昔、「いきなり最終回」という本がありました。
コミックの最終回だけを集めた本です。
これが、興を削ぐものか、あるいは効率的であると評価するかは、当然、その人の考え方に因るとは思います。
私の場合、「問題なし」です。むしろ、好きな方。
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裁判所の判決文の場合、基本的に先ず結論から述べられます。
「主文、被告を死刑に処す」という、アレです。
判決文は全体的に長く、それを全部読み上げなければならないので、結構な時間がかかります(2~3時間も普通にある)。
そんなの、聞いている側からすれば「で!どっちなの!」と聞きたいでしょう。
まず結論を述べて、その後に理由を述べるという方が、被告も原告も傍聴人にも、利益があるという考え方なのです。
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裁判と創作を同一に論じることは、かなり無謀な話ではありますが、私は「下巻」から読み出すことができる人間です。
下巻を読み終えて、上巻を読んでいると「ああ、そういうことね」という風に、話がつながるという感じも、結構好きです。
映画でも、YouTubeでラストシーンを視聴してから、DVDを借りに行くというのは、普通にやります。
要するに私は、「判決」を先に聞いて、安心したい性格なのです。
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先日、図書館に、現在ベストセラーの本(上下)の予約をかけたのですが、
上巻の待ち行列が354人、下巻が223人となっていました。
過去の経緯からすると、多分下巻の順番の後、1月後に上巻が来ることになりそうです。
そもそも、上巻と下巻の待ち行列が、こんなに違うのは、「まず上巻を読みたい」と言う人が多いからだと思います。まっとうなスタンスです。
しかし、上巻→下巻というような「縛り」を自らに課すと、チャンスを逃すことも多いだろうとも思えます。
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正しい感動を得る為に、正しく物事を進めるのは大切ですが、とても時間がかかります。
短い時間で、沢山のことをやりたいのであれば、中途半端な感動を得る為に、中途半端に物事を進めることも、大切ではないかと思うのですよ。
例えば「不完全な知識を承知の上で、技術コラムを執筆して、リリースする勇気」とか。
人から文句を言われない完全なコラムを書くには、一本あたり20年くらいの時間は必要だと実感しています(本当)。
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今のように情報が氾濫し、かつ簡単に入手できるような時代にあっては、「正道」より「詭道」の方が、重要な場面が多いような気がします。