「児ポ法改正」の考察、最終回です。
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正直なところ、私は「単純所持」は、「心配」ではありますが「激怒」はしません。
私が心底腹を立てているのは、今回のこのフレーズです。
『自己の性的好奇心を満たす目的で所持』
なんだ、そりゃ?
個人の内心に関するものが「法定」された上、裁判所で、その認否が検証される社会になるのか?
私は、そんな気色の悪い法律を制定する国家に属して、生きていかなければならないのか?
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個人の主観的意思に基づいて法定されているものがあることは、昨日ご紹介した通りです。
しかし、「自己の性的好奇心を満たす目的で所持」って、その客観性をどのように担保するのか。
■取り調べで、オナニーの回数を被疑者に自己申告させるのか?
■被告に少女の全裸の写真を見せて、裁判所で男性器の勃起の強度でも検証するのか?
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この法律は、刑法ですから「罪刑法定主義」が適用されなければなりません。
証拠に関して裁判官の「自由心証主義(=物的証拠はないが、状況から見て認定できる)」は制限され、絶対的な物証が要求されるのです
と考えると、上記の例は、「フィクション」の話ではないのです。
「自己の性的好奇心を満たす目的」というこの一文は、それ自体が、文明国にあるまじき「下品さ」である、と思えるのです。
こんな下品な法律を制定されるくらいなら、単純に「所持」だけの方がはるかにいい。
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では、こうしよう。
私は娘たちに頼んで、そのような写真を撮影させて貰い、普段から持ち歩くことにする。
そして、私は、それを「自己の性的好奇心を満たす目的で所持している」と宣言する。
裁判官に「『自己の性的好奇心を満たす』とは、どのようなことですか」と問われたら、「そのような定義がないのでさっぱり分からんが、とにかく『満たしている』ということにした」と答える。
「『罪刑法定主義』に基づいて、きちんと私を裁いて下さいね」と、裁判長にお願いすることにする。
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法律が個人の内心に関与することを許すのであれば、面倒くさいので、この際、ついでに、
「利潤の追求が推認されるNPO」とか
「名誉を追求する目的のボランティア」とか
「老後を心配する為に育児をする保護者」とかも
もう面倒だから、全部、違法行為の対象としてはどうだろう。
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このような考え方は、暴論だろうか?
いずれにしても、「性的好奇心」という個人の内心のコアを明文化する、この厚顔甚しい法律が制定されたら、
この法律を起草した奴の名前と、それに賛成を投じた議員の名前を、私は一生覚え続けて、ことあるごに、それを引き合いにして、誹謗中傷を繰り返してやる、と
―― 今、決めた。