20年くらい前になりますが、「利己的遺伝子」という話題が流行ったことがあります。
「我々人間を含めた生物個体は、遺伝子が自らのコピーを残すために一時的に作り出した『乗り物』に過ぎない」という理論です。
この理論、非常に物事を説明するのに便利な理論でして、スポーツや勉強の競争原理は勿論、性欲やSEX、子育てや「子どもに対する保護者の犠牲的行為」までもが、一通り、キレイに説明できます。
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で、我々研究者は、このような一貫性があるように見える理論に、凄く「弱い」く、そして「大好き」だったりします。
極めて危いんですよ、この研究者達の特性は。
研究者が、そのような理論で遊んでいると、大抵の場合、為政者がしゃしゃり出てきて、面倒くさいことにしてしまう。
例えば、ナチスドイツが「優生学」という、非常に理解しやすい理論を、「人種改造論」にまで「発展」させてしまいました。
この結果、「ゲルマン民族の優位性」だの「ユダヤ人問題の最終的解決」という、とんでもない政策となってしまいました。(興味のある人はググッって下さい。この説明は、さすがに辛い)
と、一応、「研究員」としての「逃げ」を打っておいた上で話を続けます。
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―― 「『花見』とは、利己的遺伝子論的には、どのように説明できるであろうか」
という、全くもって、どーでもいいようなテーゼで議論をしていた、若い研究者達がいたのですよ、20年くらい前に。
「花見」が遺伝子の乗り物になるという論理付をすることで、我々は苦しんでいました(仕事しろ!)。
ところが、ある一人の若い研究員が、これを見事に論理付けに成功しました。
■『花見』とは、異性との出会いの場を形成する「ナンパの場所」の提供である。
■贅沢な「花見」に来られる人間は、経済的に余裕がある証拠であり、それは「子ども」を育成する環境に資する人材(「遺伝子の乗り物」)の差別化と認定される。
我々は、「おおっ」と思わず声を上げましたね。
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という訳で、「花見」は利己的遺伝的に極めて重要な行為です。
若い人は特に、面倒くさくても「花見」に行きましょう。自然界が提供してくれた「ナンパの場所」なのですから。