「自分が嫌いだった」から始まる、日本人定番の自己憐憫の歌かとも思えるのですが、その歌の中で『巨大な二重否定』を行い、結論不明に陥いらせる、
本当に、素敵な曲です。
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ブスで頭もよくない私の前に現われた完璧な彼女。
曲の前半、美人で、愛想もよく、才能と魅力に溢れた彼女は、コンプレックスの塊である私に『(あなたは)そのままでいいのに』と語りかけ、そして『私には何もない』と謎の言葉を残す。
そして、曲の後半。彼女の死を、報される私。
彼女の『絶望』を全く理解できない私は、今は亡き彼女に、何度も問いかける。
「あなた何に恵まれていたのか」
「私は何に憧れて生きていけば良いのか」と。
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この曲の感想の多くは、もっぱら「亡き彼女に何度も問いかける『私』」の観点から、書かれているようですが、私は「完璧な彼女(シスター)」の観点から書いてみようと思います。
数える程しかないのですが、私のような者でも、人から、
『あなたのような人生を生きてみたい』
『地団駄を踏みたくなる程、羨しい』
と言われたことがあります。
酷い人になると『愛の永久機関』とまで言われたことがあります。
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なんなの、それ?
という感じです。
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自分の持っている自分と、他人の持っている自分との、この宇宙的スケールの認識の乖離。
この事実は、人間の幸・不幸の観念は、その人の立ち位置によって、全く異なるのだということを、私のDNAに書き込みました。
そして、何より『どうやら、人の評価なるものは、あんまり私には関係なさそうだ』ということが分かり、その後の私の、物事を決める基準になったようです。