(Continuation from yesterday)
しかし、「自分に対して、評価を言ってくれる他人がいない」というのは、不幸なことか、と言われれば、必ずしもそのようなことはない、とも思うのです。
However, even if I am asked whether it is unfortunate that "no other who tells the evaluation about myself". I don't think it is always bad.
なぜなら、大抵の場合、
Because, in most case, the following equation is established
"他人の意見 - 自分の認識 = (自分の)不愉快"
"Evaluation of others" - "Self-recognition" = "Unpleasant of myself"
が成立するからです。
だから、私は、自分に関する他人の意見を、わざわざ尋ねに行ったりしません。
So, I will not go asking others of "opinions about myself".
不愉快になるに決まっていますから。
They do make me unpleasant absolutely.
『本当にどうしても必要』という時だけ、やむなく「他人の意見」をお願いすることがありますが、恐しくレアケースです。
Only when it is "really absolutely necessary", I am going to ask for "opinion from others". However, it is a really rare case.
『自分に対する諫言を、ありがたく受けいれる』
"Gratefully I can accept criticisms against me"
などと言っている人は、心を病んでいるか、頭がどうかしているのではないかと思います。
I am afraid that such a people is suffering from heart, or just crazy.
まあ、私のこういうとことが「乱暴な表現」と言われているんだろうなーということも分かってはいるのですか。
Well, I have known well that my behaviors like the above are causes of "rough expression".
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私がその人に対して、人に評価を述べる時は、「その人が私に不利益を与える」と判断した場合に限ります。
Whenever I decided "this person gives me disadvantage", I will state the evaluation of them,
私は、私と関係のない世界で、その人が、何を考えて、どう行動して、人に好かれようが、嫌われようが、
In a world unrelated to me, what they think and how they act, whether they likes me or dislikes me,
―― 全く、本気で、これっぽちも、欠片も、興味がありません。
Indeed, I'm not interested in them seriously at all.
というか、なんで、そんなに他人のことに興味があるのか、私には本当に「分からない」。
I mean, I can not really understand why they are interested in other so much.
(To be continued)