私は、自分の書いたコラムに、「悪い評価」を書いてくる人が嫌いです。
・・・って、江端。何度、言っているんだ。いい加減しつこいぞ。
という声が聞こえてきそうですが。
えっと、今日はその話がしたいのではなくて、いわゆる「低評価」に対する、耐性、受容体の話です。
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Youtubeのコメントなどを見ていて、気がつくことが、あるコンテンツの「低評価」に対する、激しい憎悪です。
「なぜ、低評価をつけるのか理解できない」
という意見が、よく見られますし、
特に著作者自身の場合は、
「自分の動画に毎回低評価が付く件」
「毎回、低評価する人はだれか探しています」
「低評価を付けている人を特定出来るのか」
とか、犯人探しの様相まで呈しています。
私は「大人げない」とは言いませんよ。私も腹を立てている「当事者の著作者」なのですから。
ただ、私の場合はTwitterなどのコメントが多いので、逆に「何がどう悪かったのか教えて下さい」と聞けますし、実際に聞いています。
良いコメントと改善提案を貰える場合もあれば、「なんだ?その理由」と首をかしげる場合もありますし、逃げてしまう人もいます。
まあ、それはさておき、「低評価」の話に戻します。
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著作者自身でない場合では、特に「アニメソング」「ドラマ」なんかで、この「低評価」への非難コメントが多いです。
でも、これは仕方ないです。
アニメソングやドラマ主題歌は、アニメ等の内容(登場人物、背景、ストーリー)と一体化して聴取されるものだからです。
「この歌絶対にいいから!」と薦められた場合などは、想像できます。
→ アニメの内容を全然知らない人が、その歌を聞く
→ なにがどういいのか良く分からない。特に歌詞の内容が理解できない
→ 滅茶苦茶な数の「高評価」ボタンが押されている
→ なんか騙されたみたいだ。
→ えい!低評価ボタンをポチッと
と、こんな感じです。
もし、信じられないのであれば、20年~30年くらい前に流行ったアニメやドラマの主題歌を聞いてみて下さい。
あなただって、絶対に「この歌の、どこが、どう、心の琴線に触れる訳?」と思えるはずです。
もちろん、単なる臍(へそ)曲がりで、低評価ボタンを押す人もいると思うのですが、上記のような正当な理由(?)で押されている場合がある(そして、そっちの方が多い)と私は思っています。
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私が心配しているのは、耐性の弱さや、受容体の小ささです。
何かのアクションを起こせば、必ずその逆方向のベクトルが発生する ―― これは、自然法則です。
「高評価」があれば、かならず「低評価」が存在する。
こういうことを理解できずに、社会人になること自体には全然問題はありませんが、そのようことを理解できないと、逆ベクトルが存在していることだけで「苦しむ」ことになることです。
勿論、このような心ない(ように見える)「低評価」に慣れる必要はありません。
しかし、その背景や理屈を推測して、耐性を付けて、受容体を大きくすることは、何かを創作する人には、特に必要な能力だろうと思っています。
現実に、私は、これまで、そのような「低評価」に相当する仕打ちで、潰れた人を多く見ています。とても残念なことだと思います。
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で、一人の創作者として、私が取っている手段は、明快です。
■ 評価が見える環境を作らない
私の場合、ブログにコメント欄を付けていません。これでバッチリです。非難の言葉は聞こえてこないからです(賞賛の言葉も聞こえてこないですが)。
■ Twitterの評価は見ない
特に批判を受けそうなコラムを書いた場合には、見ないようにします。カウントだけ見ていれば良いのです。本当にまずいことなら、別のルート(編集部経由とかで)でも教えてくれるでしょうから。
■ 相手をトコトン調べる
大抵の場合、「悪い評価」を書いてくる人って、評価されるものを創作していない人が多いのですよ。Twitterのコメント履歴を見ても、非難や転送ばかりで、「何も生み出していない」。
はっきり言えば、その場の気分で好きなことを言うだけの、軽薄で浅学な人が多いように思えます(経験的には、学生が多いようです)。
■ 「絶対許せない」と思ったらトコトン闘う
公開の場(ネットでは埒があがらんから、直接会う)に引きずり出して、徹底的に議論するのです。これは負荷が多きて面倒です。
しかし、この提案をすると、大抵の人は黙ってしまいますが。
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To:創作に係わる全ての皆さん
「低評価」は、万有引力のような自然法則です。あまり気にしないで下さい。
To:創作物を評価する人
当然あなたがどのような評価をするかは、あなたの自由です。
但し、私の著作物だけは、非難してはなりません。