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2013-09-25 創作物と創作者に対して、もっと愛と配慮を [長年日記]

私の居住している市の図書館は、蔵書量が豊富で、インターネットで予約ができ、予約確保をメールで知らせてくれる

―― 夢のようなシステム

を実現してくれています。

あとは、「本の宅配」をしてくれたら完璧ですが、さすがに、市役所の人に殴られそうなので、この辺で止めておきます。

しかしですね、鶴川駅前図書館(あそこは、町田駅の図書館よりも駅に近いから、アクセスは良いかと)だけでもいいから24時間営業にするとか、いや、それが駄目なら、深夜の無人貸出・返却ステムの導入(システム構築のコンサル、無料で手伝います)とか、いっそうのこと、コンビニエンスストアとダッグを組むことだって ―― は、離せ! 私は町田市民だ! まだ、言いたいことがぁぁぁーー!!

閑話休題

いずれにしろ、属性「乱読」の私にとって、この市の図書館システムはパラダイスです。

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ただ一つ問題があるとすれば、本に「書き込み」ができず、風呂に持ち込めないことです(当たり前だ)。

これが結構、私にはストレスなのです。

本とは湯船につき落してからが、本当の「裸の付き合い」と信じている私にとって、図書館で借りる本というのは、どこか「お客さん」扱いで、今ひとつ、つっこんだ付き合いができないような感じがするのですよ。

それはさておき。

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Amazonなどで、低評価の本の書評を読むと、腹が立ちます。

「がっかり」だの、「期待外れ」だの、「ディテールが甘い」だの。

こういう書評を読むと、まるで出会った彼女/彼の悪口をいう、下品な男/女のよいうに見えて、私は、実に不愉快です。

本と出会うというのは、一期一会。その本と付き合ってみて、それが自分に気に入らなかったからといって、それを、後ろ足で砂を蹴るような言い草は、「不遜である」と思えるのです。

低評価であるのは構わんのだけど、

「私とは上手くいかなかったかな」とか

「出会ったタイミングが悪かったのよ」とか、

どこか遠い目をしながら、本の書評をする、ということができんものでしょうか。

本は自分で自分を弁護できないのです(私のように、私の著書にネガティブな評価をする人に、直接質問の攻勢をしかける人間はレアケース)。

著作物に対する「思いやり」や、「愛」が足りないのではないか、と思うのです。

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いや、勿論、分かっています。書評が「そういうもの」ではないことは。

批評は批評として、価値も意義もあるものであることも、よく理解しています。

しかし、不合理で無茶苦茶な物言いであったとしても、その著作を生み出した著者にとって、その著書は大切な娘や息子のようなものなのです。

批判は構わないのですが、そこに一定の敬意と配慮を払って欲しいのです。

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例えば、私の娘たちに対して、

「うん、この子は、美人とは言えないな。不細工と言えよう。もっと目をパッチリとさせるべきであったな」

と言う人がいたら、誓って言えますが、

―― 私は、その人を殺す。もっとも苦痛を与える手段を用いて。