(Continuation from yesterday)
「このグループのファンが多数存在する」というのは、確かなようです。
I know that there are many devotees of this singer group.
ですので、マジョリティの関心のある事項がニュースソースになるのは、至って自然なことです。
I think that it is natural that the issue majority is interested come to a momentous news.
マスコミも、内閣官房長官も、別段、間違ったことをしているとも思えません。
The attitude of both medias and the Chief Cabinet Secretary seem to be not at all unusual
なのに、私の中に感じる、この強烈な違和感は何だろうか? ―― と考え続けてきました。
However, I have thought that "What is this big uncomfortable feeling in my mind ?"
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現時点では、仮説なのですが、こんな風に考えています。
At the present, I think the following, however that is a just my assumption.
このニュースには、
There is no ask a question of
『で、お前には、何ができる?』
"What can you do against this news?
という問いかけがなく、私にできるリアクションがない、ということです。
and there is also no reaction against it.
子どもの虐待や、政府の不正統計や、詐欺や、交通事故や火災事故、これらは、自分との関わり合いの比率は異なりますが、「自分の問題」でもあります。
Physical abuse of children, unfair of government statistics, fraud case, traffic accident and fire accident. how much the ratio of our life is, they are also our problems too.
これらのニュースに対して、私たちは、憤怒し、体制批判をし、自己批判をし、自分に対して注意換気をし、そして、それらの問題を、自分の問題として考えて、対策を頭の中に思い浮べる、ということができます。
To hear the new, we can get angry, criticize the government and myself, and pay attentions. And we can get the problem as ourselves and come to think to avoid or resolve the problem.
しかし、この「この人気グループの解散」というニュースに対して、私は、そのニュース以上のことを思い浮べることが全くできなかったのです。
However, according to "the news of disbandment of popular singer group", I could not feel more than the news content.
この一点において、私は違和感を感じた ―― そういう仮説を立てています。
"This is the reason of uncomfortable feeling in my mind". This is my my assumption.
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と、ここまで書いて、気がついたのですが、
Now I notice that
―― かなり多くの人は、この人気グループの解散を、「悲しい」と感じるいるのではないか?
"Do many people feel "sad" for the disbandment of popular singer group ?"
ということに気がつきました。
つまり、このニュースは「訃報」なのだ、と。
That means that this news is an "obituary".
国民的に愛されてきた俳優さんや、偉大な業績を上げてきた政治家や研究者の死に即した時と同じである、と思い至りました。
as the same obituary of actors who had been loved by the public, or politician, scientist of great attainments.
それは、親しい人や愛する人の「訃報」とは違い、
That is not "obituary" based on "love" or "familiarity", but, for example,
「あの人の演技をもっと見たかった」「あの人が生きていれば、もっと世の中の為に色々働いてくれたはずなのに」という、
"I wanted to watch his/her acting" or "I wanted to keep working for our good life",
その人の「パフォーマンスの消滅」を残念に思う―― その手の「訃報」
"obituary" based on "regret" of "disappearance of their performances or abilities"
そのように考えることで、私はようやく自分を納得させることができました。
Thinking the above, I could understand the reason of my unpleasant feeling.
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まあ、逆に言えば、私は、その人気グループの訃報に際しても、、
On the contrary, according to "the news of disbandment of popular singer group"
「1mmの感慨もない」
"I don't feel anything"
ということを、再確認したということです。
I could reconfirm that in my mind.