「子供にパソコンを教えるのは良いことか」という議論が出てくるのが、私にはよく分かりません、
私は「良いことに決まっている」と思っています。
理由は便利で、自分の表現したいものを、現実に簡単に表現する「便利な機械」であるからです。
もし、悪いことであるとすれば、「電卓」も、「ソロバン」も、等しく否定されなければならないでしょうし、さらに言えば「シャープペン」や「鉛筆」までも否定されなければならないはずです。
これを極論であるという人はいると思いますが、それならそれで、合理的な反論を伺いたいと思います。
まあ、あるとすれば、猥褻サイトや、裏サイトというアクセスによる、子供への悪影響が気になる人もいるでしょう。
しかし、そのようなアクセスができなくするプロバイダもありますし、最悪LANケーブルを、ひっこ抜いてしまえば良いでしょう。
# 我が家の場合は、家族全員に「常に完璧な通信ログを記録している」と宣言しています。
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さて、パソコンやゲーム機を忌避(きひ)する人達の理屈は、常に同じです。
子供時代に、パソコンやゲームをやっていると、人間として「変になる」とか、外で走り回ることや、自然の中で泥だらけになることをしなければ、人間として「何かが歪むことになる」という、―― 奇妙な観念です。
では、反論します。
私はゲーム世代といわれる人間の一人です。
もっとも、私はゲームが苦手だったので、ゲームでは遊びませんでしたが、それほど屋外でも遊ばなかったし、泥遊びもしなかった。
酷暑の夏や、極寒の冬に、外を走り回るなどという、(子供心にも馬鹿げたと思う)行為もしなかった。
野原を駆け回ることもしなければ、虫を手で掴むこともしなかった。
で、その結果として、私は、一体何を失い、何に困っているのでしょうか。
別段、何も失っておらず、困っていることもありません。
子供時代に、外で走り回らなくても、泥だらけにならなくても、結局私たちは、大人になれば、経済や市場が要求する場所に配置され、その場所に応じた労働を提供することになるだけです。
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パソコンごときで、子供の人格形成が影響されると思っている人は、多分、パソコンときちんと向きあったことがないのでは、と思っています。
子供達にとって、パソコンの操作など、エレベータのボタンを押す程度のものです。
その程度のものが、人格に影響を与えるはずがありません。
パソコンごときに恐怖している大人達は、子供にその誤った脅迫観念を押しつけるのではなく、隅の方で黙って蹲(うずく)まっているのが、妥当な対応です。
『あの子達は、パソコンを操作しているのではなく、電卓を叩いているだけなのだ』、と自分自身に言い聞かせながら。
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ただ、この理屈は、少々、公平に欠けるかな、とは感じています。
私は、その気になれば、いつでも、
■子供達のパソコンの内容を破壊し、
■通信障害を発生させ、
■スマホの通話を妨害する
ことができます。
要するに「エロ本を取り上げる保護者」のITバージョンです。
このような「エロ本を力づくで取り上げる」手段を持たない保護者のイライラは、心情として理解できます。
とすると、我々IT研究者の次の市場は、
○保護者向けの、子供の通信内容の盗聴手段
○保護者による、子供の電話の妨害手段
といったところでしょうか。
うむ。これは需要がありそうだ。
早速、ビジネスモデルを組み立てて、市場規模を調べてみることにします。