1.背景
(1)先日(3月23日)、福島原発の事故の影響で、東京都の浄水場の水道水から、乳児の摂取制限の規制値を超える放射性ヨウ素が検出さた。
(2)当該検出された放射性物質は、乳幼児以外には深刻な影響を与えるものではないにも関わらず、東京ではミネラルウォータの買占めが発生した。
(3)かかるミネラルウォータは、乳幼児の授乳用のミルクに不可欠であるので、かかる買占めを行うべきではないが、将来、成人をも対象とし得る水質汚染が発生する可能性は否定できない。
2.研究の目的
(1)本研究の目的は、2011年03月26日に報告した研究報告『「お茶」で「うどん」を作る』の続報である。
(2)今回は、甘味系清涼飲料水の中でも、最もクセがあり強烈な甘味と刺激を有する「コーラ」を用いて、我が国の代表的料理である「カレー」を製作し、その食用性の成否について検討したものである。
3.結論
「コーラ」で製作された「カレー」は、食用に耐えない。
4.実験経緯
(1)カレー製作のプロセスにおいて「水」の代りに、同量の「コーラ」を使用すること以外に、特記する事項は特になし。
(2)カレールーを入れる前の段階までは、甘味の鶏肉の野菜煮込み風味であり、新しい料理への可能性が示唆されたと考える。
(3)但しこの味付は、報告者の人生において体験したことのない最初の味覚であり、これまでのいかなる料理とも比類し得ない、新規なる珍味であった。
(4)カレールーを入れて、さらに砕いた唐辛子を入れて、コーラの甘味に対抗しようとした。味見を続けている内に、米国のコロラドで食した酢豚を覚醒させるに至った。
なお米国においては、豚をジャムに合わせる調理が一般的であり、また一般的ではないが、御飯にイチゴジャムを乗せて食すという若者もいる(見た)。
(5)コーラで食材を煮たてると、水分が相当早く失われるようであり、止むなく、追加してコーラを追加させたが、この段階から、本格的な味の崩壊が始まったと推認される。
(6)完成したカレーは約4人分。小皿に取って何とか一皿を試食したが、とてもライスと合わせて食せるものではなかった。その理由について以下に考察する。
(a)まず、視覚はこの料理を「カレー」と認識するが、味覚は「カレーではない」と拒否する。
(b)脳は、過去のデータベースに基づいて、この料理に最も近い料理を検索するものの、事例を発見できず情報処理機能が破綻する。
(c)脳は、観念から「けっしてマズくはないが、このコーラが煮つかったカレーような物体は何だ?」と問い、各種の消化器に対して、食材を拒否する指令を出す。
(d)これは一種の「嘔吐感」と呼ばれるものと類似の生体反応であったことを、研究者としての報告者は否定してはならないであろう。
5.考察
(1)甘味系飲料(特にコーラの様に甘味が強烈なものは)、例え辛味系食材であったとしても対抗できない。少なくともコーラは、全ての食材の味を破壊すると考えて差し支えないであろう。
(2)しかし、(これは負け惜しみではなく)「お茶」であれば、カレーは問題なく成功したと考える。要するに、料理の最大の障害は「甘味」であると推認される。
(3)我々は非常用飲料水として、(「水」が望ましいことは言うまでもないが)可能な限り、甘味系飲料水を避けるべきである。甘味系でなければ、震災時、被災時にも、応用性の高い使用(料理への転用)などが可能である。
(4)上記について、特に国、地方自治体、NPOの各種団体に対して、強く勧告するものである。
以上
4月20日から公開される、映画版シュタインズゲートの予告を見ました。
「D-mail」の真の発明者である私としては、誰の批評も聞かず、いかなる先入観もなく、この映画を鑑賞したい、と思いました。
という訳で、私、4月20日、体調を崩すか、歯が痛くなるか、あるいは、2回目の肉離れを起こすか、不明ではありますが、
半休、または年休取りますので、関係各位は、よろしくお願いします。
それはさておき。
「2回目の肉離れ」といえば、前回の「肉離れ事件」から、私は学習したことがあります。
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先日、通勤電車の中で、ようやく歩き始めることができたという感じの子供が、私の視界の中にありました。
その娘は、母親の手を離れて、電車の中で立っていたのですが、この時、電車が軽く加速しはじめて、子供がフラフラと倒れそうになりました。
その時、私は、すでに両足で床を蹴るために軽くしゃがむ態勢に入っており、その娘を母親が捕まえることができなければ、「第二回目の肉離れ」を起こすところでした。
この話は、「自己満足の美談」ではすまない、もっと深刻なレベル話です。
■その娘と私の間には、少なくとも3人の乗客が吊革に捕まって立っており、私がダッシュしようが、何をしようが、私は、その娘を絶対に救助できる位置には立っていなかったこと。
■(前回と違って)、私には、その娘を助けようという思考が全くなかったこと。
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ゾクっとしましたね。
―― 脊髄反射
脊髄反射とは、、熱い物に触れた時に、火傷の被害を最小にする為、脳の判断を待たずに、脊髄が、手に対してその物体から離れようとする命令を発生する、生物のメカニズムです。
これは、生命が淘汰を繰り返して獲得した、制御システムの一つです。
しかし、その制御の目的は「自己の生存を保持する為」に限定されています。
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「他人の危険」の為に、自分の身体が、自分の脳による判断を待たずに、勝手に動き出す。
そんなことを続けていれば、「自己の生存」の方が危うくなるではないか。(現実に、私は2週間の松葉杖の生活を余儀なくされているし)
冗談ではない。そんな、制御システムはいらん。
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この制御システムを破壊する方法については、現在検討中です。
しかし、当面の暫定的な処理としては、
―― やばそうなもの(流れていくベビーカー、歩行が危うい幼児)からは、「目 を背ける」
という方法で対応中です。
この時期は、卒業式とか入学式で、校長先生のありがたいお言葉を頂く機会でもあるのですが、娘たちの話に因ると、未だに、
However children in school have chances to be given messages from head teachers in this period, from the opinions of my daughters,
―― 絶望的につまらないスピーチをする校長先生が、まだ存在する
There is still a head teacher who make student to be bored to death.
らしいのです。
本当に「なぜだろう」と思っています。
I don't know the reason why they could be the head teachers.
江端:「で、そのスピーチの内容は何だったんだ?」
"What topics was he talking?"
次女:「全く覚えていない」
"I didn't remember it at all"
つまり、校長先生のスピーチは、なくったっていいですよ。だって、覚えられていないんですから。
So the head teacher’s speeches are not needed, because the student could not remember what they are talking.
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『さわやかな季節となりました。 森内公園や校庭の桜も満開となり、辺り一面春らしい鮮やかないろどりが目に入ります』
"The wonderful spring has come. Cherry-blossoms are full bloom, and the new green is easy for our eyes."
→ そんなもん、見りゃ分かるわい
-> "Who don't know that?”
『挨拶が遅くなりましたが、この私、4月よりこの小学校の校長として着任してまいりました』
"I am sorry to be late, but I am a new head teacher in this school from the beginning of April."
→ それも、だ。
-> "Same as the above"
『たとえ、家で嫌なことがあっても学校に行けば友だちもいる、先生もいる、だから学校に行きたい。そう思えるような学校にしてまいりたいと思います』
"I want to make new school that anybody wants to go to school because there are your teachers and friends in our school"
→それは「課題」だ。
-> "It is just "problem"."
『そこで本年度の努力目標として「進んであいさつ」「心地よい言葉遣い」「よい姿勢」を積極的なあいさつを目指します』
"I want to establish new rules "greetings in advance", "polite phases" and "good posture"
→ それが「課題を解決する手段」か。舐めとんのか、お前
-> "Is that your solution you think? Don't bullshit."
って、思いますよ、たとえ小学生だって。
Even if they are junior school student, they might think above.
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私の知る限り、多くの校長先生の言葉には、伝えるべきメッセージがないのです。上記なんぞは、実体のないただのノルマ目標の宣言ですよ。
As far as I know, the messages from head teachers are vacant. The above samples are just to declare their norm.
私は、小学校のころから、校長先生ともあろう人間が、自分のメッセージが人を引きつけるものであるかどうかも分からないのかなぁ、といつも不思議でした。
When I was a junior student, I wondered whether the head teacher could understand that their speech was attractive.
退屈であり、苦痛であるだけでなく、つまらん上に、長いスピーチで貧血に倒れる子どもなんかがいたら、もはやそれは「校長先生による生徒への暴行」でしょう。
Bore, pain, long.
If a child becomes to develop anemia, it is absolutely "physical abuse of the child".
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少しは、工夫しろ、と言いたいんですよ。
I want to say that you should think out for your speech.
『これから、校長先生は60秒以内で、皆さんに3つのお願いをします。皆さん、あの時計の秒針を見ながら聞いて下さいね』、とか、
For example, "Now I want to finish my speech within 60 seconds, so please watch the clock on the wall"
―― 程度のことなら。
校長先生の話は、原則としてつまらないものになるのだから、その程度の知恵くらい出せ、といいたい。
In principle, your talk must be a bore. It is inevitable. So I want to say again that you should think out for your speech.
本日は、4月1日(エープリルフール)ということですので、この話を。
It is April fool today, so I want to give you the following.
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「4月は君の嘘」というアニメをチェックして、録画予約をしたのは、私です。
It was me that the animation whose title is "Your lie in April" was checked and started recording.
そして、家族(嫁さんも含め)は楽しく見ていたようです。
After that, my family seemed to enjoy watching the animation.
しかし、私は、この番組が流れると、そそくさと自分の部屋に戻ってしまうようになり、程なく見るのを止めてしまいました。
But, for me, when the animation started, I went to my room soon, and stopped watching it before long.
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綺麗な絵、素晴しいピアノのライブ演奏が出てくるアニメですが、
This animation had beautiful pictures and gave us wonderful piano and violin performances.
『素晴しいピアノ演奏の才能がありながら、母の死をきっかけに、演奏ができなくなった少年を、なんとか舞台に戻らせようとするヒロインの少女』
But I could not continue watching it, when the scene appeared "A boy who could not play the piano, even he had a tremendous talent. after his mother's death, and a girl who tried to make him return to the stage of piano recital"
というところで、私は、もう見ることができなくなってしまったのです。
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自分の過去を思い出すと、
In my memories, there were
「君はもっとできるはずだ」と無茶な仕事を押しつけてきた上司。
A boss who enforced incredible mount of works on me, with saying "you can do it!"
「あなたはもっと上を狙えるはずだ」と無茶な志望校を押しつけてきた教師。
A teacher who enforced impossible preferred school on me, with saying "you can aim high!"
今、思い出しても、体が震えるほど怒りが湧いてきます。
Even if I remember it now, I feel anger as my body shakes.
私には、「このアニメのヒロイン」が、「自分の期待を人に押しつける教育ママ」と、同じモノに見えてしまって、私は耐えられなくなったのです。
For me, I could not possible put up with this heroin's attitude, because she looked like a education-minded mother who forced her expectation on her son.
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で、まあ、そういうこと含めて、今、私は、猛烈に後悔している訳なのです。
Well, anyway, I regretted intensely including all such measures.
最終回に、これらの伏線が全て回収される、美しい、素晴しい作品でした。
It was the beautiful splendid work that all these foreshadowing were collected by the final episode.
(で、今回も、シュタインズゲートと同様に、最終回から遡るはめになってしまいました)
(I had to start all reviewing from the final to the first, Like a Steins;Gate)
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いろいろな言葉を使って、批判も賞賛もできると思いますが、それらを越えて、
I can complain and praise this animation with several words. But after all,
「良い」ものは「良い」のであって、
"The good thing is good"
そして、
and,
このアニメは、文句なしに「良い」です。
This animation is good absolutely.
Webブラウザは、基本的にOSや動作環境に依存せずに動くので、GUI系がWeb利用に統一されていくのは確実です ―― というか、すでに、そうなっていますが。
Web browser is useful for us, because it works on any OS and PC environment. So it is almost certain that the graphics interfaces are going to be unified ... not have already been unified.
その手段の一つとして、Java Scriptというスクリプト言語で、これは、Webブラウザに図や表を示すことができるものです。
One of the method is to use the language "Java Script" that can draw figures and tables on Web browser.
しかも、美しい図や表を表示する為の各種のライブラリーも充実しています。
In addition, there are a lot of rich libraries for beautiful figures, graphic and tables.
しかし、私は思うのです。
But I think that it is
―― うっとうしい
"Annoying"
と。
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私のように検証用シミュレーションを作って、その結果を知りたい人間にとって、美しい図や表を表示するなんぞ、どーでも良いことでして、結果が分かればいいのです。
For me, some person who are not interested in beautiful drawings, just want to know the results of my simulation
パソコンの画面上に、点と線と四角形と文字が表示されれば十分で、加えて、シミュレーションプログラムの中に、描画情報をベタベタ書ける方が助かるのです。
It is enough for me to enable a conclusion to be drawn, and it is more helpful to be able to add the drawing coding in my simulation program.
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初期のパソコンは、640x400ドット上に点と線を引くだけの機能しかなく、しかも画面は1つしかなく、マルチタスクもマルチウィンドウもないという、それは今から考えれば、信じられないほどプアなマシンでした。
An original PC had just the drawing function of points and lines on the display of 640x 400 dots. and no multi-task and no multi-windows.
For the present view, it is undeliverable poor machine.
しかし、描画とアルゴリズムをゴッチャゴチャにしてコーディングできたのは、それはそれで、便利なものでした。
But it was useful for me to write source codes of both drawing and calculations at the same time in one way.
計算結果が出た時に、そこに線を引き、点を打てば良いだけですから。
What I have to do is to just write lines and dots when the result is coming.
もちろん、プログラム可読性は最悪ですが、当時、プログラムを共有するという考え方すらありませんでした。
Of course, the readability of the code is the worst, however, at that time, there was no concept of "code sharing".
そもそもパソコンとは、パーソナル(個人)のコンピュータなのですから、どのようなプログラムを書いても許される、という自由があるべきだと私は思うのです。
To begin with, PC (Personal Computer) should be free for each person, that means, "anybody can be allowed to write any type of codes."
(To be continued)
A few days ago, I wrote in my diary that I had to start to study IME(Input Method Editor) of smart-phone.
その後、読者の方から「データSIM」を使うことを提言頂きました(私は、音声通信は不要なので)。
After that, a reader of my diary gave me an advice to use "Data SIM" (Because I don't take care of voice communication)
先ほど、日本で一番安いスマホのハードの購入と、同じく日本で一番安いデータSIMの契約をしました。
Just before, I have submitted a contract about the cheapest smart-phone hardware and Data-SIM.
先ずは、ここ1年で、スマホ入力からの「日記の記載(英文も)」ができることを目指します。
To begin with, I am aiming to writing my diary from a smart-phone within one year.
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これまでは、電車の中で、座席を確保しないと、パソコンを使って、色々な仕事ができませんでしたが、これからは、スマホで、日記の記載や、コラムのネタを記載できるようになることを期待しています。
Until now, I have not been able to do anything by a PC without a seat in commute train, however I will expect to write my diary or column by my smart-phone from now.
しかし、ガラケーのキー入力さえ満足にできなかった私に、そんなことが可能となるのか?
Will be it possible, however, to use a IME of a smart-phone, for me who could not satisfy even the input of cell-phone?
娘たちの外注を断念して、2年かけて、自力で、イラストツールを使い熟せるようになるまでの努力を考えれば、その程度のこと、大したことではありません
After abandoning the daughters' outsourcing, I think it is not big to that extent, if considering the effort to come to user illustration tools on my own,
―― かな?
Is it true ?
プログラムというのは、対象を小さくしておいてコーディングすれば、対象を大きくしても、そのまま動く ―― ということが売りです。
"Software program" has a merit that "If you code it with a smaller object, it moves as it is even if you enlarge the object".
ですから、例えば、制御対象を5つにしておき、その後、それを数十万個に拡張しても、原則としては動くハズ ―― なのですが、そう上手くいくとは限らないのです。
So, for example, if you have five control targets and then extend it to hundreds of thousands, the program will work well in principle, however it is not always doing well.
対象が小さいままでは効果が見えず、対象が大きくなると、上手く動かなくなり、原因が見えなくなる、ということになるからです。これは、ビッグデータとかAI技術では、よく表われる現象です。
If the target remains small, the effect can not be seen. However, if the target becomes larger, the effect often becomes beyond my predictions. This is a prominent phenomenon with big data or AI technology.
すると、数十万の対象の中の一つを選んで、丹念に追跡しなければなりません。
Then, I have to select one of the hundreds of thousands of objects and carefully track it.
しかし、この追跡プログラムを作るだけで、別のシステムが作れるくらいの労力が必要となります。
However, just creating this new tracking program will need tremendous difficulty.
「期待通りに動かないプログラム」というのは、本当にもう、喩えようがないほど怖いものなのです。
"Programs that do not move as expected" are truly scary things that can not be compared.
そして、そういうプログラムを目の前にして、心底私は疲れ果てていたのです。
And, I was really exhausted with such a program.
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そんな「心底から疲れ果てていた」ある日のこと、私は、娘たちに言いました。
One day I said, "I was exhausted from the bottom of my heart", I told my daughters
―― いいか、自分の能力以上のことに挑戦してはダメだぞ
"Okay? my children. Do not try to do more than your own ability"
―― 上限は自分の能力の8割で設定しろ
"Set the upper limit of you at 80% of your ability"
―― 自分の能力が『低く査定された』としても、それが何だというのだ?
"Even if your ability is "assessed low", what's the matter? "
―― 『できる』と思えても、『できない』と言い張る勇気こそが、良い人生を行きるコツだぞ
"Even though you can think "Yes, I can", you should have a courage to insist "No I can't". This is a tip for your good life"
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娘たちは、疲労困憊した父親を、生暖かい目で見ながら、
The girls saw their exhausted father with warm eyes and said,
「分かったよパパ。私たち、『挑戦』なんかしないから、安心してよ」
"We understood, Papa. We will never "challenge", so please be relieved."
と言ってくれました。
(Continuation from yesterday)
観劇の後で、
After the play, I exchanged impressions with my family. When I said
江端:「ちょっと主人公のキャラが強すぎるよね」
Ebata:"Hiroin's character was overstressed"
と感想を述べていたら、
原作既読の嫁さんと娘から、
However, my wife and daughter claimed strongly that
『いやいやいや、弱いくらいだよ。"抑えた演技"というくらいだよ』
"No way. I would be rather "weak". It was a restrained play"
と、強い勢いで突っ込まれました。
『上下巻もあるあの小説を、見事、2時間のお芝居に詰め込んだものだ』
"The bulky two-volume work has been packed in the two hours playing"
と、大絶賛でした。
They praised the scenario of playing.
As I recall, I remember that I had same impression about "Golden Slumber" two years back.
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二次作品の楽しみ方は、原作「未読」が良いケースも、「既読」が良いケースもあります。
How to enjoy "secondary works" is case-by-case. "read it before" is good for someone, or "read it after" is good for others
いきなり、アニメの話になって恐縮ですが、今クールですと、以前ご紹介した「かぐや様は告らせたい」も「約束のネバーランド」については、私は「原作未読」を貫いています。
Bursting into the talk about animation, in this quarter, I have not read the original work of "Miss Kaguya the love war" and "promised never-land" I wrote before.
「約束のネバーランド」なんぞ、まあ、本当にびっくりさせられる凄い作品でした(二期決定、おめでとうございます)。
Especially, "promised never-land" was an amazing master-piece animation I have never seen (Congratulations for the second season)
「約束のネバーランド」では、原作既読者には不満もあるようです。
On the other hand, some readers seem to complain the animation of "promised never-land".
しかし、私は「原作未読」のおかげで、毎放送が、驚愕と衝撃で、とても楽しい3ヶ月でした。
However, since I have not read them at all, I could enjoy the animation with unspeakable impressions.
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「原作未読」であれ「原則既読」であれ、1次作品と2次作品(N次作品)は、それぞれ立派な独立した作品です(但し、権利の主従関係はあります)。
Whichever it is "read it before" or "read it after", both an original work and a secondary work are full-fledged works(However, there is a relation between master and servant of copyright)。
また「アニメ」であれ「実写化」であれ、それぞれが、多くの人の思いと労力の込められた独立した作品です。
Whether it is an animation or an live-action, each of work has many people's efforts and times speculatively.
勿論、その作品を批評することには何の問題もありません。
Needless to say there is no problem to criticize the works.
しかし、まだ完成もしてもいない「二次作品」(特に、アニメ→実写に多いが)に対して、例えば『実写化反対』と一方的に叫ぶ人間に対しては、
However, for a person who agitates for anti-live action about "second works" (especially in animation → live-action), which have not been completed yet,
私は、その人間を知る努力を一切放棄した上で、一方的に罵しることに決めています。
I give up my effort to know that person, and I have decided to just say to them
"Idiot"
と。
SNS等で、「私はよく分かった。詳しくは、これを読め」
People who write "I could understand it well. Read this in detail" on SNS, etc.,
と書く人は、多分、『よく分かっていない』 ―― と思っています。
probably could not understand it well.
「人間は、説明可能な状態になって、初めて理解したと言える」というフレーズがありますが、
"There is a phrase that "humans can understand when they can explain", however, "
私は、
I think
「人間は、説明可能な状態になると、誰かにしゃべるたくなる ―― たとえそれが迷惑であったとしても」
"Humans want to talk to someone when they can explain, even if it's annoying."
と思っています。
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私、
I read the presentation sheets whose title is
"The Concept of measures for COVID-19"
というプレゼン資料を読んで、ようやく「クラスター」と、その「撲滅作戦」の意義を、理解できました ――
Finally, I understood the significance of the "cluster" and its "eradication strategy"
詳しくは、それを読んで下さい。
So please read this in detail"
(終り)
(The end)
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まあ、このまま(終り)とすると、誰かに殴られそうなので(心当たりが二人ほどいる)、私なりに解説を試みます。
Well, if I keep it as it is (end), I will try to explain it because someone is likely to be beaten (I have about 2 people).
結論から言うと、「新型コロナウイルスは変態」なのです。
In conclusion, the new coronavirus is an abnormal virus.
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基本再生産係数(R0)というのは、簡単にいうと「1人の感染者から、何人の感染者が発生するか」というものです。
Basically, the basic reproduction factor (R0) is simply "how many infected people from one person."
R0 = 2 なら、「1人の感染者から、平均2人の感染者が発生する」になり、いずれパンデミック(制御不能)になります。
If R0 = 2, then "one infected person produces an average of two infected people" and eventually a pandemic (out of control) occurs.
R0 = 1 なら、「1人の感染者から、平均1人の感染者が発生する」になり、流行にはなりませんが、撲滅もしません。
If R0 = 1, then "one infected person produces an average of one infected person", which is not an pandemic but does not eradicate.
R0 = 0.5 なら、「1人の感染者から、平均0.5人の感染者が発生する」になり、撲滅します。
If R0 = 0.5, "one infected person will produce an average of 0.5 infected people" which eradicates.
で、これを見ると、R0 > 1 なら制御不能になるのですが、新型コロナウイルスは R0 = 2.5 くらいと言われています。
So, we will lose control if R0 > 1, however it is said that the new coronavirus is about R0 = 2.5.
じゃあ、もうダメじゃん? ―― と思うのですが、ここに「新型コロナウイルスは変態」が効いてくるのです。
Then, isn't it already finished? ―― you may think, but here the "new coronavirus is abnormal" comes into effect.
結論から言うと、新型コロナウイルスは、個人単位では、殆んど感染していないのです。
In conclusion, the new coronavirus is hardly infected on an individual basis
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(これは資料の内容を説明しているだけですが)5人の感染者、Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさん(江端さん)がいたとすると、
(This only explains the contents of the material) If there are five infected people, A, B, C, D, E(Ebata),
『Aさん、Bさん、Cさん、Dさんからは2次感染が発生していないのに、Eさん(江端さん)1人が、一気に12人に感染させてしまう』という傾向が見られるのです。
There is a tendency that "Only E (Ebata) will infect 12 people at a stretch" even though no secondary infection has occurred from A, B, C, D.
つまり、新型コロナウイルスは、『みみっちく感染させることには興味がなく、ドカンと感染させることが大好き』という、山師的な性質があるのです。
In other words, the new coronavirus has the characteristic of a valet, saying, "they are not interested in small infecting, but they love mass infecting very much"
この『ドカンと感染させる』ことの結果が『クラスター』です。
The result of this “mass infection” is a “cluster”.
つまり、『みみっちい感染』を無視しても、『ドカンと感染させる』クラスターを完全に管理して、それを各個撃破し続ければ、R0 < 1 に持ち込むことが可能である、ということです。
In other words, even if we ignore "small Infection", if we completely manage the "mass infection" cluster and continue to destroy each one, we can bring it to R0 <1.
(To be continued)
Today's blog is a sequel of "I'm sure that I look like a foolish and ignorant people who only listen to what the "boss" tells them" 2021/03/29
の続きです。
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(外食自粛の最中に、23人での、深夜の送別会を)主催した老健局の真鍋馨老人保健課長を減給10分の1(1カ月)の懲戒処分とした上で、同日付で官房付に異動させる人事を発表した。事実上の更迭となる。
Mr. Kaoru Manabe, Director of the Health and Welfare Bureau for the Elderly, who hosted a late-night farewell party for 23 people during the period of self-restraint on eating out, was given a disciplinary action of one tenth of a pay cut (one month) and transferred to the Cabinet Secretariat on the same day. This is a de facto removal from the post.
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■減給10分の1(1カ月)の懲戒処分
- Disciplinary action: Reduction of wages by one-tenth (one month)
うん、これは分かる。要するに、金銭のペナルティ(罰金)ですね。
Yeah, I can see this. In short, it's a monetary penalty (fine).
■官房付に異動させる人事
- Personnel to be transferred to the Cabinet Secretariat
私、この人事の意味が良く分かりません。誰か教えて下さい。
I don't really understand the meaning of this personnel action. Can someone please tell me?
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私は「官房付に異動させる人事」というものの、
I would like to know, from the viewpoint of
(1)処分を受ける"個人"にとってのインパクト
(1) Impact on the "individual" who will be punished
(2)処分を受ける"組織"にとってのインパクト
(2) Impact on the "organization" being punished
(3)処分に対する"国民の納得度"への妥当性
(3) Relevance to the "degree of public acceptance" of the disposition
を、客観的に ―― 可能であれば定量的(数値等)に ―― で知りたいと思っています。
objectively -- quantitatively if possible (numbers, etc.) -- the "Personnel to be transferred to the Cabinet Secretariat".
情報提供は、"covid19@kobore.net"をご利用頂ければ幸いです。
For information, please use "covid19@kobore.net".
贅沢は言えませんが、できるだけ『主観を排した情報』でご提供頂ければ幸いです(個人的な見解には、あまり興味ありません)。
I don't want to be extravagant, but I would appreciate it if you could provide me with as much information as possible that is not subjective (I'm not really interested in personal opinions).
頂いた情報は、個人情報を完全に隠蔽して、私が編集して、このブログで公開させて頂きます。
The information you give me will be edited by me and published on this blog, with your personal information completely hidden.
((特に、巻き添え喰らっている)厚生労働省の現場の方々。本件「江端ファイアウォール」で保護しますので、情報をご提供を検討下さい)
((Especially the people in the field of the Ministry of Health, Labor and Welfare who are involved in this case. This case will be protected by the Ebata Firewall, so please consider providing us with the information.)
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今回のこの事件、「常識」「過失」「モラル」「リテラシー」で展開されていますが ―― いずれ、私たちはこの事件を忘れます。絶対です。
This case is being played out in terms of "common sense", "negligence", "morality", and "literacy" -- we will eventually forget this case. Absolutely.
ですので、私は、この問題を、
Therefore, I believe that
―― 単なる批判や感情でクロージングしてはならない
"this issue should not be closed with mere criticism or emotion"
と思っています。
(To be continued)
β世界線であれば第三次世界大戦が起こる未来に「収束」し、α世界戦であればディストピアに「収束」する。
If it is a beta world line, it "converges" to a future in which World War III occurs, and if it is an alpha world war, it "converges" to a dystopia.
岡部倫太郎が、その「収束」が一切ないシュタインズ・ゲート世界線に到達することで、第3次世界大戦という未来が、阻止されます。
The future of World War III is prevented when Rintaro Okabe reaches the Steins;Gate world line, where there is no such "convergence" at all.
それはさておき。
Aside from that.
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今や、現実世界では、本気の第3次世界大戦の危機にあります。
Now, in the real world, we are on the verge of a serious World War III.
これまで人類は世界大戦を2回やってきました。
So far, humanity has fought two world wars.
さらに3回目も「大国のエゴ」で開戦したりしたら、私たち人類は『バカ』の謗りを避けられません。
And if we start another war for the third time because of the "egos of the great powers," we human beings will inevitably be slandered as 'idiots'.
第3次世界大戦は、宇宙戦争すらも超越した、「時空をかけた闘い」の中で語られるべきなのです。
World War III should be told in the context of a "struggle through time and space" that transcends even space wars.
私には、シュタインズゲート・ゼロのオープニングと同じ風景を、現在進行形で地球上に作り出している「あいつ(ら)」を、許す理由はないです。
I have no reason to forgive "those people" who are currently creating the same scenery on earth as the opening of Steins;Gate Zero.
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ちなみに「論文が燃えたくらいで、研究がパーになる」てなことは、ないです。
By the way, there is no such thing as "research is not ruined just because a paper is burned".
研究員であれば、自分の論文(or 特許明細書)が、10回燃やされても、11回書き直すことができます。
If you are a researcher, you can rewrite your paper (OR patent specification) 11 times even if it is burned 10 times.
中鉢博士は、自分の娘(牧瀬紅莉栖)の論文の内容の理解はもちろん、剽窃(ひょうせつ)すらできなかった、ということです。
Dr. Nakabachi could not understand or even plagiarize the contents of his daughter's (Kurisu Makise's) paper.
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ともあれ、午前0時を過ぎてから、NetFlixから「シュタインズ・ゲート"を"選択」するのは止めましょう。
Anyway, don't "select" Steins;Gate from NetFlix after midnight.
# 「シュタインズ・ゲート"の"選択」ではありません
# It is not Steins;Gate's selection.
結構なディストピア ―― 平日のオールナイト上映会 ―― が待っています。
Quite a dystopia -- all-night weekday screenings -- awaits.
I watched a program called "A Human History of Violence."
題目から期待していた内容とは真逆で、「人類の暴力は減少し続けている」という内容でした。
The content was the exact opposite of what I expected from the title: "Human Violence Continues to Decrease".
しかし、私は『近代においては、戦争が、その分を喰っているんだろう』と思っていたのですが、戦争による死者数も減っているという内容でした。
But I thought, 'In modern times, war has probably replaced that,' but the number of deaths of war seems also to be decreasing.
暴力事件や戦争ニュースばかりで惑わされがちですが、数百年間のオーダーで見た時、人類は、暴力という本能を、理性という知性で押さえ続けてきた、ということです。
We are often misled by news of violent incidents and wars, but when viewed on the order of hundreds of years, humanity has continued to suppress its instinct for violence with the intelligence.
人類は、愚かな方向にのみ向いているように見えますが、案外そうでもないらしいです。
We apt to think that humanity seems to be oriented only in a foolish direction, but not so surprisingly
久々にホッする内容のドキュメンタリーでした。
It has been a long time since I was relieved by the content of this documentary.
ですが、やっぱり番組の題目は良くないと思う。
But I still think the title of the program is not proper.
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あ、そういえば、
Oh, by the way, the book mentioned here has arrived.
It is a bit woeful for us, as a human race, to just be protected by a management system (Sibyla system).
I watched a program called "A Human History of Violence."
題目から期待していた内容とは真逆で、「人類の暴力は減少し続けている」という内容でした。
The content was the exact opposite of what I expected from the title: "Human Violence Continues to Decrease".
しかし、私は『近代においては、戦争が、その分を喰っているんだろう』と思っていたのですが、戦争による死者数も減っているという内容でした。
But I thought, 'In modern times, war has probably replaced that,' but the number of deaths of war seems also to be decreasing.
暴力事件や戦争ニュースばかりで惑わされがちですが、数百年間のオーダーで見た時、人類は、暴力という本能を、理性という知性で押さえ続けてきた、ということです。
We are often misled by news of violent incidents and wars, but when viewed on the order of hundreds of years, humanity has continued to suppress its instinct for violence with the intelligence.
人類は、愚かな方向にのみ向いているように見えますが、案外そうでもないらしいです。
We apt to think that humanity seems to be oriented only in a foolish direction, but not so surprisingly
久々にホッする内容のドキュメンタリーでした。
It has been a long time since I was relieved by the content of this documentary.
ですが、やっぱり番組の題目は良くないと思う。
But I still think the title of the program is not proper.
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あ、そういえば、
Oh, by the way, the book mentioned here has arrived.
It is a bit woeful for us, as a human race, to just be protected by a management system (Sibyla system).
私は、自分自身が「組織の問題児」であるという自覚があります。
I know I am a "problem child" of the organization.
そもそも、私には、組織を愛するという考え方(愛社精神とか、愛校心とか、地元愛とか、愛国心)が、希薄です。
To begin with, I do not have a strong sense of love for the organization (company spirit, school spirit, local love, patriotism).
「ない」という訳ではないと思うのですが、それに対する強い愛は「弱い」、という気がします。
I don't think it's "no," but I feel intense love for it is "weak."
組織への帰属感というのは、社会生活における基盤でもあるので、この帰属感が薄いということは、ある意味、「組織における問題児」といっても、過言ではないような気がします。
Since a sense of belonging to an organization is the foundation of social life, I think that it is not too much to say that those who lack this sense of belonging are, in a sense, "problem children in the organization.
でも、まあ、誰も彼も、方向や大きさの違いはあれども、組織の問題児であると思います。
But, well, I think everyone is a problem child of the organization, albeit in different directions and sizes.
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最近、というか、ずっと昔から思ってきたのですが、私は、その「問題児を"直す(または"潰す")装置」として使われることが多いようです。
Lately, or so I have thought for a long time, I have often been used as that "device to "fix" (or "crush") problem children.
ロジック(屁理屈)と暴力(権力)を使って、『問題発生を抑止する装置』です。
It is a "device to deter the occurrence of problems" using logic (quibble) and violence (power).
「毒をもって毒を制する」の、完璧な実施例です。
This is a perfect example of "conquering poison with poison.
I'm getting older, so I can 'glare' and use threats and scolding, even if it's just a pain.
『会社も他人もどうなろうと知ったことか』をベースとする私の価値観において、自分の中の暴力装置を動かすのは、それなりにエネルギーがいるのです。
In my value system, "I don't care what happens to the company or others," it takes some energy to move the violent device inside me.
But as you know, I am a "company dog," so when given a mission, I work to complete it.
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新たに与えられるミッションを聞いた瞬間に、「組織の狙い」が見えてしまうことが、『嫌だなぁ』とも『面倒くさいなぁ』とも思います。
I both 'hate' and 'find it troublesome' that the moment I hear about a newly given mission, I can see the 'aims of the organization.'
もうそろそろ『縁側で、日向ぼっこしながら、お茶をすするような仕事にしてもらってもいい頃だ』とも思うのですが、それはそれで、辛いだろうな、とも思います。
I think it's about time for me to get a job where I can sip tea in the sun on the porch," but I also think that would be harsh.
シニアも、シニアなりに、日々、悩ましいのです。
Seniors, in their own way, are also troubled daily.