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2013-04-02 利己的遺伝子論に基づく「花見」

20年くらい前になりますが、「利己的遺伝子」という話題が流行ったことがあります。

「我々人間を含めた生物個体は、遺伝子が自らのコピーを残すために一時的に作り出した『乗り物』に過ぎない」という理論です。

この理論、非常に物事を説明するのに便利な理論でして、スポーツや勉強の競争原理は勿論、性欲やSEX、子育てや「子どもに対する保護者の犠牲的行為」までもが、一通り、キレイに説明できます。

-----

で、我々研究者は、このような一貫性があるように見える理論に、凄く「弱い」く、そして「大好き」だったりします。

極めて危いんですよ、この研究者達の特性は。

研究者が、そのような理論で遊んでいると、大抵の場合、為政者がしゃしゃり出てきて、面倒くさいことにしてしまう。

例えば、ナチスドイツが「優生学」という、非常に理解しやすい理論を、「人種改造論」にまで「発展」させてしまいました。

この結果、「ゲルマン民族の優位性」だの「ユダヤ人問題の最終的解決」という、とんでもない政策となってしまいました。(興味のある人はググッって下さい。この説明は、さすがに辛い)

と、一応、「研究員」としての「逃げ」を打っておいた上で話を続けます。

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―― 「『花見』とは、利己的遺伝子論的には、どのように説明できるであろうか」

という、全くもって、どーでもいいようなテーゼで議論をしていた、若い研究者達がいたのですよ、20年くらい前に。

「花見」が遺伝子の乗り物になるという論理付をすることで、我々は苦しんでいました(仕事しろ!)。

ところが、ある一人の若い研究員が、これを見事に論理付けに成功しました。

■『花見』とは、異性との出会いの場を形成する「ナンパの場所」の提供である。

■贅沢な「花見」に来られる人間は、経済的に余裕がある証拠であり、それは「子ども」を育成する環境に資する人材(「遺伝子の乗り物」)の差別化と認定される。

我々は、「おおっ」と思わず声を上げましたね。

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という訳で、「花見」は利己的遺伝的に極めて重要な行為です。

若い人は特に、面倒くさくても「花見」に行きましょう。自然界が提供してくれた「ナンパの場所」なのですから。


2014-04-02 「「『会いたくない人が近づくと警告発するアプリ』を使っている人を検知するアプリ」で、回避行動と判断されないような行動パターンを計算して知らせてくれるアプリ」も登場させるべきでしょう。

I heard that an application is released. The application sounds a warring when the person who you don’t like approaches you.

――うん、これ、やっぱり来たか。

That's to be expected.

この発想、私は20年以上も前からあったのですが、ついに特許出願しませんでした。

However I also had had the same idea from twenty years ago, I didn't apply for a patent.

私ですら、特許性がないことは簡単に分かりましたからね。

I knew well that was not patentability.

ま、それはさておき。

-----

ここは、そのカウンターアプリも登場させるべきです。

On the other hand, we should develop a counter-application.

「『会いたくない人が近づくと警告発するアプリ』を使っている人を検知するアプリ」です。

That is the application you could detect the person who use the application that sounds a warring when the person who you don't like approach you.

その検知した人が、「自分」が理由で回避行動を取ったか否かを、ベイジアンネットワークなどの高度な確率アルゴリズムで検知するのです。

And the application also has an intelligent algorithm, for example, Bayesian network, and the algorithm tells you whether the detector takes avoidance behavior using the above application.

こうなれば、さらにそのカウンターアプリのカウンターアプリを登場してくるでしょう。

At this rate, someone will develop a couter-appication against the above counter-application.

「「『会いたくない人が近づくと警告発するアプリ』を使っている人を検知するアプリ」で、回避行動と判断されないような行動パターンを計算して知らせてくれるアプリ」も登場させるべきでしょう。

It is to tell you a suitable avoidance behavior not to be detected the behavior by the counter-application user.

-----

このようにして、そのような疑心暗鬼がリカーシブに続き、ギスギス感が蔓延した、息苦しい社会の、行きつく果てに、私が提唱する、究極のパラダイス社会

Thus, these applications make the world recursive thought attack, air complaints and stifling air. Eventually the world will go to ultimate utopia, I have been proposing,

The interface society

が、華々しく登場するのです。

will be coming.


2015-04-02 コンセプトは『納豆ガール』だ

先日、高校2年生の長女に、納豆専門のお店のWebサイトを見せたところ、「そこに連れていけ」と何度もフォローを受けています。

The other day, I introduced the Web site of "Natto-restaurant" to my senior daughter, and I continued asking her to take her to the restaurant.

江端:「納豆だけの為に、飯田橋まで行けるか! 一人で行け」

Ebata:"Why should I take you to Iidabashi for Natto-restaurant? Go alone!"

長女:「一人メシは味気ない」

Daughter: "Eating lunch alone" is not fun.

江端:「じゃあ、友達誘っていってこいよ」

Ebata:"Try to invite your friends."

長女:「『納豆食べに行こうよ』なんて会話は、私たち(女子高生)の間には成立しない」

Daughter:"Generally speaking, we don't use the phrase of "Let's go to eat Natto""

-----

長女のそのセリフを聞いたところで、私のフラグが立ちました。

When I heard her serif, I had a flag set.

江端:「違うぞ。それは、新しいトレンドを作りだすチャンスかもしれないぞ」

Ebata:"That's it. You might have a chance to make new trend with "Natto".

長女:「は?」

Daughter:"What?"

江端:「コンセプトは『納豆ガール』だ。『納豆 ―― ヘルシー、デリシャス、ダイエット』『肉食女子』でも『草食女子』でもない、フツーで身近なのに、鬱陶しくないくらいの粘り強さを秘めた女子」

Ebata:"The concept is "Natto-girl". "Natto -- it is healthy, delicious and good for diet." "She is neither meat-eating girl nor plant-eating girl, and common, familiar but tenacious without annoying."

長女:「・・・」

Daughter:"...."

江端:「うん、先ずは、学校でのサークル設立趣意書だな、分かっている、皆まで言うな。パパに任せておけ」

Ebata:"Yes. To begin with, you have to make a foundation prospectus.O.K. Don't say it anymore. Count on me."

長女:「・・・」

(To be continued)


2016-04-02 ―― ええい、アホか! 世界をわざわざ面倒くさくして、どうするんだ!!

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

私は、シミュレーションプログラムの中で、点を打ったり、線を書いたりするだけの描画ライブラリなんぞ、山ほどあるだろうと思っていました。

I think that there are a lot of drawing libraries that enable me to hit points or draw lines.

ですから、JavaScriptにもPythonにも、私の望むようなライブラリがないことに、本気で驚きました(基本的には、規定のフォーマットのデータとして、保存してから、読みださなければならない)。

So, in Python or JavaScript, I was really surprised that I can not find libraries I want.

もちろん、そのようなライブラリが、全くない、という訳ではないのですが、

Of course , I don't mean there is no libraries in the world, however,

シミュレーションプログラムの中で点や線を描きたければ、うんざりするような前処理をしなければならない。

even if I want to draw dots or lines in my simulation programs, I have to set enormous annoying per-procedures.

ライブラリのインストールだけではなく、バックグラウンドやフォアグランドのフレーム宣言したりと、もう、サンプルプログラム読むだけでウンザリ。

Not only installing the libraries, I have to read many sample program in order to understand something, for example, frame declares of background or foreground.

また、自分で、座標変換などもプログラミングしなければない、ときたもんです。

In addition, it is me to make a program for exchanging a coordinate transformation.

―― ええい、アホか! 世界をわざわざ面倒くさくして、どうするんだ!!

"How stupid! Why do they want to make annoying world on purpose?""

―― 線なんぞ、"lineto()"で、描ければ十分だろうが!

"Using "lineto()" is enough for everyone isn't it?"

-----

と、私と同じように、世界のことを「アホか!」―― と、製作者の方が、思われていたかどうか分かりませんが、

Fortunately, a person who tried to make a wonderful drawing library, -- I don't know whether the person think "How stupid!" ----

whose name is "GRWin".

学生が計算アルゴリズムに集中できるように(アホな描画の前処理なんぞで、うんざりしないように)、非常に単純な描画I/Fで構成されていて、感動します。

The library is made of very simple drawing I/Fs for student to concentrate the calculation algorithm ( they don't become sick by stupid drawing procedures.), and I am impressed.

-----

ただ、性質上仕方ないことなのですが、GRWinが、Windowsプラットフォームに縛られてしまうのが残念です。

But I know that it cannot be helped because of the specification, I am very sorry that GRWin is for windows OS only.

But I never say that

―― これでWebブラウザに直接表示できるようになると、OS非依存になるんだけどなーー

"If I can use GRWin for Web browser in the OS-independent, I become happy."

と、私が言わないのは、

もし私がそれを言えば

If I say so, another say to me

「お前がポーティングやれ」

"Why don't you try it?"

という話になることが、分っているからです。

I know well that.

(実装検討したのですが、エラい手間になることが分かりまして(以下省略))

I have already studied the implementation, however, I noticed that enormous annoying(omitted).


2017-04-02 ―― そういう非日常が、比較的、お手軽に手に入る

先日、一人でスキーに行ってきました。

I went skiing alone the other day.

通年、1年に1日という頻度ですし、正直、面倒くさいなあ、と感じることがあっても、なるべく欠かさないようにしています。

It is the frequency of one year in a year, however, even though I feel honestly troublesome, I try to continue it as much as possible.

1日だけでも、山の澄んだ空気を吸い、山頂から下界を眺めていると、体の中から雑としたものが取り除かれていく様な感じが得られ、

Even just one day, sucking the clear air of the mountain, and watching the lower bound from the top of the mountain, I feel that something miscellaneous is removed from my body,

コブ斜面に突入していく時の、頭の中が「真っ白」になる感じは、脳というCPUが100%占拠されて、それ以外のことを何も考えられなくなる

When entering the slope of the expert, the feeling that the inside of the head is "pure white" is likely that the whole of brain CPU is occupied, and I cannot think anything.

―― そういう非日常が、比較的、お手軽に手に入る

"Comparatively I can obtain such extraordinary life easily"

That is my "skiing alone".

私は、そういう「非日常」が、瞑想とか座禅とかと同じものか、どうかは知りません(私は、瞑想も座禅もやったことがないので)が、しかし、急斜面に突入している間の、わずか数分間は

I do not know if such "extraordinary" is the same as meditation or zazen(I have never done meditation or zazen before), however, I think that only a few minutes while rushing into a steep slope will bring

―― 「無の境地」に至っている

"spiritual state of nothingness"

のではないか、と思っています。

(それにしても『「無の境地」を説明する』というのは、矛盾を包含するフレーズだなぁ、とも思いますが)

(Even so, an explanation of "spiritual state of nothingness" is a phrase containing contradiction.)

-----

今回、スキー靴が、ボロボロに砕けてしまいました。

This time, the ski shoes broke down into rumbling.

バックルの接合部が剥れ、足裏のプラスチックが砕けて、ビスが剥き出しになっていました。

The joint of the buckle was peeled off, the lastic in the sole crumbled, and the screws were exposed.

通算15年、よく働いてくれたと思います。

I think that the shoes worked well for 15 years.

これは、「天が、そろそろスキーを引退せよ」と告げているのかな、とも思いましたが、

I also thought that someone might be saying, "you are going to retire skiing soon"

『天がなんと言おうとも、スキーだけは止めてたまるものか』と考えて直しています。

I come to think that "No matter what is doing, I never stop skiing".

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会心のコブ斜面での滑走ができるようになるまでは、私は、断固として一人スキーを継続します。

Until I am able to do conquering slide at the expert course, I definitely continue to ski alone.

1年に1回、総計3時間(リフトと休憩の時間を入れれば、1時間くらい)足らずのスキーの練習だけで、「会心の滑走」ができる可能性は、絶無でしょうが、

Totally just practicing skiing less than three hours once in a year (about 1 hour if I put the time for ridng lift and taking a rest), there is "possibility of absence" of "conquering slide".

その「絶無の可能性」こそが、冒頭の「面倒くさいなあ」に対抗する為に、必須なのです。

Exactly, this "possibility of absence" is essential to counter the "troublesome" at the beginning.


2018-04-02 「金をかけて、ブロックチェーンシステムを導入するモチベーションが発生するだろうか?」 と疑問に思ってしまうのです。

公文章改竄問題の技術的アプローチとして、最近流行りの、

As a technical approach of official document alteration problem, recently,

―― ブロックチェーンを使えば解決

"Solving by using block chains"

というコラムが散見されます。

The columns are scattered in the air.

私は、「そうかなぁ?」と思っています。

However, I think "really?"

-----

だって、公文章を、ブロックチェーンシステムに投入しなければ、ブロックチェーンのウリである「第三者承認/監視プロセス」は1mmも動きませんよね?

Because, unless public sentences are submitted to the block chain system, the "Third Party Approval / Monitoring Process" which is the block chain's effect will not work at all.

とすれば、(1)そのシステムに文章を投入しなくなるだけ、(2)そのプロセスに入れる前のアナログ(手書き)の手続が増えるだけ、だと思うんですよ。

Then, I think that (1) nobody will not submit the document to the system, (2) Analog (handwritten) procedures before using the system will increase.

もちろん、ブロックチェーンは、文章を開示しなくても(暗号文のままで)、同一性を担保できるというメリットがある(あるんですよね?)、秘密保持の点では望ましいと思いますが、もし、上記の機能だけを求めるのであれば、既存の「デジタル認証」で十分です。

Of course, the block chain has the merit of being able to guarantee the identity even without disclosing the sentence (as it is in ciphertext) (is it?), so I think that it is desirable in terms of confidentiality. However, If you only want the above functions, "digital certification" is enough.

「金をかけて、ブロックチェーンシステムを導入するモチベーションが発生するだろうか?」 と疑問に思ってしまうのです。

"I wonder if there will be a motivation to install a new block chain system by spending money?"

私が、どっか間違っていれば、教えて下さい(本当に私は「分かっていない」という自覚はあります)。

If I am wrong somewhere, please tell me (really I know that "I do not know").

その場合には、直ぐにお詫びと訂正文を出します。

In that case, we will apologize soon and issue corrections.

(続く)

(To be continued)


2019-04-02 ―― 一年の元旦を、0月0日にする

新元号が発表されました。

The new era of Japan has been announced.

「Reiwa なのか Leiwa なのか」という疑問は、全くありませんでした。

For me, there was no question, "Reiwa or Leiwa?"

―― "L"はない

I know that "L" is out of scope.

ということが、分かっていたからです。

プログラミングにおいて、"L"というのは、結構見にくいのですよ。

In programming, "L" is pretty hard to recognize.

小文字で"l"と記載すると、"1"にも見えますし、"|"の半角文字にも見えます。

If "l" is written in lower case, it looks like "1" and also looks like half-width characters of "|".

ですので、for(int i = 0; i < 9; i++)のように、i,k,m,n,pなどは使われますが、"l"を単変数として使ったプログラムは滅多にお目にかかれません。

So, i, k, m, n, p, etc. are used like "for (int i = 0; i <9; i ++)", but programs using "l" variable ,as a single, is rare to be seen.

文章においても、

Even in sentences,

大文字の"L"でも、"「"や"」"とも混同しやすいです。

It is easy to confuse even capital "L" with "「" and "」" .

公文書、私文書でも、"L"から始まる元号表記は、混乱の原因になるでしょう。

In both official documents and private documents, the era number notation starting with "L" will cause confusion.

-----

ところで、ITエンジニアの殆どが、令和元年は「令和0年」、"R-0"として欲しいという願いを持っていることは、論を待ちません。

By the way, it is no reason that most of IT engineers have a desire to use "Reiwa 0", "R-0" as the first year of "Reiwa".

プログラムの世界では、"0"からカウントするのが慣例であり、実際、計算がしやすいのです。

In the programming world, it is customary to count from "0", and in fact it is easy to calculate.

例えば、配列a[10]には、a[0],a[1]...a[9]までは入れられますが、a[10]を入れようとするとエラーかバグになります。

For example, array a [10] can contain up to a [0], a [1] ... a [9], but if trying to put a [10], it will result in an error or bug.

この「感じ」を、プログラマーでない人に説明するのは、とても難しいです。

It is very difficult to explain this "feel" to non-programmers.

例えば、西暦2000年から21世紀が始まるのではなく、2001年からとなっている違和感

For example, it is uncomfortable that the 21st century started not from the year 2000 but 2001.

あるいは、AC1年とBC1年が連続した年であるという気持ち悪さ

or, it is disgust that AC1 and BC1 are consecutive years

が ・・・と、言っても多分分かって貰えないでしょう。

However, most people will not understand it.

-----

うん、分かって貰えないことも、分かっているのです。

Yes. I also know that you can not understand it.

例えば、

For example, if the government announces that

―― 一年の元旦を、0月0日にする

"the New Year's Day will be 0 day in 0 month "

と、政府が発表したら、間違いなく、日本国政府がクーデターでひっくり返されるでしょう。

Without doubt, the Japanese government will be overturned be people.

3時間もあれば十分でしょう。

I think that three hours will be enough.

そして、私たちは、世界最短時間のクーデターの目撃者になれます。

And we can be witnesses of the world's shortest time of the coup.


2020-04-02 今、これから発生する数万人規模の死体収容所を作っている ―― って、どこの世界線(ディストピア)の話? と聞きたくなります

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

つまるところ、「人が集まらなければ、クラスターは発生することができない」のです。

After all, "If you don't get together, you can't create a cluster."

そして、今のところ、我が国に関しては、この「クラスター潰し」が、ぎりぎり有効な範囲にあります。

And so far, in Japan, this "cluster crushing" is in a marginally effective range.

もっとも、我が国でも、この「クラスター潰し」も限界に近くなってきているようです。

However, in Japan, this "cluster crushing" seems to be reaching its limit.

これが「感染経路が分からない」というものです。

This is "we cannot know the route of infection."

ちなみに、欧米では、「クラスター潰し」のフェーズを離れ、手遅れになっているのはご存知の通りです。

By the way, as you know, in Europe and the United States, it is too late to leave the "cluster crushing" phase.

今、これから発生する数万人規模の死体収容所を作っている ―― って、どこの世界線(ディストピア)の話? と聞きたくなります

Now, they are building tens of thousands of corpses in the future. I want to ask what the world line (dystopia) is.

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「クラスター潰し」の観点から、学校、会社、集会、イベントを自粛するのは、(個人の経済的事情を無視するのであれば)最適戦略です。

From a "cluster crushing" perspective, refraining from schools, companies, gatherings, and events is an optimal strategy (if you ignore the economics of an individual).

しかし、学校、会社、集会、イベントを自粛しながら「夜の歓楽街に出掛ける」という人間は、はっきり言わせて貰えば、

However, persons who "are going to the red light district at night" while restraining schools, companies, gatherings, and events,

『あんたたち、脳があるのか?』

"Do you have a brain?"

と尋ねたくなるくらい、理解不能です。

I do not understand them at all.

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そこで、私、経済活動をそこそこのレベルで維持しつつ、クラスター発生を防止する一つの案を提案したいと思います。

Therefore, I would like to propose a proposal to prevent clusters while maintaining economic activity at a reasonable level.

「音声コミュニケーションの絶対的な禁止命令」

"Absolute ban on voice communication"

です。

■いかなる状況であっても、対人間で会話をしてはならない(例外なし)。

- You should not speak anyone at any place.

■コミュニケーションは、一定の距離(数メートル)を維持しながら、全て、SNS等のリアルタイムのテキストメッセージのみでで実施する。

- All communication is carried out using only real-time text messages such as SNS while maintaining a certain distance (a few meters).

■スマホが使えない人は、メッセージボードで会話をする。

- If you can't use a smartphone, talk on the message board.

■どうしても音声による会話が必要であれば、全て電話で行う、または、電話会議を実施する。

- If a voice conversation is absolutely necessary, you can use a phone or telephone conference.

これは、現時点で多くの会社で実施されています。

This is currently being implemented by many companies.

この条件が満たされるのであれば、私は、バー、キャバクラ、メイド喫茶は再開しても良いと考えています。

If this condition is fulfilled, I am willing to resume bar, cabaret club and maid cafe.

-----

ところで、

By the way,

江端家は、一度、家族4人で、秋葉原にあるメイド喫茶なるものに行ったことがあります。

The Ebata family once went to a maid cafe in Akihabara.

待ち列に並んでいる最中、家族全員が、不快と酸欠で顔色が悪くなっていました。

While in the queue, the whole family had turned pale due to discomfort and lack of oxygen.

私が「離脱」を提案したところ、1秒後に家族全員が同意して、5秒後に店の外に敗走しました。

When I proposed "withdrawal," the whole family agreed one second later and broke out of the store five seconds later.

その時、シュタインズゲートの中に登場していた「メイド喫茶」への幻想は、私の中で、完全に破壊されました。

At that time, the illusion of "maid cafe" that appeared in Steins Gate was completely destroyed in me.

閑話休題

Restless talk

(続く)

(To be continued)


2021-04-02 『ああ、だから、組織のデリケートな情報は、私の耳には入ってこないんだ』と。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

私は、この事件に「組織システム」から本気でアプローチしたいと思っています。

I would like to seriously approach this case from an "organizational system" perspective.

"Why is corona literacy so sloppy in the hands of those who are in charge of leading corona literacy?"

私は、これを、感情や主観を排して「法人組織のシステムアーキテクチャ」から見直してみたいです。

I would like to review this from the perspective of "system architecture of corporate organizations" without emotion or subjectivity.

-----

なぜ、この事件が発生する前に、これを止めようとする人間が出てこなかったのか?

Why didn't some officials come forward to stop this folly before it happened?

もちろん、『上長の愚行をチクることが、組織内での自分の死』を意味することは、知っています。

Of course, I know that "snitching on the follies of your superiors means your own death in the organization".

私、サラリーマンですから。

I'm also an office worker.

ですので、表立って、正論が言えないことは、理解できます。

So, I understand that I can't say the right things out in the open.

しかし『匿名での密告や告げ口』など、手段は山ほどあった筈です。

However, there must have been many ways to do so, such as anonymously tipping off or informing others.

組織内を使えないのであれば、匿名SNSで拡散させれば、簡単に止めることができたはずです。

If they couldn't use the inside of the organization, they could have easily stopped it by spreading it through anonymous social networking sites.

もし、「誰も止めることができなかった」ということであれば、「『上の言うことには、間違いはない』という組織文化がある」、または、「組織としての自浄機能がない」ということになります。

If "no one was able to stop them," it means that the organization has an organizational culture that "what the top says is never wrong," or that the organization has no self-cleansing function.

しかし、20人以上の組織であれば、1人くらいは『空気の読めない奴』がいるものです。

However, in an organization of 20 or more people, there is always at least one person who can't read the air.

―― と書いているうちに、ハタと気がつきました。

As I was writing this, I had a sudden realization.

『ああ、だから、組織のデリケートな情報は、私の耳には入ってこないんだ』と。

I thought to myself, "Oh, so that's why sensitive information about the organization is not coming to my ears".

私(江端)、組織内において、絶望的に空気が読めません。その自覚はあります。

I (Ebata) am hopelessly unable to read the atmosphere in the organization. I am aware of this.

まあ、それはさておき。

Well, that's aside.

-----

これまでの、コロナシリーズは、「轢断のシバタ医師」のシバタレポートが第4弾まで続いてきました。

So far, the Corona series has continued with the Shibata Report by "Dr. Shibata of the Run Over" until the fourth installment.

もし、第5弾を書かせて貰える機会があれば、観点を変えて、私が執筆してみたいと思っています。

If I have the opportunity to write the fifth installment, I would like to change my perspective and write it myself.

題目は、「システム論から見た、法人(×個人)のコロナリテラシー」です。

The title is "Corporate (x Individual) Corollary Literacy from a Systems Theory Perspective".


2022-04-02 今日も、私は『スタンディングオベーション』です。

いわゆる、世界から注目される著名な人は、厳しい自己批判と反省を続けている ―― らしいです。

So-called prominent people who attract worldwide attention continue to engage in severe self-criticism and reflection -- apparently.

確かに、そのような日々の果てに、世界を動かし、世界を感動させる何かを興すことができるのだと思います。

Indeed, I believe that at the end of such days, they can rise something that moves the world and inspires the world.

しかし、そのような人々には、世界は見えていない ―― 彼らにとって、世界は観客ではありません。

But to such people, the world is invisible -- to them, the world is not a spectator.

彼らにとっての観客は、自分自身です。

For them, the audience is themselves.

-----

その観客(自分)は、自分のパフォーマンスに対して、賞賛の言葉はかけてくれません。

That audience (they) will not offer words of praise for their performance.

それどころか、いつでも、自分のパフォーマンスの欠点を捜し続けて、自分に対して、さらなる高みを要求します。

Instead, they continually search for flaws in their own performance and demand higher and higher from themselves.

そのパフォーマンスは、更に、大きく、高く、磨かれ、誰も追いつくこともできないものになっていきます。

The performance will be even greater, higher, and more polished, and no one will be able to catch up to them.

私たちは、彼らからは一顧だにされない、指を加えて眺めるているだけのモブです。

We are just a mob of people who are not given a second thought by them, just adding their fingers and watching.

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尊敬に値する行為だと思いますが ―― 私は、そんな生き方はゴメンです。

I think it's a respectful act, however I'm not going to live that way.

そもそも、そんな生き方して、楽しいか? と思います。

In the first place, do I enjoy living that way? I think.

私は、コラムを書き上げた時、自分の思った通りにプログラムが動いた時、発明が頭の中で図面に落ちた時、

When I finish a column, when a program works the way I want it to, when an invention falls into a detailed drawing in my head.

―― 自分の頭の中の発表会場で、たくさんの自分が一斉に満場総立ちになり、万雷の拍手と歓声の嵐が巻き起こります

In the presentation hall in my own head, all of me are standing at the hall with a storm of thunderous applause and cheers

セルフ・スタンディングオベーションです。

It is the self standing ovation.

私は、厳しい自己研鑽の上で、世界に比類なき何かを目指すよりも、自分の手の届く範囲の高みに手が届く度に、簡単に何度でも満足し続ける「安い」自分が好きです。

I like my "cheap" self to continue to be easily satisfied again and again with the heights within my reach, rather than to aim for something unparalleled in the world, based on rigorous self-improvement.

世界から注目される著名な人と私の共通している点があるとすれば、『世界がどう思おうが、知ったことか』という一点のみです。

If there's one thing that I have in common with the world's most notable personalities, I have only one point: 'I don't care what the world thinks.

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本日、私は、自力で、スタッドレスタイヤをノーマルタイヤに交換し終えました。

Today, I finished changing the studless tires to normal tires on my own.

今日も、私は『スタンディングオベーション』です。

Today, too, I am in 'standing ovation'.


2023-04-02 ―― 『結婚の価値、良さ、メリット』を、若者に対して言語化できない、私(たち)の無能

出生率の低下の一因(というか主要因)は、非婚化です。

One factor (or rather, the main factor) in the decline in the birth rate is the nonmarriage rate.

どうして、非婚化が進行しているかというと、その原因ははっきりしています。

The reasons for the growing number of unmarried people are clear.

―― 『結婚の価値、良さ、メリット』を、若者に対して言語化できない、私(たち)の無能

"My (our) inability to verbalize the "value, merits and advantages of marriage" to young people"

です。

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先日、ニュースで、『非婚女性のウェルビーイングが、既婚女性のウェルビーイングを越えたことが、統計で示された』という話を聞いて ―― 『いずれ、そのデータが出てくるだろう』とは予感していたのですが ―― それでも、ショックを受けています。

The other day I heard a story in the news that 'statistics show that the wellbeing of non-married women has surpassed that of married women' -- I had a hunch that 'eventually the data would come out' -- but... -- I was still shocked.

The following table shows my predictions of nonmarriage just 10 years ago.

私自身は、「非婚」が、価値のある人生の選択であることは、よく理解しています。

I myself understand that "non-marriage" is a worthwhile life choice.

しかし、同時に「結婚」もまた、価値のある人生の選択であることも知っています。

But at the same time, we know that "marriage" is also a worthwhile life choice.

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もちろん、非婚や結婚が、自分の選択だけで決まる訳ではありません。

Of course, non-marriage and marriage are not determined solely by one's choice.

しかし、現在が「結婚」が恐しく難しい時代であることは、データを見るまでもなく分かっています。

However, we don't need to look at the data to know that "marriage" is a terribly difficult time today.

以下のグラフは、10年前の私の予測です。ざっと見たところ、非婚化は、私の予測より加速されているようです。

The following graph is my prediction from 10 years ago. At a quick glance, it appears that the rate of nonmarriage is accelerating faster than I predicted.

現在の結婚の難しさは、私の体感で、私の時代の『10倍以上』は難しく、やろうと思えば、数値で叩き出せると思います。

The difficulty of marriage today is, in my experience, 'more than 10 times' as difficult as it was in my day, and I think I could beat it out of you numerically if I wanted to.

それはさておき。

Aside from that.

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『結婚の価値、良さ、メリット』を、若者に対して言語化できない、私(たち)無能 ―― について異議はないのですが ――

I have no objection of "My (our) inability to verbalize the "value, merits and advantages of marriage" to young people", however,

では、私たちの時代に、『結婚の価値を、きちんと言語化してくれた先人がいたか?』だろうか、と考えてみました。

So, in our time, 'Did any of our predecessors properly verbalize the value of marriage?' I wondered.

いや、いなかったぞ。

No, they weren't there.

There was no one there except for one person.

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では、私(たち)は、どうやって結婚を選択してきたのか?

So how have I(we) chosen to get married?

当時の人も、私たちと同様に、結婚の価値を言語化することはできなかったけど、『私は、結婚していた"その人"を信じることができた』とは言えると思うのです。

People then, like us, could not verbalize the value of marriage, but I think we can say, "I could believe in the 'person' who were married to".

では、"その人"とは誰か?

So, who is "the person"?

それは、親であり、先輩であり、高齢者であり、社会でした。

It was parents, seniors, the elderly, and society.

私(たち)は、結婚を支持する(または同調圧力をかけてくる)社会を、とりあえずは信じていたのです。

I (We) believed, for the time being, in a society that supported (or was sympathetic to) marriage.

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この考え方を拡張していくと ――

Extending this idea --

非婚化とは、

What is nonmarriage?

- 結婚を望まない人の価値観を認めず、

- Not recognize the values of those who do not wish to marry,

- 結婚を望む人の望みを叶えられない社会を作り(あるいは、その社会を放置し)、

- Create (or leave in place) a society that fails to fulfill the desires of those who wish to marry,

- 結婚の価値を、自分の言葉で語ることもできない、

- Not speak of the value of marriage in his own words,

そういう、無能な私(たち)に対する「痛烈な批判」である、という結論に帰着する訳です。

I can only conclude that this is a "scathing criticism" of my (our) incompetence.


2024-04-02 『わからない文章の責任は、"100%"書き手にある』

私は、もの書きの一人であるという自覚はありますが、だからといって、高い読解力を持っている訳ではないようです。

I know that I am one of those people who write things, but that does not mean I am a high reader.

次女の持っている「SPI(*)問題集」なるものの本に目を通していたですが、「(日本語)長文解読」という項を試してみて驚きました。

I was looking through a book that my second daughter has called "SPI(*) Question Book," and I was surprised when I tried the section called "(Japanese) Long Sentence Decoding.

(*)SPIとは、Synthetic Personality Inventory(総合適性検査)の略で、1974年に個人の資質をベースとした採用選考を目的として開発された適性検査で、一般社会人として必要な性格や能力の測定を目的としているテスト

(*)SPI stands for Synthetic Personality Inventory, an aptitude test developed in 1974 for employment selection based on personal qualities to measure the personality and abilities required of ordinary working adults.

エンジニアの私から見れば、

From my perspective as an engineer,

―― 壮絶に酷い文章

"a spectacularly bad sentence."

と、呟かずにはいられない文章でした。

I couldn't help but mutter to myself.

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例えば、長文問題の、

For example, of long-form questions,

『全体として見た言語学は、いまだ生物的に共有されることばというわくの外に立つことを望んではいない』

"Linguistics taken as a whole is still unwilling to stand outside the web of biologically shared language."

の意味を問う設問がありました。

There was a question asking the meaning of the above sentence.

設問以前に、このフレーズ、日本語として意味をなしているのでしょうか?

Before the question, does this phrase make sense in Japanese?

私なら、素直に『言語学では、生物学的な側面や共通性に焦点を当てて、言語を研究する』と書きます。

I would honestly write, 'In linguistics, they study language by focusing on biological aspects and commonalities.

このように書かなければ、私は上司に怒鳴りつけられただろうし、私も部下を怒鳴りつけるだろう、と思います。

If I had not written it this way, my supervisor would have yelled at me, and I would have yelled at my subordinates.

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テクニカルライティングで洗脳されているエンジニア(私のことです)は、

I am an engineer (that's me) who believes technical writing is the best. Therefore, I always consider the following.

■明確で正確な言葉遣い

- Clear and accurate language

■図表やグラフの効果的な利用

- Effective use of charts and graphs

■段落構造の整理

- Organize paragraph structure

を常に考慮しますし、

■ターゲット読者や文書の目的に合わせた、適切なスタイルやフォーマットの採用

- Adoption of appropriate style and formatting to suit the target audience and purpose of the document

にも気を使います。

そこに共通する基本原則は、

What are the basic principles common to all of them is

『わからない文章の責任は、"100%"書き手にある』

"The writer is 100% responsible for the unreadable text."

There is a consistent "reader-first" principle.

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まあ、かくいう私も、常に、"テクニカルライティング"や"読者第一主義"をやっている訳ではありません。

I am not always a "technical writer" or a "reader-first" person.

コラムを書く第一の目的は、「私が楽しく書くこと」であり、その後、そのコラムを「私が楽しく読むこと」です。

My primary purpose in writing a column is that I enjoy writing it, and then I enjoy reading it.

私のコラムにおいては、読者は、常に二の次です。

In my columns, the readers are always secondary.

まあ、『このようなスタンスが、物書きとしては、どうか?』と問われると、問題があるとは思っています。

Well, 'How is this stance for a writer?' I think it is problematic.

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世の中全部が、テクニカルライティングになったら、文学は成り立たないし、学問の分野も味けなくなるだろうとは思います。

If the world were to become technical writing, literature would not be possible, and academic fields would lose flavor.

そもそも、SPIのこういう設問自体が成立しなくなる、とは思います。

First, I think this kind of SPI question will be invalid.

ただ、

However,

『全体として見た言語学は、いまだ生物的に共有されることばというわくの外に立つことを望んではいない』

"Linguistics taken as a whole is still unwilling to stand outside the web of biologically shared language."

というフレーズを理解できない人は、自分の国語力が低いと思わなくて良いと思います。

If you do not understand the above phrases, you need not think your language skills are poor.

少なくとも、私は分かりませんでした ―― 私たちは同志です。

At least, I didn't understand -- we are comrades.

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ただ、SPIの他の分野、算数(数学)や、英語(単語)については、『妥当な内容だな』と思えました。

However, it seemed reasonable for the other areas of the SPI, arithmetic (math) and English (vocabulary).

私は、設問の内容を理解することができ、解答を導くことができたからです。

I was able to understand the questions and derive the answers.

そのように考えると、『私の国語力だけが極端に低い』という可能性も出てきます。

When I think about it that way, the possibility arises that 'only my language skills are deficient.'

Therefore, I would like to discontinue this topic here.