「自分の人生を終わりにしたかった」「死刑になりたかった」
といって、無差別な殺人や傷害事件を行う犯人に対して、
『勝手に終わらせろよ』『全然関係の無い第三者を殺傷する必要が、どこにある』
と非難することは、至極当然のことです。
それ以上に、「非常に分かりにくい」のです、この犯人の心象風景は。
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今ではちょっと信じられないかもしれませんが、1970年代には、左翼系の過激派が、大企業のビルを爆弾で爆発させたり、あるいは銀行強盗などを行う事件が多数ありました。
勿論、世間からは轟々の非難の嵐があり、その左翼は『民衆を解放する為の革命』を掲げながら、当の民衆から「汚物」のように嫌われて、やがて存在意義を失い解体していき、今ではその影も形もありません。
しかしその過激派には、
「労働者を搾取する資本主義の走狗を殲滅する」
とか、
「革命運動を維持する組織の運営資金を資本家から奪回する」
などというような、『そりゃアンタ、ちょっと無理があるぜ』というような内容でも、苦しいなりに理由付けはしていたものです。
つまり、民衆の支援は「絶無」ではありましたが、一応の「理屈」は通していたのです。
(To be continued)