先日、町内会役員の任期満了に伴う改選があって、そのクジ引きに立ち合ってきました。
「クジ引き」ということは、誰も立候補者がいない、ということです。
「町内会役員」「PTA役員」は、我が国が誇る「2大忌避ボランティア」といっても過言ではありません。
いや、「忌避」する「ボランティア」では、矛盾表現ですが。
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不公平なほど過大な業務、纏まらない意見、進まない業務プロセス、外部からの山程の要求、クレーム、文句・・・
企業のような、ヒエラルヒーに基づく、指揮命令系統が存在せず、また移譲されている権限についても規定があやふやです。
収支決算報告なんて、素人が見ても「ウソつけ」と思うような、デタラメな記載に溢れかえっています。
「町内会の会計監査を、監査してやろうか」と思うことがありますが、思うだけです。面倒に巻き込まれうのは御免です。
こんなところで「正義」を使うべきではありません。「正義」は自分の私益の為だけに、普段から大切に残して置きたい。
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「くじ引き」は、スリルとサスペンスでした。
「頼む!、当たるな!!」という、出席者の表情が痛々しい。
このような犠牲、というか「人柱」を要求してまで、存続する価値が、「町内会」や「PTA」にあるのか、と問われれば、
―― 残念ながら「ある」
盆踊り、寺社祭り、子供会のイベント ―― そんなものは全滅させたって構わん。じいさん達の酒代の為に、自治会費を払っている気がすることも、不愉快です。
重要なのは、ただ一つ。
「地震等の災害発生時」の行政との窓口、または受け皿です。この母体組織がないと、住民の命に係わる事態となることもあるからです。
ですから、行政とのコネクションだけは定期的に維持していないと困ることになるのです。
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「町内会」や「PTA」は、災害救助準備組織、緊急時の高齢者支援組織としてだけ存在させれば良いのではないかと思うのですよ。
ただ、そういう目的のみに特化した組織づくりというのが難しいのも、理解できます。
人間の集団は機械やプログラムのように、簡単に動くものではないからです。
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そのように考えると、「町内会」や「PTA」が、どんなに不合理で、非効率で、虚しいと思っても、そして、「くじ引き」くらいが、人生最大のギャンブルくらいに感じる恐怖を伴っていたとしても、
―― 残念ながら、その存在を正面から否定するのは、かなり難しいと感じます。