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2013-07-27 「電子回路少年」へのエール [長年日記]

我が家の、ハンディビデオカメラの充電池が寿命となり、フル充電しても10分も持たなくなりました。

電気量販店に問い合わせたところ、同型の充電池は在庫期間を経過しており、新型では酷く値段が高いことが分かりました。

しかし、単に、電気を供給できればいいのだから、市販の電池を外部電源として取り込める外部パックを自作ことにしました。

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本日、午前、秋葉原でのミーティングに参加してした後、駅前の秋葉原電気会館のパーツ屋で、必要な部品を購入していました。

私が、目的の電池パックを見つけて、購入しようとしてたところ、小学生4年生くらいの、坊主頭の少年が二人、店の親父さんと話をしていました。

その少年が、親父さんに見せていた本は、その劣化具合から、約20年以上も前の、少年向けエレクトロニクス工作の本、と分かりました。

少年が示したページには、「自律走行型の手作り戦車」のページが開かれていました。

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親父さんは、優しい声で、少年に教えていました。

「まずね、こっちでこの光センサを買う前に、この「57」のICを先に手に入れた方が良いよ。もう売っていないかもしれないからね。」

「1階の○○商店の人に、「57」のICがあるか尋ねてきてごらん」

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その様子を見ていて、私は、ここ何年か感じたことがないくらい、嬉しくなってきました。

そして、すでに何分も待たされているにも係わらず、笑顔で、その少年達と親父さん達の会話を見つづけていました。

一瞬、『その少年達の買い物を助けてやろうか』とも思いましたが、グッと思い留まりました。

『ここで大人が手を出してはならない』と思いまして。

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少年達が、一階に走ってかけ降りていったところで、私は店の親父さんに、電池パックの他、必要な部品を出して貰いながら ―― 私としては、大変珍しいのですが ―― その親父さんに語りかけました。

江端:「いいですね。電子回路の部品を求めて、秋葉原を走り回る小学生が見れるとは、今日は本当についている」

親父さんは、軽い無言の笑顔で、私に応えました。

江端:「やっぱり、夏休みになると、あのような電子工作少年が現われるのですか」

親父さん:「いや、最近はさっぱり見ないね。珍しいよ」

江端:「そうですか。寂しいですね」

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彼らの、恐らく人生最初の夏休みの電子工作は ―― 失敗する。

電子回路は、例え、それが子供向けのものであろうとも、例え、一箇所の配線ミス、極性間違い、接続不良であろうとも、ピクリとも動かないのです。

電子回路には「半分だけ動く」ということは、絶対にないのです。「動く」か「動かない」の2つの状態しかありません。

組み立てるだけで100%完成する、紙細工やプラモデルと、電子回路の決定的な違いは、そこにあります。

その原因を追求していく為には、一つ一つの原因を、丹念に潰していく必要があり、最初はどうしても、失敗とそれによる小遣いの損失からスタートしなければならないのです。

彼等にとって、この暑い夏が、最初の挫折になることは、ほぼ間違いありません。

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電子工作少年になれるかどうかの瀬戸際は、そこで「挫折するか」「立ち向かうか」です。

ちなみに、私は「挫折」組です。

高校生までの電子回路は、全部動きませんでした。

大学の研究で作った自走リモコンカー(ファジィカー)にしても、友人のアドバイスがなければ、作れなかったです。

私が、自力で電子回路を作り切ったと言えるのは、35歳を過ぎでからの、これが最初ではないかと思います。

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『がんばれ、少年! 君達の敗北は折り込み済みだ。だが、まあ、とにかく続けてみろ』と、心の中で、彼らの背中にエールを送った私でした。