(Continuation from yesterday)
いや、正直に言えば、私は「『俺ってスゴいだろう』アピールをする奴」をうっとうしいと思っているよりも、
To be honest, I don't think that I annoy the person who appeal "I'm awesome"
「俺ってスゴいだろうアピールをしてきた私(江端)」に憂鬱になっているのです。
I annoy me, who have appealed "I'm awesome".
「俺ってスゴいだろうアピールをする奴」って、驚くほど、かつての私とそっくりなのです。
"A guy who appeals "I'm awesome"" is surprisingly similar to me once.
もうぶっちゃけ
Finally,
―― お前は俺か
"Are you me ?"
というくらい似ています。
They are similar like that.
どれだけの人間を不快にしてきたのだろう ―― と思うと、申し訳ない気持ちで一杯になります。
"I wonder how many people made it unpleasant" I feel sorry for them.
-----
私は、「黒歴史」という言葉は好きではありません。
I do not like the word "black history".
どの世代の自分であれ、その世代の自分をちゃんと肯定してあげないと、自分が可哀相だと思うからです。
Whichever generation of myself, if I do not accept myself of pasted generation properly, I think that I have been poor.
ですから、「俺ってスゴいだろうアピールをしてきた私(江端)」も受け入れる所存です。
Therefore, I am willing to accept "I'm (Ebata)" who appealed "I'm awesome"
ただ、私によって、不快な気分にされた人に対して「申し訳ない」と思う気持ちは、謙虚に受け入れなければならないと思うのです。
However, I think that I must humbly accept the feeling of thinking "I'm sorry" for those who made me feel uncomfortable.
そして、その人たちの「優しさ」によって、私が見守られてきた(見過して貰ってきた)ということも事実として受け入れなければなりません。
And, as a fact, I must accept that I have been watched (gotten overlooked) by their "kindness".
故に、
Therefore, I think
―― 「俺ってスゴいだろうアピールをする奴」には、「さしすせそ」で流す
- I ignore "a person who appeals "I'm awesome" with "Sasshisuseso" strategy.
というのが、私としては正しい振る舞いかと思う訳です。
I think that it is the correct behavior as I am.
(To be continued)