「果しなき流れの果に」。これを読み終えたのは、高校の2年生の時。
一人用テントを搭載した自転車で一人ツーリングをしていた時でした。
ある道の峠にある公園でテントを張ることを決めたのですが、この峠から少なくとも半径5km以内にはたった一人の人間もいないだろうという事実は、日没後からひしひしと私に迫ってきました。
ここで、熊に襲われようものなら、私は生きたまま自分の腸が引きちぎられるのを見ながら、悶絶して死んでいくんだろう、という恐怖は、ちょっと言葉にはできない恐怖です。
-----
とにかくテントの外に出ると、そこには圧倒的な闇。
手を伸ばすと手が見えなくなる闇。
小用を足すのにも、怖くてテントが見える数メートルの範囲でしかできなかったです。
さらに、折悪く、天候も崩れてきました。
豪雨とは言わないまでも相当な雨が降り注ぎ、そして何より恐しかったが、空の上ではなく、テントの入口を覗いた時に見える、「真横に走る雷」と鼓膜をつんざく雷音。
「死にたくない」とテントの中で震えながら、読んでいた本が小松左京先生の『果てしなき流れの果に』でした。
-----
寝れたのか、寝れなかったのか判らない恐怖の一夜でしたら、翌朝、テントから出た私が見たものは、東の地平線から直撃する態様の光線と、私の足元に広がる雲の絨毯でした。
『果てしなき流れの果に』の最終章を、このタイミングで何人が私に与えてくれたのは判りません。
時間と空間とパラレルワールドが錯綜する壮大なストーリーは、その後も私の中に刻み込まれ、大学の頃、その一文を寮の自分の部屋に書き殴るまでに至りました。
-----
その後、「江端が壁に写経を始めた」という変な噂が流れていました。