「ラクをしないと成果は出ない」という本を読んでいます。面白いです。
ここからは私の推測ですが、この本の表題「ラクをしないと成果は出ない」は、その本の内容をそのまま反映しているか、と問われれば、確かに反映しているとは思います。
しかし、ここでいうところの「ラク」と、私の考えている「停滞主義」の「ラク」は随分、乖離(かいり)があるなぁ、と感じます。
しかし、今日の話題は、書評ではなく、本の「タイトル」の方です。
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私の寄稿コラムのタイトルに関して、私にはその決定権がないというお話は以前しました。
ですから、「タイトルに引かれて読んだら、面白くなかった」という、私を二重に傷つけるツイッターのコメントを読むと、
―― タイトルは、私の責任ではないぞ!
と、言いたくなることがあります。
「どうせ傷付けられるのなら、自分でタイトル決めたい」
と思い、最近では、タイトルの提案もさせて貰っています。
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「ラクをしないと成果は出ない」というタイトルは、確かに上手いです。
著作者と編集者の苦労の後が見て取れます。
「この本を買ってみようか」と思わせるような表題を「キャッチー」のあるタイトルと言うそうです(編集担当者の方から教えて貰いました)。
最近、こういうタイトル、多いなぁと思い、ちょっと調べてみました。
■ライトノベル、コミック系
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」
「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い」
「俺の妹がこんなに可愛いわけがない。」(句読点「。」つき)
■長い題目という観点では、
「マンションは何千万円もして人生最大の買い物なのに高いか、安いかわからないしどうやって選んだらよいかわからない人が読む本」
「アイルランドにおける貧民の子女が、その両親ならびに国家にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案」
などなど。
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私の寄稿コラムの場合、
当初の提案が「TPPにおける知財への影響への懸念」という感じだったのですが、
これが、編集担当者さんの手を通ると、
―― プロっていうのは、こういうことなのだなぁ。
と、しみじみと思ったものです。