モノを作る技術、というのは、一種の保険であると考えており、私は、(会社の仕事はサボっても)、流行りの技術のキャッチアップだけは怠らないように努めてきました。
I believe that the art of making things is a kind of insurance policy, and I have always tried to keep up with the latest trends in technology (even if I skip company work).
で、今、これを見て、心底驚愕しています。
And now, I am truly astonished to read this.
―― 何か怖いものを見た
"I watched something scary"
という感じです。
It is like that.
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もっともメーカーでなくても、「技術」は必要ですが、その技術は、人間の存在を前提とする技術 ―― コミュニケーションとか、人たらしとか、セールストークとか、カリスマとか ―― がメインになるのではないか、と思うのです。
I think that even if you are not a engineer, you still need "technology," but that technology should be mainly based on the existence of human beings--communication, charisma, sales talk, charisma, and so on.
その認識自体、すでに見誤っているのでしょうか?
Is that perception itself already misguided?
例えば、私の場合、明日会社を放り出されても、『パソコンがあれば、なんとかなるだろう』という漠然(ばくぜん)とした期待があります。
For example, in my case, I have a vague expectation that even if I am thrown out of the company tomorrow, I will be able to get by with a computer.
大抵の装置であれば、マニュアル読めば動かすことができるだろう、とも思っています。
I also believe that if I read the manual, I will be able to run most machines.
これが、人間の存在を前提としない「モノを作る技術」であり「一種の保険」と思っているものです。
This is what I consider a "technology of making things" and "a kind of insurance" that does not presuppose human existence.
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近年は、都市設計とか、地域サービスとか、地域復興とか、モノ作りの興味が変化していっているのは知っていますが ―― だとしても、
I know that in recent years, urban design, community service, and community revitalization have been popular -- however, I think, that
『その設計した何かは、ハードウェアと、プログラムと、データベースと、スマホなしでは動き出さんぞ』
"Something you've designed doesn't start working without hardware, program, database, and smartphone."
とは、思うのです。