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2013-06-18 「児ポ法改正」に関する一考察(最終回)

「児ポ法改正」の考察、最終回です。

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正直なところ、私は「単純所持」は、「心配」ではありますが「激怒」はしません。

私が心底腹を立てているのは、今回のこのフレーズです。

『自己の性的好奇心を満たす目的で所持』

なんだ、そりゃ?

個人の内心に関するものが「法定」された上、裁判所で、その認否が検証される社会になるのか?

私は、そんな気色の悪い法律を制定する国家に属して、生きていかなければならないのか?

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個人の主観的意思に基づいて法定されているものがあることは、昨日ご紹介した通りです。

しかし、「自己の性的好奇心を満たす目的で所持」って、その客観性をどのように担保するのか。

■取り調べで、オナニーの回数を被疑者に自己申告させるのか?

■被告に少女の全裸の写真を見せて、裁判所で男性器の勃起の強度でも検証するのか?

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この法律は、刑法ですから「罪刑法定主義」が適用されなければなりません。

証拠に関して裁判官の「自由心証主義(=物的証拠はないが、状況から見て認定できる)」は制限され、絶対的な物証が要求されるのです

と考えると、上記の例は、「フィクション」の話ではないのです。

「自己の性的好奇心を満たす目的」というこの一文は、それ自体が、文明国にあるまじき「下品さ」である、と思えるのです。

こんな下品な法律を制定されるくらいなら、単純に「所持」だけの方がはるかにいい。

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では、こうしよう。

私は娘たちに頼んで、そのような写真を撮影させて貰い、普段から持ち歩くことにする。

そして、私は、それを「自己の性的好奇心を満たす目的で所持している」と宣言する。

裁判官に「『自己の性的好奇心を満たす』とは、どのようなことですか」と問われたら、「そのような定義がないのでさっぱり分からんが、とにかく『満たしている』ということにした」と答える。

「『罪刑法定主義』に基づいて、きちんと私を裁いて下さいね」と、裁判長にお願いすることにする。

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法律が個人の内心に関与することを許すのであれば、面倒くさいので、この際、ついでに、

「利潤の追求が推認されるNPO」とか

「名誉を追求する目的のボランティア」とか

「老後を心配する為に育児をする保護者」とかも

もう面倒だから、全部、違法行為の対象としてはどうだろう。

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このような考え方は、暴論だろうか?

いずれにしても、「性的好奇心」という個人の内心のコアを明文化する、この厚顔甚しい法律が制定されたら、

この法律を起草した奴の名前と、それに賛成を投じた議員の名前を、私は一生覚え続けて、ことあるごに、それを引き合いにして、誹謗中傷を繰り返してやる、と

―― 今、決めた。


2014-06-18 私が、すでに世界的な研究を完成していながら、未だ発表していない理由

今、「研究ノート」なるものの話題がホットのようです。

Now, the topic of "research note" seems to be hot.

しかし、その研究ノートの記載内容について、第三者が検証している状況を見て、私は、嫌な気分になっております。

But I feel bad because the unrelated third persons are checking the "research note".

ま、今回は、その事件の経緯から止むを得ない点もあるのですが、自分のノートを第三者に見られるということに、不快感を覚えるからです。

Though it might be unavoidable situation in this case, I don't want anyone to find the contents of my note.

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私の「ノート」は、独自のフォーマット(マインドマップ形式もどき)で記載していますので、非常に分かりにくいですし、第一、私の文字を読める人はいないと思う。

I write by my original format (based on MindMap), it is difficult for many people to read and understand my thoughts. To begin with, I am afraid that nobody can understand my texts.

あれは「きれい/汚い」という次元ではなく、可読が「可能/不可能」の文字ですし、論理的に記載していないし ―― そもそも「研究ノート」を書いているという気持ちがない。

The point is "Readable or not" rather than "beautiful or not". I don't write the script logically. After all, I have no intention to make "research note".

■議事録の中に、ブログのネタは出てくるは、

■データ解析の横に、コラムのデータを記載しているは、

■予算会議のページで、妊娠のメカニズムのイラストが記載されているは、

Blog tips in minutes, data of my columns in another big data results, illustration for pregnancy mechanism,

―― もう、めちゃくちゃ。

What a mess.

どとめに、私自身が、このノートの記載を読み取れない、ときたものです。

Finally, I can't read my note by myself at all.

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という訳で、私がすでに世界的な研究を完成していながら、未だ発表していないのは、

So, why I have not released my worldwide research results, is just

「第三者に自分のノートを見られたくない」

"I do not want to be seen my note by third persons"

からです。


2015-06-18 最近、娘たちに「匂う」と言われます。

最近、娘たちに「匂う」と言われます。

Recently my daughters often tell me that I smell.

「加齢臭が匂う」「酒が匂う」「キムチが匂う」等々。

"Smell of age, sake, and kimchi" and so on.

最近は、ダイエットの為に、キムチ、あたりめを食べまくっており、特に部屋でもあたりめを食べているので、家中に拡散しているそうです。

I always eat kimchi and dried hard squid in the house for my diet, and I eat them in my room. So the smells seem to expand around the house.

昨日、起きぬけに長女に「匂うよ」と言われて、

Yesterday morning, when I go down to the living room, my senior daughter said "you smell".

「やっぱり昨日の酒が残っているかぁ・・・」と呟いていると、

I muttered "It is smell of sake last night isn't it", but she said

「いや、そうじゃなくて、『おなら』の匂い」

"No. it is smell of fart"

と言われてしまいました。

プレッシャーで便秘になりそうです。

I will be costiveness by my daughter's checks.

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私の「匂いセンサ」としては、娘たちは最高感度の機能を有しているようです。

As a smell sensor of mine, my daughter is the most high-performance device in the world.

いつぞや記事で読んだのですが、父親の体臭は、娘がもっとも不快と感じる成分で構成されるのだそうです。

According to an article of web site, father's body scent is made of substances his daughters feel umbrage.

なんでも、自然が「近親相姦」を回避する為に作ったメカニズム、だとか。

Any old thing, nature makes the mechanism to avoid a incest.

娘を持つ父親に向けた『提灯記事』かもしれませんが。

This might be a flatter article for father who has daughter.

(続く)

(To be continued)


2016-06-18 こちらが、返金決定通知書。

あの一世を風靡した、江端一世一代の「恥さらしコラム」

The shaming column of the greatest work of my lifetime, which caught the spirit of a generation,

"The day when a network researcher were in the net fraud"

のケリがつきました。

was completed a few days ago.

This is notice of determination.

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いや、正確に言うと、全然ケリはついていないんですけどね。

In fact, I have not completed this accident yet.

私をハメた、この「カン シュウシン」なる野郎を、

This person whose name is "Kan-Shuushin", who made me a victim of the scam.

絞首台に送り込むその時が「ケリがついた日」としなければなりません。

The completion should be the day when I send him to the rope.

(続く)

(To be continued)


2017-06-18 それでも、私は、このような「コンテンツ原理主義者」の気持ちが、分からない訳ではないのです。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

それでも、私は、このような「コンテンツ原理主義者」の気持ちが、分からない訳ではないのです。

On the other hand, I could understand the feeling of "contents fundamentalist" a little.

この「コンテンツ毀損」の私の経験として、真っ先に上げられるものとして、

In my experiments, I could pick up first

「『さよならジュピター』の映画化」

the movie version of "Bye-bye Jupiter"

があります。

私は映画館を出て、泣きましたよ ―― くやしくて、残念で。

After going out the movie theater, I cried with frustration and shame

だが、この作品を、どうしても映画化したかった、故 小松左京先生のお気持ちが、何よりも優先されることは、当時、ティーンエイジャであった、あの頃の私ですら理解できました。

However, the priority respect was the feeling of Komatsu Sakyou-sensei of blessed memory, who had wanted to make the movie. and I knew well that, even when I was a teenager.

もちろん、逆のパターンだってあります。

Of course, I had an opposite case.

「るろうに剣心」の実写化(映画)を、私は、ロンドンから日本に向かう飛行機の中で、たまたま(本当にたまたま)見たのですが ―― 本当に、びっくりしました。

When I was on the plane from London to Tokyo, I was really surprised to watch the movie "Rurouni-Kenshin" performed by actors.

これは、「るろうに剣心」であって「るろうに剣心」ではない、新しい(そして素晴しい)世界観の再構築である、と、感激しました。

I was moved that "this is, a new "Rurouni-Kenshin" is coming," and I thought a new wonderful world-view was generated.

つまり、

That means, from the viewpoint of

(1)クリエータ等が持つ権利の保護

(1)Protection of the creator's property right,

と、

and

(2)新しい世界観の発生の機会担保

(2)Opportunity of the new generated world-view.

という二つの観点から、私達、コンテンツ消費者ふぜいが、それを批判・非難することは、理不尽なのです。

it is an unreasonable action for us, just content consumers, to blame the creator's challenge toward a new contents styles.

むしろ、そのようなクリエータを、些細な力であっても支えて上げることのできる、「コンテンツ消費者」であるべきだ、と、私は思うのです。

If anything, I think that we must be good supporters for the creators, even if the support is trivial matter.

(続く)

(To be continued)


2018-06-18 ―― 組織に生きる、男たちの粋様(いきざま)

Previously, I enjoyed watching the animation based on the comic "ACCA 13 district inspection department".

この時に見た、このコンテンツのキャッチフレーズが、なんとも、私には新鮮に感じられました。

At this time, the catch phrase of this content made me felt fresh.

―― 組織に生きる、男たちの粋様(いきざま)

"Living in the organization, the men's elegance

-----

『かっこいいなぁ~』と思いました。

I felt "it is cool".

今どき、「組織に生きる」なんて言い方をすれば、時代錯誤のおっさんか、と思われる時代です。

Right now, if you say "live in the organization", you seem to be an old anachronism man

それに、そのようなポリシーを持っている人であっても、それを公言することを憚られる雰囲気があります。

And even if someone has such a policy, they seem to be impatient to profess it.

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一方、

On the other hand,

―― 家族に生きる、男たちの粋様(いきざま)

"Living in the family, the men's elegance

というのも、それが「本心」であったとしても、なんとなく気恥かしい感じがします。

Even if it is "true", I feel somewhat shy.

そもそも「家族」と「粋」は、どうも相性が悪い感じがします。

In the first place, "family" and "elegance" have a bad compatibility.

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私の場合、ティーンの頃から、一貫しています。

In my case, I have been consistent since teens.

―― 私(の為)に生きる、私の粋様(いきざま)

"Living for me, the men's elegance

この一択ですね。

Just one choice for me.

まったく、『かっこよく』はありませんが。

Of course, it is no "cool" at all.


2019-06-18 「キングダム」でも「宇宙兄弟」でも「最初の一歩」でも、「トトロ」でも「風立ちぬ」でもなんでも構いませんが ――

最近、「マンガに学ぶリーダー論」とか、「アニメの主人公の語る人生訓」とか、その手の記事が多いです。

Recently, there are many articles such as "Leaders of manga", "Life lessons told by the main character of animation", and so on.

これらの記事は、読んでいて楽しいし、面白いです。

These articles are fun and enjoyable.

しかし、同時に『多分、読み手の役には立っていないだろうなぁ』とも思っています。

However, at the same time, I also think that "these articles are not useful for the readers".

その根拠の一つに、『その記事を読んでから、1時間後には、その記事のことをすっかり忘れてしまうから』です。

One of the basis is "we can erase the content of articles within one hour after reading it"

次の日に、その記事のことを思い出す人はほとんどおらず、私たちは、なんの教訓も得られない日常を送ることになります。

Few people can remember the article the next day. As a result, We will be sending our daily lives without any lessons.

これは、「自分を変える」「自分を好きになる」ではじまる題目の書籍についても当てはまります。

This is also true for books whose title with "Change Yourself by xxxx" and "Love Yourself by xxxx".

私は、これらのコンテンツの内容が無意味である、とは思っていません。

I do not think that the content of these contents is meaningless.

むしろ、概ね有意義な内容で、多くは、役に立つ内容であると思います。

Rather, they are generally meaningful content, and I think that many are useful content.

問題があるとすれば「自分が、読み手である」ということだと思っています。

If there is a problem, I think it means "I am a reader."

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読んでいるだけのコンテンツは、

Read-only content is not "settled" in myself except for

(1)その内容が自分にとって、本当に衝撃的なものである、

(1) The contents that are really shocking for myself,

か、

or

(2)そのコンテンツが、何度も繰り返し読みたくなるものである、

(2) The content that I want to read over and over again

というものでない限り、自分の中に「定着」しません。

定着しない記事は、簡単に頭の中から流れていきます。

Articles that don't "settle" flow from our head easily.

当然、私たちの人生の中に組み込むことができません。

Naturally, we can not incorporate them into our lives.

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「キングダム」でも「宇宙兄弟」でも「最初の一歩」でも、「トトロ」でも「風立ちぬ」でもなんでも構いませんが ――

"Kingdom", "Space Brothers", "First Step", "Totoro" or "The Wind rises" or anything will be good.

However we have to

■その主人公と同一または類似のアクションを試みて、

- try the same or similar action with that hero,

■そのアクションのプロセスの中で発生する各種のトラブルを体験して、

- experience various troubles that occur in the process of the action

ようやく、その教訓が「定着」する、と思っています。

in order to settle of the lessons.

(続く)

(To be continued)


2020-06-18 Let me see... It's "Scent of a woman" (セント・オブ・ウーマン(邦名「夢の香り」)

以前、どっかで書いたような気がしますが、どうしても見つけられなかったので、ネタかぶりを覚悟して、もう一度記載します。

I think I've written about this somewhere before, but I couldn't find it in my homepage, so I'm going to state this again, at the risk of spoiling the story.

私、2000年から2年間、コロラド州のフォートコリンズという街に、エンジニアとして赴任していました。

I was assigned to Fort Collins, Colorado, as an engineer for two years, starting in 2000.

毎週、コロラド州立大学の、第二外国語(英語ですが)の授業(ESL:English as a Second Language)も受講していました。

Every week, I had taken classes in English as a Second Language (ESL) at Colorado State University.

そのクラスで、「あなたがもっとも面白かった映画を紹介して下さい」という内容のスピーチをする機会がありました。

I had the opportunity to give a speech to that class, that was "Tell us about the movie you enjoyed the most".

クラスの男性たちは、「スターウォーズ」だの「バックツーザフューチャ」などと言っていたところで、私の番が回ってきました。

The men in my class were saying things like "Star Wars" and "Back to the Future", and in my turn, when I said

Let me see... It's "Scent of a woman"

と言ったところで、クラスの女性全員が、一斉に顔を上げて、私の方を見ました。

All the women in the class looked up in unison and looked at me.

「あの映画、凄かったね!」という声でクラスが一気にざわめき、私に対する敬意に満ちた眼差しも感じました。

"That was a great movie!" The class suddenly got very noisy with their voices and I also felt the respectful look in his eyes for me.

男たちは、何が何だか分からないような表情をしていましたが。

The men had a look on their faces like they didn't know what was going on.

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この映画は、嫁さんとデートしていた頃に、何の気なしに入った映画館で、たまたま見たものだったのですが(別に前評判が高かったという訳でもない) ――

I happened to see this movie in a movie theater without thought when I was on a date with my wife. (Not a great reputation before).

今になって考えれば、この映画は、嫁さんとの結婚に至る大切なランドマークになったような気がしますし、今なお、二人とも忘れることのできない思い出です。

In hindsight, I feel like this movie was an important landmark in my marriage to my wife, and it's still a memory that we both will never forget.

で、今夜、前回の「シンドラーのリスト」に続き、Amazon Primeでの上映会と相成りました。

So, as the next movie of "Schindler's List, we decided to watch this movie on Amazon Prime.

『この映画だけは日本語吹替は絶対にありえない!』と主張して、私は、字幕版の視聴を独断で決めました。

"This is the only movie that will never be dubbed in Japanese" I insisted, and I decided on my own to watch the subtitled version.

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視聴後 ――

After watching...

私も、久々に映画で感動していたのですが、初見の長女は「かっこいい~~!」を連呼しながら、リビングで狂っていました。

I've been impressed with the movie for a while now, and my senior daughter, on her first visit, said and said, "Cool~! in the living room.

凄い勢いで、スマホに検索キーに「アルパチーノ」を入れて、調べまくっていました。

At a great rate, she was putting "alpacino" in the search key on my phone and looking them up.

内容については、ここでは申し上げませんが、「タンゴ」「フェラーリ」「スピーチ」の3つの大きな感動の波で、翻弄されることは、この私が保証します。

I won't go into the content here, but I can assure you that you'll be at the mercy of three major waves of emotion in "Tango," "Ferrari," and "Speech,

そして、結婚前には、全く感じられなかった感情 ―― フランク・スレード中佐の深い絶望を、実感できる年齢になっていました。

And the emotions I didn't feel before I was married. I was old enough to realize the deep despair of Lieutenant Colonel Frank Slade.

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「これほどの名作をなんで地上波で放送しないのかなぁ」とも思いますが、その理由も、見て頂ければ分かると思います。

I wonder why they don't broadcast such a masterpiece on terrestrial television, but you'll understand the reason soon.

地上波放送は、無理なんです。

It's not possible to broadcast on terrestrial television.

1992年では問題なくても、2020年の今では無理なんです。

It wasn't a problem in 1992, but it can't be done now in 2020.

その無理というのは「正しい」のですが ―― それでも、「正しい」だけで、このような名作を見逃すことは、本当に「もったいない」と思います。

It's the right thing to do, however. still, it would be a real "waste" to miss out on such a masterpiece just because "right".


2021-06-18 だって、『電卓を「信じる」とか「信じない」』って言い方する人、いますか?

本日は、コラムがリリースされた日なので、日記はお休みです。

Today, new my column is released, so I take a day off.

Dancing Buzzword - Behind the Buzzword (12) STEM education(1)

Programming Education Shatter "Fear of AI" and "Illusion of the PC"?

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以前、日本の人口推定の簡単なシミュレーション結果を、コラムで出したことがあったのですが、これに対して、『コンピュータシミュレーション結果は信じない』というコメントが付いたことがあります。

I once wrote a column about the results of a simple simulation of population estimation in Japan, and I received a comment that said, "I don't believe in computer simulation results".

私は、この人が何を言っているのか分からなかったのですが、数日後に、

I had no idea what this guy was talking about, but a few days later, I noticed that

―― あ、この人は、コンピュータのシミュレーションの結果を『当たる』とか『当たらない』という風に使うものだと思っているんだ

"Oh, she thinks that the results of a computer simulation are used as 'hit' or 'not hit'"

と、気がつきました。

ちなみに、コンピュータでシミュレーションしている人(研究者等)は ―― 『絶対に』と断言してみせますが ―― 自分のそのシミュレーション結果の未来になることを『絶対に』信じていません。

By the way, persons (researchers, etc.) who can computer simulations, never believe that the result of their simulation results are future. I will assure that.

当たり前です。

It's obvious.

未来の未知の不確定要素やその値は、現時点では分からないからです。

This is because the unknown uncertainties of the future and their values are not known at this time.

シミュレーションというのは、例えば「現在と同じ毎日の状態が、これから100日間続いたらどうなるか」というような、仮説を設定しなければ、動かしようがないからです。

This is because there is no way to run a simulation without setting up a hypothesis, such as, "What will happen if the same daily conditions continue for the next 100 days?"

100日後の未来の値を入力できるのであれば、そもそもシミュレーションなんぞする必要がありません。

If you can enter a value 100 days into the future in a simulator, then you don't need to do the simulation in the first place.

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今回のコラムでも述べていますが、これは、誇張でも矮小でもなく、本当の意味で、コンピュータがやっていることは、

As I said in this column, this is not an exaggeration or trivialization, but in the truest sense of the word, what the computer is doing is

―― 電卓のキーを押しているだけ

"just pressing the keys on the calculator"

です。

ただ、超大量、かつ、超高速であるという点が異なるだけです。

The only difference is that it is super high volume and super fast.

だから、『コンピュータによるシミュレーション結果は信じない』というフレーズは、私にとっては「電卓で"3 + 5 = 8"になることを信じない」というくらい、理解不能だったのです。

So the phrase "I don't believe in computer simulation results" was as incomprehensible to me as "I don't believe that 3 + 5 = 8" on a calculator".

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ただ、コンピュータのシミュレーションの結果は、不明な未来に対して、(不確定な未来の事象が存在したとしても)ある程度の範囲で納めることができることは分かっています。

However, we know that the results of computer simulations can be delivered to some extent for an unknown future (even if uncertain future events exist).

全く見えない未来よりは、マシ ―― コンピュータとか、プログラムは、本来そういうものなのです。

It's better than a future you can't see at all.That's what computers and programs are all about.

シミュレーションの結果を「信じる」とか「信じない」とかいう言葉が登場してくる ―― それくらい、私たちの多くは、コンピュータや、プログラムを、理解していないのです。

Words like "believe" and "don't believe" appear in the simulation results. That's how little most of us understand computers and programs.

だって、『電卓を「信じる」とか「信じない」』って言い方する人、いますか?

Because who says 'I believe in calculators' or 'I don't believe in calculators'?

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そいういう意味で、私は、義務教育の『プログラミング教育』に期待しています。

In this sense, I have high hopes for compulsory "programming education".

コンピュータは「未来予測マシン」どころか、プログラムのバグ一つで、全く滅茶苦茶な値を出します。

The computer is not a "future prediction machine", but a single bug in the program can produce totally messed up values.

コンピュータは、「魔法の箱」ではありません。

A computer is not a "magic box".

これは、自分でシミュレーションプログラムを書いてみれば、直ぐに分かることです。

You can see this immediately by writing your own simulation program.

Scratch言語で、プログラミングの体験すれば、子どもでも理解できるはずです。

If you experience programming in the Scratch language, even a child should be able to understand it.

ましてや、

Not to mention.

―― こんなもの(プログラム)で、人間の知性を越えるようなものが作れるはずがない

"There's no way that something like this (a program) can be made to surpass human intelligence"

ということも。

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という訳で ――

So...

私は、これからも

I will continue to say

『そんな(人間の知性を越えるような)ものが作れるもんなら、作ってみろ』

"If you can make something like that, go ahead and make it"

と言いますし、

and

『実際に作ったものを見せてから、ドヤ顔してみせろ』

"Show me what you've actually made, and then show me your smug face"

と、言い続けます。