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2012-04-29 私の葬式には、絶対に来ないでくれ [長年日記]

昨日、大学のゼミの恩師の退官記念祝賀会に出席してきました。

場所は新大阪近くのホテル。出席人数200人超の大きなパーティで、先生のご人徳の賜物(たまもの)と言って良いでしょう。

しかし、当たり前ですが、関西と関東の間は、遠くて高くて時間がかかります。

大学とのコネクションを維持したい人(共同研究や依頼研究や、教授に博士論文の主査になって貰う等)は、大学の近くで就職して、居所を構えるべきだなぁ、と実感しました。

それはさておき。

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先日、この「祝賀会」に関して、以下のような日記を書きました。


====== ここから =====

楽観的な気休めを言うのは、もう止めましょう。

「いつか、どこかで、また出会える」ということが「ない」ことを、私達は知っている。

これからの人生で、再会する可能性が絶無であることを知っている。

会えるとしたら、多分、どっちかの葬式だろう。

しかし、葬式では、お互いに喋れないし、笑うこともできん。

そんなもんに、私は参列しない。勿論、私の方にも来なくていい。

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だから、最後にもう一度だけ、

動いていて、
喋っていて、
笑っている、

皆に会いたい。

私の人生で、苦しい時にいつでも支えてくれる、あの目も眩むような幸せな日々を一緒に作ってくれた皆に ――

―― 最後の最後に、もう一度、心からのお礼を言いたい。

====== ここまで =====

てなことを書いていました。

教授が退官されることになれば、我々が結集する場は事実上無くなります。

結婚する人はもう大体結婚しているから結婚式で集まることもないだろうし、関東と関西では、個人的につきあうには距離が遠すぎる。

遠距離恋愛は、「恋愛」というファクターでギリギリコネクションを維持できる「場合」があり、多くの場合、恋愛は距離に負けます。
(それを、逆に戦略的に使うという手法もあります(今、この場で「江端メソッド」と命名)が、これは別の機会に)

ですから、このパーティの最後には、仲間が号泣するような感動的な別離シーンを予想していたのです。

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私が甘かった。

私の「可愛い後輩達」は、それが、人生最後の出会いであろうが、なかろうが、相変わらず、先輩をいじって楽しむことに、何の躊躇もありませんでした。

『関東なんぞに行ってから、江端さんは変わってしまった。守りに入ってしまった江端さんに、何の価値があるんですか』

『会社に慣れない? そんなこと、最初からここにいる皆が分っていたのに、自分で理解するのに20年もかかったんですか』

『このタイミングで、舞台に乱入しないのですか? 江端さん、私はガッカリです』

いいですか。

この発言をしている彼等は、40台後半に差しかかった、全員がそれなりの社会的地位を有する、大人の男の会話であることを覚えておいて下さいね。大学生じゃないですよ。

帰りの新幹線のキップを握って会場を脱出しようとする私を、物理的に(暴力的に)取り押えて、帰宅を妨害しようとしました(20時台の新幹線に乗らないと、私は帰宅できない)。

彼等は、―― 多分、その後、彼等は私をそのまま夜の大阪の街に放置して、自分達だけは終電で帰宅する ―― そうだ、だんだん、思い出してきたぞ。彼等はそういう奴等(やつら)だった。

間違っても『江端さん、私の家に泊まって下さい』などと殊勝なことを言う奴等ではない。

『まだ夜は寒いですから気をつけて。新聞紙が暖かいらしいですよ』くらいのことは、平気で言う奴等だ。

忘れていた訳ではないのですが、彼等と私の関係は、20年以上の時を経ても、何にも変っていませんでした(もっと変わって良いと、私は思う)。

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そして、彼等は、私の葬式にやって来る。

そして、その葬式の最初から最後まで、私の悪口に花を咲かせ、そして、大声で笑い続けるだろう。

そして、親族や関係者は、私を「そういう人間だったか」と誤認して、私の葬式は、ただの騒乱した宴会と化すだろう。間違いない。

嫌だ。

それだけは避けたい。

何も言えずに、棺の中で黙り続けなければならないなど ―― 想像しただけでも、耐えられない。

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私は今、誇張、反語、いかなる逆説的な意味なく、心の底からお願いしたいのです。

『私の葬式には、絶対に来ないでくれ』

私の人生の最後の最後くらいは、

「私の尊厳と名誉を破壊するような行為に及ばないで欲しい」

と、今、土下座の気持ちで、お願い(懇願)に至っております。