寄稿コラムに対するツイッターを見ていると、「嬉しい」「楽しい」と思うものもありますが、「腹が立つ」ものが多いです。
そして、私は、その「腹が立つ」方のメッセージを、忘れません。
そのような「腹が立つ」メッセージを、全部、ツイッターのアドレスを含めて全文を日記で公開して、全部論駁してやろうか、というプランを考えています ―― が、未だ実施しておりません。
『江端のコラムに下手なコメント付けると、えげつないないやり方で撃たれる』
という、風評だけは抑えなくてはならない、というところでギリギリ踏ん張っています(もう「手遅れ」だという気もしていますが)。
「むかつくけど、正しい」「悔しいけど筋は通っている」「よく分からないけど、私の知らないことを、この人は知っているのだろう」と思えるコメントまでを、消したくはないのです。
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特に、「よく分からないけど、私の知らないことを、この人は知っているのだろう」と思わせるようなコメントが問題となります。
「難しい専門用語」を使っているコメントとか「ロジックが間違っている」という主張に対しては、
―― 私は喰いつく。徹底的に喰いつく。
■その専門用語を周到かつ完璧に調べ上げ、
■間違っていると指摘を受けたロジックは、およそ想像し得るあらゆる角度から分類し、比較し、検討し、吟味し、分析し、体系化した上で解体し、統合し、止揚し、脱構築化した後に再構築を試みます。
その上で、質問のコメントを返します。「分かりません。教えて下さい」と。
で、その結果の殆どが、この有様です。
ツイッターを書く人は、20秒程度で書いているのでしょうが、私は、少くとも20時間以上はかけています。そして、「専門用語」とか「ロジックの瑕疵」について、散々検討した挙げくに、この結果。
「そりゃないよ」と本当に泣けてきます。
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私は今回のようなネタについては、厚生労働省に勤務している方とか、人口問題のNPO法人の方から、厳しい意見を貰えると期待して待っているのです。
勿論、身分を明かして頂く必要はありません。メールで議論させて頂ければ、私だって察することくらいはできます。
それとも、そのような方々には、厳しい守秘義務か、自己倫理に基づく秘密保持を行っているのかもしれません。大切な国家戦略であれば、やすやすと外部に流出する訳にはいかないのかも、とも思います。
というか、根本的に、そのような人達は、ツイッターなどには、関わらないようにしているのかもしれません。
まあ、それはさておき。
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「ツイッターは、つぶやくメディアなのだから、つぶやいたことに、そんな厳しい対応をされても困る」
という意見が、もう世の中で通用しないことは、ご存知の通りです。
それでも分からない人の為に、例で挙げてみましょう。
すれちがいざまに「ブス」とか「ハゲ」とか「臭い」とか言われても、これは「つぶやき」で、「言論の自由」で、「表現の保証」だ、と思える人は、それは、それで結構です。
しかし、私は、そちらには与しない。
私は、絶対に逃がさない、と決めたのです。