スタジオジブリの最新作品「風立ちぬ」で、頻繁に登場する喫煙シーン描写に対して、日本禁煙学会が苦言を呈した、という事件があったそうです。
もちろん、今、めちゃくちゃな炎上事件になっているようです。
例えば、
「その時代考証に即した描写に対して、何を言っているのだ!」
「創作物の描写が批判されるのであれば、銃を乱射するドラマや、時代劇の刀を振り回すシーンも、批判されるべきなのか!」
とか。
ところが、私はこの事件に関して、自分でも驚く程、何の感情も起ってこないのです。
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現時点において、日本禁煙学会以外に、このような苦言を行うに相応わしい組織はないでしょう。
そして、スタジオジブリの作品に対して、このような苦言を行えば、どーなるかは、当然、日本禁煙学会だって十分に理解してやっているハズ ―― と、思えるのです。
「やりたくねーな」
「嫌な思い出の夏になりそうだなぁ」
「でも、そういうイヤな役目を敢えてやることが、我々の存在意義だろうしなぁ」
「まあ、10年後にどう評価されているかを待つとして、しゃーねーなー。この夏は、痛い目に合ってくるかぁ」
というような会話が、あっただろうと(勝手に)思っています。
この映画だけに関しては、「黙っている」という選択肢だってあった筈だし、「日和った」方がはるかに楽だったでしょう。
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違法な二次創作に関して、どんなに丁寧にロジックを詰み上げて、その違法性を説明しても、剥き出しの感情だけの汚い酷い言葉で傷付けられる「物書きエンジニア」としては、
私は、日本禁煙学会の「やりたくなかっただろう(と思う)苦言」という(私の勝手な)仮説を信じたいのです。
―― とまあ、ここまで、全部、私の善意の解釈です。
案外、もっと単純な話かもしれません。
日本禁煙学会は、そのようなことを、全く何も考えていなかったかもしれないし、
または、炎上による知名度向上まで考えていたのであれば、それはそれで、感心できます。
また、この映画が「風立ちぬ」でなく、別の映画であったとした場合、今回の事件の風景は全然変わっていただろう、と思えるのです。
例えば、架空の映画である「火立ちぬ」という映画を想定してみて、「火立ちぬ」が、全く有名でなく、児童向けの映画であった場合にも、同じ評価ができるだろうか、と。
もっとも、「そのような仮説には意味がない」と意見も、私は受け入れられます。
それでも、コンテンツの著名度によって、評価や立場を変えるような学会であれば、私はその学会を信用しません。
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今回の事件で、私が注目しているのは、その「反応」の方です。
この事件が炎上するのは、まあ、当然であろうとは思うのですが、
バラエティ番組に登場する著名な脳科学の先生が、酷く汚ない言葉で「日本禁煙学会」を批難しているのを見て、「ドン引き」しました。
『この人、こんな、直線的で単純な思考をする人だったんだ』と気づかされて、とてもガッカリした気持になりました。