で、負けている心境です。
やられました。
Twitterのアカウントを乗っ取られて、私になりすました悪意の第三者による、メッセージ(悪質サイトのURL付き)が流されました。
悔しい。
昨日、アカウントを乗っ取られた人からのメールを受けとっており、「奇妙な感じ」はしており、家族には警告を発していました。(バレンタインデーのチョコレート作りで、相手にもされませんでしたが)。
この私が刺されるとは、思いませんでした。
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今迄のパスワードは確かに弱くて、破られる可能性は高かったもの、「Twitterなんぞを破ってどうする」という、認識の甘さが敗因でした。
Twitterパスワードから推測可能なパスワードを全部変更し、特に「金銭」に絡む、オークションサイトやAmazonなども含め、全てのパスワードを変更し、これまでデフォルトで使っていたパスワードは、全部廃棄しました。
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ちなみに私の使っている最長のパスワードは、約30文字なのですが、システムの方が、この長さのパスワードを受けつけてくれないのですよね。
「最大12文字」とか書かれていると、「お前は、私の安全をどう考えているんだ」と、システムに説教したくなります(今日のところは)。
日本のシステムなら、パスワードに漢字を入力できるようにして、百人一首の上下句全部入れられるくらいのセキュリティシステムにして欲しいですよね。
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今回の「なりすまし」ですが、「攻撃」によるものであれば良いのですが、あるサイトから盗み出されたものだとすると、かなりゆゆしき問題です。
まさか、サーバが平文でパスワードを管理していたということはないと信じますが、もしそんなことが明らかになれば、ちょっとしたスキャンダルです。
朝日新聞の、「『ソースコードという名の』遠隔操作ウィルスが見つかり」などという記事を、笑っていられるようなレベルではありません。
昨日からの「奇妙になった感じ」から、攻撃の対象となったサイトに一つ心あたりがあるのですが、もし、そこが破られていたとすれば、私の経歴はすでに丸裸です。
まあ、私の経歴なんぞは、どーでもいいんですが。幸いなことに、今のところ、前科もないし、留置所に泊めて貰ったこともない。ただ住所や電話番号が盗まれていると、困る。
それよりなにより、もし、私が推定しているサイトが破られているとしたら、相当に、ちょっとシャレにならない事態です。ある意味、国家的な非常事態です。
しかし、まだ、発表はありません。私の思い過しだと良いのですが。
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という訳で、皆さん。
この機会に、今すぐ、パスワードを変えましょう。同じパスワードを使っていれば、芋蔓(いもづる)で、やられますよ。
朝日新聞が2/11日の記事で、
「首輪に仕込まれたメモリーカードには、「ソースコード」と呼ばれる遠隔操作ウイルスのプログラムが記録されていた」
と掲載し、筆者がネット上でかなり叩かれています。
勿論、正解は、
「首輪に仕込まれたメモリーカードには、遠隔操作ウイルスのプログラムのソースコードが記録されていた」
ですし、もっと簡単に、
「首輪に仕込まれたメモリーカードには、遠隔操作ウイルスのプログラムが記録されていた」
でも良いのです。
にも関わらず、わざわざこのような記載をしたということは、
――「「ソースコード」という名前のウイルスプログラム」が存在すると勘違いしていた
と推認されても仕方がなく、叩かれるのはもっとものように思えます。
-----
そこで、今回、私は、この筆者の弁護を試みてみたいと思います。
技術コラム屋として、日々、バカスカ叩かれている我が身では、この筆者を守らずにはいられないのです。
-----
仮説として、この筆者は、
プログラムには「ソースコード」と「バイナリコード」の2種類があって、このパソコンには、容疑者が犯人であると断定しうる「ソースコード」という証拠があった
と主張したくて、この記事を書いたのかもしれません。
もしそうなら、これは誠に素晴しい。ソフトウェアの仕組みまでをも同時に解説しようとしたと評価できます。
-----
しかし、正直この理屈では苦しい。
「「ソースコード」と呼ばれる」の、「呼ばれる」で、ダメなことがバレてしまうからです。
検証してみましょう。
■「ホゲホゲ」と呼ばれる食べ物が、棚に隠されていた。
これは意味が通りますね。名称「ホゲホゲ」という食物、と認定できます。
■「バナナ」と呼ばれる食べ物が、棚に隠されていた。
なんだこれ? っていう文章ですよね。
単純に「バナナが、棚に隠されていた」
と書けば済むことです。
「ソースコード」の解説となるフレーズがどこにも出てこない状態で、「呼ばれる」と記載されれば、当然「名称」を言っていると解釈するのが自然です。
-----
さらに、検討を続けます。
文字数の問題があったのかもしれません。限定された文字数で記事を書くことは、大変なことなのです。
この筆者は、「ソースコード」などとは言わずに、「容疑者自身が自作したプログラム」と書きたかったに違いない。
よし、では、当てはめをしてみよう。
■修正前
「首輪に仕込まれたメモリーカードには、「ソースコード」と呼ばれる遠隔操作ウイルスのプログラムが記録されていた」
■修正後
「首輪に仕込まれたメモリーカードには、容疑者が自作したと考えられる遠隔操作ウイルスのプログラムが記録されていた」
・・・文字数、一文字違いかあ。
これなら、ITの素人からプロまで、全員が納得できる記事として、完成しているよなぁ。
朝日新聞社で記事を執筆するような方が、私でも思いつくこの程度の文章が書けない訳がない。
-----
【結論】
この筆者の記事は、どのように善意で解釈しても、
「プログラムの名前が「ソースコード」である」
と誤認していたと考え得る。
-----
技術コラム屋として、この朝日新聞社の筆者を弁護したくて、書き始めたのですが、逆の結論になってしまいました。
お役に立てなくて、本当にごめんなさい。
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さて、この「ソースコード」と「バイナリコード」の話ですが、詳しく知りた い方は、この記事が大変参考になりますので、ご一読下さい(と宣伝する)。
最近、午前8時頃に、あの有名な「奥様は魔女」が再放送されているようです。
これほど再放送を繰り返す番組も珍しい。
1960年代の、あのパナックスアメリカーナを、地で体現している、あの能天気ソープオペラ(日本でいう「ドラマ」)です。
しかし、あれが50年前の作品かと、思えるほど素晴しい作品です。
-----
私が小学生の頃、寸劇の演出で使い倒していたのは、
■8時だよ全員集合
の作風と、
■奥様は魔女
のギャグ
だったりします。
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昔、相模原にある在日米軍の居住区の家族に、英語を教えに貰いにいっていた時のこと、ソープオペラの話題になりました。
Tomの好きなソープオペラは何か、と尋ねられたので、この「奥様は魔女」と、もう一つ、
―― えっとね、二人の非常にファニーなお嬢さんというか、おばさんというかが、どたばたの喜劇をするものだったのだけど・・・
それは「アイ・ラブ・ルーシ」だな。そうそう、そんな題名だったよ、と、随分盛り上がったものです。
-----
えっと、本日の話題はそこではなくてですね、この「奥様は魔女」の原題の話です。
"Bewitched"
直訳すると、
「魅惑された」です
まあ、このニュアンスを生かすとすれば、「魔法をかけちゃうぞ!」という感じの邦題になっても不思議ではなかったのです。
これを、
「奥様は魔女」
という、歴史的に著名な題名に翻訳した、凄い日本人がいたことに感動します。
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それと私は、米国で購入した、"Bewitched"のDVDもいくつかもっているのですが(後輩にも協力してもらって、沢山録画もしてもらった)、
「奥さまの名前はサマンサ。そして旦那様の名前はダーリン。ごく普通の二人は、ごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。でもただ一つ違っていたのは、奥さまは魔女だったのです」
という、あのオープニング。
本家には、あのセリフありません(音楽だけです)。
私は今、著作権の27条(翻案等)、28条(二次的著作物)あたりで、技術コラム書いているのですが、こういう作品を見ると、その意義がよく分かります。
JTの広告に面白いものがありましたので、 ご紹介します。
後半のみ抜粋します
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今、私たちがマナー広告を
継続的に発信しているのは、
ルールを守らない
喫煙者が多いからではありません。
ルールはもちろん、マナーにも配慮している
喫煙者は、確実に増えています。*1
一部のルール違反者、あるいは
マナーの気配りが足りない喫煙者に、
今の自分の行動に気づいてほしい
と考えているからです。
もちろん、マナーだけで
すべてが解決できるとは思っていません。
しかし、私たちは、
一律的な全面禁煙には、反対します。
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と、ここで、このメッセージの文章が、唐突に突然終了するのです。
凄い違和感を感じます。
普通の文章であれば、「しかし、私たちは、一律的な全面禁煙には、反対します。なぜなら、・・・」と続くはずです。
小論文のテストであれば大きな減点対象ですし、論文ならリジェクトされかねない重大な瑕疵です。
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それにしてもですね、「一律的な全面禁煙」って、明らかに有効な根本的解決策ですよね。
これに反論できる人っていますか?
「一律的な全面禁煙には、反対します」と言う以上、この解決策に欠点があることをキチンと示さなければなりません。
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これは、米国で、本当にあった話なのですが、たばこ会社がちゃんと試算しているのです。
(Step.1)喫煙を認容する
(Step.2)→国民の寿命が短くなる
(Step.3)→高齢者対応の財源(年金)の大幅な削減が可能となる
(Step.4)→国家の財政が助かる
(これも、ハーバード熱血教室(回数失念)で見た内容です)
「働けなくなった人間は、さっさと死んで貰うことが、社会(の財源)に資する」というのは、勿論、―― 悪魔の論理ではあるのですが ―― 嘘ではありません。
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まあ、ここまで言わなくても、
「我々の雇用がなくなる」とか、・・・、うん、これも言わなくていいや。
ならば、どっかららデータを持ってきて、
「タバコがストレス社会における、一定の役割を担っている」
程度の理由は明示すべきでしょう。
私は、ここではタバコの是非については言っていません。
ただ、「いい大人が書いているんだから、ちゃんとした文章にしなさい」と言っているだけです。
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ところで、私がマナー広告の文面を作れ、といわれたらこう書きます。
―― 「排便行為」が生きていく上で必要であるように、ある人にとっては「タバコを吸う」ことが必要である人がいます。
―― だからといって、私達は、だれしも、人前で「排便」をしながら会議をしたり、「排便」をしながらごはんを食べたり、「排便」をしながらお酒を飲んだりはしません。
―― あなたの「ウンコの匂い」を嗅がされる人の「苦痛」に想いを馳せましょう。
―― 「ウンコ」はトイレで、「タバコ」は分煙室で。
―― JT
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上記のキャンペーンメッセージ、自由に使って頂いて結構です。
いつでも不思議に思っているのですが、
「パソコン設定サービスのNPO法人」
というのが登場してこないのは、何故でしょうか。
私は、日本の最南端にある嫁さんの実家のパソコンに、自宅から操作できるエージェントを設定して貰いたいのですが、それができずにいます。
それさえできたら、嫁さんの実家のパソコンは、私の家から、自由自在にメンテナンスしてみせます。
嫁さんの実家では、ギガビットの光回線が、満足に使用されないまま放置されており、こういう状態が、なんとも我慢できないのです。
例えば、どの地方であっても、大学生などゴロゴロいるはずなのです。
「パソコン設定サービスのNPO法人」が、各地区の大学生のアルバイトを組織化して、パソコン設定サービスを開始すれば、どれだけのパソコンを扱えない人々を救うことになるだろうか ―― と思っていたのですよ。
あの、朝日新聞の記事(あの「オープンソース」の記事)が出るまでは。
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もしかして、私は、かなり大きな勘違いをしていたのかもしれない、と思い始めています。
世間のコンピュータリテラシーは、私が想像しているよりも、遥かに低いのではないか、と。
「下調べ」や「裏取り」を行うことが重要な業務である、新聞社の人間ですら、びっくりするような間違いを書くことがある ――
この事実は、「勘違いをした側」ではなく、「勘違いを指摘する側」が間違っていることを示しているようにも思えます。
もし私が、世間一般のコンピュータリテラシを、正確に認識できていないのであれば、エンジニアとして、完全に失格と言われても、仕方ありません。
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話を戻します。
私は、大学生(の中でも得に理系)であれば、パソコンなんぞサクサクと扱えて、各種設定や、機器の増設も思いのまま、と本気で思っていました。
ですから、
■軽音サークルは、MIDIを軽々と扱い、少ない人数でも迫力のあるバンド演奏をして、
■漫画研究会は、似顔絵を書くのに、PIXIAやSAIをインストールしたパソコンを使って、サクサクと書いたものをプリンターから印刷し、
■映画研究会は、MMD(ミクミクダンス)に自作のキャラクタテンプレートをインストールして、映画を作成している、
と、勝手に信じていました。
先日、早稲田大学の学祭に行ってきたというお話を致しました。
私は、アート系サークルをくまなく探したのですが、パソコンを使った創作物は、私が見た限り、たったの1点、
美術サークルが"SAI"で作成した絵、一枚のみでした。
(勿論、見逃している可能性もあります)
若い人であれば、コンピュータリテラシーが高い、というのは、私の思い込みなのかもしれません。
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しかし、そうではなく、もっと怖い理由に因るものかもしれないと考え始めています。
今の若者は「デジタルの表現力に限界を感じつつあり」そして、「デジタルとかアナログという区別自体に意義がない」と、気がついてしまったのかもしれません。
■あのクソ重いiPadを持ち歩くアホらしさに気がつき、文庫本をポケットから出すスマートさに気がつき、
■電子手帳よりも紙の手帳の方が、よっぽど拡張性に優れており、特にアイデアを創成する場合には、電子機器など逆に邪魔になるということに気がついてしまい、
―― もし、そのような価値観の相転移が、すでに行われてしまったとすれば、
それは、ヤバい。相当に、ヤバい。
我々、ITエンジニアは、「デジタル化」なるものが「裸の王様」のような価値観で支えられていることを知っています。
デジタルが、創作の本質ではないことを、ずーーっと前から知っています。
しかし、そのことについて沈黙を続けています。おそらく、多分これからも。
なぜか。
世間がそのことに気がついてしまうと、我々ITエンジニアの「飯のタネ」が失われるからです。
ですから、私はこの事実を決して開示することなく、隠し続けなければならないのです。
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神さま。どうか、誰にも気がつかれませんように。
あと、たったの十数年でいいんです。
なぜなら、私が退職した後のITの世界がどうなろうが、私の知ったことではありませんから。
後僚から「結婚します」の連絡がきたので、「お祝いのメール」を返信しました。
===== 「お祝いメール」ここから =====
これは「突っ込んでくれ」という伏線かな。
では、礼儀として。
「人の言うことを聞かない能力」における、合宿は実施済みですね。
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今なら「私に結婚を思い留まらせる為の合宿」が開催された理由が「痛い程」に分かる。
―― みすみす不幸になる女性を見捨てておけるか!
という、研究所の先輩達の切実な想いが、胸に去来する。
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私の場合は、電話以外通信手段のない山奥の民宿に軟禁され(ちなみに住所も知らされていなかった)、説得を受けていた。
うちの課の若手の諸君も、私と同様に、すでに彼を人気のない山奥の民宿に拉致して、合宿を実施したと思うが、万が一未実施の場合は、至急実施するように。
===== 「お祝いメール」ここまで =====
今度、嫁さんが、パソコン検定の受験をすることになりました。
このパソコン検定という試験、なかなか良い「割り切り」をしています。
問題の対象を、WindowOS、ワード、エクセルに限定しています。
公的な資格なのに、ある私企業のソフトウェアに限定しているという点が評価できます。
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私が情報処理の試験を受けた時は、仮想のCPUと仮想の命令コードを想定した、簡単なプログラムの記述をさせられました。
なんだったかな、COMETとか、CASLとか言っていたような気がする。
(ちょっと、ここでググってみると)、おお、まだ残っていた!
CASLとは、情報処理試験用に定義された疑似アセンブラ言語でです。
通常のCとかFORTRANのような高級言語とは違って、アセンブラ言語は、CPU(「インテル入っている」のアレ)が変わると言語が変わることになります。
もし、インテルCPUで試験を実施すると、ARMアセンブリ言語で仕事をしている人との間で、知識等に不平等が発生することになります。
そこで、世の中には存在しないCPUを想定して、このCPUを動かすプログラムで試験をさせることにしたのです。
まあ、当然ですよね。
もしインテルCPUのアセンブリ言語が、試験の公式プログラム言語になったら、他のCPUメーカから、火の玉のような抗議を受けることも目に見えていました。
インテルCPUを扱えるソフトウェア技術者ばかりになってしまう、とも考えられる訳ですから。
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まあ、だから、「パソコン検定」が、「WindowOS、ワード、エクセルに限定している試験」というのは、実利を重視する産業界からの要請に対して、腹を括った試験であるとして、私としては評価しているのです。
もし、ここに試験用の訳の分からない
■仮想のOS(例えば「ジャパンドーズXP」とか)をベースとして、
■仮想のワープロソフト(「タンゴー2010」とか)や、
■仮想のスプレッドシート(「ヒョウ2010」とか)なんぞ、
を、導入しようものなら、
―― だれが、そんな試験を受けに行き、
―― だれが、そんな試験の合格者に、価値を見い出すだろうか
と思いますよね。
MAC OSを使っている人も、MACパソコンでワードやエクセルを普通に使っています。
また、パソコン検定を受ける人が、Linuxしか使えない状況などというのは、もう、そういう想定する人が「バカ」と言われても仕方がないくらい、ありえない世界でしょう。
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嫁さんに、「私もパソコン検定を受けたい」と言ったら、酷く怒られました。
私は、昔の情報処理試験の2級、1級、ネットワークスペシャリストの合格者なのですが、
「最近、何かが嬉しかったり、喜んだりした記憶が思い当たらない。『妻と二人で、仲良く試験に受かった』という、非日常的なハレが欲しい」
と言ったところ、
「我が家には、そのような理由で消費する金は、1円もない」
と、即時却下されました。
世の中には、資格というものをバカにして憚りない人が多いようです。
私の周りでは、特に、情報処理試験、TOEICに対する批判というのは、よく見られます。
「試験に合格したからといって、その分野の仕事ができるようになる訳ではな い」
「TOEICでハイスコア出したって、海外のコミュニケーションがてんでダメな やつは山ほどいる」
というような内容です。
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昨日、情報処理試験用に定義された疑似アセンブラ言語「CASL」のお話をしました。
この「CASL」は、実際には存在しないコンピュータ「COMET」上で動くので、こんなもん勉強しても、全く何も役にたたず、文句なし、完全無欠の時間の無駄使い、とも言えます。
しかしですね、私が、情報処理2級(当時の一番初級のクラスの試験)で、この「CASL」を勉強しなければ、、私は多分この世界(IT分野)で、飯を食っていなかったと思うのです。
なぜか。
コンピュータのアーキテクチャを理解する唯一の機会であったと断言できるからです。
例えば、
■CPUのレジスタAに"2"を入れます。
■CPUのレジスタBに"3"を入れます。
■CPUの演算装置に、レジスタAとレジスタBの内容を加算するように命令します。
■すると、CPUのレジスタCに"5"が入ります。
という、この仕組みを知ってから、私の「コンピュータ」というものへの観念が劇的に変化したからです。
―― なんだー、コンピュータって「バカ」なんだ
今なお、世界最速と言われているコンピュータと言われているものでも、この仕組み自体は変っていません。
滅茶苦茶な速度で、の2+3を繰り返すことができるだけです。
この「コンピュータは、結局のところ『バカ』」という「見下し」こそが、コンピュータに対する
■不適当な敬意
■無用な苦手感
をなくし、
―― コンピュータを使いこなせないのは、私の責任ではない。奴が「バカ」なのである
と言い切れると判った時から、コンピュータと私の対等な関係は始まったと思うのです。
という訳で、資格試験における「資格」そのものに価値がない、と考える人がいるのは、まあ妥当であるとしても、
資格試験における「勉強」に価値がないとまで考えるのは、多分、言い過ぎだろう、と思うのです。
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海外でも、3回質問して、聞き直せば分かるのであれば、別段困ることもないのであれば、TOEICのテストに意義を見い出すことはできないでしょう。
でも、TOEICなんぞでもなければ、語彙を増やす機会はなし、英会話を真面目に聞く 場面もないのも事実です。
TOEICはスコアが問題なのではありません。
受験すること自体に意義があるのです。
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―― とでも思わなければ、とても耐えられるのではありませんよ、実際のところ。
あんだけ勉強しても、勉強すればするほど、どんどんスコアが下がっていく現実と対峙して生きていくことは、本当にキツイです。
私は、CASIOのWave Conceptというデジタルの腕時計を愛用しています。
便利なのです。
液晶がデカイので最近の視力の劣化にも対応するし、電波時計で自動的に時刻合わせしてくれます。
特に、海外出張の時に、現地時間を表示しつつ、日本時間も表示してくれる、というのが、泣けるほど嬉しい。
例えば、サマータイムを見逃して空港で青ざめたことがあります。
また、時差を含めたフライト時間を、即座に計算できない私の頭は、飛行機の中での予習(プレゼン等の練習)時間をちょくちょく見誤ります。
ま、なんだかんだいって、一番嬉しいのが「安い」という点です。
昨日、ベルトのバンドが切れた為、修理の問い合わせと費用を聞いた後、Amazonで調べたら700円違いでした。
迷わず、新しいのを購入しましたよ。
古い時計は、鞄に括り付けるなどして、活用しようかと考えています。
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で、今回、面白かったのが、Amazonサイトのメッセージ。
「お前、このサイトで同じ型番の同じ時計、今回で3つ目の注文だけど、本当に大丈夫?」
1つ目は父に進呈し、2つ目は今バンドが切れましたので、確かに3つ目です。
全く同じ時計を、1年に1個の割合で購入する客を、Amazonのサーバが「気持ち悪い」と思うのは、ある意味当然かもしれません。
確かにその気持分からなくもない。
でもね、新しい時計に新調して、最初からマニュアル読んで設定するなんて面倒は、ゴメンなんですよ。
私にとって、腕時計は、時刻が正確で、世界中のどこでも使えて、乱暴に扱えて、私にどこまでもついてきてくれるものが、最高の「パートナー」です。
今、「NHKスペシャル シリーズ日本再生「どうするエネルギー政策」」の録画を見ています。
番組紹介の内容は以下の通り。
いま、日本のエネルギー政策が問われている。原発の再稼働は?燃料費が急増する火力発電は?再生可能エネルギーは?どのようなエネルギー構成を目指すのか、徹底討論する。
現在、7人のパネラーが議論をしているのですが、私が不思議に思っているのは、一つ。
―― なんで、板書しないんだろう
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人間はロジックで理解しにくいことでも、図解すれば理解できることが多いのです。
でっかい白板のパネルを用意して、自分で図解しながら説明し、また他の人にその図を修正して貰いながら、議論を集中していく、という方法は本当に有効なのです。
議論の観点がぶれない、という点も良いです。
同時に、自分や他人の「間抜けな意見」も一瞬に明らかになります。
例えば、日本の核燃料サイクルの問題について議論している途中で、
「国際的な共通核燃料施設について議論をすべきだ」などという、
全く、タイミングも内容もナンセンスな発言も、その場で、残らず板書で残せば良いのです。
私は、その板書のコピーを持ち歩いて、そいつを一生嗤ってやる、と思っています。
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私の場合、何かを考える時に、ノート、板書なしに行うことは絶対に不可能です。
また、誰かと話をする時に備えて、いつでもA4かA3の紙を持ち歩いています。
私が話を聞きながら書き込んでいくと、話をしている人が、そこ紙に書き込みを始めることが多いです。
私が「いいよ」ともいっていないのにもかかわらずです。別に失礼とも思っていませんし、逆に助かります。
記憶を一度、自分の外に出してみないで、どうやって自分の考えを客観的に見ることができるのか、私には不思議で仕方ないのです。
と、ここで「はっ」と気がつきました。
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実は、図面のような実体化をしなければならないのは、単に私が「頭が悪い奴である」為であるだけなのかもしれない。
私以外の多くの人は、そのような「見える化」をしなくても、物事を整理して理解できているのかもしれない。
でもなぁ、どうにも、そう思えないんですよね。
このNHKのパネルディスカッションを見ている限りでは。
新しいWebサイトが無料でサービスしてくれるとかで、家族4人用のメーリングリストを作成しました。
荷物の連絡、週末の予定、実家の状態、セキュリティの注意等々。
もっぱら送信するのは私ですが、一通で家族全員の携帯電話にメールがいくので、大変重宝しています。
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しかし、娘たちの方はそうでもないようです。
「なんかパパからメールが来ると絶望的な気分になる」
「誰からかな? と楽しみにして、メールを開いた瞬間の失望感がハンパでない」
いいたい放題です。
「そもそも、連絡事項しか書いてない」
―― メールは連絡手段だろうが
「楽しくない。なんというか「ハレ」がない」
―― 不思議なことを言うねえ。連絡事項を必要最小限で連絡する。完璧なメールだと自負しているんだけど。
「絵文字もなくて、文章が無愛想」
―― ふーん、じゃあ、
■フレームをデコメールにして、
■ハートとか笑顔の絵文字を、5文字間隔に挿入して、
■題目に「ヤッホー、パパだよぅ」とか「皆、愛しているよぉ」とか付した
メールにして、毎回送信しようか?
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娘達は黙り込みました。
パソコン検定に合格した嫁さんが、さらに上の級を目指して、早速勉強を始めています。立派なことだと思います。
「この調子でいくと、近い未来、追い抜かれるかもなー」と軽口を叩いたら、完璧に無視されました。
それはさておき。
「ドラムとスラムって何?」と質問されました。
―― このインメモリDBが主流となりつつある時期にあって、今さら、ドラム型の記憶装置の話を出すかなぁ?
と不思議に思って、教科書を覗いてみたら、
「DRAMとSRAM」と記述されていました。
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なるほど、確かに「ドラムとスラム」だ。
いやいや、私が知らないだけで、実は業界では、こういう呼び方をしているのかもしれない。
念の為、Googleで「ドラム スラム 記憶装置」で検索をかけましたが、ヒットしません。
やっぱり、「DRAMとSRAM」は「ディーラム、エスラム」のようです。
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「ドラムとスラム」。
これは、かなり素晴しいネーミングだと思うのです。
なぜ、このような称呼で固定しなかったのだろう? と考えたのですが、多 分、理由はこんな感じかと。
「ねえ、いま『スラム』っていくら」
という呼ばれかたを、技術者や研究者が嫌がったのだろう、と見るのですが、いかがでしょうか。
先日、Amazonで、「ゲームシナリオのためのミリタリー事典 知っておきたい軍隊・兵器・お約束110」 という本を購入しました。
「あの江端が、今度はコンピュータゲームを作るはじめるのか」というのは、到底成立しない仮説です。
なにしろ、私は、一つのコンピュータゲームを完了したことがありません。
ゲームを終らせるくらいなら、「戦争と平和」を読了する方が、多分楽と思えるくらい、コンピュータゲームが苦手です。
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今回の次回の「英語コラム」は、ミリタリーをモチーフとして記載しています。
ところが、「戦闘中の戦線に、食料や武器などの物資を送り込む後方支援を、なんと言うんだっけ?」 を探すのに、3時間も費してしまし、その面倒くささに疲れてしまったのです。
# 答えは「兵站(へいたん)」
本質を理解しているかどうかはともかく、まず用語が分からないと、文章書けないなー と、軍事関係の辞書を探していたのですが、そのような専門書は高価な上に、分かりにくい。
例えば「少佐」と「少尉」の違いなどは、
■「エロイカより愛を込めて」のクラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ少佐)
■「はいからさんが通る」の、伊集院忍少尉
の二人しか知らないし(この二人、どっちが偉んだっけ?)
大隊とか小隊とか司令部とかの用語も全然分からんし、「図書館戦争」も参考にはならん(あれはフィクションの度合いが大きすぎる)。
「シビリアンコントロール」とか「集団的自衛権」とかの方向であれば、、少しは話せるですけどね。
まあ、そもそも、この程度の貧弱な知識でですね、ミリタリーをモチーフとしたコラ ムを書こうという、その根性がずうずうしい。
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という訳で、もっと軽量な参考資料を探していたところ、先日本屋で見かけたのが、この本。
――ウーム、これでまた、2000円か。正直、痛いのう。
多分、戦争をモチーフとするコラムは、今回と次回だけだろうしなぁ。
当然、地元図書館にも検索をかけたのですが、蔵書なし、と。
まあ、しゃあない。買うか。
と、Amazonでポチっと購入のボタンを押した訳です。
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この手の本が我が家には、多いです。
「TPP」とか「著作権」とか「初音ミク」とか、もうボロボロになるまで書き込み、何冊かはバスタブに沈没させています。
しかし、大体コラム書き終わると、部屋のすみで積み上げられることになります。
まあ、「本」とは、このような使い方をする、が、正解ではあるとは思っているのですが、
―― ちょっと、本に対して「愛がないかなぁ」
と、自己嫌悪してしまうのが、嫌なのですよね。
我が家では、嫁さんが「アニメ嫌い」なので、家族全員でアニメを見ることは滅多にありません。
といっても、私の「ドラマ嫌い」程は酷くはないのですが。
ただ、現時点において例外が2つだけあって、それが「宇宙兄弟」と「ちはやふる」です。
「ちはやふる」とは、百人一首の競技カルタを題材にする、文化系スポコン漫画(形容矛盾しているが)です。
一言で言って「面白い」。
原作もよく、アニメはそれ以上に良い。こういう作品が見れるのは大変嬉しいです。
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「ちはやふる」を見ながら、我が家の中学二年生の長女が
『ああ、こういう青春時代を送りたかったなー』
と、呟いたので、家族全員が一斉に突っ込っみました。
―― お前、現役の青春を生きとるだろうが! 過去形で語ってどうする!!
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演劇部で主役張って、叱られて泣きながら帰宅して、人間関係に悩んで、と、そういうものを「青春時代」と呼ばずに、何と呼ぶ。
―― と言うことに気がつくのは、もっと後なのかもしれない。
「青春時代」は、外側からでしか観測できないものなのかもしれません。