先日の台風26号で、日本全国で相当な被害が発生しました。
前日の段階で、台風の規模や通過予測時間が予報できていたことを ―― 今更ながら、凄いことだなぁ、と思ってしまうのです。
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台風を地上の測定値からしか観測できなかった1959年(昭和34年)、私の父と母はの伊勢湾台風の被災者になりました。
一階の建屋が屋根まで冠水し、その時に、写真や書籍などを全て失ったそうです。
ちょっと調べてみたのですが、今回の台風26号が中心気圧が"955"ヘクトパスカルだったの対して、伊勢湾台風は"920" ・・・、て何それ? という位の超ド級の台風。
中心付近の最大風速が84.9m/s。観測された風速は60m/s、時速216km。操業開始時の新幹線と同じくらいの速度で、木の枝が飛んでいた ―― そりゃ、もう立派な凶器です。
この伊勢湾台風の教訓より、富士山測候所(いわゆる、富士山レーダ)が設立され、今は宇宙から気象衛星が、台風を見張っているに至っています。
これは、感謝できる「技術の進歩」です。
それはさておき
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台風26号が関東を通過した日、午前7:30発の新宿行きの電車に、10:28分に乗りまして、会社に向かっていた時です。
電車の車内アナウンスで、私は驚いてしまいました。
「実は、台風の影響の為、大幅なダイヤの乱れが発生し、現在全線で振替輸送を実施しております」
『実は、台風の影響の為、』・・・って言ったか?
この3時間にも及ぶ、ダイヤの遅延の原因を、理解していない乗客が、たった一人でもいるのか? ―― と、完全に冠水して、湖の状態になっている中学校の校庭を見ながら、私は固まってしまいました。
『実は、台風の影響の為、』『実は、台風の影響の為、』『実は、台風の影響の為、』と、3回ほど呟いで、ようやく気がつきました。
×「実は、」
○「本日は、」
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まあ、それだけのことなのですが、ちょっとした聞き違いで、えらく意味が変わるものなぁ、と、感心していました。
今の私の外観からは、想像もできないとは思いますが、若い頃の私は、今の私と比較すれば、結構、イケていたんです。
Though it might be difficult to make an image from my present figure, I was better-looking than I am now.
(まあ、大抵の人は、若い頃の外観が人生で一番、イケているものですが)
(Well, most people are the best-looking of their life, when they are young)
以前の日記にも書きましたが、
Previously, I wrote the following phrase in my diary,
"This, in this photo was my daddy isn't this? You are a liar!"
というように、私は、私の娘たちから評価される程度には、イケていたのです。
I think that I could had been good-looking as the degree to which something my daughter evaluate.
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ティーンの頃には、演劇にも関わっていたので、「女性の役」などにも抵抗はありませんでした。
When I was a teenager, I didn't care for a female role, because I had belonged to a theatrical club.
会社に入った後、「新人による水着女装ショー」などでも、結構な評価を頂いた記憶があります。
When I was a fresh person in my company, I was evaluated "show of women's swim" by coworkers.
新婚旅行の時に、世界的に有名な『ゲイで有名な街』を一人で歩いて、声をかけられるかどうかで、嫁さんと賭けをしたこともあります。
On my honeymoon, I bet my wife if some gay picked me up during walking alone around a world-wide famous area of gay's culture.
総じて、私は、
In general, I took it for granted that
―― 女装をしても、世間に受け入れられる程度の外観を有している
"I have had a figure as the degree to which something people can accept, even if it is a female roll"
と思い込んでいたのです。
ほんの先日まで。
a few days ago.
(続く)
(To be continued)
(Continuation from yesterday)
―― 友人やクラスなどに何の価値もない。お前は、そのようなものに振り回される必要はないのだ
"Friends or the class have no value. It is not necessary that you are worry about such things around you."
―― お前が「ぼっち」であることが苦しいと感じるなら、卒業まで、お前は私が守り切る。卒業後はお前のことなんか、さっさと忘れてやるけどな
"If I feel pain for your loneliness, I will have saved you perfectly until your graduation. Of course I will forget you after graduation quickly.
このフレーズを、きっちりと言い切れる教師は、この日本にいるのだろうか?
Are there teachers who can tell this phrase to their students tightly?
私は、親としては、言い切っていますけどね。
As a parents, I always tell my children them.
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「適当な順番で、適当にシャフルされた人が集っただけの、しかも一年も保持することないに集団に、「和」だの「友情」だのと名づけただけものに支配される必要はない」
"You don't have to be ruled by something which are named "harmony" or "friendship based on a suitable turn shuffled properly."
―― ということを、最初に教えてやるべきです。
I think that they should teach the above to their students for the first time.
不思議なんですよね。
It is mysterious.
大人はみんな知っているはずなんですが。
All adults should know that
「小中高どの友人であれ、卒業の3年後にその人数は概ねゼロになる」ということを。
"The number of people are almost becoming zero after the graduation."
(To be continued)
私もOTやITの業界で生きてきて長いですが、
I also have lived in the OT and IT field for long time,
「コンセプトを発信する」という言葉を聞くたびに、
whenever I hear the phrase, "I will transmit that concept to the world"
―― うん、「あんた」には無理だ
I think
と思うことがあります。
"Well, that is a heavy burden for you"
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私は「コンセプトを発信する」こと自体を否定するものではありません。
I don't want to deny the "transmitting concept" itself.
コンセプト=概念を共有することは、価値観を共有し、進むべき方向を指し示すことです。国家や組織を運営するためには、不可欠なことです。
Sharing a concept is to share sense of values, and to indicate the direction to go. it is inevitable in order to operate the state and organizations.
ただ、「コンセプトを発信」することができる人間には、ある資質が要求されるのです。
However, a human being who is able to "transmit a concept" need some qualities, for example.
人を魅了するカリスマ、著名人、あるいは、社会に影響を与えうる、政府、世界経済に影響を与えうる会社だけです。
Attract people charisma, celebrity, a government or a world-wide economy company.
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例えば、私のような、下っ端のただのエンジニアが、「コンセプトを発信」したとして、一体、どこの誰が、その話を真面目に聞くと思いますか。
For example, even if a underling only engineer ,like me, try to "transmit a concept", who wants to hear the message seriously?
無理に決まっています。やるだけ無駄です。
Needless to say, it must be impossible absolutely. That cannot be helped.
大した実績もなく、能力もなく、そして人を魅了する人間性もない、私のようなチンケなエンジニアが、
No great performance, no special ability and no attractive thin, such a dwaft engineer, like me,
それでも、人に何かを届けたいと思うなら、
still, if I think I want to send something to the people,
『現実にモノを作り、そのモノがキチンと動くことを示して、自分の考えの正しさを証明する』
"Creating a real object, indicating the object works and proving the correctness of my design"
or
「実際のデータを使って、うんざりするようなデータの解析をして、自分の仮説を立証する」
"Using the actual data, analyzing a lot of annoying data and proving my hypothesis"
実際、これくらいのことしか、できることはないと思います。
In fact, there is nothing what I can do except for the above.
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だから、私は、日々「これくらいのこと」だけを一生懸命やっているのです。
So, I am doing them the day-to-day my best.
(まあ、ネタは、「出生率」であったり、「ダイエット」であったり、「自殺者数」であったりと、結構しょぼい内容ですが)
(The themes are fertility rate,diet, and suicides, anyway I can accept it is pretty pale contents.)
それが、私の能力では精一杯だからです。
However it is utmost in my ability.
「コンセプトを発信する」などという ―― 顔から火が出てきそうな、身の程知らずの恥しい言葉などは、
The phrase of "I will transmit the concept to the world", which is Overachiever to burn with shame,
『こいつ、アホじゃないか』と他人から思われるのが怖くて、小心な私には到底口にできません。
The other might say the backbiting "Ebata? This guy is really stupid isn't he," and I cannot say only just one word for a timid person like me.
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ネットを探し回って、気にいらない記事を見つけて、汚い言葉で批判し、問題解決に1mmも貢献せず、そして、それだけが、自分のメッセージとして残せる全てであるような、残念な人間であっても ――
Just walking around the net, finding unpleasant articles, criticizing them in the dirty words, no contributing to problem-solving, and they are all left as own messages,
「コンセプトを発信する」などという、奢った言葉を言わないだけ、まだマシだと思います。
Even if I were such unfortunate human beings, I think I will still be better not to say "I will transmit the concept to the world"
来週の衆院選挙を控えて、私は事前調査を進めています。
In advance of the lower house election next week, I am doing a preliminary survey of
―― 最高裁判所裁判官国民審査
"People's Examination of the Supreme Court Judges"
の方ですが。
not Lower House election candidates
これまで、私は、この選挙の「制度」(何も記載がなければ信任)という制度に抗議して、全員を明示的に不信任(つまり×)してきました
So far, I've explicitly disbelieved ("x") everyone, because I protested the "institution" of this election (It will be confident unless stated).
However, this time, for me, it is temporarily rising a trust in the Supreme Court judge by "illegal final judgment of GPS investigation".
このままだと、全員に"◯"をつけてしまいそうです。
If it keeps going like this, I'm afraid I may trust all of them.
つまるところ、私はチョロイんですよ。
In conclusion, I am easy.
今回、新顔の党とのすったもんだの挙句 ―― 「憲法改正反対」「安保法制撤廃」を掲げて、公示直前に立ち上げた新党に、好意を寄せ始めていらっしゃる方々と、同様に。
Just like people who started to favor the New Party who stood up just before the public notice, with "Standing against constitutional amendment" and "withdrawing security legal system", after embarrassing appearance of the new opposition party.
しかし、あっちは「孤高に闘うヒーロ」とか「判官ひいき」に近いような気がします。
However, I feel that it is close to "lonely height hero" or "judge patronage".
それはさておき。
Apart from that.
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I come to read the Supreme Court decision sentence recently, when I was investigating "300 day problem" and "national election constraint correction problem" etc,
そして、この判決文が、なかなか「読ませる」のです。
And this sentence is quite easy to read.
争いの双方の論点を完結に纏め、判決と、その判決に至った理由を、実にロジカルに展開していまして、
They have put together the issues of conflict and concluded that the ruling and the reasons leading up to that decision have been developed logically.
私は、
I do think,
『最高裁判所の判決文は、テクニカルライティングのサンプルの宝庫である』
"The sentence of the Supreme Court is a treasure trove of samples of technical writing"
とすら思っています。
同時に、裁判官が、「どの論点から逃げたか」とかも、煤けて見えてきます。
At the same time, I come to see "which point did they get away from?"
正論を徹底すると、社会を上手く運営することができないからでしょう。もちろん保身もあるでしょうが。
It is probably because they can not manage society well if we do thoroughgoing theory. Of course it will also be for self-protection.
私が法学ゼミ(私塾)に通っていた時、
When I was attending law school seminar (private school), and hear the story of
『裁判の目的は正義の実現ではなく、現実の妥協点の落とし所の模索である』
"The aim of the trial is not the realization of justice, but the search for a trade-off of real compromises"
という話を聞いて、目から鱗が落ちたような気がしたのをよく覚えています。
I felt like scales fell from the eyes.
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という訳で、
In conclusion,
「最高裁判所の判決文を頻繁に読んでいると、なんとなく、"◯"をつけたくなる」
"If I frequently read the judgment sentence of the Supreme Court, somehow, I will want to trust them."
という法則は、少くとも私の中では成り立っているようです。
the above law seems to be made at least in my mind.
最近、色々なハラスメントが取り沙汰されるようになってきていますが、ぼちぼちと、
Recently several types of harassment are entering the picture, and bit by bit, the concept of
―― アニメやコミックを後輩などに強要するハラスメント
"a harassment to compel anime and comics to juniors and others"
という概念も登場してきているようです。
seems to be appearing.
これを、ここでは便宜的に「コンテンツハラスメント」と呼びます("コンハラ")
This is called "content harassment" for the sake of convenience here ("Conhara")
このようなハラスメントは、これまでも、書籍、楽曲、テレビドラマ、パソコンのツールに至るまで、様々な分野で散見されました。
Such harassment has hitherto been found in various fields ranging from books, songs, TV dramas to personal computer tools.
「自分の好きなモノを好きになって貰って、話題を共有したい」という願望は誰にもあります。
Everyone has a desire to "like their favorite things and share topics".
それによって「話題の共有」や「価値観の共有」に至りたいと考えるのは、普通のことです。
It is normal to think that they want to reach "sharing of topics" and "sharing of values".
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ただ、このコンテンツハラスメントの根っこにあるのは、
However, the root of this content harassment is, like
―― 彼/彼女は、まだこの作品を知らないだけで、知りさえすれば、必ず気に入るはずだ
"He / she just does not know this work. As long as they know it, they surely like it"
という、強い思い込みです。
a strong belief.
さらに、このハラスメントの面倒くさい点は、
Moreover, the troublesome point of this harassment is that,
『実際に、彼らが、そのコンテンツを"気に入る"場合があり』
"Actually, there is a case that they come to like the content"
かつ
and,
『その"気に入る"ケースに至る可能性が、必ずしも低いという訳ではない』
"That possibility is not so low"
ということです。
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その一方、作品(コンテンツ)というのは、その作品に接したその時点の、
On the other hand, the evaluation of a work (content) may change, at that point of contact with the work,
年齢、自分の知識や嗜好の度合い、読解力、時代背景、下手すれば、天気とか季節によってですら、
their age, degree of their knowledge and preference, reading comprehension, era background, even by weather and season,
評価が変わることがあります。
その作品を「最高!」と思える条件範囲は、極めて狭く、これが、複数の人間によってドンピシャになることは、まずありません。
The range of conditions that seems to be "the best!" is extremely narrow, and it is a rare case that the values will be shared by multiple people.
はっきり言えば、『万人にとっての名作』という概念は、幻想です。
To be clear, the concept of "masterpieces for all people" is an illusion.
(実際私は、明治や大正の文豪と言われている作品の9割は『クソ』であると思っている人間です)
(Actually, I am a human who thinks that 90% of works of writers of Meiji and Taisho period are "fucking")
(To be continued)
(Continuation from yesterday)
先日、長女から、
The other day, my senior daughter said to me
「パパの言う、
"The life-style you have said
『好きなことに狂う』
"Be crazy for what I want"
とか
or
『狂っていることに気がつかないほど狂う』
"Be too crazy to notice what I am crazy"
という生き方は、
is
そういう生き方ができる人にしか、できない生き方なんじゃないの」
for just those chosen, isn't it?"
と言われてしまいました。
その時、私は、
Then I thought
―― ついに、気がつかれてしまったか
"Eventually she noticed that"
と思いました。
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その通りです。
She is right.
私のノウハウは『私以外の人には、何の役に立たない「生ゴミ」』です。
My know-how is just a "wet refuse" for others.
私は、他人に、「進路」とか「ライフスタイル」について、自分の経験は語れますが、それはアドバイスにはなっていないと思います。
Though I can tell others my "career options" or "life style" from my previous experiments, I am afraid that they cannot help anyone.
結局のところ、「ノウハウ」というのは自力で見つけ出すしかありません。
Ultimately, a useful know-how on their own , should be found by themselves.
そして、その「ノウハウ」を「自分に使えるもの」まで改造して、はじめて「使いもの」になるのです。
And, after remodeling the know-how into another know-how on their own, it becomes "useful"
他人のノウハウやアドバイスは、『試しに使ってみること』が、その限界です。
Others know-how or advice are just trial samples.
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―― という「説教」を、今、まさに、私はしている訳です。
I give the above sermon to you just now.
ですので、ここ数日で、私が語ったことは、『試しに使ってみる』に留めておいて下さい。
So I hope you to think that what I talked in several days is just a trial example.
緊急案件発生につき、今、次女に、(超速習で)C言語とGo言語とJavaScriptを教えています。
I'm currently teaching (super-fast) C, Go language and JavaScript to my junior daughter due to an urgent project that has arisen.
もちろん、プログラム初学者であれば、"Python"あたりが常道であることは、よく理解しています。
Of course, you know well that "Python" is the way to go for beginners in programming.
初学者に、"C言語"を履修させるなんぞ、狂気の沙汰であることも、よく理解しています。
I am well aware of the insanity of making a beginner take a course in "C language".
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これは、次女からの懇願されて行っていることです。
This is being done at the request of my junior daughter.
しかし、所定の期日までに履修を完了させる為には、私は「私の母国語」しか教えることができないのです。
However, in order to complete the course by the prescribed deadline, I can only teach "my native language".
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故に ―― これは「虐待」ではありません。
Therefore -- this is not "abuse",
「教育」です。
but "education"
通報しないで下さい。
Please don't call the police.
I wrote about "soldiers respect poor but fast speed" before, but it seems to have been different from the content.
ここでの「拙速」の意味ですが、『稚拙でもいいから、とにかく速く』という意味では"ない"ようです。
The meaning of "poor but fast speed" here does not seem to be "just go fast, even if it's poorly done.
正しい意味を、簡単に言うと、
The correct meaning, in a nutshell, seems to be ...
―― 短期間で勝てる場合"のみ"戦え。それ意外の(長期間になる可能性があったり、勝てる見込が不明である)場合は戦うな
"Fight "only" if you can win in a short time. Otherwise (if it's likely to be a long time or you don't know if you can win), don't fight"
という意味らしいです。
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しかし、これ、凄く難しいです。
However, this is very difficult.
研究開発(R&D)は、運命的に時間と投資コストが必要ですし、新兵器(新技術)を開発できない研究者は、その存在意義を問われかねません。
Research and development (R&D) is fatally time-consuming and costly, and researchers who fail to develop new weapons (new technologies) may have their raison d'etre questioned.
短期間で勝てる技術が、ホイホイと開発できるなら、苦労はありません。
If I can develop a "winning technology" in a short period, I will have no trouble.
すなわち、R&Dに関しては「兵は拙速を尊ぶ」を孫子の解釈通りに考えれば、「私は何もしない/できない」と同義になります。
In other words, when it comes to R&D, if I think of "soldiers respect poor but fast speed" as Sun Tzu interpreted it, it becomes synonymous with "I do nothing/can't do anything".
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ともあれ、誤解をバラマキっぱなしでは良くないので、以前の日記の内容は訂正させて頂きます。
Anyway, it is not good to leave misunderstandings, so I will correct the contents of my previous diary.
「兵は拙速を尊ぶ」改め、
I take down "soldiers respect poor but fast speed",
「江端は、"拙速"くらいしかできることがない」
"There's nothing Ebata can do about it, except to be 'too quick'."
に変更したいと思います。
I'd like to change it to that.
昨日の続きですが、
As I continued yesterday,
As for the Metaverse, at this point, I don't know... I didn't expect a "chat" to come, and in such a form and at such a time.
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私、今、2つの組織に属しており、いずれの組織からも、Microsoft社のTeamsのチャットで、連絡がやってきます。
I am currently part of two organizations, both of which contact me via Microsoft Teams chat.
ですので、2台のパソコンを立ち上げて、両面待ちで、常に待機している状態です。
So, I have two computers up and running, waiting for both sides, always on standby.
私、匿名性を濫用するSNSが嫌いで、家族用LINEを除いて、FacebookもTwitterも事実上停止していますが、まさか、「業務」と「学業」で、チャットに巻き込まれることになるとは思いませんでした。
I hate social networking service that abuse anonymity, and I have stopped both Facebook and Twitter expect for LINE for my family. I didn't expect to get involved in "business" and "academics"
このTeamsの『チャット』で分かったことなんですが、
I know the following with using this chat system,
- ガバナンスの効いた組織内(匿名性一切なし)でのチャットは、とても便利
- Chat within a well-governed organization (no anonymity at all) is very useful
- 会議と並行して、別の小会議も進められるので、マルチタスクワークに最適
- Ideal for multitasking, as you can have another small meeting going on in parallel with the meeting
- 資料の配布もリアルタイムでシェアできるので、会議を集中して進行可
- Materials can be distributed and shared in real time, allowing meetings to proceed in a focused manner.
なにより、
Moreover,
-『了解しました』の応答を、「いいね」ボタンで済ませられるコストパフォーマンスが『いいね!』
- Cost-effectiveness of "Good" button for "Good" response
です。
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コロナ禍 -> リモートワーク -> リモート会議 -> Teams等のチャットツールの隆盛(と同時に、メールの衰退)という流れで、こうなりました。
The Corona disaster -> remote work -> remote meetings -> the rise of chat tools such as Teams (and the decline of email at the same time) has led to this.
今後、リモートワークが少なくなり、F2Fミーティングに戻ったとしても、チャットツールは使われ続けると思います。
Even if remote work becomes less common in the future and we return to F2F meetings, chat tools will continue to be used.
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チャットツールなど、1990年の段階で、すでに存在していました(例えば"IP Messanger"など)が、それは「おもちゃ」の域を出ませんでした。
Chat tools already existed as early as 1990 (e.g., "IP Messanger"), but they were little more than "toys".
様々な経緯を経て、今、ここに、ビジネスツールとして完成しているチャットツールを見ると、
After all these different paths, now, here we are, looking at a chat tool that has been perfected as a business tool.
『私の未来予想が外れるのは当然だ』
"No wonder my future predictions are off"
と、胸を張って「開き直れる」のです。
I become defiant with saying that.
「毎日、料理を作るのが、こんなに大変とは思わなかった」
"I didn't realize how hard it would be to cook a meal daily."
と久々に実家に帰ってきている長女がこぼしています。
My eldest daughter has been home for a long time and is complaining.
実際、『そうだろうなぁ』と思います。
I think, 'I guess so.
私みたいに、思い出した時に、自分が食べたい料理を作るのとは訳が違います。
It differs from cooking a dish you want to eat when you remember it, like I do.
作ってもらった料理に文句を言う人は、『料理を作るタスクの交代を申し出ている』と解釈すべきです。
A person who complains about the food that has been prepared should be interpreted as 'offering to take over the task of preparing the food.
まあ、それはさておき。
Well, let's put that aside.
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長女:「もっと、基本的な料理の技術と、料理のバラエティを揃えておくべきだった」
Daughter: "I should have had more basic cooking skills and a better variety of dishes."
私:「いや、それは違うな。料理も含めて全てのタスクは、状況に応じたOJT(On the Job Training)で良いんだよ」
Me: "No, that's not true. All tasks, including cooking, can be done on-the-job training (OJT) depending on the situation."
長女:「でも、基礎力がないと、そこから上がることが難しいんだよ」
Daughter: "But I don't have the basic skills, so moving up from there is hard."
一見、ティーンエイジャの「受験」の話をしているようですが、語っている話題は「料理」です。
At first glance, it seems that we are talking about teenagers' "examinations," but the topic we are talking about is "cooking.
私:「うん、私も、学生のころ『塾』やら『家庭教師』やらのバイトなんぞばかりをやっていたことを、酷く後悔している」
Me: "Yes, I also regret that I had so many part-time jobs, such as "cram school" and "tutoring" when I was a college student.
長女:「?」
Daughter:"?"
私:「小さな定食屋やレストランで、フライパンや鍋を使わせてもらえるようなバイトを、もっと沢山すべきだった。"調理"に関する技術を、もっと学んでおくべきだったと思う」
Me: "I should have had many more part-time jobs in small set menus and restaurants where I was allowed to use pans and pots." I should have learned more about the art of "cooking."
一般的な家庭料理が作れるレベルになっておくことが、いかに重要なことだったか、私のその後の人生で思い知ることになります。
I would later realize how important it was to have a skill level in common home cooking.
『冷蔵庫の中に残っているショボイ食材だけで、一品を作れるかどうか』。男女関係なく、これは重要なことのように思えます。
'Can you make a dish with only the shabby ingredients left in the fridge? This seems to be important regardless of gender.
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もっとも、最近は、栄養バランスもよく、美味しく、簡単なパッケージ食(弁当、冷凍食品等)も沢山ありますので、これが、本当に重要なことなのかは、判断が難しいところです。
However, it isn't easy to judge whether this is important since many packaged meals (bento boxes, frozen foods, etc.) are available these days that are delicious and easy to prepare, with good nutritional balance.
ただ、はっきり言えることは、『パッケージ食は、コストが高い』です。
However, what is clear is that 'packaged meals are expensive.
今後の私のリタイアなどを鑑みても、我が家の今後の生活がラクになっていくことは、ありえない話です。
In light of my future retirement, etc., our family's life can't be easier.
『50円で一品作れるか?』という問いに対して、"Yes"と言い続けるための訓練と準備は、怠れないのです。
"Can you make one dish for 50 yen?". We must be trained and prepared to keep saying "Yes.