年齢が年齢なので、査読者やと承認者として、書類に判子を押すことが多くなりました。
今は、パソコンのワークフローシステムから、ボタンを押すだけで足りるようになりましたが。
この仕組みは、ヒエララルヒーを原則とする会社組織では、絶対に必要な手続です。
地球が滅び、人類が死滅した後でさえ、この手続だけは残るだろうと思う。
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私は、査読者や承認者としては、資質を欠いていると思っています。
他人の書いた書類や処理なんぞに興味はないし、それが正しいかどうかを、確認する熱意もありません。
勿論、管理者としての責務はありますが、それは給料の対価です。
私は、形式的には書類をキチンとチェックします。
しかし、その書類の中に込められているであろう、様々な実体的な内容(その業務の背景だとか、本人のやる気だとか、会社としての利益とか)を、チェックしていません。
# 『実体的に判断をしている』と主張する管理職は、名乗り出てみやがれ。私がお前を「実体的」に判断してやる、と思っている。
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ま、という訳で。
私が、査読者やと承認者として、誤った判断をする可能性は、非常高いと思います。
ですから、査読者やと承認者として、「私」を選択する部下に対しては、常にこのようにいっています。
『お前の手続で、私に不利益が生じたら、それを超越する不利益をお前に戻すから、その覚悟で書類を回してこい』、と。
(以下に「超越する不利益」を記載したんですけど、酷く怖い内容になってしまいましたので、バッサリ割愛しました)