0207|09|
2007|09|10|12|
2008|01|02|03|
2009|01|05|08|10|11|12|
2010|01|02|03|04|09|11|12|
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2024|01|02|03|04|05|

2013-09-10 「オリンピック中にテロ事件なんか起きたことあるの?」

2020年の東京オリンピック誘致に成功したそうです。

私は、オリンピック誘致に「反対」を表明してきましたが、それはそれとして、この誘致に全力を賭けて取り組んできた方々に対して、最大級の敬意と、心からのお祝いを申し上げたいと思います。

家族は、喜んでいるようです。「英語の勉強をがんばって、ボランティアやる」と言っています。

娘たちに、そのようなモチベーションが立ち上がった点では、オリンピック誘致成功は、私にとっても「ポジティブ」です。

それはさておき。

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日本でのオリンピックの開催は、東京(夏)→札幌(冬)→長野(冬)と、今回の東京(夏)で4回目になります。

長女が「まだ、一度もやっていない国が優先されるべきではないの?」という素朴な疑問を呈してきました。

この疑問に対する、私の答は以下の通りです。

■開催日までに、オリンピックスタジアムを完成できない可能性のある国もある。事実、本当にヤバかったという事例はたくさんある。

■最悪なのは、オリンピック開催中に、テロ事件なんぞが起ったら、その国の政府のメンツは丸潰れだし、開催を決定したIOCの見通しの甘さが非難されることになる。

■そうなると、その国の国際的な信用は地に落ちるし、「IOCなんかいらんわ。俺たちだけで勝手に世界選手権大会やるわ」という話も出てきかねん。

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「オリンピック中にテロ事件なんか起きたことあるの?」

「ある。ドイツのミュウヘンで、選手11人が殺害されたオリンピック史上、最悪の事件があった。まあ、今回の候補の中で、『テロや暴動(治安)』の観点からは、「東京」は有利であったと思えるよ」

―― 娘は、絶句しているように見えました。

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この機会に、日本人が引き起した国際テロ事件のことも話そうかな、と思ったのですが、中学生の娘にはまだ刺激が強すぎるかと、思い留まりました。


2014-09-10 「モーゼの十戒だ」と思いました。

今日、私、一日中、凄まじく怒り狂っていました。

I have got terrible got furiously angry today around the clock.

で、本日、その状態のままで、出張先に出向いたのですが、

As the same state, I went to the business trip today,

―― 人混みが、私の前でキレイに割れる

"A crowd was broken in front of me neatly"

「モーゼの十戒だ」と思いました。

I thought, "It is Moses' Ten Commandments".

2階の部屋で怒っているだけで、1階の人間まで気分が悪くなる、と言われる、

I heard that I am only angry in a room of the second floor, anyone in the first floor come to feel sick.

「江端の怒りのオーラ」は、健在です。

"The aura of the anger of Ebata" is still alive.


2015-09-10 ―― 自爆テロ

人身事故というのが、「当人が制御できない状態で、突発的に発生する行動の結果」である ―― という話は、すでに何度も行ってきました。

I have often told you a story that "accident resulting in injury or death" is "a result of accidental action, that even the person in-question in oneself cannot control ".

事実「その通り」であるし、「そう思わなければやってられない」という気持もあるからです。

In fact, it it true, and I cannot help but thinking it like that.

また、「そういう状態にならざるを得なかった人による、社会が救済できなかったことに対する抗議行動」 ―― とも、考えるようにしています。

And, as usual, I think that this is a sort of protest, which the hopeless victims try it against unrelieved society.

なにより、私が、そのような経験の持ち主だからです。

Above all, I was a person like the above.

『私の意思に反して、私の足が勝手に、私の体をホームから落下させようとする』という、あの「制御不能」の恐怖は、体験した人にしか分からないと思うのです。

I am afraid that few people can understand that a fear of "my legs was putting my body down the station platform against my will"

-----

ところが ――

But,

先日、『疲れ果てていて、吐きそうなほどしんどい』という日の深夜に、帰宅を不可能にさせかねない人身事故に巻き込まれました。

A mid-night of the other day, when I was too exhausted and was likely to vomit, I got involved in an "accident resulting in injury or death" that was going to be impossible to come back home.

一瞬にして、燃えるような炎を感じ、この時、初めて、

I felt a flame blazing instantly, and I came to think of the word in my mind

―― 自爆テロ

"suicide bombing"

という言葉が自分の中に沸き上がってくるのを感じて、自分で驚きました。

I was surprised at what I was.

我に返り、『最近、何かかあったかな?』と考え込んでしまいました。

At the moment, I recovered myself soon, and tried to remember recent events.

(続く)

(To be continued)


2016-09-10 己の器量を測ることもなく、小さい器の自分に自分が与えた、これらの「限界のない激辛への希求」が導いた結実は一体何だったか。

最近、北極ラーメンを食しても、昔のように辛く(つらく)なくなりました。

Recently, even eating Hokkyoku-ramen, I don't feel no longer painful as of old.

普通に美味しいラーメンとして、最初から最後まで食べれようになっていきています。

As normally delicious ramen, it will complete to have it from the beginning to the end.

生活全般に、辛い食べ物を求める傾向が強くなり、最近は大袋入りのキムチ用の唐辛子(砕いたもの)を購入し、ビンに入れて持ち歩いています。

In life in general, I become to seek more and more spicy foods. Recently, I bought a red pepper (crushed ones) for kimuchi of large bag containing, and I carry around to put in a bottle.

そして、社食のラーメン、ソバ、カレーに、唐辛子をかけまくって食べています。

And, I sprinkle the pepper over and over again on ramen and soba noodles and curry.

-----

北極ラーメンの辛さ三倍を食べて、久々に、北極ラーメンを「辛く(からく)て辛い(つらい)」という、懐しい感覚を思い出しました。

After eating three times spiciness of the Hokkyoku-ramen, I remembered the nostalgic feeling "Hokkyoku-Ramen is hot and painful".

そして、先日「北極の極み」という ―― 定量的な辛さは分かりませんが、唐辛子だけで構成されたスープで、箸が立つくらいのラーメン ―― を食しました。

A few days ago, I tried a ramen, called "Hokkyoku extremely". I didn't know the spicy level by a numeric value, however,

もう、ここまで辛いと何が何だか分からなくなり、そして、私が何を目指しているかも分からなくなりました。

I don't know what is what about this spicy, and finally, I don't know what I am aiming at no longer.

-----

I remembered a nightmare at that time.

目的と手段が主客逆転する、あの愚かしい、私の行動パターン。

My foolish behaviour patterns, "Ends and means become reversed".

己の器量を測ることもなく、小さい器の自分に自分が与えた、これらの「限界のない激辛への希求」が導いた結実は一体何だったか。

Without measuring self-evaluation, what was on earth, does "desire to no limit spicy" give me ?

それは、「せっかくの美味しいラーメンを、苦痛に満ちあふれたものにする」

It is, "the precious delicious ramen becomes something full of painful"

という、誠に愚かしい行為だったのです。

a truly foolish act.


2017-09-10 私がやっているのは、「メールによる恐怖政治」です。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

例えば、

For example,

---- 例1 ----

---- Example 2 ----

To: Mr_A@kobore.net

Cc: project_X@kobore.net

■Aさん

Dear Mr.A

本日正午締切の提出の資料の格納先は、\\prject_X\20170910 ですよ。

The directory you will submit your materials whose deadline is today noon,

is "\\prject_X\20170910"

江端

Regards, Ebata

-------------

というメールを、私の指定した締切の直後(1分後)とかに、送付する訳ですよ。

I send the above message, soon after the noon.(12:01, for example)

穏やかなフレーズの向こう側に『ひきつった笑顔の 事務局江端』の存在感をバッチリ示す、という点が特徴です。

This is a characteristic that "to show him/her the existance of Ebata of the D.S. who get angry with smiling, over the peaceful phrase".

しかも、そのメールをプロジェクト全員に向けても発信する訳です。

This mail broadcasts to all members of the project, too.

皆さんは、もう分かりますね。

Wel, you know.

私がやっているのは、「メールによる恐怖政治」です。

What I am doing is a "reign of terror by e-mail".

(続く)

(To be continued)


2018-09-10 しかし、そのシステムが見守るべき父は、もういません

一人暮しの父を見守る為に、

In order to secure my father, who lived solo,

IoT通信デバイス"SORACOM"を使ったリモートの見守りサーバ(Raspberry PI上)に、

- in the home security server (on Raspberry PI), with IoT communication device "SORACOM",

VPN(by SoftEtherで)の閉域ネットワークを構築して、

- I made the closed private network (by SoftEther), and

自宅のPCから、SSHでアクセスできるよう、

- accessed to the server from my home PC by SSH

From Golden Week holidays of this May, I continued the experiments and developments little by little, and

今週末ようやく稼動を確認しました。

finally, I could confirm the activation at this weekend.

-----

しかし、そのシステムが見守るべき父は、もういません(7月末に他界)。

However, my father is nowhere to be found (belowground at the end of this July)


2019-09-10 つまるところ、『人のことなんぞ、ほっとけ』ということです。

I released my column whose content was "possibility of pregnancy between people of the same sex" using iPS cells technology.

そのコラムの中で、私は「将来的には可能となる」という見解を示しています。

In the column, I expressed my opinion that "It is going to be possible in the future".

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現在、同性間の結婚については、条件付き(性同一性障害を理由とした性転換の術後)ではありますが、手術後の戸籍の性別変更を通じて、可能となっています。

At present, according to a marriage of the same sex, it is possible to get married under the conditions by operating sex change and changing sex in census register.

しかし、我が国の法律(民法)は、セックスであれ、ジェンダーであれ、異性間の結婚しか認めていないという点では、一貫しています。

However, Japanese laws (civil laws) consistent with admitting heterosexual marriages only, even if it is for sex or for gender.

私は、同性婚の立法化に対して、政治的な行動していませんが、「反対」か「賛成」の旗幟を明らかにしろ、と言われれば「賛成」です。

I have not joined a political campaign for same-sex marriage, however if someone ask me state my position for or against, I say "for".

「反対する合理的理由が見あたらない」からです。

Because I cannot find "rational reasons against same-sex marriage".

(1)結婚というシステムがあって、(2)結婚したいカップルいる、というのであれば、そのシステムは、差別なく(性差なく)使えるような状態にしておくのが自然である ―― という、単純な理屈です。

The reason is extremely simple. If there are both a marriage system and a couple to use the system, it is natural to make the system open for everyone.

同性婚を否定する論拠として、「生殖能力の有無」を挙げる人がいますが、バカバカしくてお話になりません。

Some people try to argue "reproductive capacity" against same-sex marriage, I think that the time of argument is stupidly wasteful.

生殖能力の有無が婚姻の条件になるなら、生殖の結果(子ども)を残さない結婚は、すべて、婚姻届けの届出日に遡って「無効」としなければ、法的な一貫性が保てません。

If we decide that "reproductive capacity" is a condition for the marriage, we have to enforce to repudiate the marriage because of "no child" in order for consistency of law.

結婚の形態がどうあれ、結婚の意義を「生殖能力の有無」に求めるなど、ナンセンスな上に下品です。

In any marriage styles, using the words of "reproductive capacity" for a significance of marriage, is nonsense and vulgarity.

そもそも、私は「私達は、国家や法律の為に生きている」訳ではなく、「国家や法律は、私達の幸せを実現する為に存在している」と思っていますし、そうでないなら、私は「国家や法律には、存在する価値はない」と考えています。

Above all, I think that "our life is not for nation and law". I believe that "nation and law exist for our happy life", and if not, "nation is law are meaningless".

「一緒に生きることで幸せになりたいというカップルは、その存在自体が、結婚の要件を満たしている」

"Any couple who wants to become happy each other, fills the bill of marrige".

私は、それ以上の理由を必要としません。

I don't need any reason except for it.

そもそも、

Moreover,

(1)私に不利益がなく、(3)他の誰かの利益があり、(3)他の誰かの主張する不利益が論理的に説明できない

(1)No demerit for me, (2)merits for others, (3)no way to explain about the demerit reasonably.

なら、反対する理由がありません。

As long as these three conditions, I cannot say anything against marriage of the same sex.

小学生にだってできる、簡単な計算です。

This is a simple elementary-level math.

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とはいえ、どんな変化であれ、私たちは変化は嫌いです ―― その一点においては同意してもいいです。

I can understand "we don't like any change". I can agree with the opinion.

しかし、私は「自分に不利益がない変化」で「自分で努力する必要がない変化」であれば、基本的には「その変化を妨害をしない」ことにしています。

However, if the change is "without my own disadvantage" and "without my special effort", I basically do not "disturb the change".

つまるところ、『人のことなんぞ、ほっとけ』ということです。

After all, it means that "leave others alone".

(続く)

(To be continued)


2020-09-10 つまり、親と子どもの間の『嫌い』には、非対称の関係が成立している訳です。

『自分が嫌い』

"I hate myself"

という歌詞の歌は多いですし、自分でそう言っている人も多いです。

There are a lot of songs with lyrics like that, and a lot of people say that themselves.

その一方で、

On the other hand,

『自分の子どもが嫌い』

"I hate my kids"

という歌詞の歌は見たことがありませんし、(どう思っているかはさておき)そのように公言している人は知りません。

I've never seen a song with those lyrics, and I don't know of anyone who professes to do so (regardless of how they feel about it)

「何でかな?」って自問するまでもなく、それは、「主体と客体が違うから」です。

Why? I don't have to ask myself. Because the subject and the object are different.

自分の子どもと言えども、子どもは自分ではありません。

Even though they are your children, they are not your children.

-----

にも関わらず、『××が嫌い』は、世の中に溢れ返っています。

In comparison, the world is full of "I hate xx".

加えて、血縁であっても、『自分の親が嫌い』というのは、どこにでも見られます(歌詞では見られませんが)。

Additionally, "I hate my parents", even if they are related by blood, can be found everywhere (though not in the lyrics).

つまり、親と子どもの間の『嫌い』には、非対称の関係が成立している訳です。

In other words, there is an asymmetrical relationship between parents and children about "dislike".

子どもの方が立場が強いです。

The children are in a stronger position.

-----

子どもは、

Children can give reasonable explanations about "dislike",

『子どもは親を選んで生まれてくることができない』

"Children are not born to choose their parents"

とか、

or

『子どもは、そもそも、被扶養者として弱い立場を強いられる』

"Children are forced to be vulnerable as dependents in the first place"

とか、

or

『子どもは、運命的に親の遺伝を継承させられる』

"Children are destined to inherit their parents' genes"

とか、「嫌い」に関する筋の通った説明ができます。

一方、親の方には、このような筋の通った説明がしにくい(というか「できない」)です。

On the other hand, it's difficult (or "impossible") for parents to provide such a reasonable explanation.

『生まれてこれて、存在していることを、感謝しろ』

"Thank me for being born and for being here"

と、子どもに言える大人は、相当な心臓の持ち主でしょう。

An adult who can say those things to a child must have a pretty good heart.

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さて、『自分が嫌い』の話に戻ります。

Now, back to the "I hate myself" story.

(続く)

(To be continued)


2021-09-10 ―― コロナ禍を最大限に活用した、英語に愛されないエンジニアの姑息な戦略

私は、膨大なエネルギーを使い果たし、疲労困憊する「海外出張」なるものが、あまり好きではありません。

I don't like "overseas business trips" that use up huge amounts of energy and exhaustion.

費用対効果の観点からも、あまり効率の良いビジネス形態とは思えません。

From a cost-benefit perspective, it is not a very efficient form of business.

『海外出張が好き』とか吐いているやつらは、「現地でちゃんと仕事していないんじゃないか?」と邪推しているくらいです。

I have a sneaking suspicion that those who say they like to travel abroad are not doing their job properly. I have a bad feeling about them.

それはさておき。

Aside from that.

今回参加した国際学会は、勿論「バーチャル会議」となりました。

The international conference I attended this time was of course a "virtual conference".

もちろん、私は、それ(コロナ禍)を見越して、カンファレンスペーパーを投稿しています。

Of course, I am submitting a conference paper in anticipation of that (corona disaster).

現地で第一線の研究員の前で発表しなくてもよい気楽さに加えて、

In addition to the ease of not having to give a presentation in front of front-line researchers in the field, I also had the opportunity,

―― 質疑応答を、リアルタイムのチャット掲示版で行うことができる

"Question and answer session can be conducted in a real-time chat forum"

これ、すごくデカイです。

This is very significant.

なにしろ、Zoom画面の横に、翻訳エンジンを待機させておくだけでO.K.。

After all, all I have to do is keep the translation engine standing by next to the Zoom screen.

最近の翻訳エンジンは、凄く精度が高いので、十分にリアルタイムで応答ができるのです。

The accuracy of modern translation engines is so high that I can respond in real time.

おかげで、私は、自分のセッションに限っていえば、全部の発表に対して、質問をすることができました。

Thanks to this, I was able to ask questions about all the presentations, as far as my own session was concerned.

これは、私にとっては、未曾有の大成果と言えます ―― 誰も評価してくれないとしても、です。

This was an unprecedented achievement for me -- even if no one appreciated it.

私が、今年度上期に、立て続けに2本の国際学会投稿を成し遂げた背景には、

In the first half of this year, I made two international conference submissions in a row.

This is a

―― コロナ禍を最大限に活用した、英語に愛されないエンジニアの姑息な戦略

"A sneaky strategy for engineers who don't love the English language, making the most of the Corona disaster"

があるのです。

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英語に愛されない国家日本においては、コロナ禍は、エンジニアがノルマを稼ぐ、千載一遇のチャンスです。

In Japan, a nation unloved by the English language, the Corona disaster is a once-in-a-lifetime opportunity for engineers to earn their quota.

しかし、調べてみたところ、今回の学会に参加していた日本人は、2名のみでした。

However, when I checked, I found that only two Japanese were participating in this conference.

バブル期に、各メーカー、10人以上の若手研究者を、IETFのカンファレンスに送り込んでいた時代を知っている私としては、正直信じられない気持です。

As someone who knows the days when each maker company sent more than 10 young researchers to the IETF conference during the bubble period, I honestly can't believe it.

まあ、テーマにも因ると思いますので、今回の学会では、たまたま日本人が少なかったのかもしれませんが。

Well, I guess it depends on the theme, so maybe there were not many Japanese people at this conference by chance.

でも、それらを勘案しても、英語に愛されないエンジニアを大量に抱える我が国としては、

But even taking all that into account, Japan, as a country with a large number of engineers who don't love the English language, I think

―― 今、討って出なくて、いつ出ていくというのだ?

"If we don't strike now, when will we strike?"

と思います。

世界が元の姿に戻ってしまったら、もう手遅れなんです。

If the world goes back to the way it was, it will be too late.

コロナ禍は、早く消滅させてしまうべき災厄であることは言うまでもありません。

Needless to say, the corona disaster is a calamity that should be extinguished as soon as possible.

しかし、同時に、コロナ禍は「英語に愛されないエンジニア」にとって、最大のアドバンテージでもあるのです。

At the same time, however, the Corona disaster is the greatest advantage for "engineers who are not loved by English".

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我が国は、この期を逃してはなりません。

We must not miss this period.

文部科学省には、国家戦略として『コロナ禍を活用した、日本の技術大国への復権の足掛かりと、国際競争力の復活』を提言して頂きたいです。

I would like the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology (MEXT) to propose a national strategy to "reinstate Japan as a technological powerhouse and revive its international competitiveness during the Corona disaster period.

もちろん、国内だけでなく、全世界から囂囂(ごうごう)の批難を浴びることは間違いありませんが、それでも ―― 「英語に愛されないエンジニア」の胸に刺さることだけは、保証します。

Of course, it will be loudly criticized not only in Japan, but also all over the world, but I guarantee you that it will stick in the hearts of "engineers who are not loved by English".

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でも ―― もう手遅れかもしれません。

But -- it may be too late.

出席者の出身地を見てみたら、日本は言うまでもなく、北米すらも「斜陽」という感じがします。

When I looked at where the attendees came from, I got the feeling that even North America, not to mention Japan, is in a "slump".

強いのは、東南アジア勢とヨーロッパ ―― そして、やはり「お隣の大陸」です。

Southeast Asian and Europe countries were the strongest -- and the nearby continent was still overwhelming.


2022-09-10 「オリジナル原稿購読希望」をされる方が、止まりません。

The "original manuscript subscription applicants" are coming even now.

今ごろになって、『もし、期待外れだったら、どうしよう』と心配になってきました。

By now, I'm starting to worry, 'What if it's a disappointment for them?'

私は、「この内容なら大丈夫」と勝手に判断したもので、そんなに、凄い内容とは思っていなかったものなのです。

I had judged on my own that the content would be OK. and I did not think it would be that great.

(但し、編集部は"削除"を、嫁さんは"休載"を、要求する内容ではあったようですが)

(However, it seems that the editorial department demanded "deletion" and the wife demanded "suspension of publication.)

―― この教団に関する本(教義も含む)を数冊読めば、誰でも分かる程度の内容

"Enough for anyone to read a few books on this cult (including its doctrines)"

です。

(After zero applicant after two consecutive days, I will publish it. ) is not satisfied now.

この週末に編集作業を進めますが、リリースはもう少しお待ち頂くかもしれません。

I will work on editing this weekend, but may have to wait a little longer for release.

悪しからずご了承下さい。

Please understand that I apologize.


2023-09-10 なぜ、このような犯罪を起こすに至ったか ―― そのプロセスを、技術的に、科学的に、工学的に解明することには意義があると思うのです。

京都アニメーション事件発生時、日本中が、燃えるような憎悪で、実行犯に対して極刑(死刑)を求めていたと思います。

At the time of the Kyoto Animation Incident, I believe that all of Japan was calling for the maximum penalty (death penalty) for the perpetrators with a burning hatred.

まあ、今でも、この憎悪が収まっているとは思いませんが。

Well, even now, I don't think this hatred has subsided.

However, it is also mentioned here,

どんなに残忍な殺人事件を起こし、検察側、弁護側、双方が事実認定に齟齬がないとしても ――

No matter how brutal the murder, and no matter how consistent the prosecution, defense, and both sides are in finding the case--

殺人事件の被疑者は、弁護側が考えうる最大限の弁護をし尽した上で、刑量が判断されるべきである。

A suspect in a murder case should be judged on the amount of sentence after the defense has exhausted all possible defenses.

特に「死刑判決」という極刑については、『もうこれ以上の弁護はできない』という、最大級の弁護の機会を与えられなけえればならない ――

Especially when it comes to the extreme penalty of the death sentence, we have to be given the maximum opportunity to defend ourselves, to say, like 'I can't defend myself anymore.'

というのが、法治システムの原則です。

This is the principle of the rule of law system.

-----

個人的には、この法治システムの原則以外の、別の見方もしています。

I have another way of looking at it other than this principle of a legal system.

それは、犯罪者の心理の科学的な解明です。

It is the scientific elucidation of the criminal mind.

なぜ、このような犯罪を起こすに至ったか ―― そのプロセスを、技術的に、科学的に、工学的に解明することには意義があると思うのです。

I think it would be worthwhile to understand why these crimes were committed -- to understand the process technically, scientifically, and engineeringly.

このようなアプローチで犯罪者の心理を「見える化」できれば、「同じ犯罪者を発生させない社会モデル」の一助になると思うからです。

This is because I believe that if we can "visualize" the psychology of criminals through this approach, it will help to create a "social model that does not generate the same criminals.

ですから、死刑が確定した後であっても、死刑囚からのインタビュー(情報収集)を行い続け、徹底的な解明が行われるべきだと思います。

Therefore, even after the death penalty has been passed, interviews (information gathering) should continue to be conducted with death row inmates, and thorough clarifications should be made.

そういう意味では、あの「オウム真理教事件 同日7人死刑執行」は、本当に残念だった、と思います。

In that sense, the "Aum Shinrikyo case, execution of seven people on the same day" was unfortunate.

貴重な資料が焚書されたような気持になったのを覚えています。

I remember feeling as if valuable materials were being burned.

I have been writing about the "United Red Army" and "Aum," but I can't seem to think of them as "other people's business,"

―― 彼らと私を分けたものは、一体何だったのか?

"What was it that separated them from me?"

今も、考え続けています。

Even now, I keep thinking about it.

-----

『江端は死刑反対論者か?』と問われれば ―― 逆です。

If you ask, "Is Ebata an opponent of the death penalty?" I would say the opposite.

そのようなヒューマニズムや人権意識は、私には"ない"です。

I do not have such a sense of humanism or human rights.

(Although, as a citizen who does not oppose the death penalty, I do believe that 'I must see executions with my own eyes.')

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死刑囚から取りうるデータを全て取り得て、『もうこれ以上は出てこない』と判断したら ――

Once we get all the data we can from the death row inmates, and we decide, 'There's nothing more to come out of it,'

その死刑囚は「やるべきことを完了した」と見なし、その後、すみやかに現行法の定める確定した刑が、粛々と執行されれば良い、と思っています。

I hope that the death row inmate is considered to have "completed what needs to be done" and that he is then promptly and solemnly executed with the fixed sentence provided for by current law.