反原発派の人が、「原発の即時運転停止をすべきだ」というと、
原発派の人が、決め手のように言う言葉に、
「じゃあ、代替エネルギーはどうするんだよ」
といいます。
で、反原発派の人が「再利用可能エネルギー」があるといい、「では、そのエネルギー試算を出せ」と原発派の人がいう、と。
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私は、この「テンプレ」となった応酬を、心底面倒くさいなぁ、といつでも思っています。
反原発派の人は、以下のように言い切れば良いのです。
「代替エネルギーはない。だから、我が国の経済は失墜する。国際競争力は失われる。技術大国日本は終了する」
「だが、それらのデメリットは、一つの街を壊滅させないことの代償しては、概ね妥当ではないか」
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論点は明快です。
[A]:原発と経済力を失なうが、安全と安心を得る
[B]:原発を失わずに経済力を保持するが、命の危険に怯える
の二者択一です。
中間の道を探そうとするから面倒なんです。
極論と言われようとも、ここまで単純化しないと意見が纏まらないと思います。少くとも、私の頭では、ここまで持っていかないと、問題を把握できません。
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私は以前、「安全とは、人を殺すことと同義である」という技術コラムを寄稿したことがあります。
鉄道、交通、航空、エネルギーインフラ、どの分野でも例外はありません。
「安全」とは「殺される人の数」で、その確率を上げていくものであり、しかも、それは、100%に近づけることはできるけど、絶対に100%にはならないものであると。
「原発」だって制御システムである以上、それを安全に近づける為には、差し出す人命が要求されるはずです。
ここに例外を導入したのが「安全神話」という名の虚構で、そもそも、「制御システム」と「神話」は、互いに素なのですよ。
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私自身は、制御システム屋ですので、「原発」だけでなく、「鉄道」「交通」「航空」、いずれのシステムによっても、殺される覚悟はあります(勿論、殺された後の補償を放棄するという意味ではありませんが)。
しかし、そうでない人は沢山いるハズです。いや、むしろ、そっちが大多数かと思います。
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残るは、国民投票ですよ。参議院選挙も近いことですしね。
こんな感じの投票システムで。
「あなたは、[A]ですか、[B]ですか。いずれか一つに○を付けて下さい」