コンビニで、「人生に成功する方法」という様な題目の本が、並ぶようになっています。
「コンビニ」と「人生に成功する方法」の間には因果関係があるのだろうか、と、いらんことを考えてしまいます。
私が、このような本をマーケティングをするとすれば、当然に、
「人生に成功していない」(「人生に成功する」の定義が不明だが)
または
「人生に成功していないと思っている人」
がいる場所に、拡販をかけると思います。
とすると、コンビニは「人生に成功していない」という人が集ってくる場所、とも、定義できる訳です。
まあ、それはさておき。
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時々、この手の本に手を取って立ち読みしているのですが、面白いことに気がつきました。
「人生に成功する方法」の著書の内容が、
■「人生に成功する」という言葉や内容を定義しないまま論じており、
■「人生に成功する」為に、他の人の知見や経験等を全く参照しておらず、
■「人生に成功する」という内容が、自分に体験談だけに基づくものである
という事実です。
纒めますと、「俺の人生って、成功だろう」「皆、そう思うよな」という内容に読めてしまうのですよ。
で、自分の経験から導かれる結論なので、それらの本に共通する知見は全くなく、てんでバラバラです。
100人の著書があれば、100の結論があり、そこには共通とする前提も条件もない訳です。
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と言うことはですよ、次のような結論に帰着するのではないかな、と思うのです。
(1)自分が「人生が成功した」と思えば「人生は成功したものとなる」
(2)「人生が成功した」と思える方法は、その当人以外には適用できない
(3)上記(1)(2)に基づくと「人生に成功する方法」という本を読むことでは、「人生に成功することはできない」
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私が、「人生に成功する方法」という題目の本を書くなら、こうなる。
(1)「人生に成功する」とは、(a)年収2000万円以上を稼ぎ、(b)人生で4人以上から愛の告白を受けたことがあり、(c)現在家族または恋人がいることである。
(2)「人生に成功する」為には、上記(a)(b)(c)を実現すれば足る。
(3)その具体的な方法については、本屋にいけば沢山の資料があるし、あなたの努力で、上手くいく場合もあり、いかない場合もある。
多分、どの本より誠実で、役に立つ本になると思う。
NHKの大河ドラマは、このまま行くと、本当に「なくなる」かもしれないな、と思いました。
I am afraid that NHK long dramas are going to disappear in the near future.
もう、飽き飽きなんですよ。
I am dead tired of kinds of template scenario.
少年時代から始まって、親との確執、必ず破れる初恋、無惨な虐殺 ―― NHK大河ドラマには、決められたテンプレートでもあるのでしょうか。
I doubt whether there is a template of the long dramas, for example, start from boyhood, feud with parents, first love that should be broken, and bloodshed scene in youth.
Youtubeの視聴で、「おもしろいところだけ」を見るクセがついた私は、(そして、たぶん私よりも若い世代)も、そんな、迂遠なストーリーについて行くだけの、気力も体力もありません。
I (maybe more younger generation too) have a habit to skip uncheerful scenes under the influence of Youtube, and I have no spirit and power to catch up with ambiguous stories.
まあ、少年時代のエピソードがあるのは構わんのですが、なにも、それを時系列に並べる必要があるのでしょうか。私には疑問なのです。
I don't understand why program producers try to serialize the scenes from youth period, though the scenes appear.
「軍師」を描くのであれば、私が期待するのは、そのエゲツない戦略、陰謀、策謀、勝つためならなんでも許される不道徳です。
If they want to present a strategist, I expect the strategist's plans, dark designs, concoctions, and immorality in order to win the battle.
彼の昔の彼女なんぞの話など(そして、彼の家族の話ででさえ)―― 私には、全くもって、どうでもいい。
I don't care his girlfriend in his youth and his family at all.
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それと、
Added,
『彼は、この戦乱の時代を終わらせなければならないと誓ったのであった』という、描き方も、もう「古い」というか「うざい」。
The story "he sworn to end the war era" is old and annoying me.
軍師といいのは、戦争がビジネスなのですから、その描き方では説得力がありません。少なくとも私の心にはヒットしません。
To begin with, a strategist business is making wars, so I think such a fine phrases don't hit my mind.
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秀吉:「官兵衛。お前の望みはなんだ?」
官兵衛:「きまっておりましょう。女、金、名誉の3点セットですよ」
Hideyoshi:"Kanbei, What do you want?"
Kanbei:"My liege. It goes without saying that I will get a set of women, money, honors"
と、言い切る大河ドラマ、そろそろ、私は、本気で見たい。
I am really going to want to watch the scenes with a serious mind.
今年の正月は、実家に帰省して、ずっと家事一般(+プログラムコーディング)をやっていました。
This New Year day, I went back to my country house, and kept household chores (and programming).
それでも元旦には、父をつれて近くの小さな神社に、初詣に行くことにしました。
On New Year's Day, I decided to go to a small shrine nearby for the first visit of the year with my father.
その日は、雪の舞う寒い日だったのですが、ほとんど外出をする機会がなくなった父は、いわゆるコートを持っていませんでした。
Though it was snowy cold at the day, my father, who has no opportunities to go out, didn't have his own overcoat.
そこで、私が昨年ユニクロで買った、黒のコートを着せて、外に連れ出しました。
So I helped him into my overcoat that I had bought at UNIQLO, and made him go out.
私の体型に合わず、ブカブカだったようですが、それでも暖かそうに見えました。
The overcoat was too big and was not fit for him, though, he seemed to be warm.
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翌日、父と二人で、近くにあるスーパーマーケットに入っているユニクロに行き、同じコートの一回り小さいサイズを購入しました。
The next day, I went to the UNIQLO in the supermarket near our house, and got the same but smaller type of my overcoat.
今、色々批判されているようですが、あまり躊躇する必要のない値段でコートを購入できるユニクロは、私にはとても助かります。
Now, the company has been censured, but it is very helpful for us, because we can get an overcoat without hesitating to buy it.
レジで、コートの値段タグ等を全部外して貰って、父子二人、お揃いのコートで店を出ました。
At the cash desk, I asked the casher to remove the price tag, and both the father and the son went out the shop wearing same overcoat.
父は何も言いませんでしたが、嬉しそうに見えました。
My father didn't say anything, but he looked happy.
私は嬉しかったです。
And I was happy.
I might have told you the story that I had given more than 100 times of marriage propose to my wife,
この話、いい加減、うっとうしいと思っている人もいると思いますが、もう少しお付き合い下さい。
I am afraid that You might be irritated to hear my same stories again and again, however, I hope you are going to be with me.
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先週の週末の夕食で、長女がすでに法律上、結婚可能な年齢になっているという話から、
At the last weekend dinner, from the story of "the senior daughter can get married by law", the topic was
「ママ(×パパ)が結婚を決意した時は、いつだった?」と
"When did mon decide the marriage with papa? "
いう話になりました。
was reached.
もちろん、私のプロポーズが、その「決意」に全く関係がないことは知っていました。
Of course, I know well that my propose had not related to her decision.
嫁さんは、少し思い出したようにして言いました。
My wife seemed to try to remember about it, and said that
―― うーん、そうだなぁ。ばあば(嫁さんの母親)から、
Well, It was a time when my mother gave me an advice,
『もしダメだと思ったら、戻っていらっしゃい』
"Whenever you feel to fail, return to here"
と言われた時かなぁ ――
と。
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『これでは、プロポーズをしたのは、「私」ではなく、嫁さんの「母親」のようじゃないか』と思いましたが、
I think "I wondered who has proposed her ? It was likely to be not me but her mother," however,
これはこれで、「これ以上もない良いアドバイス」とも思いました。
I also think "This is one of the most superior advice in the world"
なぜなら、幸いなことに、我が国は、法律で、離婚も再婚が認められているからです(宗教の理由や男女差別から、離婚もできず、伴侶の死後に再婚もできない国もある)。
Fortunately, we are permitted for both divorcement and remarriage by law (There are some nations that don't allow them by their religion or unfair discrimination.
ならば、法律上のこのメリットを利用しない手はない、と思います。
So all we have to do are to take advantage of this lucky situation.
また、「人生の岐路で迷っている子どもの背中を優しく押す、母親の愛」とも読めます(普通の人は、先ずこっちを考えるだしょうが)。
It was also "a truth love of mother for her children who is in trouble of marriage with giving slight and gentle shove in the back.(Ordinal people might come to think the above, first?)
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ですから、私が、
I didn't come to think that
『ケーススタディとして使うには、彼(江端)は、悪くないビークルだ』と聞こえてしまった ――
"I can hear it as a phrase of "Ebata is not a bad vehicle, even if we treat him as a case study""
などということは、絶対にありません。
at all.
(Continuation from yesterday)
さて、話を戻します。
Well, let me return to the board.
今回、文部科学省の、プログラミング教育の指導要領を調べてみたのですが、私の危惧を裏付けるものが、大量に見つかっています。
This time, I examined the guidelines for programming education of the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology, however, I am afraid that a lot of things that support my concern have been found.
つまり、プログラミングの、もの凄く嫌な部分をスルーして、都合の良いところだけを取り出す、という方式です。
In other words, it is a method of disgusting parts of programming thoroughly and taking out only the convenient part only.
私は、概ね
I will judge it is absolutely "Failure is fixed", if
■「可愛いキャラクター」が「しゃべりかけてくる」ようなGUIを有するもの、
- Something having a GUI such that "cute character" "talking to a children"
とか、
or
■四角と矢印を繋げるだけででできるプログラミング、
- Programming that can be done simply by connecting rectangles and arrows,
というようなものが登場するものであれば、
appears.
―― もう「失敗確定」
と、判断します。
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そもそも、「楽しいプログラミング」というのは、「白い黒」というくらい矛盾していると思うのです。
In the first place, I think that "fun programming" is contradictory as "white gray".
(To be continued)
本日は、コラムがリリースされた日なので、日記はお休みです。
Today, new my column is released, so I take a day off.
世界を「数字」で回してみよう(46) 働き方改革(5):
あなたは“上司”というだけで「パワハラ製造装置」になり得る
Let's turn the world by "Number" : Work style reform(5) "
If you are a boss, you can be a "power harness manufacturing equipment" simply"
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「私たちは生きている限り、からなず『パワハラの加害者』になっている、という意識が大切だと思う」
"As long as we are alive, we should have a consciousness that we become a perpetrator of power harassment"
と、私は家族に言いました。
I said to my family.
「パラハラのほとんどは、悪意のない無意識から発生しているんだ ―― 例えば」
"Most of the parahara are caused by Unconscious without malice, for example "
「『異性から告白されたことがない女性なんかいる訳ないよね~~』とか、だ」
"There is no woman who has never been confessed from heterosexuality, is not there?",
と私が言うと、
However,
嫁さんと長女が、
my wife and senior daughter interrupted quickly,
「いやいや、そんな女性はいないでしょう。ありえないって」
""No, no, no such woman! No way!"
いきなりつっこんできました。
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「な。ほら、すでに、これで『パワハラ成立』だ。たった今、日本中の何万人かの女性が、お前たちを『絞め殺してやりたい』と思ったハズだぞ(*)」
"Here, the "establishment of power hara" has alreay set. Now,hundreds of thousands of women in Japan have thought that they want to kill you "(*)"
(*)日本の女性の人口の1%で、60万人
という私の意見に、次女は反論しませんでした。
My junior daughter seemed to agree with me.
さらに、
In addition, I said to them
「私の例では、『結婚なんて簡単だ』といい放った奴を、『絞め殺してやろうか』と思ったことがある」
"In my case, I thought that I wanted to kill a guy who had said to me "Getting married is easy."
なども付け加えておきました。
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忘れてはならないことは、
I think we should not forget
(1)「自分に簡単なことは、他人も簡単なはずだ、と考えて、私たちは生きている」ということであり、
(1)we live our life with thinking "what is easy for us" is equal to "what is easy for others"
(2)「生きている限り、私たちは、必ず誰かを傷付け続ける」という事実で、
(2)As long as we life, we have to continue to hurt someone absolutely"
(3)「それを回避する手段はない」ということです。
(3)There is no way to avoid it
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私たちにできることは、
What we can do is
―― それを自覚し続けること
to be aware of it
これが、精一杯なのです。
This is our limit.
(Continuation from yesterday)
この話は、どこまでにいっても「ロジック(理)」では決着はつきません。
We cannot finish discussing this topic using a logic(reasoning).
「学生に"強いる"数学をどの範囲とすれば良いのか」を合理的に判断する方法がないからです。
We do not have a method to rationally judge "what kind of range of mathematics should be" to "force" to students.
例えば、『「三角関数」は必要で、「微分方程式の一般解への展開」は不要である』ことを、論理的に説明することはできません。
For example, It can not be explained logically that "Trigonometric function" is necessary, however, "Development of differential equations into general solutions" is unnecessary "
ちなみに、微分方程式とは、簡単に言えば、「穴の空いた樽に、水を入れ続けたら、何分後に満タンになるか」を、コンマ数秒の単位まで、厳密に算出する方法です。
By the way, the differential equation, in short, is a method to calculate for example "How long will it take for me to fill up after I put water in a barrel with a hole?" to few seconds in a comma.
樽の水位によって水圧が変われば、水量の勢いが変わりますし、水量が変化すると、水圧も変化します。よって、この計算は単なる割り算では算出できません。
If the water pressure changes according to the water level in the barrel, the momentum of the water will change, and as the amount of water changes, water pressure also changes. Therefore, we can not calculate it by mere division.
で、よく使われる(笑い)話は、『先ずは樽の穴を塞げよ』という理屈ですが、(言うまでもありませんが)この「樽」の話は、「日本人の人口と死亡率と税収」のメタファーです。
So, a commonly used (laughing) story is that, "First of all we will close the barrel hole. (It goes without saying) this "barrel" is a metaphor of "Japanese population and death rate and tax revenue".
しかし、微分方程式が、恐しく役に立つ「道具」であることは事実ですが、それを、「学生に"強いる"数学」の範囲に入れてよいかどうかは、結局ところ分からないのです。
However, it is true that differential equations are fearfully useful "tools". But we do not know whether I can put it into the range of "Mathematics to force" to the students in the end.
故に、数学教育において、どこまでの内容が必要なのか、という議論は、徹頭徹尾「不明」なのです。
Therefore, the discussion of how much content is necessary in mathematics education is "unknown" thoroughly.
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ところで、「三角関数は必要か」の理屈は、どの分野の勉強においても適用され、どこまでも無制限に拡張できます。
By the way, the theory of "Do we need trigonometric functions" is applied to studies in any field and can be expanded to an unlimited extent.
具体的には、こんな感じです。
Specifically, it is like this.
■古典は必要か → 使う場面ないじゃんか?
Do we need classics ? -> Is there no scenario to use?
■歴史は必要か → 昔の話を持ちだしてどうする?
Do we need history -> What do you do with old story?
Do we need English -> (According to the Ebata's trial calculation) only 4% of Japanese people use English.
■現国は必要か → 文庫本が読める程度の漢字を知っていればいいんじゃないの?
Do we need modern Japanese -> Do you only need to know the Kanji enough to read the paperback?
■体育は必要か → 日常生活で、走ったり跳んだり泳いだりする必要性はあるか?
Do we need physical -> Is there a necessity to run or jump in everyday life?
■理科は必要か → リトマス試験紙が何色になるかが、そんなに重要か?
Do we need science ? -> What color litmus paper is so important?
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このように、この理屈を押し進めていくと、最後には、
In this way, as we pursue this theory, in the end,
「興味のある人が、その分野の勉強だけをすれば足りる」
"People who are interested in that study, study that field. "
「国家が教育のサービスを提供する必要はない」
"The state need not provide educational services for all children"
という話で決着するハズです。
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で、もって、
「広い視野と、高度な知性で、共生しあえる人間がいなくなり」
"A human being who can coexist with a broad perspective and a high degree of intelligence disappears"
「低い知的レベルの知識と常識でしかコミュニケーションができない国民が量産され」
"Citizens who can communicate only with knowledge of both low intellectual level and common sense, are mass-produced"
「我が国は、多様性のない、非寛容的な社会として完成する」 ――
"Our society will be completed as a diversity-free, intolerant society" -
と、まあ、こんな感じでケリとなるはずです。
Well, it might be settled like this.
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しかし、こんな社会は、誰も望まないはずです、
However, nobody would like this society,
だから、この話は、「ロジック」ではなく、「過去の実績」くらいでしか、語れそうにないのです。
So, it is not "logic" but only "past record", to explain this story.
(To be continued)
ご存知の通り、私は各種の雑学知識のある方だと思っていますが、まったくダメダメな分野が一つあります。
You may know that I am a trivialist of several fields, however, I am not good at a specific field.
恋愛です。
"Love affair".
以前も申し上げましが、私の二人の娘は、世間に溢れるコンテンツから推測するに、「リア充」というもののようです。
I said it before, that my two daughters seems to live a fulfilling life with love affair"
しかし、「リア充」は「リア充」なりに、色々悩みもあるようです。
However, even their life is fulfilling, they seems to have their own troubles.
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我が家のリビングで、娘たちは、彼女らの彼氏に対する不満をぶちまけています。
In the living room, they are complaining about their lovers.
そして、私は、(話の中に登場する)彼氏の言動や行動が心理が、本当によく理解できます。
And I can understand the sayings, actions, and mentals of their lovers, deeply.
しかし、黙っています。
However, I keep silent basically.
―― 他人の恋愛ざたに口を出すと、痛い目にあう
I will get burned if I put in a word about other's love affair.
これは、私の中では、定理ではなく、公理です。
In my mind, this is not a proposition but a principle.
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だから、
So I don't want answer their questions about your lover.
『パパ! どう思う!!』
"Dad! How do you think about it ?"
と、言って、お前たちの恋愛事情を、私に振るのは止めて欲しい。
答えたくないし、答えられない。
I don't want to say, and I cannot say it.
私は、恋愛における「男性代表」としての公式見解を出せるだけの、経験がありません。
I have had no experiments about love affairs to answer the public comments from the view of "males".
年末に、奥歯を2本抜きました。
At the end of the year, I had two of my back teeth extracted.
歯の根本が膿んでいるらしく、随分長い間、定期的に痛めつけられてきました。
It seems that the root of my tooth is infected and has been hurting me regularly for a very long time.
あんまりにも軽く『2本、抜いてしまいますか?』と軽く言われたこともあったのですが、
One of the reasons why I was told so lightly, "Do you want to take out two of them?
『鎮痛剤も効果のない痛みを抱えたまま、年末年始を過ごさなければならない』と思うと、ゾっとしました。
The main reason was that I was horrified at the thought of having to spend the New Year's holidays with pain that no painkillers would help.
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私の人生の基本ポリシーは「苦痛回避」の一択です。
My basic policy in life is one of "pain avoidance".
「快楽」はなくてもいいです。「苦労」も、自分が選んだ苦労なら、受け入れます。
I don't need "pleasure". I accept hardship if it is my choice.
むしろ「苦労」は、気がつかずに自分で拾ってしまう方です。
Rather, I am the one who picks up "hardships" on my own, without even realizing it.
「不当」や「不快」は嫌いですが、これは「反撃」「報復」「殲滅」という手段で、きっちりとケリをつけます。
I don't like "injustice" or "unpleasantness," but I will deal with this by means of "retaliation," "counterattack," and "annihilation.
しかし、「苦痛」だけは、闘うことができません。これは常に「負け」一択です。
However, pain is the only thing that cannot be fought. This is always a "lose" choice.
私は、歯科であれ、内科であれ、外科であれ、そして、精神科であれ、とっとと、病院やクリニックに行き、処方箋を貰って、薬局に走ります(市販のクスリなんぞ、当てにしていません)。
Whether it's dental, medical, surgical, or psychiatric, I go to the hospital or clinic, get a prescription, and run to the pharmacy (I don't rely on over-the-counter drugs).
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どうやら、私の人生は「歯を失い始める」フェーズに突入したようです。
Apparently, my life has entered the "start losing teeth" phase.
そもそも、私の年齢は、すでに、太平洋戦争時(75年前)の平均年齢を超えております。
To begin with, my age has already surpassed the average age at the time of the Pacific War (75 years ago).
人間は、100年間程度では進化しません(10万年くらいは必要)ので、私が、今、生きていられるのは、医療やクスリや衛生教育のおかげです。
Humans don't evolve in about 100 years (it takes about 100,000 years), so I am alive today because of medicine, drugs, and hygiene education.
ならば ――
Then...,
『歯の1本や2本くらい、なんだと言うのだ』
"What's a tooth or two matter?"
と、思った5分後には、抜かれた2本の歯を、自分の目で見ていました。
Five minutes later, I was looking at the two teeth that had been pulled out with my own eyes.
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After my father's dentures were damaged, he lost his appetite, his strength, and his death due to incompatibility with his new dentures.
私の場合も、私を殺しに来るのは、多分「歯」だろうな、と腹を括っています。
In my case, too, I'm gutted that it will probably be "teeth" that will come to kill me.
(Continuation from yesterday)
メールを送って頂いた方は、東京在住で飲食業をしている4人のお子さんのお母さんでした。
The person who sent us the email was a mother of four children who lives in Tokyo and works in the restaurant business.
大変ご丁寧な文面の長文メールでしたので、私も気合を入れて、数回、読み返させて頂きました。
It was a long email with a very polite message, so I read it over several times with great enthusiasm.
■ご自分は、これまで2回COVID-19に感染されており(ただし軽症)
- She has been infected with COVID-19 twice before (but with mild disease).
■お父様が、COVID-19の肺炎でお亡くなりになっており
- Her father passed away from pneumonia with COVID-19.
加えて、
In addition,
■シバタ先生と私の共著のコラムは全て読まれており、
- She has read all the columns that Dr. Shibata and I have co-authored.
■ワクチン接種には恐怖を感じておられて、今も接種を躊躇されており、
- She was afraid of getting the vaccine and is still hesitant to get it.
■今は、お子さんへのワクチン接種の要否で深く悩んでおられる
- Now, she is deeply concerned about whether or not to vaccinate your child.
という状況でした。
The above is her situation at the present.
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上記の説明だけを読めば、多くの人は『なぜ?!』とつっこみたくなると思います。
If you only read the above explanation, many people will be tempted to ask, "Why? "
メールをご開示することはできませんが、そこには、御自分の持病、コロナ感染後の後遺症、各種医療機関での診断の結果など、
Although I cannot disclose her e-mail, I can tell you that it contains information about her medical conditions, the aftereffects of her coronary infection, and the results of her diagnosis at various medical institutions. In short,
―― 自分の体調や病症に関する精緻な自己分析結果
"The results of an elaborate self-analysis of her physical condition and illnesses"
が記載されていました。
were described in the mail.
これだけの自己分析を経て、なお拭えない「ワクチン接種への恐怖」というものを、私は、初めて知るに至ったのです。
After all this self-analysis, I came to realize for the first time that there is a fear of vaccination that she still cannot shake.
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I once wrote this diary -- however,
私は、この問題の『恐怖』の『本当の恐怖』を理解できていなかったと、自覚しました。
I realized that I didn't understand the 'real fear' of this issue.
―― それほどまでに怖いもの(ワクチン接種)を、一体、世界誰が「勧める」ことができるというのだ?
"Who in the world can "recommend" something so scary (vaccination)?"
と、心の底から思いました。
I thought it from the bottom of my heart.
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私たちの社会にとって、自分たちに都合の良い理論を持ち込んで、自分たちと違う行動をとる他人を批判するだけではダメなのです。
For our society, it is not enough to bring in theories that suit us and criticize others who act differently from us.
ですから、提案したいと思います ―― これからは、正直に『自分の"怖い"』を語り合いましょう。
So I'd like to propose something -- let's talk about our "fears" honestly.
そして、その『怖い』をロジックで理解するのではなく、『怖い』を『そのもの』で理解するように努めましょう。
And instead of understanding the "fear" with logic, try to understand the "fear" with "itself".
-----
■私(江端)は、コロナ感染&発病が怖いです。
- I (Ebata) am afraid of corona infection & disease.
■これといった持病もなく、健康でありますが、すでに高齢であり、死亡率も十分に高い年代に突入しています。
- I have no chronic illnesses and is in good health, but I am already old and entering an age where the mortality rate is high enough.
■ですから、だれもが、感染対策をして、ワクチン接種をして欲しいです。
- Therefore, I hope everyone will take precautions against infection and get vaccinated.
■私がコロナ感染に至らないように、どうかみなさんで助けて下さい。
- Please help me not to get a corona infection.
―― という私の『怖い』と
the above my "scary", and
■私(読者の方)は、コロナワクチン接種が怖いです。
- I (the reader) am afraid of coronary vaccination.
■すでに感染の経験があり、ブレインフォグに苦しんでおり、家族も殺されています。
- I've already been infected, I'm suffering from brain fog, and my family has been killed.
■それでも、未知のワクチンが、自分の子どもたちの、大切な未来を失う可能性が"0"とは言い切れないことが怖いです。
- Still, I am afraid that the possibility of losing my children's precious future to an unknown vaccine is not "zero".
■どうして良いのか本当に分からないのです。どうか、皆さん、私を助けて下さい
- I really don't know what to do. Please, everyone, help me.
―― という方の『怖い』は、
the above her "scary"
同じものとして、取り扱われるべきなのです。
should be treated as the same thing.
-----
ロジックで相手をやりこめるフェーズは、もう終わりにしましょう。
Let's end the phase where you can use logic to push your opponent over the edge.
「怖い」を「怖い」と言えて、その「怖い」を心で理解して、受け入れられる社会を作っていくこと ――
To create a society where people can say "I'm afraid" to each other, understand "I'm afraid" with all their hearts, and accept them.
これが、私たち「ウイズコロナ時代」のミッションです。
This is the mission of our "Wise Corona Age".
昨日、留学生の一人から、「名前を日本語(カタカナとひらがな)で表記してくれ」、と頼まれました。
Yesterday, one of the international students asked me to write his name in Japanese (katakana and hiragana).
―― は?
"What?"
と思いましたよ。
I thought it.
外国人なら、自分の名前を外国語表記しても許されるだろう、と思っていました。
I thought that if I were a foreigner, I would be allowed to write my name in a foreign language.
それに、カタカナとひらがな表記の強要は、ちょっと外国の人に失礼ではないかな、と思うのですよ。
Besides, I think that forcing people to write in katakana and hiragana is a bit rude to people from other countries.
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ところが、日本の法律では、日本語表記が必須となっているのですよ ―― 例えば「特許法」。
However, Japanese law requires Japanese notation -- for example, "Patent Law".
例えば、特開昭55-043192の発明者は、
For example, the inventors of JP Shou 55-043192 was
『レ-ム・ゲゼルシヤフト・ミツト・ベシユレンクテル・ハフツング』さん
Mr. "Rehm Gesellschaft Mitut Beschurenkutter Haftung".
となっています。
この名前なら、なんとなく「ドイツ人」かな、と思えますし、ドイツ語は、日本語発音がしやすいのいいのですが ――
I think this name sounds somewhat "German," and German is easy to pronounce in Japanese, but--
中東、アフリカ、そして、東南アジア(日本を除く)の国々の人は、そもそも、ローマ字的に表記されていないので、文字から発音を推測することが、全くできないのです。
People in the Middle East, Africa, and Southeast Asia (excluding Japan) cannot guess the pronunciation from the letters because they are not written in the Roman alphabet.
-----
で、私は、文字を読んで日本語変換するのを諦めて、
And I gave up reading the letters and converting them to Japanese, and said
『ゆっくりと名前を発音してみてくれないかな?』
"Would you try to pronounce you name as slowly as you can ?"
といって、その音声を、そのまま、カタカナで書き下してみました。
I wrote down the sound in katakana as it is.
『あのさ、もし書類に記載する必要があるなら、私が、今、ここで書き込むよ?』
'You know what, if you need me to fill out the paperwork, I'll write it right here, right now'
と申し出たのですが、彼は「日本語の勉強にもなるから、自分でやる」と言いました。
I offered to do it, but he said he would do it himself because it would help him learn Japanese.
立派な心掛けだと思います。
I think it is an admirable mindset.
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その後、私が彼の日本での名付け親になったような気分になりました。
After that, I felt like I was his godparent in Japan.
体の痒(かゆ)みがハンパではなく、特に、顔、首、旨、肩が酷い。
Itching on my body, especially my face, neck, umami, and shoulders.
仕方なく寝る前には、痒みの酷いところに「キンカン」塗って、1分間の激痛に耐えている、という日々を送っていたのですが、『もう限界』と思ったので、皮膚科にいってきました。
I had no choice but to spend my days applying "kinkan" to the badly itching area before going to bed and enduring the intense pain for a minute, but I thought, "I've reached my limit," so I went to a dermatologist.
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担当の先生は、私の患部をチラっと見ただけで、「花粉症ですね」と断言しました。
The doctor in charge of my case glanced at my affected area and assured me it was hay fever.
もちろん、私は酷い花粉症持ちで毎年「くしゃみ」で苦しめらてきましたが、「痒み」で苦しむということはありませんでした。
Of course, I have terrible hay fever and have suffered from "sneezing" every year, but I never suffered from "itching."
『ああ、じゃあ、今年から、"それ"が加わったのでしょう』と、軽く言われました。
She said lightly, "Oh, you added 'it' this year.
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色々な病気や病症が、毎年、新たにエントリーされ続けています。
Various diseases and ailments continue to be newly entered each year.
今回も、色々なクスリを処方されて帰宅しました。
Again, I went home with a prescription for various drugs.
結構なお値段にはなりましたけど、これで「痒み」が消えるならOKです。
It was pretty pricey, but I'm OK with it if it removes the "itch."
I did some research and found a past case 8 years ago.
私のことを「学習しない奴」というのでしょう。
I guess you could call me an "unlearned."