先日、カルト宗教のテロ事件の容疑者2名が逮捕されました。
それは良いことなのですが、今回の逮捕で、「指名手配写真の無力さ」を実感した人は、少なくないと思います。
「歳をとる」ということは、内面だけでなく、外見も「別人に変化していく」ということなのでしょう。
とすると、我々は常に異なる沢山の人生を、無段階変速(というか、変化か)しながら生きている、とも言えます。
そういえば、上記2名の容疑者の現在の年齢と思われる似顔絵も出ていましたが、全然、似ていませんでしたね。
まあ、そんなことはよくて、問題は、「指名手配写真の無力さ」を、以下に脱却していくか、ということですね。
これを、残された血痕から取り出されたDNA、生活パターン、心理状態から、適切な老化後の姿をを推定する研究が期待されます。
画像処理だけでは駄目で、医学、行動心理学などとの連携が必要になるのでしょう。
それはさておき。
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昨年、実家に帰省した時に、私の大学時代のアルバムを娘達に見せていました。
「この、かっこいい人がパパ? 嘘だ! 絶対に嘘だよ」と、二人の娘が同時に叫んでいました。
『なんで、私が他人の写真を、自分のアルバムに張らねばならないのだ』
と主張しながら(なんで、私がそんな抗弁する必要があるのだ?)、二人の娘は、ようやく納得したようですが、
―― これ(写真の私を見て)が、
―― これ(私の方を見る)になるのか
と、凄く残念そうに、私を見る視線は痛々しかった。
『月日というのは、本当に残酷なものなんだね』
と二人の娘の目が言っていました。