長女が小学生の頃、風邪から自家中毒になることが多くて、よく深夜(午前2時頃)に、娘を自動車に載せて救急病院に走り込んでいました。
苦しそうで見ているのが本当に辛くて、とにかく先生に懇願して、点滴をお願いまくっていました。
点滴をを投入されながら、スヤスヤと眠っている娘を見ると、「ああ、本当に、こんな幸せな時間はないな」と思いながら、午前5時頃に会社にメールを一本送ったあと、娘の寝ているベッドの下の床の上に転がって、仮眠を取っていました。今でも、「あんなに安らかな仮眠はなかった」と言い切れます。
ちなみに、娘は、人生で一番大好きだった時間は「点滴」と言い切っているくらいです。自家中毒の地獄を垣間見た人間として、重い言葉です。
それはさておき。
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あれは、娘を運び込んだ病院での、極寒の冬の夜のことでした。
娘が点滴で眠りについて、ホッとしている所に、救急車で搬入されてきた男性がいました。
過度な肥満男性、顔もぶくぶくとでかく、眼鏡をかけていて、一応スーツは着ているのですが、全体的に汚物イメージ、ベッドに入りきらない巨体、やかましい鼾(いびき)。
泥酔して道で寝こんでいたところを、搬入されたきたようです。あの極寒の中、屋外で寝こめば、確実に死んでいたことでしょうが、どこをどうみても「助けてやりたい」という気持ちが、1mmも発生しないような、汚いオッサンでした。
人道上、どのような人であっても助けなければならない ―― とは思うのですが、私は、二人目の自家中毒に苦しむ小学生がかつぎこまれてきたら、このオッサンを、ベッドから叩き落すのに躊躇はしないだろう、と思いました。
何があったのかは知らんが、もし、「真冬の夜に屋外で寝こむリスクも理解せずに、泥酔するまで飲んだだけ」であれば、私なら放置する。
これは「不作為による殺人罪」の適用の余地があるかもしれないが(最判平成15(あ)1468)、それでも、私は助けないと思う。私も助けて貰えなかったことを勘案しても、概ね妥当だと思う。
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実際、看護師さんの対応も実に冷たかった。
「早く起きて、とっとと帰って下さい」と、男性をベッドから蹴り落すくらいの迫力はありました。(お前のような奴の為に、ここの運営しているんじゃねーよ)という感じ、まったく同意できました。
そして、このオッサンは、最後まで一言も発することもなく、ゾンビのような歩き方で、診療室を出ていったようです。
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しかし、これが若いイケメンや、清楚なイメージの女性、礼儀正しい紳士や御婦人であった場合でも、私は、このオッサンと同様の気持ちを持っただろうか ―― と思うと、私には、自信がありません。
オッサンは、明かに、私に「外見で差別された」のです。しかも、「外見の為に、命の危機にさえ晒された」と言っても過言ではないでしょう。
これは、私という人間の、浅学、卑怯、狭量を表わす明らかな属性であると思うのですが、しかし、私は努力して、それを改善する気がないのです。
今、冷静になって、あのオッサンのことを思い出してみるのですが、―― 今でさえ「真冬の空の下に置き去りにできる」という自信が、私にはあるのです。