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2013-07-14 私が嫁さんを「嫁さん」と称呼するのは、嫁さんの強い希望に因ります [長年日記]

私は、会社でメールを書く時も、人を呼ぶ時も、できる限り「さん」または「君」を付けるようにしています。

何故かというと、私は、「組織とは利潤を得る為にたまたま集った赤の他人の集合体」と思っているからで、私には、赤の他人を、呼び捨てにするのが難しいからです。

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しかし、これは私の勝手なポリシーに過ぎませんので、私のことを「江端!」と呼び捨てにする人(会社の幹部等)に、別段、腹を立てたりはしません。

上位下達のヒエラルヒーで構成される組織では、命令系統がブレると機能しません。

組織の命令系統を保持するファンクションとして、私のことを、「江端!」でも「アホ」でも「馬鹿野郎」でも、その必要があると考える人が、どんな呼び方をしようが、OKです。

「所詮、組織を離れれば、アンタと私は他人だ」と割り切れば、組織内での呼び方など、私にとっては、単なる「記号」です。

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さて、私のコラムやエッセイの中では、嫁さんのことを「嫁さん」と書いています。これは、嫁さんからの強い希望があったことに因ります。

私のコラムの原稿の最終校正チェックしてくれているのが嫁さんで、その嫁さんが、嫁さんのことを「嫁さん」と書いて欲しいと言っているのですから、是非もありません。

それでも一年に一回くらいは、確認していますが、現在のところ、変更依頼はないようです。

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それにしても、『なんで、名前でもなく「嫁」でもなく「妻」でもなく、「嫁さん」がいいの?』と尋ねてみたことがあるのすが、

『昔、職場で尊敬してた上司が、奥さんのことを語る時に「嫁さん」と呼んでいる時の優しい表情が、とても好きだったから』なのだそうです。

「なかなか、いい話だなぁ」と、ちょっと感動してしまいました。

まあ、本人の強い希望なのですし、また、私も「妻」などという単なる関係性やベクトルを示すような称呼は嫌ですし、自分の最愛のパートナーを「愚妻」などという馬鹿げた呼び方など、仮に嫁さんに頼まれれたとしても、御免です。

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さて、話を戻します。

私が希望する、私の呼ばれ方は、「江端さん」または「江端君」です。

但し、組織の中では、どう称呼して頂いても結構です。

しかし、組織の外で「江端」と呼ばれれば、『おい、なれなれしいな、貴様』と、直ちに言い返す準備があります。

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私を、いついかなる時においても、「江端」と呼び捨てて良い人間は、

私の師匠「エルカン」、友人の西野、藤井、戸高教授、石原教授、大学の研究室の先輩と、大学の同期の仲間だけです(後発追加するかもしれませんが)。

私が一番楽しかった時代を一緒に創ってくれて、そして、一番苦しかった時に、助けてくれた大切な人たちだからです。