最近、帰宅時の電車の中で、頻繁にみかける、ガタイの良い外国人のオジサンがいます。
そのオジサンも私も同じ車両の、同じ場所あたりの席に座ります。偶然でしょうが、結構な頻度でみかけます。
まあ、外国の方なので「目立つ」ということもあるのでしょうが。
-----
一昨日、そのオジサンが、分厚い本を読んでいたので、ちょっと覗いてみました。
英語で記載された聖書でした。
なぜ、聖書であることが判ったかというと、ページのフッタの部分の記載に特徴があるからです。例えば、「マタイの福音書 6章 15節」という感じの表記で判別できるのです。
私は、「牧師さんか、神父さんだな」と直感しました(ちなみに、牧師と神父は同じはありません。興味のある方は調べてみて下さい)
電車の中で、聖書を読み込むという人を、私は見たことがないからです。
「日曜日の礼拝用に勉強されているんだなー」と、まあ、勝手なことを考えていました。
-----
昨夜も、帰宅の電車の中で、私が本を読んでいたところに、そのオジサンが乗り込んできました。
なんだか、赤い顔をされて、とってもご機嫌そうな表情。
左手にはビール缶を持って。
私は、ちょっと意表を付かれました。
キリスト教では、聖職者であっても、ビールを飲むのが禁止されている訳ではありませんし(なお、イスラム教では、信徒でもアルコール飲料は厳禁です)、電車の中であっても、節度をもって静かに飲むのであれば問題ありません。
少くとも、電車の中での携帯電話での会話に比べれば、大したことではないだろうと、私は思っています。
「とてもご機嫌なご様子」を見ていて、私は程なく納得しました。
-----
米国赴任中に知ったのですが、米国では歩きながらビールを飲むことは、タブー中のタブーでした。
まあ、地域にも因るのでしょうが、公共の場でのアルコールの摂取に対する厳しさは、怖いくらいのものがありました。
飲みながら缶ビールを飲みたい人は、みんなそのビールを紙袋(ブラウンバッグ)に隠して、ブラウンバックに包みながら飲んでいました。
さながら、ポテトチップスの最後の破片を飲み込む様に見せかけて、という風にです。
-----
―― 公共の電車の中から、夜景を見ながら、ビールを楽しむ
これは、米国では到底考えられない「パラダイス」だろうと思えるのです。
「タブーとされていないビールの飲み方を、聖職者の方も含めて、この国で、是非楽しんで頂きたい」
などと考えながら、私は再び本に目を落しました。