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2013-10-25 『ふーん、あんな下品な見出しを出すスポーツ新聞ごときでも、何かの役には立つのですね』 [長年日記]

私は、いわゆるスポーツ新聞というのが好きではありません。

その理由に関しては、「日本における野球文化に関する一考察」を御一読頂ければ、ご理解頂けるものと思います。

一部抜粋します。

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複数のニュースメディアを利用する場合、私たちは、それぞれのメディアの主張を多面的に分析して、事実はどこにあるのか調べようとすることがあるかもしれません。

例えば、日テレでは「巨人勝利」と報じていたが、フジでは「中日がサヨナラ満塁」だとか、サンケイスポーツとニッカンスポーツでは結果が異なる、というのであれば、どれを信じていいか判らずにあれこれ見たり読んだりする、というのは納得できます。

しかし、どうせ同じ結果しか報じていないメディアを、どうして何種類も見るのか、全く不可解です。

なにより私は、あのスポーツ新聞メディアの、首尾一貫しない軽薄な論調が嫌いです。

シーズン開始時に「今年も最下位決定! 監督更迭!?」と書き、シーズン終りに「信じていたぞ!我等の巨人!!」とよく書けるもんだと思う。

もし人間だったら、私は、こんな奴とは絶対付き合えない。

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先日、会社の幹部と一緒に飲む機会を得た時に、その方が、私の上記の主張とは逆の論旨を展開されていて、驚きました。

幹部:「例えば、プロ野球の試合一つ取っても、その流れが『がらっと変わる』というポイントがあるんだ」

江端:「ほう」

幹部:「で、私は私なりの主張を持っているんだ。例えば、あの『ファール』によって流れが変った、とか、あの『凡フライ』にこそ重要な意味があった、とか」

江端:「はあ」

幹部:「しかし、スポーツ新聞では、それと別の論旨が展開されている訳だ。しかもだ、主要スポーツ新聞4紙で、主張が全部違うのだ」

江端:「4紙全部を購読しているんですか!」

と、ちょっと場違いの方向に驚きました。

幹部:「俺はな、こうしてプロ野球とスポーツ新聞で、物事の多角的な視点と、いわゆるダイバーシティという奴を、獲得するに至った訳だ」

江端:「なるほど」

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複数のスポーツ紙を利用して、それぞれのメディアの主張を多面的に分析して、プロ野球の試合の流れを決したポイントがどこにあるのか調べようとする ―― という目的には、叶っているという訳です。

「そんなもの(プロ野球の流れ)を分析してどうするんだ?」と言うことは、さすがに暴言と思います。

1000年後の人口を予測したり、20年後の結婚の可能性を計算することと、同様に、「どーでも良いこと」である点では、同義なのですから。

そこに、本人の楽しさがあれば、立派な正義です。

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『ふーん、あんな下品な見出しを出すスポーツ新聞ごときでも、何かの役には立つのですね』 ―― と、口には出しませんでしたけどね。

なにしろ、私は、サラリーマンですから。