作品に対して批判されれば腹が立ち、褒められれば嬉しい。
それがツイッターやメールのメッセージに対する、私の基本的な反応です。
しかし、非常に稀ではありますが、第三の反応があるのです。
「どう反応すれば良いか分からないメッセージ」というものです。
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「何が書かれているのか、分からん」というフレーズは、、相手に批判に対する批判の応酬で、よく使われるものなのですが、私がこのように書くときは、「本当に分からない」時です。
多分「書いてきた人は分かっている」ということだけは分かるのです(その文章の勢いから)が、なにしろ、「思い」を一方的にただ書いているだけなので、まあ、なんというか、本当に意味不明。
私も精一杯の善意解釈を試みるのですが、その努力も届かないほどに、「訳分からん」
賞賛でもないし、批判でもないし、新しい問題提起をしている様にも見えず、自分の内面を吐露している風でもない。
一体、何をコメントされているのか、本当に分からないのです。
嬉しがることも、怒ることも、考え込むことも、同情することも、何もできないメッセージというのは、「大変困る」というよりも、
―― 気持ち悪い
自分が、"1"入力"0"出力のブラックボックスになったような気持ちになるのです。
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なんで、こんなことになるのだろうなぁ、と考えてみました。
これは、ツイッターのメッセージ数の短かさ、とか、ツイッターのその場の気分をそのまま吐き出すとかの、その性質に因るのだろうと思うのです。
140文字程度では、十分な背景の説明もできないでしょうから。
といって、「何をコメントされているのか、分からないです」と返事して、追加の説明をお願いするのは、大変気分を害されるだろうなぁ、とも思えますし。
それに、半分くらいは、自分のリテラシー不足(空気読めない等)の責任があるのかもしれませんし。
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多分、正解は「気持ち悪いまま、我慢する」だと思うのです。
今は、「スルーするコミュニケーション」、「白黒はっきりさせないコミュニケー ション」という文化を受忍していく時代なのだろうと思っています。
「論理」を唯一神とする、我々エンジニア教団にとっては、なかなか辛い時代なのかもしれません。