(Continuation from yesterday)
―― なんで、江端は、こんなに「説教」というものを憎悪しているんだ
Some people think that
"Why does Ebata hate "sermon" with violence"
と思われる方も多いと思います。
それはですね、私は、「説教をされる」という不愉快な目に、普通の人より多く巡りあってきて、
The reason is that I have face unpleasant scenes more than others in my life.
(そして、ここが大切なのですが)、そいつらの説教の殆どが、「私には、全く、1mmたりとも、何の役にも立たなかったこと」を、身に染みて実感している当人であるからです。
(And it is an important point) I am a real person who know well that the sermons have never been useful for my life, at all.
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私は、「誰の説教からも、何も得るものがなかった」「クソの役にも立たたなかった」 ―― と断言します。
I can tell you that "any sermon has been meaningless"
私の人生の師匠は、私が自分で決めて、実行して、その上で獲得した「失敗」だけです。
The teacher of my life is "failure" that I have decided by myself, have carried it out by myself, and after that I have gotten by myself.
「失敗」という「痛み」だけが、私を導いてきたし、多分、これからも、そのように生きていくしか、私は術(すべ)を知りません。
Only "a pain" of "the failure" has given me my life, and I don't know another way to live my life from now.
かっこ悪くて、不器用で、不細工だけど、これが私の生きる道なのです。
Though they are clunky and awkward, this is my life.