0207|09|
2007|09|10|12|
2008|01|02|03|
2009|01|05|08|10|11|12|
2010|01|02|03|04|09|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|04|05|

2019-11-11 ―― 「自分」という「中毒症」 [長年日記]

最近、芸能関係者が麻薬、覚醒剤使用で逮捕されているのを、ニュースで良く見ます。

I often see in the news that entertainment actors have recently been arrested for using drugs and stimulants.

私には、「芸能人であるから、このような事件に巻き込まれる」のか、単に「芸能人がニュースソースとして美味しい」のか、分かりません。

I don't know if she/he is an entertainer so they are involved in an incident like this, or just that an entertainer is delicious as a news source.

大学生の頃、中国とインドの旅の路上で『大麻(ハッシシ)』を売り付けられそうになったことがあります。

When I was a university student, I was about to sell "Cannabis (Hashishi)" on the road of travel in China and India.

これが人生最後の、いわゆる『クスリ』とのチャンスでした。

These were the last chance of a so-called "drag".

結局、私にとっての『クスリ』は、風邪か腹痛、睡眠薬か安定剤です。

After all, "drag" for me is a cold or abdominal pain, a sleeping pill or a stabilizer.

そのことを残念とは思いませんし、かなりラッキー、とも、思っています。

I don't feel sorry about that, and I think I'm also very lucky.

-----

中毒症の人間に特徴的な考え方に、

I heard that there is a typical thinking of addicted person.

『自分は、薬物、アルコール、タバコをコントロールできている。故に、私は中毒症ではない』

"I have control over drugs, alcohol and tobacco. Therefore, I am not addicted. "

というものがあるそうです。

『私は中毒症ではない』という自分の考え方自体が、『中毒症であるかどうかを判定する手段』になっている、とは、なかなか皮肉な話です。

It is ironic that the idea of "I am not addicted" itself has become "a means of judging whether or not I am addicted".

-----

「自分の性格」も同じように考えることができます。

You can think about "your character" in the same way.

例えば、「私は普通の人間だ」という自己評価は、「お前は、変っている」という他人の評価の前では、何の意味も無さない ―― ということです。

For example, the self-evaluation "I am a normal person" has no meaning in front of other people's evaluation "You are an abnormal person"

「お前は、変っている」という評価をする人が3人もいたら、もう決まりでしょう。

If there are three people who say "you are abnormal", it cannot be helped that you can accept the opinions.

自己評価は、自分だけの評価に過ぎません。

Self-evaluation is only your own evaluation.

そんな評価には、自分以外の人にとって、つまり ―― 社会的には、1mmの価値もない ―― のです。

Such an evaluation is meaningless for our socially.

-----

このように考えていくと、

Thinking like this,

つまるところ、私たちは、誰も彼もが、

After all, It may be said that we, everyone, have suffered from

―― 「自分」という「中毒症」

"addiction of myself"

に罹患している、と言えるかもしれません。