この話は何度も書いていて、本当にしつこいのですが ――
私は血液型や星座による性格判定やら占いやらを、絶対的な意味で信じない一人です。
これは統計的とか、科学的とか、あるいは生物学的とか、また、観念でも、信念でもなく、「絶対的にあてにならないこと」を知っているからです。
正確にいうと「私については、絶対的に信じない」というのが正しいのかもしれません。
■無口で一途な正確
■信念に従い、意志が固く、不言実行型
■成功するまでは、決してあきらめない根性の人
■理知的で、天才肌
一体、誰だ、それは?
上記の内容、私の血液型と誕生日から調べると、どれを見てもほぼ同じ。
そのようなフレーズを作成している著者に、「お前等には、創作力はないのか」と蔑んでしまいそうです。
以前にも書きましたが、「誰よりも分かっているはずの自分の性格を、他人に当てて貰って喜んでいる人」が、一体何に喜んでいるのか、私には全く分かりません。
しかし、占いコーナとか、今日の運勢とかの記載が、雑誌からなくなったという話は、ついぞ聞きたことがありません。
ということは、我々は、「デタラメでも、嘘でもいいから、誰かにアドバイスをしてもらいたい」生き物であると推認されます。
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では、「アドバイス」という観点から考えてみます。
私、学生時代に、進路で悩んだことがあり、人生で一度だけ、手相占いをして貰ったことがあるのです。
その時分かったことは、その占い師を称する人が、私の「手」ではなく、「顔」を見ていた、ということです。
最初、その占い師なる人は、私が望んでいることとと真逆のことを言っていたのですが、私の顔色を伺いながら、適当な会話を続けている内に、それを完全に「私の意に沿った」方向に転換することに成功したのです。
『人の顔色を見て、その結論を変える』
そんなことは、我々のようなサラリーマンであれば、誰もが持っているスキルです。
上司、顧客に対して、我々サラリーマンは、彼らにとって「心地よい答」をいつでも取り出せるようにしているように準備しているはずです。
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なんのことはない、私たちサラリーマンは占い師なのです。
ならば、何も占い師なんぞに3000円もの金(今でも、私は心底腹を立てている)を払う必要なないのです。自分に尋ねれば良いのです。
我々が占い師であるなら、「我々の考ていること自体が、その占いの結果となる」ということは、当然のことです。