今、読んでいる小説に、こんなシーンがありました。
『見ろ、海外から取り寄せた装飾品がやっと届いたんだ。白い肌のお前に似合うパーディのドレスだ。この靴も、ワルツを踊るときに映えるだろう』
『・・・結構よ。私、こんなもの・・』
『いったいどうして? 何が気に入らないんだ。お前は宝石も帽子も、何も欲しがらない。何を与えれば、お前は喜ぶんだ』
まあ、ステレオタイプの、いわゆる「分っていない」金持ちの夫と、若い妻の会話、といったところでしょう。
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『見ろ、現時点で最速のグリッドコアを搭載したパソコンだ。お前の計算しているGPSの測位をリアルタイムにするものだ。このGPSのフロントエンドもサンプリングの実時間捕捉を可能とするだろう』
『・・・結構です。私、こんなもの・・』
『いったいどうして? 何が気に入らないんだ。お前は最速のコンピュータも、テラバイトのハードデスクも欲しがらない。何を与えれば、お前は喜ぶんだ』
まあ、プロトタイプを作成することが技術者の喜びであると信じている主任研究員と、新人の研修員の会話、といったところしょう。
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で、私くらいの年齢の技術者になってくると、もう、欲しいものは、「有体物」ですらなくなってきます。
『いったいどうして? 何が気に入らないんだ。何を与えれば、お前は喜ぶんだ』
―― 課題よ。解決すべき課題よ。まだ世の中の人が気がついていないような技術的な課題よ。
―― 課題さえあれば、そして、それが、現存の技術を用いて解決可能な課題でさえあれば、
――『特許発明』は完成したも同然なのよ。
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『課題さえ見つかれば、発明は完成したも同然』とは、私の尊敬する知財部のNさんの言葉なのですが、
『至言』だと思います。
先日、娘に連れ出されて、大学のオープンキャンパスに付き合わされた話をしました。
The other day, I told you that my daughter brought me to some colleges in order to join the open campus.
その続編です。
This is another talk.
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引き上げる途中のキャンパスの通路に、セミが死んでいました。
When we went out from the campus, we met a corpse of cicada on walkway.
長女は飛び上がって、そのセミから逃げるようにして、怒ったように言いました。
My daughter jumped and run away from the corpse, and told me with anger.
娘:「なんで、そんなところで死んでいるかなぁ!」
Daughter: "Why is it dead on walkway?"
私:「なんでって・・・、そりゃ、夏だし」
Ebata: "Why? Of course, it is summer now"
娘:「通路で死ぬことないじゃんか」
D:"Why on walkway?"
私:「そんなこと言うなよ。セミは、7日間しか生きられないんだから」
E:"Don't say that. They can live just for seven days."
娘:「7日でも7年でも関係ないよ。『自分のことは自分で』が原則でしょうが!」
D:"I don't care whether 7 days or 7 years. "Self-determinism" is principle isn't it?"
私:「セミも通路で死にたいと思って、死ぬ訳じゃないだろう」
E:"I think that cicadas cannot choose where they dead"
娘:「だいたいね。セミなんかいなくたっていいじゃんか。なんで、セミっているの?」
D:"To begin with, what is the significance of existence of cicada? Is it useful for our life?"
私:「賭けてもいいけど、セミも『なんで人間っているの?』と思っていると思うぞ」
E:"I can bet that cicadas think same"
娘:「だから!?」
D:"So what?"
私:「だから、まあ、お互い様ってことで」
E:"So, it is mutual."
娘:「片づけてよ! 自分の死骸くらい、自分で」
D:"Put your dead body away by yourself"
私:「死んだセミが、自分の死骸を自分で移動させるのか。そりゃ、シュールな絵だな」
E:"Moving my body by myself after dead...It is a surreal picture"
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しかし、この話、娘に「理」があると思いました。
However, according to this story, I think that my daughter has "a law of nature".
『自分のことは自分で』が原則です。
"Self-determinism" is principle.
だから
So, I think that
―― 鉄道で人身事故を自分で起こした人は、自分で、自分の死骸を片づけて、運行回復に協力すべきだ ――
The person who caused an accident resulting in death by railway, should put their corpses by their selves, and cooperate with service recovery.
と思うのですよ。
ダイエットの連載を始めるようになって、女性の体型を見るようになってきました。
When I began serialisation of the diet, I came to look at the figure of the woman.
―― スケベ親父やんか
"Just dirty old man, aren't you?"
という批判は甘んじて受けましょう。
I can prepare to receive the criticism contentedly.
ただ、私、女性を「体型」で見るのは、人生で初めてなんですよ
But this is the first time that I observe a woman with "a figure" in the life.
これまで、私の女性のデフォルトインタフェースは、「顔」だけだったので。
Because the default interface of mine was only "face" until now.
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で、改めて、「体型」の話ですが、
Well, let me think the above again,
―― 峰不二子というのは、どこにいるのか?
Where is "Fujiko Mine" so called ?
というか、あれって、論理的に数理的にありえる「体型」なのか?
On the other words, "is it a logical and mathematically figure on earth?"
てなことを、数字を回せるかなぁ、と考えたりしています。
I come to think that "Can I turn the number?"
先日、標準化団体のミーティングに特別に参加させて頂いたお話をしましたが、その出席の数日前に、困ったことに気がつきました。
The other day, I had specially to participate in the meeting of the standards bodies, I noticed I had a trouble a few days before.
―― 名刺がない
"There is no business card"
私は、「個人」としてご招待を頂いているのです。
However, I have received the invitation as a "personal".
なんていうんですかねえ、コミックマーケットとか、SAO(ソードアート・オンライン)で、現実世界の名前を出すのってタブーなんですよね(いや、よく知らないんですけど、そうなんでしょ?)
How to say, I hear that opening real name in comic market, or SAO (Sword Art Online) is taboo.(I do not know well,though, will that so?)
勿論、名前は出すんですけど、所属(会社の名前)を出すのは、なんか違うような気がしまして。
Of course, I always introduce my name to others, but I hesitate to tell the belongs.
そもそも、私は、週末の私は、フリーの一エンジニアですので、所属する組織なんかありません。
To begin with, I am a free engineer in my weekend, and there is no organization.
ところが、この「所属なし」というのもやっかいなのですよ。
However, this "no belongs" becomes troublesome.
特に書類を記入する時に「法人名→空欄」「部署→空欄」「住所→自宅住所」ですよ。
In particular, it is the "corporate name → blank", "department → blank" "address → home address" when you fill in the documents.
そんな書類、怪しさ満載で、普通、受理して貰えません。
Such documents, at suspiciously is full, do not give me a receipt.
ですので、法人登録とかはしていませんが、今の私の身分は、
So, it does not have the corporate registration,
Now my identity is,
to belong
■"Kobore Networks"
という組織の、
the organization whose name is "Kobore Networks"
■事務局長(兼ライター)
to work for
Secretary-General (and writer)
ということにして、書類に記載をしています。
and I write down the above in documents.
(To be continued)
(Continuation from yesterday)
毎年、8月6日ごろになると、NHKがこの「強制場」を余すことなく発揮する番組を提供します。
Every year around August 6, NHK will offer programs that will demonstrate this "forced field".
今年の「NHKスペシャル 原爆死」は、近年の中でも、群を抜いて秀逸な作品であったと言えます。
I think that this year's "NHK Special Genbaku Dead(Death by atomic bomb)" must be a precious outstanding work among recent years.
原爆による死者数の推移を、地図上にマッピングする ―― というのは、これまでに数多く行われてきました。
"Mapping the transition of the number of deaths by the atomic bomb on the map" has been done so much, so far.
しかし、この番組の中では、この死者数の変化を時系列方向に「見える化」するビューは、私に衝撃を与えました。
However, in this program, the view to "visualize" the change in death toll in the time series, has impacted me.
さらに、原爆死を、ただの「死」とせずに、「3つのカテゴリの死」としたことで、
Furthermore, the "Genbaku death" was divided into three categories, and one of them is
―― 即死することができず、
- cannot be killed instantly
―― 血塗れになってボロボロと朽ち落ちていく自分の体を見ながら、最大級の激痛と絶望の中で死んでいく
- is going to die in the greatest severe pain and despair, while watching my body, going down with bloodshed and falling down
という「死」が存在することを「見える化」しました。
This program showed us the existence of the death.
さらに、現在残されている絵画や、証言と、データを重ね合わせて、原爆によって発生した広域の火災の発生状況を、時系列で再現し、倒壊した建物の中で、
In addition, with paintings, testimonials, data on the occurrence situation of wide area fire generated by the atomic bomb in time series,
In the collapsed building,
―― 生きながらにして焼かれる
- burned down while begin alive
という「死」が存在することも「見える化」しました。
This program showed us the existence of the death too.
このような「死」が、人間が人間に対して行い得るものとして「到底認められない」殺人行為に因るものであることを、「見える化」によって明確にした、という点において、
The program could make it clear that theses "deaths" are due to the "murder" act that "can not be admitted" as a murder of human being.
この番組の製作に関わった皆さんに、「群を抜いて秀逸な作品である」と、最大級の賛辞を送りたいのです。
So, I want to send the greatest tribute "this is an outstanding and a superb work" to everyone involved in the production.
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"Do not accept the existence of the atomic bomb"
どんな政治的背景があろうとも、どんな地政学的配慮があろうとも、
Whatever the political background, whatever the geopolitical consideration is,
私達日本人は、全ての「原爆を認容するロジック」に対して、
Our Japanese should protest against all "logic to accept atomic bombs"
耳を塞ぎ、目を瞑り、絶叫し続ける、
with just closing our ears, closing our eyes, keep on screaming,
そういう「無教養で無知性な愚か者」のままでいいと思うのです。
leaving like "ignorant and ignorant fool".
「親が子どもを守る」理由にロジックが不要なように、「原爆を許さない」理由にロジックは必要ないのです。
We don't need any logic of "Do not allow atomic bombs", in the same way as a logic of "parents protect their children".
(2017年7月 「核兵器禁止条約」が採択されるも、日本政府は「署名しない」ことを決定)
(July 2017. Even though "Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons" is adopted, the Japanese government decided not to sign)
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それはさておき。
Aside from that.
「NHKスペシャル 原爆死」の中では、「ビッグデータ」という言葉が何度でも出てきますが、これは、アーカイブの段階で「データ解析」と修正されることを提言致します。
In this program, the term "big data" comes out again and again. However I will propose that this will be corrected as "data analysis" at the archive making stage.
このコンテンツを、あと100年残したいと考えるのであれば、
If you want to leave this content for another 100 years,
今だけしか通用しない「ビッグデータ」というバズワードの濫用は、
the frequent use of buzzword "big data" which only works now, will
―― 後世の人間に「苦笑い」される
"be laughed" by future generations
と思うのです。
I am afraid of that.
(Continuation from yesterday)
これ以外にも、「死後の魂」は「生前の心」である、という考え方もあります。
Besides this, there is also the idea that "the soul after death" is "the mind of life".
しかし、あなたも、心療内科で出してくれるクスリが、こうも簡単に人間の心の状態を変化させることを知れば(実体験すれば)、
However, if you know that medicine that you give from a psychosomatic department can changes the state of the human mind easily,
「人間の心は、薬物で簡単にコントロールできる程度の『化学変化』の状態の一つに過ぎない」と思い知ります。
you will think that the human mind is only one of the states of "chemical change" that it can easily be controlled with medicine.
で、私は、考える訳です。
So, I am thinking about this fact.
―― 薬物でコロコロと変化する程度のもの(「心」)が、死後の「人間の魂」?
"human soul after death" is easy changeable even by medicine?"
うん、ダメだ。自分で、自分で欺くことすらできない。
Well, no way. I can not even deceive me by myself.
こんなものが「人間の魂」であるなら、
If such a thing is "human soul"
『空中で浮遊している魂は、殺虫剤で成仏させられる』
"The soul floating in the air can be rested in peace by insecticide"
と思う。
I think that.
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私には『人間の死と、パソコンのシャットダウンとの間に、大した差はない』と、思えてしまうのです。
I come to think that "there is no big difference between the death of a human being and the shutdown of a personal computer."
差があるとすれば、人間の死には「再起動がない」という点であり、
If there is a difference, it is the point that human death is "there is no restart"
重要なのは「亡くなった人と二度と会えない」というその一点で、
It is important that only one point "I can never meet a deceased person"
「これまで色々なことがあった」「寂しい」「できるなら、もう一度会いたい」であって、そして、
"we had lots of things", "I am lonely" "I want to see you again if I can, and
―― それだけでいい。
"That's all"
この想いに「神」やら「宗教」やら「仏事」なんぞ、余計なものが入ってくるんじゃねえ、と、思うのです。
I don't need unnecessary things like, "God" or "religion" or "Buddhist service" at all,
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私は、年3回の連休と、2ヶ月に1回程度しか、実家に帰省しない身の上でありましたが(姉が、頻繁に父のもとに行っていました)
I returned to my parents house once two months and 3 consecutive holidays a year (my sister frequently went to my father)
■居間で、終日テレビの前に座ってぼーっとテレビを見つづける父の様子を見ながら、となりの部屋のキッチンで、パソコンで原稿を執筆している時間が好きだったし、
In the kitchen, I liked the time writing the manuscript with a personal computer, with looking at my father who was sitting in front of the TV all day in the living room
■毎日の父の料理の献立を考える時間が好きだったし、
"I liked the time to think about the menu of my father's dishes,"
■一言の会話もなく、父と差し向かって一緒に食事をする時間が好きだった(父が完食すると、小さくガッツポーズしたものです)
I liked the time to eat together with my father without a single word of conversation (and when my father completed the dish, I made a small guts pose)
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私は、父と過したあの時間が好きだったし、そして、これから、あの時間を過せないと思うと、とても、とても、寂しい ――
I liked that time I had with my father, and I feel very, very lonely that I can not have that time again,
この想いがあれば、それだけでいい。
Only this feeling is my pleasure.
それで十分です。
That is enough.
(Continuation from yesterday)
当時、
At that time,
■私たちを馬鹿にしつづけてきた女性(今のおばさん)が、
the women (now, they are around fifty) who had made fool of us, and
■私たちを、社会の屑のように言い放った大人たち(今のリタイアしたシニア)たちが、
the persons (now, they are old farts) who had made us "social wastrel"
■IT機器やITサービスを使えずに、社会システムから切り離されて、孤立化し続けている状態を、
are going to be progressively segmented and isolated without using IT devices and services.
――この私に、助ける義務があるだろうか?
"Do I have the responsibility of helping them ?"
うん、ないな。全くない。
No. No way. Absolutely NOT.
むしろ『ざまあみろ』と言い放ち、見捨てていい、と思う。
Or rather I can say "you deserve it" and abandon them.
文句を言われる筋合いはないと思う。
I think that there's no reason they should blame me.
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40年前、パソコンのハードウェアに干渉して、コンピュータリソースを骨の髄まで使い倒していた私たちにとっては、スマホのアプリなんぞは「子供のおもちゃ」のようなものです。
Forty yeas ago, for us, who had be able to disassemble the PC hardware, and use the resources exhaustively, applications of smart-phone are likely to child toys.
ノイマン型コンピュータのアーキテクチャでスマホやPCが動き続ける限り、「オタク」と言われた私たちが困ることはないでしょう。
We, who had called "Otaku", have not been in trouble about smart-phones and PCs, as long as they work on Neumann computer architecture.
私は、私を迫害しなかった(できなかった)私より下の世代や、途上国のデジタルデバイド問題に対しては、支援し続ける準備があります。
I prepare for continues to give the lower generation people than me, and developing country people to IT technology assistant.
しかし、私は、「私たちを迫害しつづけてきた、同世代の女性たちや老人達を助ける必要がない」ことに、ようやく気がつきました。
However I notice that "I don't have to help both the women (now, they are around fifty) and the persons (now, they are old farts)" at all.
これまで、私は、シニアのデジタルデバイド対応を、色々試みては、失敗を続けて、それなりに挫折し続けてきましたが ――
So far, I have tried something against digital divide problems of aged people, and failed and lost my heart many times, however finally I perceived that
そんなこと、全く気にする必要はなかったのです。
I don't have to care of it at all.
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という訳で、以下の結論となります。
So the conclusions of this thread are that
―― 助けて欲しければ、先ずは頭(こうべ)を垂れて、この私に謝りに来い
"Come to apologize to me with your head down, if you need my help"
―― 話はそれからだ
"We can talk after that"
量子コンピュータの連載を始めてからというもの、論文や資料の印刷の枚数がハンパではありません。
Since I started the series on quantum computers, the number of papers and materials printed has been tremendous.
インクの消費量も凄いことになっており、私の部屋の中が資料で溢れかえっており、全く収集がつきません。
The ink consumption has been terrific, and my room is so full of material that I can't collect it at all.
現在、1量子ビットの連載に一応のメドがついたので、2量子ビットの検討に入っています。
Now that I'm on the verge of completing the one-qubit series, I'm starting to consider two-qubit.
でもって、これまで着手していなかった(したくなかった)「量子もつれ」の勉強を始めています。
But I've started studying quantum entanglement, which I hadn't started (and didn't want to).
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この連載始めてから、常識では理解できない現象の理解に、本当に疲れてきています。
Since I started this series, I've been really tired of understanding phenomena that don't make sense to common sense.
そして、今、量子の非局在性について調べているのですが、
Now I'm looking into quantum delocalization, and
―― マジで、発狂寸前です
"Seriously, I'm on the verge of going insane."
『1対の量子の一方の状態が確定すると、同時に他方の量子状態も確定する ―― その2つの量子の距離が、何百光年離れていても』
"When one state of a pair of quanta is determined, the other is instantly determined as well -- even if the two quanta are hundreds of light years apart"
勿論、これが、超高速通信を実現するものでもなければ、いわんやワープなんぞとは無関係であることは、(すでに)理解していますが ――
Of course, I understand (already) that this has nothing to do with warp and super-fast communication,
気持ち悪 !
"Disgusting!"
という感情においては、『量子論は不完全である』と終生主張し続けたアインシュタインさんの側に、私は付きたい。
In that sentiment, I would like to stand by Mr. Einstein, who had continued to insist throughout his life that "quantum theory is incomplete".
(その後の各種の実験によって、アインシュタインさんではなく、ボーアさんの主張が正しかったことが、確定済みです)
(Various subsequent experiments have already confirmed that Mr Bohr's claim, and not Mr. Einstein's, was correct.)
本当に
In fact,
―― 量子の振舞いの不気味さに比べたら、幽霊とかお化けなどの怪談の怖さなんぞ、お話になりません(本当)
Compared to the creepiness of quantum behavior, there's nothing in the horror of ghosts and the stories (really).
私は、こういうコラムの連載をやっていることもあって、我が国(日本国)に関する「ざっくり数字」については、そこそこ詳しいつもりでいます。
I think I know a little bit about "rough numbers" concerning our country (Japan), partly because I write a series of columns like this one.
その中でも、日本の人口については、少子化の影響もあって、最近は大きく変っていると言えますが、それでも、ざっくり以下のように把握しています。
Among them, though the population of Japan has changed a lot recently due to the declining birth rate, I have a rough idea of the population as follows.
(1)年間100万人が生まれて、100万人が死ぬ。
(1) One million people are born each year, and one million people die.
(2)100万人 X 100歳 = 1億人
(2) 1 million people X 100 years old = 100 million people
本当にざっくりですが、こういうイメージを持っておくと、色々便利ではあります。
It's really rough, but it's useful to have this image in mind.
つまり、日本国内では、ざっくり毎日3000人くらいの人間が、生まれる一方で、死んでいる ―― つまり「置き代わって」いるのです。
In other words, roughly 3,000 people are born and die every day in Japan -- in other words, they are being "replaced".
On the other hand, looking at this page, the current vaccination speed of COVID-19 in Japan is,
ざっくり10000人/日です。
roughly 10000 people/day.
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何がいいたいかと言うと、
What I'm trying to say is...
―― 毎日、10000人の接種者がいれば、1人くらいは、毎日死んでいく3000人の中に入っているだろう
"If there are 10,000 people vaccinated every day, at least one of them will be among the 3,000 people who die every day".
ということです。
もちろん、このような数値の比較が、『新型コロナウイルスワクチンの接種には、死亡事故がない』と断定する材料になる訳はありません。
Of course, such a comparison of figures cannot be used to determine that there are no fatalities associated with the new coronavirus vaccine.
むしろ、私は、1億人以上という母集団に対して『因果関係が1件もない』など、ありえないとさえ思っています。
In fact, I don't believe that there is any such thing as "no causality" in a population of over 100 million people.
人間の体は、超複雑なシステムで、しかもそのシステム構成は全員異なります。
The human body is a super complex system, and everyone's system configuration is different.
どんなトリガーで何が発生するのかは、結局のところ、誰にも分からないのです。
What triggers what, in the end, no one knows.
「安全」とは、つまるところ「母集団に対する確率」の話に過ぎません。
"Safety" is really just a matter of "probability against the population.
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ただ、現時点で、私が断言できることは、
But at this point, all I can say for sure are,
『コロナ感染で死亡する確率(こっちか因果関係立証済み)は、新型コロナワクチンの接種で死亡する確率(こっちは因果関係が、現時点で不明)と比較したら、お話にならないくらい高い』
"The probability of dying from corona infection (which has been proven to be causal) is much higher than the probability of dying from the new corona vaccine (which is currently unknown).
と、
and,
『ウイルスは、生存戦略として、ワクチン未接種の人間に感染しやすくなるように変異し続ける』
"As a survival strategy, the virus will continue to mutate to make it easier to infect unvaccinated humans"
ということです。
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『なんで、医者でもない江端が、そんなに自信タップリに、そんなことが言えるのか』といえば、結構頻繁に(厚生労働省、その他の)データを見張っていることが一つ。
The reason why Ebata, who is not a doctor, can say such a thing with such confidence is that he frequently monitors data from the Ministry of Health, Labor and Welfare and other sources.
もう一つは、遺伝的アルゴリズム(GA)を使って、色々な問題を解いてきて、そのアルゴリズムの強力な有効性を「体」で実感しているからです。
The other reason is that I have been using genetic algorithms (GAs) to solve various problems, and I have a "physical" experience of the powerful effectiveness of these algorithms.
Recently, as a weekend engineer, I implemented and validated the algorithm for the memo here.
―― 分単位で変動し続ける状況に対して、あっと言う間に、(準)最適解を見つけ出してしまう
"The algorithm can come to find the (quasi-)optimal solution to a situation that fluctuates from minute to minute in a matter of seconds."
のを見て、その効果の高さに、自分でも驚愕してしまったくらいです。
I was even astonished myself when I saw the results.
『ウイルスは、生存戦略として、ワクチン未接種の人間に感染しやすくなるように変異し続ける』というのは、私から見れば、もう、議論の余地がないくらい『明々白々』なのです。
In my opinion, it is indisputably clear that the virus will continue to mutate to make it easier to infect unvaccinated people as a survival strategy.
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という訳で ――
So...
医者でもなく、感染学に精通している訳でもなく、ワクチン開発技術者でもなく、ましてや、有識者会議のメンバーでもない、この私が、
I'm not a doctor, I'm not an expert in infectious diseases, I'm not a vaccine development engineer, and I'm not even a member of the expert panel, however,
新型コロナウイルスワクチン関係に関して、色々なことを『偉そうに語っている』背景には、
in the background of all the "big talk" about the new coronavirus vaccine,
「(1)数字の読み方に慣れている」と「(2)遺伝的アルゴリズムを(今なお)使い倒している」の2つが、係わっていたりします。
"There are two things involved: (1) I'm used to reading numbers and (2) I'm (still) using genetic algorithms.
私は、「団体競技 = 苦痛」「集団行動 = 苦痛」が刷り込まれている(あるいは、そういう経験しかない)ので、高校生までの人生は、辛く厳しいものでした。
I had lived in harsh reality since I was graduated from high school, because 'team sports = pain' and 'collective action = pain' are imprinted on me.
私にとって「運動会」と「修学旅行」は、はっきりいって拷問でした。
As for me, frankly speaking, the 'sports day' and 'school trip' were torture.
_ 修学旅行で、徹夜して騒いでいるやつらは ―― 控え目にいっても ―― "バカ"としか思えませんでした。
On school trips, people who stayed up all night making noise were - to put it mildly - considered "idiots".
『しっかり眠って、気分よく歩いて、史跡説明看板を読んで、歴史的な建築物を見たり、史跡を辿る方が、楽しくないか?』
"Is is more fun to get good sleep, walk around with light steps, read the board explaining historic story, see the historic architecture, and follow the historical site?"
という子どもは、当時、圧倒的少数でした ―― というか、いなかったように思えます。
There were an overwhelming minority of children at the time. I mean there were no child like that
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話は変わりますが、最近、娘たちの話を聞くと、友人の多くが、メンタルをやられて、休業や退社をよぎなくされている若者が多いようです。
By the way, when I talk to my daughters, I hear their friends suffer from mental disorder, and enforce to leave of absence or office.
会社の人間関係に疲れ果てしまっている、というケースが多いようです。
In many cases, they are tired of their company relationships.
しかし、自分ではない他人と上手くやっていけたら、それ自体がレアケースで、ラッキーでしょう。
However, it is a rare and lucky case to get alone with others.
で、つくづく思うのですが、
And I think, really, that...
―― 「なんで、みんな、『他人と上手くやっていける』と思えるんだろう?」
"Why do you all seem to be able to 'get along with others'?"
と考えることがあります。
私は、もう、入社前の段階において「私は、チームワークはダメだ」という自己分析ができていました。
When I was a college student, I had already made a self-analysis that I was not a good team player.
ですので「チームワーク」よりも、「スタンドアローン」に近い働き方が良いだろう、と思っていました。
So I thought that my work style would be better "stand-alone" rather than "teamwork".
その結果、選んだ職種が「研究員」です。
As a result, I made me a "research engineer".
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なんか、みんな、『自分のコミュニケーション能力を、高く評価し過ぎている』ような気がするんですよね。
I think that many people believe that their communication ability is higher.
あるいは、社会に出れば『なんとかなる』と思っているのかもしれません。
Or they might think that once they start working, it is going well.
でも、はっきり言いますけど ―― こればかりは『なんとかなりません』。
However, clearly speaking, it cannot be helped about this issue.
船戸与一さんの、「砂のクロニクル」の中に、高齢のイスラム戦士の会話が出てきます。
In "Chronicle on the Sand" by Yoichi Funado, there is a conversation between an elderly Muslim warrior.
本が手元にないので正確に覚えていないのですが、
Though I don't have the book with me, so I don't remember exactly,
『今日は、卵を入れてみた』
' Today, I put an egg in it.'
『そのようなもてなしは不要じゃ』
'No need for such hospitality.'
『ワシが食べたいんじゃよ』
'I want to eat.'
という場面が登場します。
The above scenes like this one appear.
ある地域では『卵が贅沢品』ということを知って、ちょっとショックを受けたのを覚えています。
I remember being shocked to learn that eggs are a luxury item in some (combat) areas.
近年の卵の値段の高騰は、このシーンを思い出させます。
The recent spike in egg prices reminds us of this scene.
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「昔はなぁ、"卵"などというのは、好きな時に、好きなだけ食べられたもんじゃ。卵が入っていない食べ物など、存在しないといっても言いくらいでなぁ」
In the old days, we could eat eggs whenever and as much as we wanted. We could say that no food did not contain eggs.
「お義父さん!やめて下さい!、子供にそんなデタラメを教えるのは!!!」
Father! Please don't do it! You can't teach that kind of bullshit to a child!
なんて時代にならねばよいが。
I hope such a time never comes.
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