私は、ITの研究員ではあるのですが、「スマホ」という名前の電話機能付きの小型情報端末が、好きではありません。
私は、これまでありとあらゆる情報端末を使ってきましたが、その中でも、突出して使いたくないデバイスが「スマホ」です。
殆どなにも生産しないのに、電気喰うは、時間喰うは、デバイス熱いは、そもそもサイズがデカイく、持ち難い上ので、電話として使うには、最低最悪。
最近、会社でも、管理職から「スマホ」の配給が始まったのですが、当然、そんなもの貰っても困るので、断わっています。
私がどこまで「ガラケー」を持ち続けられているのかは、電話機メーカの努力にかかっています。
しかし、もうどのメーカーも、「ガラケー」にやる気がないのはミエミエでして、私は、今の携帯電話を非常に大切に取り扱っています。多分、この携帯が壊れた後、私は、「スマホ」に追いやられることになるからです。
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私は、マニュアルを一度も読みもしないで、「使えない」と言い張る見苦しい中高年から老人の一群とは違い、きっちり検証した上で、「これはダメだ」と認定したのです。
ですから、私のような「スマホ忌避組」というのは、結構な人口があると思っています。
今、メインフレームビジネスが復権していますし、記録テープが海外でバカ売れしているようです。
「ガラケー」の復権は、必ずある。電話機メーカは、私を信じて下さい。
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と、実はここまでは、単に前フリで、ここから本論。
現在、「スマホ」を手に入れたい長女と私の間で、静かな戦争が展開されています。
名付けて「コールド・スマホ・ワー」
ちなみに、私は、小学生低学年の長女に、無理矢理携帯電話を持たせた保護者です。
学校が所持を認めていなくても、ランドセルの奥に押し込むように、持たせていました。
学校が禁止を強要してきたら、行政訴訟の裁判を起こすくらいの覚悟がありました。
私は、子供に電話を持たせることを、積極的に推奨している保護者なのです。
しかし、それは「ガラケー」で十分であり、「スマホ」である必要はありません。ですので、長女からの「スマホ購入」の要求にはガンとして応じていません。
『「スマホ」を買って欲しいなら、私を論破してみろ!』と言い続けています。
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最近、長女が、反撃に転じてきました。論旨は以下の通り。
■リアルタイム天気予報というアプリがある。
■これは、リアルタイムで雨雲の動きを把握するアプリであり、雨の降っている場所を、1km単位で把握できるものである。
■このアプリがあれば、自転車で、図書館から自宅に帰る時に、「雨の降っていないルート」を選んで、帰ってくることができる。
―― え? 本当にそんなことできるの?
―― そんなことが、本当にできるなら、確かに「スマホ」を所持する価値がある。
―― でも、本当か、それ?
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という話を、先日、職場で話したら、同僚たちが、その「天気予報アプリ」に関する情報を ―― 頼みもしないのに、送ってくるようになりました。
今、私の周りの同僚は、私の長女の弁護団となって、私の「スマホ不要論」のロジックを、脅かしています。