嫁さんにプロポーズをした時に、「もったいない」と言われたことを覚えています。
これは、
「私みたいな人に、貴方のような素敵な人は『もったいない』」
という意味だと思っていたのですが、これが誤解であったことが、結婚十何年を遥かに過ぎた、先日判明しました。
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大学の2年生まで、私は思想的には左翼に属する自治寮に属しており、いわゆる男女間の差別問題等についても勉強をさせられていました。
当時は、夫婦別姓論に関する議論が、世の中を席巻していました。
その寮生活において、普通の生活の中での、普通の発言や振舞の中で、自分の意識しない差別が存在することを御互いにチェックしあえる機会を得ることができました。
例えば、次のようなことがありました。
ある種の政治運動をしている女性について、
『女性であるのに、大変立派なことをされている』
という感想を漏らした時、寮の先輩から
『江端。今、お前は、明確な差別発言をしてしたことに気がついているか』
と言われました。
こういう日常生活での批判は、何百冊の本を読んでも得られない貴重なものであり、今でも、この点に関しては、寮生活を送れたことを心から感謝しています。
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で、「もったいない」の話に戻ります。
嫁さんが、「もったいない」と言った発言の趣旨は、
(1)『私は、社会のフロントで闘っている多くの女性を知っている』
(2)『その女性の多くは、男性の意識的、無意識的な女性差別観念によって、その活動を制約されている』
(3)『そういう差別観念を自己認識して、改善していこうとする男性は極めて少ない』
(4)『貴方のような人は、そのようなフロントの女性にこそ供給されるべきである』
(5)『従って、限りある人的資源が「もったいない」』
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要するに、私は、レアメタル(希少金属)のようなものだった、ということです。
まあ、これはこれで、賞賛の一つではあるのですが、なんか「愛」がないなぁ、と思いました。